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会社の壁掛け時計が夕方の5時を示していた。なかなか終わらないミーティングに結依はそわそわと時計とホワイトボードを交互に見ていた。
「抜けていいよ。」
「でも‥」
「明日報告するから。」
「すいません。」
結依の落ち着かない様子に隣に座る同僚が気付くと声を掛けてくれた。結依はそろりと立ち上がるとミーティング中のスタッフの背中に「すいません。お先に失礼します。」と頭を下げながら部屋を出た。廊下に出ると早足で駐車場に向かい車を開けると鞄を放り投げて保育園へと向かった。帰宅ラッシュの時間なだけあって車はノロノロとしか動かない。ナビの左上に表示された時刻とにらめっこしながら保育園を目指す。
何とかお迎えの時間ギリギリで保育園に着くと教室まで駆け足で依茉を迎えに行く。
「お母さん!」
「遅くなってごめんね。」
「ううん。ブロックでお家作ってたの。楽しかったよ。」
「上手に出来たね。じゃあ帰ろうか。鞄取っておいで。」
「はーい。」
教室に着くと結依に気付いた娘の依茉が教室の入り口まで駆け寄ってきた。依茉がブロックで作った家を結依に見せると依茉の頭を撫でて褒めた。帰りの支度を促すと依茉は素直に従い支度をしに教室へ戻った。先生が結依に気付くと結依の元へやって来た。
「今日はお外でお友達と砂遊びに熱中して泥んこになりながらウォータースライダーを作って遊んでいました。」
「そうですか。ありがとうございます。」
「熱中して遊んでいたので洋服が汚れてしまってお着替えしました。すいませんが洗濯お願いします。」
「分かりました。」
先生と話が終わる頃、依茉が結依の元へ駆け寄り足に抱きついた。先生がしゃがんで依茉にバイバイをすると、依茉はバイバイと先生の手に力強くタッチをした。依茉と手を繋いで駐車場に向かい車に乗せる。車が走り始めると、今日保育園で遊んだ事や友達の事を話始めた。しかし10分程走ると静かになり、助手席を見ればドアに凭れてすぅすぅと寝息を立てていた。信号機で止まると結依は後部座席に置いてあったタオルケットを依茉のお腹に掛け家路へと向かった。家に着くと2人分の鞄と依茉の水筒を左腕に引っかけ、右腕で依茉を抱いてアパートの階段を登って部屋に入る。リビングのソファに依茉を寝かせると、依茉の鞄から着替えや給食袋やお便り袋を取り出して片付ける。手を洗い、お風呂を洗ってお湯を溜めている間に、朝下ごしらえしておいた食材で夕飯の支度を始めた。依茉が機嫌よく起きられるように依茉の好きなテレビを流して依茉に声を掛ならが支度を進めていく。
「依茉お家着いたよ。一緒にお風呂入ろっか?」
「‥うーん。このテレビ終わってから。」
「分かった。じゃあ終わったら入ろう。約束ね。」
「うん。」
依茉の好きなテレビ番組が終わるまでにあらかた夕飯を作り終えると、洗濯を取り込み依茉と一緒にテレビを見ながら洗濯を畳む。丁度畳終えたところで番組も終わった。依茉は大きな欠伸をしてまだソファで横になって微睡んでいる。
「テレビ終わっちゃったね。お風呂行こっか。」
「えー!まだゆっくりしたい!」
「じゃあ、トイレ行って洋服脱いだら勝ち競争しよう!」 「待ってー!」
「用意、どん!」
依茉が機嫌良く動いてくれるよう遊びの延長で指示を出す。結依がパンと手を叩いてスタートの合図をすると依茉はソファから飛び降り、走ってトイレに向かう。結依も「待て待てー!」と追いかけ少し遅れてトイレに向かった。依茉はトイレを済ませて脱衣所に着くと、自分で洋服を脱いでポイポイっと床に投げ捨てて「1番!」と跳び跳ねている。「今日も負けちゃった。依茉は早いな。」と誉め依茉の頭を撫でると満面の笑みを結依に向ける。結依も洋服を脱ぐと2人で浴室に向かった。頭も体も洗い湯船に浸かる。1日の疲れがお湯に溶け出していく。結依は、はあと大きく息を吐く。最近保育園でお手紙交換が流行っているらしく依茉は平仮名に興味を持ち始めた。風呂場の壁に張り付けた、あいうえお表が今の依茉のお気に入りのオモチャだ。
