しかめっつら姫は初恋の令息と仮面夫婦を演じる

出 万璃玲

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中篇

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「姫、お疲れですか?」
「……あ、いえ、大丈夫です」

 アクィラール邸へと向かう馬車の中。つい先ほど夫となった人に声をかけられ、リナリアは慌てて顔を上げた。が、その視線は頼りなく彷徨さまよう。
 セルジュは差し向かいの席に座っている。憧れの人がこんなに近く、こちらを見ているという状況を、リナリアが直視できるはずがない。眉間に力が入るのをどうにか堪えようとする。

 結婚準備は滞りなく進み、今日の日を迎えるまではすぐだった。先ほど宮廷教会にて結婚式を挙げたところだ。降嫁という形になるため、式は親族中心のささやかなものとなった。
 今後は、王都のアクィラール邸での生活となる。田舎の領地はセルジュの祖父母が管理しており、両親は社交や会議のため王都にいることが多い。セルジュもしばらくは王都の軍施設に勤務するため、両親の屋敷に一緒に住む。

 ここまで、セルジュと会話らしい会話はできていなかった。無口な花嫁のことを、彼は気遣ってくれたのだろうか。
 今、自分は絶対挙動不審になっている、リナリアにはそんな自信があったが。セルジュは一度小さな微笑みをくれて、それから話を続けた。

「ご理解くださっているかとは思いますが、この結婚は政略的なものです。ここ数年、王家とアクィラールの対立が囁かれていますが、アクィラールにはそんな気はありません」

 セルジュの言うことは、リナリアにも理解できた。彼は言葉を選んで真摯に話してくれたが、つまりこういうことだ。
 アクィラールの人気をよく思わない国王が、国政会議の場で意見を聞かなくなった。アクィラール側は意見を押し通したいわけではなく、これまでどおり王家を支え、誠実な政治を目指したいと。子供のようにねた父王の姿が想像できてしまい、リナリアは少し恥ずかしくなる。

「俺が戦の褒賞を賜ることになり、いい機会だと。求婚は、アクィラール当主と相談して決めたことです。なので――」
「わかりました」
「え?」

 ――わかってはいたことだったけれど。
 年季入りの恋心を抱えてきた身としては、いたたまれなくなった。当の初恋相手から「これは愛のない結婚だ」と念押しされるのが。

 だからリナリアは、セルジュの言葉を遮って、その結論を自ら先回りすることを選んだ。

「私も、政治の場は公正であるべきだと思います。貴族たちがつまらない噂に興じるのもよくないですし。この結婚はうまくいったと、二家の関係は良好なのだと皆に示すために、協力して円満な夫婦をましょう……!」
「演じる……、ああ、そうですね」

 リナリアが急に早口でまくしたてたので、セルジュは少々面食らったようだった。
 しかし彼が静かに頷くのを見て、リナリアは確信する。ああ、これは形だけの結婚なんだ、と改めて。彼は、手を焼かされる国王の娘となど結婚したくなかったのだろう、と。

 アクィラール邸に到着し、馬車から降りる際に手を貸してくれる仕草も、彼自ら部屋を案内してくれたことも。セルジュは終始優しく紳士的だったけれど、その優しさが、リナリアにはかえって切なくも思えた。


   *


 リナリアの新婚生活は、いたって順調だった。

 アクィラール家当主の奥方は、上品で落ち着いた美しい女性ひと。黒髪に涼やかな顔立ちで、見ればセルジュの母だとすぐわかる。彼女は、「うちは男の子ばかりだから娘ができて嬉しい」と、リナリアを刺繍やお茶の時間に誘ってくれた。
 当主であるセルジュの父は、公の場で会うのと同じ、寡黙で堅い印象。だが、ある日リナリアとセルジュの母とでケーキを焼いていると、さりげなくやって来て味見をしていた。その口元は綻んでいて、母君によれば「あの人、甘いものには目がないのよ」とのこと。

 世間で聞く「王家との不和」とはいったい何なのかと思うほど、リナリアはアクィラール邸にて快適で完璧な日々を送っていた。
 ただひとつ、セルジュと本当の夫婦ではないことを除けば、だが。

 セルジュはいつでも優しい。顔を合わせれば微笑んで、リナリアのことを丁寧に扱ってくれる。
 けれどもそれはどこか他人行儀で、夫というよりは王女に仕える騎士のよう。

 もちろん初夜も何もなかった。「円満夫婦」を演じるため、週に何度かはセルジュが夫婦の寝室を訪れるという取り決めをしたが、彼は毎回ソファーで寝ているのだ。しかも彼はたいてい夜遅く、リナリアが眠ったあとにやって来る。

 ――私との結婚、そんなに嫌だったのかしら……。

 寝室の隅に置かれたソファーを見ながら、リナリアは溜め息をついた。今夜あたりセルジュの訪問があると予想しているが、まだ来ていない。
「軍経験があるので、俺はどこでも寝られます」と彼は言うものの、週に何度もソファーでは疲れが取れないだろう。ベッドを使ってくださいと、次こそ言うつもりだった。


