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前篇
しおりを挟む「アクィラール家が長男セルジュよ、先の戦での活躍は見事だったと聞いている。褒美を取らせよう、望みはあるか? 遠慮はせずともよい」
赤い天鵞絨の絨毯が敷かれた玉座の間。
王の御前には、礼装用の軍服を纏った青年が跪いている。片手を胸に当て、恭しく頭を垂れる姿は洗練されており、彼自身の品位と王家への忠誠が見てとれた。
アクィラール家次期当主セルジュ、二十二歳。彼は戦の功労者として、国王に謁見する機会を賜ったのだ。
しかし、いかにも慎ましやかな臣下の立ち振る舞いとは裏腹に。彼が口にしたのは、あまりに大胆な望みであった。
「国王陛下の広い御心に感謝いたします。それでは……恐れながら。陛下の姫君、リナリア王女殿下を、私の妻に迎えさせていただけないでしょうか」
場に居合わせた全員が、息を呑んだ。広間の静けさは変わらずも、空気は一瞬にして張り詰める。
――由緒正しい家門であるアクィラール家は、王家に次ぐ力を持つ。建国以来王を補佐する役割を担ってきた家だが、最近は王家との「不和」が囁かれていた。
なお、これには王家の支持率低下も関わっている。他国との間に些細な火種があれば、すぐ戦に乗り出そうとする。自らの威信を示すため、宝飾や贅沢品に必要以上の金をかける……そんな国王に疑問を抱いた貴族たちの一部は、誠実で実直なアクィラール家へと、ひそかに心を傾けていった。
つまり、王家かアクィラール家か。この二家の対立及びどちらを支持するかは、目下貴族たちの関心の的だ。
そうした中、件の次期当主から不意に放たれた王女への求婚。これを国王がどう受け止めるのか、周囲は固唾を呑んで見守る。
国王は片眉をぴくりと引き攣らせ、しかしすぐに鷹揚な態度を取り戻すと言った。
「……は、感心した。なかなか豪胆な若者だ。だが余も父親だからな、娘の心に聞くとしよう。リナリア、どうだ?」
場の視線は、今度は玉座の脇に座っていた王女リナリアへと注がれる。
続いて、小鈴を振るように澄んだ声が、広間の静寂を通った。
「国の英雄とも言えるお方に望まれるとは光栄です。わたくしリナリアは、この申し入れをお受けいたします」
言葉だけを見れば、王女が英雄の求婚を受け入れるという至極めでたい場面に違いない。だが――
王女の表情が見える位置に控えていた者たちは、再びはっと息を呑んだ。
普段は優美な弧を描く彼女の両眉は、険しく寄せられて。ついぞ今結婚が決まった姫君とは思えない、とんでもないしかめっ面をしていたからである。
*
「アクィラールの若造が、リナリアとの結婚を望むとはいったい何のつもりだ!」
私室に戻った国王は、人払いが済むなり本音をぶちまけた。
そもそも王は、軍総司令が功労者としてセルジュを推したときから機嫌が悪かった。大軍を率いた将ではなく、小さな偵察部隊の働きが戦況を分けたという説明も、地味で気に入らないと。
その後、気前よく褒美を与える姿を皆に示せば、王家の株が上がると考え直したのだが。適当な土地か金品でもやっておけばいいと思っていたのに、大切な娘をとはまったく予想外だった。
王が荒れることを予想していたのだろう。私室まで付いてきた王妃は、夫に寄り添い宥めるように声をかける。
「でも、これでアクィラールと歩み寄れるんじゃないかしら? 少なくとも、あちらが王家より力を持つなんて事態にはならないでしょう」
「いや、この婚姻を足がかりに、王家を呑み込もうとまで考えているやもしれん」
「その可能性がないとは言い切れませんけれど……でも、それは」
王妃はゆったりと振り向いて、一歩下がった位置に佇む娘へと目を向ける。
「私たちの娘次第ですわ。リナリアはこんなに愛らしいのですから、アクィラールも心を掴まれ、翻ろうだなんて思わないでしょう」
「はっ、そうだリナリア、本当に結婚を受ける気があると言うのか!? 嫌なら撤回して構わないんだぞ」
父の勢いに驚いて、リナリアはぴくっと小さく肩を跳ねさせた。けれども呼吸を整えてから、彼女ははっきり自らの意を述べる。