「これが依茉の『え』?」
「そうだよ。」
「『ま』は?」
「『ま』はここ。」
「お母さんの『ゆ』は?」
「『ゆ』はこれ。」
「これが『い』だ!」
「正解。」
お風呂でのコミュニケーションはもっぱら結依が依茉に平仮名を教えている。依茉があいうえお表に熱中しているうちに結依は先に風呂から上がり、脱衣所で着替えてスキンケアを済ませる。独身の頃は肩まであった髪も、今は時短優先でベリーショートにした。依茉を風呂から上がらせると、依茉の髪や体を拭いて肩にタオルを掛けさせてリビングへ向かう。リビングで依茉のスキンケアをしてパジャマに着替えさせるとドライヤーで髪を乾かす。胡座をかいて座る結依の膝に依茉の小さな体がちょこんと座ればおさまりが良い椅子になる。そのまま依茉の髪にドライヤーの風を当てる。大人しく座って待っている依茉の後ろ姿から見える落っこちそうな頬っぺたが愛おしくて結依にとってこの時間が癒しだ。依茉の髪が乾くとそのまま自分の髪も乾かす。ベリーショートにしているお陰で数分で乾いてしまう。自分の髪も乾かし終えてドライヤーを片付けていると、依茉はソファに寝転がりリモコンを操作している。
「ご飯仕上げてくるからそれまでだよ。」
「分かった。」
結依はキッチンに向かうと先ほど作った夕飯を皿に盛り付けていく。今日はしらす丼と豚汁。デザートにキウイを付けた。
「出来たよー!」
「えー!早いよー!」
「お母さんお腹空いたから食べたいな。お箸とスプーン運んじゃうよー!」
「依茉の仕事取っちゃ駄目!」
依茉が録画した番組を一時停止すると不機嫌そうにダンダンと足音を立ててキッチンにやってきた。
「依茉がお手伝いしてくれるからお母さんの仕事が減って楽だな。さすが年長さん!」
「これくらい出来るし!」
「本当?じゃあお箸とスプーン並べる所までお願いしてもいいかな?」
「いいよー!」
誉めながら依茉にお手伝いを頼むと、頼りにされるのが嬉しいのかコロッと機嫌が直り、テーブルに箸とスプーンを並べた。
「こんなの簡単だったし!」
「凄い!まだお母さん豚汁よそってるところだよ。」
「じゃあ依茉が運ぶ。」
「いいよ。でも熱いから1つずつゆっくり運んでね。」
「はーい!」
小さめのお盆に依茉の分の味噌汁が入った器を置いた。すると依茉は「抜き足、差し足、忍び足」と唱えながら忍者ごっこをしてゆっくりと運び、お盆からテーブルに置いた。
「見てー!出来たよー!」
「凄い!1人で出来た!またお姉さんになったね!」
「これで小学校行けるよね!」
「ふふ。そうだね!小学校行ったら1人でやらなきゃいけないから色々練習しようね。」
結依も遅れて、自分の分の豚汁をテーブルに運ぶと2人で並んで椅子に座る。
「お当番さんお願いします。」
「持ってるものを起きましょう。いい姿勢になりましょう。手をパー!手を合わせましょう、ご挨拶、頂きます!」
「頂きます。」
依茉の号令で頂きますをしてご飯を食べ始めた。年長になってからはご飯も1人で食べてくれるようになり、今日の出来事等を話して食べる事が増えた。余程保育園が楽しいらしく、朝は何をしてお昼は何を食べて午後は何をして遊んだと保育園の様子を事細かに教えてくれる。結依がしらすを食べれば「お魚は骨が強くなるんだって」と教えてくれたり、豚汁を食べれば「野菜は栄養満点だよ」と教えてくれる。日々成長していく依茉の姿が嬉しいような少し寂しいような気持ちになりながら依茉の成長を肌で感じていた。先に依茉が食べ終わるとご馳走さまと挨拶をして椅子から飛び降りるとソファに戻りまたテレビを見始めた。
「お母さん、テレビじゃなくてゲームがやりたい。」
「いいよ。でもお母さんご飯の片付けしないといけないからお母さん片付け終わるまで1人で出来る?」