 夜は刻々と更けてゆき、今夜は来ないのかも……そう思ってベッドに潜り込んだときだった。
 扉が開く気配を感じ、リナリアは思わず飛び起きる。

「……すみません、起こしてしまいましたか」
「い、いえ、その……眠れなくて」

「温かい飲み物でも用意しましょうか」と、彼はまた気遣いをくれる。しかしリナリアはこれを断り、思い切って本題に入った。

「あの、ベッドで寝ていただけませんか。ずっとソファーでは疲れが取れないはずです。私の隣がお嫌でしたら、私がソファーで」
「いえ、あなたをソファーで寝かせるなんてできませんよ」
「でしたら、こちらで、ちゃんと半分あけますので……」

 リナリアは自分の枕を掴み、ベッドの片端へ大きく下がった。
 しばしの間、彼は無言でこちらを見ていた。が、おもむろにベッドまで歩いてくると、リナリアがあけた空間へ腰かける。

「あなたは、優しいですね」
「えっ……?」

 ベッド脇の棚に置かれたオイルランプが、室内をぼんやり照らし出す。
 セルジュは普段やや長めの髪を襟足で結わえているが、今はほどかれ、顔まわりにはらりと落ちていた。寝室でしか見ることのないその寛いだ雰囲気は、どこか気怠げで。だいだい色の灯りが彼の整った顔に陰影をつくり、無自覚な色香を放っている。

 切れ長の瞳に射抜かれ、リナリアの身体にはつい力が入る。顔がこわばる感覚と戦っていると、彼は穏やかに言った。

「護身術をお教えしましょう」
「……え…………?」

 なぜ急にそんな話になったのか、わけがわからない。

「あなたに心配をかけ続けるのはよくない。ベッドの半分はありがたく使わせてもらおうと思いますが、俺も男です。間違いがあってはいけない」
「は、はい……?」
「たとえば、手を貸していただけますか」

 リナリアが戸惑いながら片手を差し出すと、セルジュはその手首をそっと掴むようにした。

「こうして手首を拘束されたら、まず手のひらを開いてください」
「……こう、ですか」
「そう。で、向きは真横、親指が上に来るように。親指の付け根が俺の手を押す形になり、拘束がゆるみやすくなります。一瞬相手のほうへぐっと体重をかけたら、今度は上方へぱっと振りはらう」
「はい……」

「一度練習してみましょう」というセルジュに従い、リナリアは夫の手を大きく振りほどく。いったい寝室で何をしているのだろうという戸惑いよりは、彼に手を触れられたことに対する緊張が勝った。

「あとはとにかく体の固い部位を使って、相手を攻撃する。肘とか膝とか。この距離感なら、頭突きが効果的でしょう。あなたの額を傷つけたくないので練習はしませんが、脳裏に留めておいていただければ――」

 こつん、と。不意に額と額とがぶつかった。
 というか、緊張が最大にまで達したリナリアが、混乱のすえを放ったのだ。それを頭突きと呼ぶにはあまりにも、無力で頼りない一撃だったけれど。

「……っ……、姫、これでは敵を倒せません。……なんというか、逆効果というか」

 リナリアは、頭突きの際にぎゅっと閉じていたまぶたを開ける。と、思ったより至近距離にセルジュの顔があった。
 咄嗟に目をそらし、勢いよくあとずさる。一瞬見えた彼の表情は、なんだかとても困っている様子だった。

「実戦のときは全力でぶつかってきてくださいね」、そんな彼の言葉を、きちんと理解する余裕もないまま頷いて。
 いつまでも収まらない胸の鼓動を抱え、その夜リナリアは、ベッドの片端にはりついて眠った。


   *


 ――きっと、嫌われているのだろうと思っていた。

 セルジュは自室の椅子にかけ、片肘をついて、妻となった人のことを考えていた。

 国政を正すために持ちかけた政略結婚。彼女は理解を示してくれたが、結婚自体は望まないものであったはず。
 夫婦を「演じ」ようという言葉、目が合うたびにこわばる表情から、これは本格的に嫌われているなと。

 はじめは、彼女はアクィラール家への降嫁が不本意なのだと思った。だが、セルジュの両親とはうまくやっているようだ。母と自然な笑顔で談笑するリナリアを目撃したとき、セルジュは僅かな寂しさを覚えた。

 元々、政略結婚以上の何かを相手に求めるつもりはなかったが、徐々に信頼を築いていけたらと考えていた。しかしここまで嫌われているならと、こちらから歩み寄るのは控えたのだ。
 夜遅くまで寝室に行かないことも、ソファーで眠るのも、セルジュなりの配慮だったのだが。

 ――かえって、気を遣わせてしまったのか。

 可憐で、慎ましやかなお姫様。けれども自分の意見はしっかり持っている。挙式後この結婚について話をしたときは、父王に忖度することなく国政への考えを述べていた。
 昨夜も、自ら声を上げ、夫婦とはいえ嫌いなはずの相手にベッドを譲って…………ただ、あれは。

 リナリアのを思い出し、セルジュは片手で頭を抱えた。
 何を思って彼女があの頭突きを繰り出したか知らないが、あれは駄目だ。あんな可愛らしいことをされては。嫌いなら嫌いで鉄壁の防御を貫いてくれないと。

 セルジュは前髪をかき上げながら、机上のカレンダーを見やった。
 数日後に、王家主催の夜会がある。結婚式以来、人前で初めて「円満夫婦」を演じることになる場だ。

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