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4 悪い予感
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せわしなくドアが叩かれる音で、目が覚めた。
「……ん」
ミアは薄く目を開け、上かけにくるまったまま返事をする。
窓から白い光が差し込み、すずやかな小鳥の声がこだましていた。
もう、すっかり朝だ。
「お休みの所、失礼します」
そう言って入ってきたリリアは不安そうに眉をしかめていた。
「なんでも、ご主人さまがお嬢さまにお話があるそうで……」
ミアはまだぼんやりした頭で思った。お父さまが私に会いたがるなんて、いったいどんな風の吹き回しかしら。
父と会話をした記憶は遠い。最後に顔を見たのは―思い出せない。
悪い予感しかしなかった。
もそもそと身体を起こし、ベッドに腰かける。リリアが手早くブラシで髪をとかしてくれた。
プラチナの、腰まで届く柔らかな髪は父譲りだ。
曇ったガラスにぼんやりと映った紫色の瞳が自分を見つめている。頼りない、幼い少女のようなまなざしだった。情けなくなって、目をそらす。
古着同然の外見の寝間着を脱いで、数少ない手持ちのドレスに袖を通せば支度は終わりだ。
質素で地味だが、こうするしかないのだから仕方がない。
リリアがまだ不安そうにしながらもドアを開けてくれた。
「お送りいたします」
*
*
*
本邸に入るのは久しぶりだった。
赤いじゅうたんが敷き詰められた廊下に、天上から吊り下げられた大きなシャンデリアには、大ぶりのダイヤモンドがいくつもぶらさがっている。壁紙には派手な薔薇の花が印刷され、ところどころに置かれた花瓶は金箔が貼り付けられていた。見ているだけで目がくらみそうだ。
(ずいぶん変わったわね)
おぼろげにしか覚えていないが、母がいたころは、もっと素朴で温かみのある白や黄色を基調にしたインテリアだった。それに苦言を呈した父と母が冗談交じりに言い合いをしていたことを思い出す。
思えば、ルイーズと母は正反対である。
母が山間にひっそりと咲く白百合なら、ルイーズは大輪の薔薇。
父の好みなど知ったことではないが、よく考えれば疑問だった。
父の執務室は、本邸の奥に位置する。
インテリアは様変わりしていたが、間取りは変わっていないことを祈る。本邸内を彷徨うなどごめんだ。記憶を頼りに階段を上下し、やっと執務室前にたどり着いた。
大きな両開きの扉は赤い布張りで、荘厳な雰囲気をたたえている。ミアは力強くその扉を叩いた。しばらくして、父の低い声が聞こえた。
「入れ」
しばらく待ってみたが、内側からドアを開けてくれる親切な人間はいないようだ。
力を込めてドアを引き開ける。
とたん、ひんやりした空気が押し寄せ、インクと紙の匂いに鼻腔が覆われる。
父の部屋には、おどろくほど何もなかった。
広大な部屋には大きな窓が取り付けられ、そこから日光がさんさんと差し込んでいる、
その光を背にして大きな机といすが置かれ、父がいる。そのとなりにぴったりと寄り添うルイーズを見てどっと疲れが押し寄せる。
父を挟むように並んだ本棚には背表紙の厚い本がぎっしりと詰まっている。
そのなかのどれかを読んでみたくて、幼い頃はよくここに入り込んでいた。やっとのことで本を開いてみても、外国語や難しい単語ばかりでミアに読めるものはなかった。
ミアは軽く膝を曲げてお辞儀をすると、形式的に声を出す。
「お話とはなんでしょうか、お父さま」
「そこに座るといい」
父がすっと手を伸ばし、小さな椅子を示した。ミアがそこに座ったのを確認し、父がゆっくりと口を開く。
「さて、アルテミシア。先日のことだが非常に……残念に思う」
父のプラチナの髪は、白髪に見えた。
ぐっと唇を結ぶ。
何もわからない子供ではない。
あの婚約破棄を許したのはほかでもない父である。捨てられた子犬を見るような目でミアを見下ろす父の、しんとした表情が憎かった。
「残念だなんて」
横からルイーズが口を出した。
扇で口元を隠し、ミアを嘲笑う。
「あの若者も、こんなあばずれと結婚するのをまぬがれたのですからよかったではありませんか。
この娘だって、恥をかかずに済んだことだし」
カッと頬が熱を持つ。けれどミアはルイーズをみなかった。
傷ついた表情や、滲み出る怒りはルイーズの好物である。わざわざ餌を投げてやる必要はない。
冷静に、感情を動かさず、ミアは言った。
「ご心配ありがとうございます。けれど、大丈夫ですから」
ミアは間髪入れずに次の言葉を投げる。
「本題に入りませんか? お父さまもお母さまもお忙しいでしょうし」
父はたじろいだように目を上げ、咳払いした。
「あ、ああ、おまえの言う通りだな」
ミアは父の次の言葉を待った。どんな言葉が飛び出しても、驚かない自信がある。
何をするつもり?