「うん!」
「じゃあ、時間を決めよう。長い針が何処まで?」
「うーん‥6までは?」
「OK。じゃあタイマーセットして1人で準備してたら始めていいよー!」
「分かったー!」
依茉は慣れたようにタイマーをセットしてゲームの準備を始めた。結依は食事を済ませると後片付けを始める。流しで洗い物をしながら依茉の様子を見守る。1人で準備をしてゲームを始めたが、ステージが難しいらしく、すぐにゲームオーバーになってしまう。始めは無言でやっていたが、「何で!?」「邪魔!?」と段々不穏な声をあげて膝立ちになりながらゲームしている。上手くいかずフラストレーションがたまってくると、コントローラーを床に投げ捨てて結依を呼ぶ。
「お母さん!ここだけやって!ここだけでいいから!」
「あと1つお皿洗っちゃったらおしまいだから、依茉ももう1回だけやってみたら?」
「出来ないんだもーん!」
「じゃあ、お母さんが終わるまで待っててくれる?でもどんどんやらないと6になって終わりになっちゃうよ。」
「いい、やる!」
依茉がコントローラーを拾い、もう一度チャレンジしてみるがやはり上手くいかず、ゲームオーバーになってしまった。「出来ない!」と涙目になって怒る依茉に洗い物を中断して結依が手助けに入る。結依が操作する画面を依茉が見ていると、「ここからやれる!」と結依が持つコントローラーを奪い取った。結依はまたキッチンに戻り、後片付けをはじめる。片付け終えると、依茉の機嫌は直っていてゲームに集中していた。依茉の隣に座りゲームを眺めている。すると結依に気付いて2人でやろうと依茉が声を掛けた。いいよと結依がもう1つのコントローラーを手に持ち2人でゲームをする。そのうちピピピッとタイマーが終了時間知らせた。依茉は不満そうにコントローラーを床に置いた。「ちゃんと約束守って終わりにして偉いね。」と依茉の頭を撫でると、依茉は無言で片付けを始めて、片付け終えると結依に抱きついた。まだやり足りなかったらしく「もっとやりたかったな。」とブツブツと文句を言っている。
「約束守れたからまだ寝るまで時間があるね。歯磨きとトイレ終わったら、本2冊読んであげる。」
「どれでもいいの?」
「いいよ。じゃあ先に何からやっちゃおうか?歯磨き?トイレ?」
「歯磨き!」
結依の手を引っ張って洗面所へ連れていく。台に登り自分で歯ブラシに歯磨き粉をつけるとガシャガシャと力強く磨き始めた。一通り磨き終えると結依に歯ブラシを手渡し仕上げ磨きをする。仕上げが終わるとうがいをして、壁に掛けられたタオルで手を拭くとトイレに向かって走っていった。結依はその間に使い終わった歯ブラシとコップを洗って、先にリビングに戻り依茉の帰りを待つ。依茉はトイレから戻ってくるとリビングに置いてある本棚から本を2冊取り出して結依の所に走ってくる。2人でソファに座り本を読む。読んでる途中で、絵本の絵を指差して「これは犬だよ」「この後どうなるか知ってる」と依茉が口を挟みなかなか物語が進まない。しかし結依は「そうだね」と相槌をうちながら依茉のペースに合わせて本を読んでいく。読み終えると依茉は満足したようで機嫌よく本を片付けた。そしてリビングの隣の寝室に行き、2人でベッドに横になる。
「依茉が寝るまでは居てね。」
「うん。」
「お母さんはいつ寝るの?」
「お洗濯終わったら寝るよ。お母さんが寝るとき寒くないように依茉は布団暖めておいてくれる?」
「分かった。」
依茉に掛け布団を描け、依茉の腰辺りを優しくとんとんと叩くと、依茉の瞼はくっつきすぅすぅと寝息をたて始めた。保育園で全力で遊んでくる為か寝かしつけに時間がかからずとても助かる。結依が何処かに行かないようにと結依のパジャマを掴む手がシーツにこてんと落ちれば眠った合図だ。結依はそうっとベッドから抜け出すと、洗面所へ向かい洗濯機を回した。そのままキッチンに向かい冷蔵庫からビールを取り出し、喉の奥へ流し込む。1日を締め括る最高の時間。時計を見れば22時を回っていた。するとスマートフォンから通知音が聞こえる。鞄にしまったままのスマートフォンを取り出すと夫の大和からだった。
