月の女神の方程式 ー家族を見返すため、絶対に幸せになってみせます!!ー

早美ひな

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3 リリア

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 いつの間にか、眠っていたようだ。

 ぼんやりとした頭で窓の外を見ると、すでに日は落ちて、細く欠けた月が空の中ほどに上っていた。

 いつもなら、この時間帯にはメイドのリリアが入ってきてカーテンを引いてくれるのだが、今日は引かれていない。そこで、ドアに鍵をかけたことを思い出した。

 重い腰を上げ、自分でカーテンを引く。
 すっかり色あせ、ぼろぼろになってしまったカーテンには、繕った後がいくつもある。

 ガラスの向こうに、黒い大きな影が見える。数え切れないほどの窓にはこうこうとあかりが灯り、点のように人影が見える。
 父たちが暮らす、本邸だ。

 ミアの部屋があるのは本邸から離れたもとは食物庫を改装した建物で、窓は一つしかない。

 風通しが悪く、夏はむしむしと熱く、冬は凍えるように寒い。

 ここにおいやられてから十二年。
 それなりの暮らしは営んできたつもりだが、父たちの暮らしぶりとは天と地の差がある。

 小さな低いベッドに、粗末な家具。
 床はタイルも絨毯もない、むきだしの木だ。

 隅に置かれているのは本棚で、上から下までぎっしりと書物が詰まっている。
 数少ない、ミアの持ち物だ。

 母が死んで、ティナの母であるルイーズがやってきてからミアの暮らしは一変し、使用人同然の扱いを受けて来た。
 母からもらったドレスも装飾品も、部屋も、全てティナやルイーズに捨てられるか没収されるかしてしまった。
 けれど、この大量の本だけはミアの手元に残った。
 ティナが唯一興味を示さなかったものだったからだ。

 はれぼったい目をこすったその時、ぐるぐるという音が聞こえた。
 場の空気にあわない間抜けな音に、思わず苦笑してしまう。

「おなか、すいたわね」

 思えば、朝から何も食べていないのだ。朝食と言っても名ばかりで、実際のところは固くなった黒パンとトウモロコシのおかゆのみである。

 ミアは困り果てて眉をしかめた。
 夕食を取りに行こうにも、許可なく本邸に入ることが許されていないミアにはできない。
 リリアが来るのをまとうにも、やってくる様子はない。
 その時、ドアの外で声がした。

「お嬢さま、お食事をお持ちしました」

 リリアの声だった。
 ミアは心底ほっとしてドアの鍵を開ける。入ってきたリリアはにこにことおじぎをし、机にトレイを置いた。

「お嬢さま、今日は」

 振り返ってミアをみたりリアの顔が引きつった。

「お嬢さま、その目、どうしたんですか」

 ミアはあわてて取り繕う。

「あ、ああ、何でもないの。変な時間に寝てたから……」

「ドアに鍵をかけてですか」

 リリアは腰に手を当てた。

「あたしには分かります。またティナお嬢さまと奥様にいじめられたんでしょう」

 ミアは話をそらそうと、冷え切ったスープをのぞきこんだ。

「わあ! なんて美味しそうなのかしら! 玉ねぎが入っているなんて、すごいわ!」

 リリアはあきれた声で言った。

「お嬢さま、嘘をついても無駄ですよ。絶対に口外しませんから、あたしに話してください。ほら、そこにお座りになって」

 ミアはすごすごと椅子に座る。
 リリアは鋭い。

 ミアの本当の母が生きていたころからこの邸にいるメイドで、ミアより二つ年上だ。
 歯に衣着せぬ物言いとは裏腹に、赤茶色のくるくるとした髪と、鼻のあたりに散ったそばかすが可愛らしい。
 ミアがここにおいやられたとき、自分からミアについてきてくれたのは、このリリアだけだった。

「本当になんでもないの」

 リリアはずいっと身を乗り出し、首を振った。

「だから、嘘をついても無駄です。そんなに泣き腫らして、なんでもないわけがないでしょう」

 リリアの堂々とした姿を見ているうちに、引っ込んだはずの涙がまた溢れそうになった。

(いつかはわかることだものね)

 ミアは腹をくくった。
 言うなら、早い方がいい。

「あのね、実は」

 話し終えた瞬間、リリアは烈火のごとく怒りだした。ピンク色を通り越して、彼女の頬は赤く染まっていく。

「そんなひどい話、今まで聞いたことがありません! ひどすぎます! ヘンリーさまも優柔不断だからいけないんですよ。ティナお嬢さまもご主人さまも、人間じゃありません!」

 あっけにとられたミアに、リリアはあわてて自分の口を押さえた。

「いけない」

 その様子がおかしくて、ミアは思わず吹き出してしまった。座り込んだリリアはしばらく言葉を探してから、ぽつりと言った。

「……悔しいです」

 肩を震わせるリリアに、ミアは優しく微笑みかけた。
 自分のことのように怒ってくれるリリアを見ているうちに、ミアの方が落ち着いてきてしまった。
 ふふ、と笑いが零れる。

「心配ありがとう。でも、大丈夫よ。さ、食べましょう。お腹空いちゃったわ」

 いそいそと食器を持ち上げたミアに、リリアはため息をついた。

「お嬢さまは、本当にお強いですね」

 ミアはせわしなく動かしていた手を止めた。
 強い。
 その言葉がぐるぐると胸の中を回った。

「……ただ、慣れてしまっただけよ」
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