屋敷から追い出される? それとも、使用人にされる?
「実はな、おまえに新しい縁談がある」
「……ん」
ミアは薄く目を開け、上かけにくるまったまま返事をする。
窓から白い光が差し込み、すずやかな小鳥の声がこだましていた。
もう、すっかり朝だ。
「お休みの所、失礼します」
そう言って入ってきたリリアは不安そうに眉をしかめていた。
「なんでも、ご主人さまがお嬢さまにお話があるそうで……」
ミアはまだぼんやりした頭で思った。お父さまが私に会いたがるなんて、いったいどんな風の吹き回しかしら。
父と会話をした記憶は遠い。最後に顔を見たのは―思い出せない。
悪い予感しかしなかった。
もそもそと身体を起こし、ベッドに腰かける。リリアが手早くブラシで髪をとかしてくれた。
プラチナの、腰まで届く柔らかな髪は父譲りだ。
曇ったガラスにぼんやりと映った紫色の瞳が自分を見つめている。頼りない、幼い少女のようなまなざしだった。情けなくなって、目をそらす。
古着同然の外見の寝間着を脱いで、数少ない手持ちのドレスに袖を通せば支度は終わりだ。
質素で地味だが、こうするしかないのだから仕方がない。
リリアがまだ不安そうにしながらもドアを開けてくれた。
「お送りいたします」
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本邸に入るのは久しぶりだった。
赤いじゅうたんが敷き詰められた廊下に、天上から吊り下げられた大きなシャンデリアには、大ぶりのダイヤモンドがいくつもぶらさがっている。壁紙には派手な薔薇の花が印刷され、ところどころに置かれた花瓶は金箔が貼り付けられていた。見ているだけで目がくらみそうだ。
(ずいぶん変わったわね)
おぼろげにしか覚えていないが、母がいたころは、もっと素朴で温かみのある白や黄色を基調にしたインテリアだった。それに苦言を呈した父と母が冗談交じりに言い合いをしていたことを思い出す。
思えば、ルイーズと母は正反対である。
母が山間にひっそりと咲く白百合なら、ルイーズは大輪の薔薇。
父の好みなど知ったことではないが、よく考えれば疑問だった。
父の執務室は、本邸の奥に位置する。
インテリアは様変わりしていたが、間取りは変わっていないことを祈る。本邸内を彷徨うなどごめんだ。記憶を頼りに階段を上下し、やっと執務室前にたどり着いた。
大きな両開きの扉は赤い布張りで、荘厳な雰囲気をたたえている。ミアは力強くその扉を叩いた。しばらくして、父の低い声が聞こえた。
「入れ」
しばらく待ってみたが、内側からドアを開けてくれる親切な人間はいないようだ。
力を込めてドアを引き開ける。
とたん、ひんやりした空気が押し寄せ、インクと紙の匂いに鼻腔が覆われる。
父の部屋には、おどろくほど何もなかった。
広大な部屋には大きな窓が取り付けられ、そこから日光がさんさんと差し込んでいる、
その光を背にして大きな机といすが置かれ、父がいる。そのとなりにぴったりと寄り添うルイーズを見てどっと疲れが押し寄せる。
父を挟むように並んだ本棚には背表紙の厚い本がぎっしりと詰まっている。
そのなかのどれかを読んでみたくて、幼い頃はよくここに入り込んでいた。やっとのことで本を開いてみても、外国語や難しい単語ばかりでミアに読めるものはなかった。
ミアは軽く膝を曲げてお辞儀をすると、形式的に声を出す。
「お話とはなんでしょうか、お父さま」
「そこに座るといい」
父がすっと手を伸ばし、小さな椅子を示した。ミアがそこに座ったのを確認し、父がゆっくりと口を開く。
「さて、アルテミシア。先日のことだが非常に……残念に思う」
父のプラチナの髪は、白髪に見えた。
ぐっと唇を結ぶ。
何もわからない子供ではない。
あの婚約破棄を許したのはほかでもない父である。捨てられた子犬を見るような目でミアを見下ろす父の、しんとした表情が憎かった。
「残念だなんて」
横からルイーズが口を出した。
扇で口元を隠し、ミアを嘲笑う。
「あの若者も、こんなあばずれと結婚するのをまぬがれたのですからよかったではありませんか。
この娘だって、恥をかかずに済んだことだし」
カッと頬が熱を持つ。けれどミアはルイーズをみなかった。
傷ついた表情や、滲み出る怒りはルイーズの好物である。わざわざ餌を投げてやる必要はない。
冷静に、感情を動かさず、ミアは言った。
「ご心配ありがとうございます。けれど、大丈夫ですから」
ミアは間髪入れずに次の言葉を投げる。
「本題に入りませんか? お父さまもお母さまもお忙しいでしょうし」
父はたじろいだように目を上げ、咳払いした。
「あ、ああ、おまえの言う通りだな」
ミアは父の次の言葉を待った。どんな言葉が飛び出しても、驚かない自信がある。
何をするつもり?
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