「お疲れさま。」
「お疲れさま。依茉ね保育園で今日も泥んこまみれで遊んでたみたい。」
「はは。やんちゃだな。」
「今は砂遊びにハマってるみたいでね。今夜も洗濯が大変だよ。」
「それはお疲れ様。あのさ、今月忙しくて休日出勤もありそうなんだ。そっちに帰れるのは早くても再来月かな。」
「そうなんだ。帰ってきたら依茉とたくさん遊んであげてね。私ゲームよく分かんないし。」
「結依はゲームオンチだからな。そのうち依茉の方が上手くなってたりして。」
「それはある。家族で旅行も行きたいな。帰ってきたら家族サービスしてね。」
「うん。依茉と何処行きたいか決めておいて。」
「分かった。早く仕事終わる日でいいから依茉が起きてる時間に電話してくれる?声聞きたいはずだから。」
「分かった。でも電話越しで泣かれると辛いんだよな。」
「今だけだよ。お父さんお父さん言ってくれるの。そのうち彼氏が出来て見向きもされなくなっちゃうんだから。」
「大丈夫!依茉は俺一筋だから。」
「だといいね。じゃあ明日も仕事頑張ってね。」
「結依もね。依茉の事頼むな。」
「うん、おやすみ。」
「おやすみ。」
単身赴任中の夫の大和とは2年も別居生活が続いている。最短で5年単身赴任の予定の為、少なくともあと3年は1人で家事や育児、仕事をこなさねばならない。依茉も少しずつ出来ることが増えて手がかからなくはなってきたが、やはり育児の相談はしたいし、家族で過ごす時間を味合わせてあげたい。大和は家族の為にマイホームを建てたいと目標を持ち仕事を頑張っている。お互いの考え方を認めてはいるが、擦り合わせは出来ていない現状に胸の奥がモヤモヤと燻る。それを流し込むようにビールをぐっと飲み干すと明日の依茉の保育園の準備をしながら洗濯機のタイマーが鳴るのを待った。洗濯物を干し終えて寝室に戻る頃には深夜12時を回っていた。
「抜けていいよ。」
「でも‥」
「明日報告するから。」
「すいません。」
結依の落ち着かない様子に隣に座る同僚が気付くと声を掛けてくれた。結依はそろりと立ち上がるとミーティング中のスタッフの背中に「すいません。お先に失礼します。」と頭を下げながら部屋を出た。廊下に出ると早足で駐車場に向かい車を開けると鞄を放り投げて保育園へと向かった。帰宅ラッシュの時間なだけあって車はノロノロとしか動かない。ナビの左上に表示された時刻とにらめっこしながら保育園を目指す。
何とかお迎えの時間ギリギリで保育園に着くと教室まで駆け足で依茉を迎えに行く。
「お母さん!」
「遅くなってごめんね。」
「ううん。ブロックでお家作ってたの。楽しかったよ。」
「上手に出来たね。じゃあ帰ろうか。鞄取っておいで。」
「はーい。」
教室に着くと結依に気付いた娘の依茉が教室の入り口まで駆け寄ってきた。依茉がブロックで作った家を結依に見せると依茉の頭を撫でて褒めた。帰りの支度を促すと依茉は素直に従い支度をしに教室へ戻った。先生が結依に気付くと結依の元へやって来た。
「今日はお外でお友達と砂遊びに熱中して泥んこになりながらウォータースライダーを作って遊んでいました。」
「そうですか。ありがとうございます。」
「熱中して遊んでいたので洋服が汚れてしまってお着替えしました。すいませんが洗濯お願いします。」
「分かりました。」