「いいえ、お父様。私はこの結婚をお受けしたく思います」
*
実際のところ、リナリアはこの結婚が嫌ではなかった。……どころか、むしろ。
当のセルジュこそが、幼い頃から憧れる初恋相手。これはリナリアだけの秘密だ。
父王の部屋を後にし自室へと戻ったリナリアは、鏡台の前に腰を下ろした。
先ほど大きく顔をしかめた感覚が、まだ額に残っていて。皺でもできたらどうしようと、鏡を見ながら真剣に眉間をさする。
そうして皺伸ばしにひととおり尽力してから、彼女はほう、と溜め息をついた。
広間で見せてしまったような「しかめっ面」は、何もしたくてしているわけではないのだ。強く緊張したり、体に力が入ったり。そんなとき、自分では制御できずに顔をしかめてしまう。
今日は久しぶりにセルジュの姿を見られるというだけで、朝からそわそわしていたというのに。まさか求婚されるとは夢にも思わず、驚きと胸の高鳴りを抑えるのに必死で、人生最大級のしかめっ面を作り出してしまった。
……そう、初めて彼を意識したあのときも――
十二年ほど前。当時王太子妃だったリナリアの母は、時々王宮の一角で茶会を開いていた。貴婦人同士の交流や楽しみのために開かれる、気楽な会である。中には子供を伴うご婦人もいて、茶席の横で子供同士が遊んだりする機会もあった。
その日はよく晴れており、母たちは外でガーデンパーティーをしていた。一緒に茶菓子をつまんでいた子供たちは、そのうちに飽き、体を動かそうということになった。
子供の中心は、リナリアの兄である王子ダリウス。この頃彼は、隙あらば自身の剣の腕を見せびらかそうとしていた。家臣に木刀を用意させ、庭に仮ごしらえの試合場ができあがる。ほかに女の子が来ていなかったので、リナリアはひとり退屈しのぎに兄たちの様子を見ていた。
ぼんやりと彼らの試合を眺めながら。幼いリナリアは、ふと違和感を覚える。なんだか兄ばかりが勝っているなと。お兄様は「俺が強いからだ」と言いそうだけど、でも……。
六歳のリナリアには、その違和感をはっきり説明することはできなかった。だが今ならわかる。お調子者で機嫌をそこねると面倒な兄ダリウスのため、周囲が気を遣って勝たせていたのだと。
「なんだ、皆相手にならないな。ほかに誰かいないか?」
「……では、僕がお相手になりましょう」
兄の呼びかけに対し、最後に応えたのがセルジュだった。
黒髪の、物静かな少年。リナリアにとってはそれくらいの印象しかなかった。彼はあまりこういう場に来ないので、顔を見るのは二、三度目。
その彼が、あっという間に兄の木刀を弾きとばしてしまうとは思ってもみなかった。
「はっ? なっ、お前……、王子に対して無礼だぞ!」
「……ええと、手加減すべきだったでしょうか」
「い、いや、俺は誰よりも強いはずで」
「僕は、王子殿下との勝負に全力で挑みました。わざと手を抜くほうが無礼だと思うのですが」
周囲は皆ぽかんとして。兄だけが慌てふためき、ついには「おぼえてろよ!」と捨て台詞を残しどこかへ駆けていく始末。
セルジュは動じなかったが、少しだけ困った様子で前髪をかき上げた。その間からのぞく切れ長の瞳が、なんとはなしに観衆の――リナリアのほうへと向いて。
その瞬間、リナリアは思わずぎゅっと両手を握りしめた。心臓がぴょんと跳ねたような、初めての感覚に驚いたのだ。
王子相手だからと媚びへつらうことのない、セルジュの誠実さが眩しく見えた。
こうして小さな恋が始まったのだが、同時に。彼と初めて目が合ったこの瞬間も、リナリアはしかめっ面をしていたに違いないのである。
その後は、ほとんど会話する機会がないまま今に至る。セルジュが社交の場に来ることは少なく、またリナリアは彼を前にするとしかめっ面が出てしまうため、軽い挨拶を交わすのが精一杯だった。
きっと、求婚は政治的意図からなのだろう。母が言うように二家の関係を見直すためかもしれない。その役目はしっかり果たさないと。
リナリアは鏡の中の自分と顔を見合わせると、やや不安げに、もう一度だけ額をさすった。
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