侍女を抱いていたのは私の夫でした。さようなら、どうか探さないでください。

エトカ

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第十二話

 出産後、私の体調はすこぶる良く、五日後には退院することができた。まだ歩くのは辛いので、トーマさんに抱っこされて帰路に就く。帰宅後、私はトーマさんに助けられて赤ちゃんをベビーベッドに寝かせると自分も横になった。

 「おかえりサチコ」
 「ただいまです」

 この五日間、トーマさんは仕事の合間を縫ってお見舞いに来てくれた。大丈夫だからと言っても聞かず、病院食がちゃんと出るにも関わらず、焼きたてのパンを持って来ては食べさせようとした。

 今日は退院とあってパン屋はお休みだ。産後の肥立ちが良いと言ってもまだ出血しているので無理は禁物。私は横になって目を閉じ……ようとして息子に呼ばれた。

 ふんにゃぁ、ふんにゃぁ

 「はいはい、おっぱいでしゅね~」

 私は起き上がると息子を抱き上げた。丁度そのタイミングで昼食を運んで来たトーマさんが部屋に入ってくる。立っている私を見て顔をしかめた彼は、お膳をテーブルに置くと私の手から赤ん坊を抱き上げた。

 「寝てなくちゃ駄目じゃないか」
 「そんなこと言ったって、お腹が空いたみたいだしおむつも濡れてたら可哀想じゃないですか」
 「俺がやる」

 そう言うと、彼は不器用ながらもおむつを取り替えてくれた。私は綺麗になった赤ん坊を受け取ると授乳を始める。待ってましたとばかりに吸いつかれ、その強さにピリッと痛いくらいだった。男の子だからか吸い付く力が強い。

 そんな私たちを優しい眼差しで見つめながら、トーマさんが口を開いた。

 「サチコ、赤ん坊の名前は決めたか?」
 「うーん、それなんですけど実は悩んでいて」

 この子の未来が明るく希望に満ち溢れていますように。そんな願いを込めて、私は『ひかる』という名前と『光希こうき』という名前のどちらにしようか迷っていた。

 「私のいた国ではどちらも“明るい輝き”といった意味があるんです」
 「ヒカルとコウキか……どちらも異国風で不思議な響きだ」
 「トーマさんはどっちがいいと思いますか?」

 彼に決めて欲しかった。妊娠している時からずっと支えてくれた彼に、この子の名付け親になって欲しかった。
 おちちを飲む様子を、彼は優しげな表情で見つめている。彼がこんな優しい表情を見せるなんて、出会った当時を考えると信じられない。

 「……ヒカル……、ヒカルがいいと思うんだが、どうだ?」
 「うん、いいと思います。ありがとう、トーマさん」

 私たちは微笑みあってから息子を見下ろした。ミルクを飲んで満腹になった彼はスヤスヤと眠っている。

 「光、生まれてきてありがとう。将来、大きくなったら光は何になるのかな?」
 「きっとサチコにそっくりな子になるぞ」

 私にそっくりな子って……想像がつかない。とにかく元気に育ってほしい。望むのはそれだけだ。

 「さあ、授乳も終わったし食事にしよう。今日はサチコの好物のティラのレモンバター焼きを作ってみた。ジルからレシピをもらってきたんだ。味見してみてくれ」

 「うわぁ、美味しそう!いただきます!」

 ティラは淡白な白身魚で、たらに似た味がする。それをバターでこんがり焼き、仕上げにレモン汁をふりかけて頂く。これがビックリするほど美味しいのだ。

 「ん~、美味しい!あ、このパン、例の新作ですか?」
 「ああ」

 十字に切れ目が入った大きな丸パンを手にとる。外はパリパリ、中はモチモチだ。それを半分にちぎると中からとろりとチーズが姿を表した。

 「ゴウトチーズ、やっぱりパンと合いますね!すっごく美味しいです!」
 「そうか」

 トーマさんは光を抱っこしながら、私が食べる様子をはにかんだ笑みを浮かべていつまでも見つめていた。



 新生児との生活は、睡魔との戦いだった。昼夜問わず繰り返される授乳とおむつ替えの日々。トーマさんは仕事があるので、会えるのは朝の時間と午後の閑散時、夜は閉店後に食事を持って来てくれる時だ。それをありがたく頂き、光を見ていてもらっているうちに私は急いで入浴だ。もちろん毎回カラスの行水である。

 以前、ワンオペという言葉を聞いたことがある。確か家事育児を一人でこなすという意味だった気がするけれど、彼/彼女らは一体どうやってこなしているんだろう。純粋にすごいなと思う。

 私の場合、トーマさんが三食食事を持ってきてくれるし、時間の空いた時に光を見てくれるので、まだ楽な方なんだと思う。一人で育てる気でいた以前の私に言ってやりたい。そんなに甘くないよ、と。

 「トーマさん、いつも助けてくださって本当にありがとうございます」
 「突然改まってどうしたんだ」
 「私ね、トーマさんに言っていないことがたくさんあるんです。その事について少しお話ししたいと思うんですけど聞いてもらえますか?」

 トーマさんは、無理に話す必要はないと言ってくれた。けれど私は話したかった。こんなに尽くしてくれる彼に、誠意を示したかったから。

 私は自分がどこから来たのかを語った。こことは全く異なる、別の世界から飛ばされて来たことを。そこで貴族の男性に助けられ結婚・妊娠したこと。けれど、彼に裏切られこの町まで逃げてきたことを話した。

 そんな夢物語のような話に、彼は何も言わず静かに耳を傾けていた。そして一言、

 「よく頑張ったな」

 と彼は言った。その言葉に、私の心の堤防が決壊した。心の中にある感情や思いが、涙となって一気に溢れ出てきたのである。

 怖かった
 寂しかった
 悲しかった
 苦しかった……

 私の中でいろんな感情が交錯する。そうして気がつく。苦しみの中にあれど、そこに喜びもあったのだと。愛はあったのだと。その証拠に、今腕の中で眠る天使がいるではないか。苦しみは無駄ではなかったのだ。

 今なら言える。ディランシーズにありがとう、と。そして、どうか幸せでありますように、と。



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