先生と話が終わる頃、依茉が結依の元へ駆け寄り足に抱きついた。先生がしゃがんで依茉にバイバイをすると、依茉はバイバイと先生の手に力強くタッチをした。依茉と手を繋いで駐車場に向かい車に乗せる。車が走り始めると、今日保育園で遊んだ事や友達の事を話始めた。しかし10分程走ると静かになり、助手席を見ればドアに凭れてすぅすぅと寝息を立てていた。信号機で止まると結依は後部座席に置いてあったタオルケットを依茉のお腹に掛け家路へと向かった。家に着くと2人分の鞄と依茉の水筒を左腕に引っかけ、右腕で依茉を抱いてアパートの階段を登って部屋に入る。リビングのソファに依茉を寝かせると、依茉の鞄から着替えや給食袋やお便り袋を取り出して片付ける。手を洗い、お風呂を洗ってお湯を溜めている間に、朝下ごしらえしておいた食材で夕飯の支度を始めた。依茉が機嫌よく起きられるように依茉の好きなテレビを流して依茉に声を掛ならが支度を進めていく。
「依茉お家着いたよ。一緒にお風呂入ろっか?」
「‥うーん。このテレビ終わってから。」
「分かった。じゃあ終わったら入ろう。約束ね。」
「うん。」
依茉の好きなテレビ番組が終わるまでにあらかた夕飯を作り終えると、洗濯を取り込み依茉と一緒にテレビを見ながら洗濯を畳む。丁度畳終えたところで番組も終わった。依茉は大きな欠伸をしてまだソファで横になって微睡んでいる。
「テレビ終わっちゃったね。お風呂行こっか。」
「えー!まだゆっくりしたい!」
「じゃあ、トイレ行って洋服脱いだら勝ち競争しよう!」 「待ってー!」
「用意、どん!」
依茉が機嫌良く動いてくれるよう遊びの延長で指示を出す。結依がパンと手を叩いてスタートの合図をすると依茉はソファから飛び降り、走ってトイレに向かう。結依も「待て待てー!」と追いかけ少し遅れてトイレに向かった。依茉はトイレを済ませて脱衣所に着くと、自分で洋服を脱いでポイポイっと床に投げ捨てて「1番!」と跳び跳ねている。「今日も負けちゃった。依茉は早いな。」と誉め依茉の頭を撫でると満面の笑みを結依に向ける。結依も洋服を脱ぐと2人で浴室に向かった。頭も体も洗い湯船に浸かる。1日の疲れがお湯に溶け出していく。結依は、はあと大きく息を吐く。最近保育園でお手紙交換が流行っているらしく依茉は平仮名に興味を持ち始めた。風呂場の壁に張り付けた、あいうえお表が今の依茉のお気に入りのオモチャだ。
「これが依茉の『え』?」
「そうだよ。」
「『ま』は?」
「『ま』はここ。」
「お母さんの『ゆ』は?」
「『ゆ』はこれ。」
「これが『い』だ!」
「正解。」
お風呂でのコミュニケーションはもっぱら結依が依茉に平仮名を教えている。依茉があいうえお表に熱中しているうちに結依は先に風呂から上がり、脱衣所で着替えてスキンケアを済ませる。独身の頃は肩まであった髪も、今は時短優先でベリーショートにした。依茉を風呂から上がらせると、依茉の髪や体を拭いて肩にタオルを掛けさせてリビングへ向かう。リビングで依茉のスキンケアをしてパジャマに着替えさせるとドライヤーで髪を乾かす。胡座をかいて座る結依の膝に依茉の小さな体がちょこんと座ればおさまりが良い椅子になる。そのまま依茉の髪にドライヤーの風を当てる。大人しく座って待っている依茉の後ろ姿から見える落っこちそうな頬っぺたが愛おしくて結依にとってこの時間が癒しだ。依茉の髪が乾くとそのまま自分の髪も乾かす。ベリーショートにしているお陰で数分で乾いてしまう。自分の髪も乾かし終えてドライヤーを片付けていると、依茉はソファに寝転がりリモコンを操作している。
「ご飯仕上げてくるからそれまでだよ。」
「分かった。」
結依はキッチンに向かうと先ほど作った夕飯を皿に盛り付けていく。今日はしらす丼と豚汁。デザートにキウイを付けた。
「出来たよー!」
「えー!早いよー!」
「お母さんお腹空いたから食べたいな。お箸とスプーン運んじゃうよー!」
「依茉の仕事取っちゃ駄目!」
依茉が録画した番組を一時停止すると不機嫌そうにダンダンと足音を立ててキッチンにやってきた。
「依茉がお手伝いしてくれるからお母さんの仕事が減って楽だな。さすが年長さん!」
「これくらい出来るし!」
「本当?じゃあお箸とスプーン並べる所までお願いしてもいいかな?」
「いいよー!」
誉めながら依茉にお手伝いを頼むと、頼りにされるのが嬉しいのかコロッと機嫌が直り、テーブルに箸とスプーンを並べた。
「こんなの簡単だったし!」
「凄い!まだお母さん豚汁よそってるところだよ。」
「じゃあ依茉が運ぶ。」
「いいよ。でも熱いから1つずつゆっくり運んでね。」
「はーい!」
小さめのお盆に依茉の分の味噌汁が入った器を置いた。すると依茉は「抜き足、差し足、忍び足」と唱えながら忍者ごっこをしてゆっくりと運び、お盆からテーブルに置いた。
「見てー!出来たよー!」
「凄い!1人で出来た!またお姉さんになったね!」
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結依も遅れて、自分の分の豚汁をテーブルに運ぶと2人で並んで椅子に座る。
「お当番さんお願いします。」
「持ってるものを起きましょう。いい姿勢になりましょう。手をパー!手を合わせましょう、ご挨拶、頂きます!」
「頂きます。」
依茉の号令で頂きますをしてご飯を食べ始めた。年長になってからはご飯も1人で食べてくれるようになり、今日の出来事等を話して食べる事が増えた。余程保育園が楽しいらしく、朝は何をしてお昼は何を食べて午後は何をして遊んだと保育園の様子を事細かに教えてくれる。結依がしらすを食べれば「お魚は骨が強くなるんだって」と教えてくれたり、豚汁を食べれば「野菜は栄養満点だよ」と教えてくれる。日々成長していく依茉の姿が嬉しいような少し寂しいような気持ちになりながら依茉の成長を肌で感じていた。先に依茉が食べ終わるとご馳走さまと挨拶をして椅子から飛び降りるとソファに戻りまたテレビを見始めた。
「お母さん、テレビじゃなくてゲームがやりたい。」
「いいよ。でもお母さんご飯の片付けしないといけないからお母さん片付け終わるまで1人で出来る?」
「うん!」
「じゃあ、時間を決めよう。長い針が何処まで?」
「うーん‥6までは?」
「OK。じゃあタイマーセットして1人で準備してたら始めていいよー!」
「分かったー!」
依茉は慣れたようにタイマーをセットしてゲームの準備を始めた。結依は食事を済ませると後片付けを始める。流しで洗い物をしながら依茉の様子を見守る。1人で準備をしてゲームを始めたが、ステージが難しいらしく、すぐにゲームオーバーになってしまう。始めは無言でやっていたが、「何で!?」「邪魔!?」と段々不穏な声をあげて膝立ちになりながらゲームしている。上手くいかずフラストレーションがたまってくると、コントローラーを床に投げ捨てて結依を呼ぶ。
「お母さん!ここだけやって!ここだけでいいから!」
「あと1つお皿洗っちゃったらおしまいだから、依茉ももう1回だけやってみたら?」
「出来ないんだもーん!」
「じゃあ、お母さんが終わるまで待っててくれる?でもどんどんやらないと6になって終わりになっちゃうよ。」
「いい、やる!」
依茉がコントローラーを拾い、もう一度チャレンジしてみるがやはり上手くいかず、ゲームオーバーになってしまった。「出来ない!」と涙目になって怒る依茉に洗い物を中断して結依が手助けに入る。結依が操作する画面を依茉が見ていると、「ここからやれる!」と結依が持つコントローラーを奪い取った。結依はまたキッチンに戻り、後片付けをはじめる。片付け終えると、依茉の機嫌は直っていてゲームに集中していた。依茉の隣に座りゲームを眺めている。すると結依に気付いて2人でやろうと依茉が声を掛けた。いいよと結依がもう1つのコントローラーを手に持ち2人でゲームをする。そのうちピピピッとタイマーが終了時間知らせた。依茉は不満そうにコントローラーを床に置いた。「ちゃんと約束守って終わりにして偉いね。」と依茉の頭を撫でると、依茉は無言で片付けを始めて、片付け終えると結依に抱きついた。まだやり足りなかったらしく「もっとやりたかったな。」とブツブツと文句を言っている。
「約束守れたからまだ寝るまで時間があるね。歯磨きとトイレ終わったら、本2冊読んであげる。」
「どれでもいいの?」
「いいよ。じゃあ先に何からやっちゃおうか?歯磨き?トイレ?」
「歯磨き!」
結依の手を引っ張って洗面所へ連れていく。台に登り自分で歯ブラシに歯磨き粉をつけるとガシャガシャと力強く磨き始めた。一通り磨き終えると結依に歯ブラシを手渡し仕上げ磨きをする。仕上げが終わるとうがいをして、壁に掛けられたタオルで手を拭くとトイレに向かって走っていった。結依はその間に使い終わった歯ブラシとコップを洗って、先にリビングに戻り依茉の帰りを待つ。依茉はトイレから戻ってくるとリビングに置いてある本棚から本を2冊取り出して結依の所に走ってくる。2人でソファに座り本を読む。読んでる途中で、絵本の絵を指差して「これは犬だよ」「この後どうなるか知ってる」と依茉が口を挟みなかなか物語が進まない。しかし結依は「そうだね」と相槌をうちながら依茉のペースに合わせて本を読んでいく。読み終えると依茉は満足したようで機嫌よく本を片付けた。そしてリビングの隣の寝室に行き、2人でベッドに横になる。
「依茉が寝るまでは居てね。」
「うん。」
「お母さんはいつ寝るの?」
「お洗濯終わったら寝るよ。お母さんが寝るとき寒くないように依茉は布団暖めておいてくれる?」
「分かった。」
依茉に掛け布団を描け、依茉の腰辺りを優しくとんとんと叩くと、依茉の瞼はくっつきすぅすぅと寝息をたて始めた。保育園で全力で遊んでくる為か寝かしつけに時間がかからずとても助かる。結依が何処かに行かないようにと結依のパジャマを掴む手がシーツにこてんと落ちれば眠った合図だ。結依はそうっとベッドから抜け出すと、洗面所へ向かい洗濯機を回した。そのままキッチンに向かい冷蔵庫からビールを取り出し、喉の奥へ流し込む。1日を締め括る最高の時間。時計を見れば22時を回っていた。するとスマートフォンから通知音が聞こえる。鞄にしまったままのスマートフォンを取り出すと夫の大和からだった。
「お疲れさま。」
「お疲れさま。依茉ね保育園で今日も泥んこまみれで遊んでたみたい。」
「はは。やんちゃだな。」
「今は砂遊びにハマってるみたいでね。今夜も洗濯が大変だよ。」
「それはお疲れ様。あのさ、今月忙しくて休日出勤もありそうなんだ。そっちに帰れるのは早くても再来月かな。」
「そうなんだ。帰ってきたら依茉とたくさん遊んであげてね。私ゲームよく分かんないし。」
「結依はゲームオンチだからな。そのうち依茉の方が上手くなってたりして。」
「それはある。家族で旅行も行きたいな。帰ってきたら家族サービスしてね。」
「うん。依茉と何処行きたいか決めておいて。」
「分かった。早く仕事終わる日でいいから依茉が起きてる時間に電話してくれる?声聞きたいはずだから。」
「分かった。でも電話越しで泣かれると辛いんだよな。」
「今だけだよ。お父さんお父さん言ってくれるの。そのうち彼氏が出来て見向きもされなくなっちゃうんだから。」
「大丈夫!依茉は俺一筋だから。」
「だといいね。じゃあ明日も仕事頑張ってね。」
「結依もね。依茉の事頼むな。」
「うん、おやすみ。」
「おやすみ。」
単身赴任中の夫の大和とは2年も別居生活が続いている。最短で5年単身赴任の予定の為、少なくともあと3年は1人で家事や育児、仕事をこなさねばならない。依茉も少しずつ出来ることが増えて手がかからなくはなってきたが、やはり育児の相談はしたいし、家族で過ごす時間を味合わせてあげたい。大和は家族の為にマイホームを建てたいと目標を持ち仕事を頑張っている。お互いの考え方を認めてはいるが、擦り合わせは出来ていない現状に胸の奥がモヤモヤと燻る。それを流し込むようにビールをぐっと飲み干すと明日の依茉の保育園の準備をしながら洗濯機のタイマーが鳴るのを待った。洗濯物を干し終えて寝室に戻る頃には深夜12時を回っていた。
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