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後篇
しおりを挟む煌めくシャンデリアの灯りの下、貴族たちはめいめいの話に花を咲かせている。
夜会会場の片隅で、リナリアはひそかに胸を撫で下ろした。アクィラール家次期当主の妻として、初めて臨む公の場。夫婦で会場内をまわり、挨拶や軽い会話を交わすといった務めを、今ひととおり終えたところだ。
――自然に、振る舞えたはず……。
王女のリナリアにとって、社交は慣れたものである。場にいる貴族の名は全員知っているし、微笑は作らずとも浮かぶ。
唯一、笑顔での対応が難しい相手がセルジュなのだが。今夜彼は夫として隣に並んでいるため、目が合いづらい立ち位置になるというのは、意外にも好都合だった。
和やかに挨拶をしてまわる新婚夫婦を見て、周囲は納得してくれたように思う。どうやら二家の結婚はうまくいったらしいと。
会のはじめに感じた窺うような視線は、徐々に減っていった。皆いつしか他愛ないおしゃべりに夢中、貴族たちの興味などそんなものだ。
そうして、リナリアがふと気を緩めたとき。
「妹を借りてもいいかな?」
振り向くと、兄ダリウスが立っていた。一緒にいるのは、兄と親しくしている伯爵令息ファビアン。少し話がしたいと言う。
夜会は挨拶の段を過ぎ、人々は自由な交流へと移行している。リナリアは夫のそばを離れ、兄とファビアンに付いて別の一角へと移動した。
「リナリア王女殿下……いえ、もうそうお呼びするのは失礼にあたりますね。とにかく、久しぶりにお話できて大変光栄です」
ファビアンから向けられた満面の笑顔に、リナリアは微笑でもって応える。彼のことをどうとも思っていないからこそ出せる、完璧な淑女の笑みである。
なお、離れた場所から様子を窺う夫の視線には、リナリアは気づいていなかった。
いくらか世間話をしたところで、兄ダリウスが新しい話題を持ちかける。
「そう言えば、ファビアンの御父上の後援で作っていた庭園の噴水が、この間完成したんだ。見事なものだから、リナリアも見てきたらどうだ?」
「ああそうですね、是非ともご覧いただきたい! どうか私に案内させていただけませんか?」
ファビアンの家は商家との結びつきが強く、特にここ何代かで財力を増している。その財を王家への忠誠の証と称し、よく美術品等の寄贈をしてくるのだ。
正直さほど興味はなかったが、断る理由も見つからず、リナリアは仕方なく頷いた。
が、しかし。
「では、二人で見てくるといい。ファビアン、妹を頼んだぞ」
「……えっ?」
当然兄も行くものと思っていたので、リナリアは驚いた。夫以外の男性と会場を抜けるのは……と戸惑いつつセルジュの姿を探すも、彼は遠くのほうで軍部の面々と歓談している。
結局、「すぐ近くですから」と言うファビアンに押されて、リナリアは庭園へと足を向けた。
「殿下、こちらです。どうぞご覧ください! 噴水上部の彫像に象嵌しているのは、西の鉱山でしか採れない希少な鉱石で……」
「ええ、とても素敵ですね……」
庭園へ出て少し歩いたところに、新しい噴水が建っていた。水瓶を持つ天使像には宝石が嵌め込まれ、ファビアンの言うとおり豪華で立派なものだ。
だがそんなことよりも、リナリアは、周囲に衛兵が少ないことが気にかかる。
――もしかして衛兵たちは、気を遣って距離を置いている……? 彼とはそんな仲ではないのだけれど……。
早く会場に戻らなくては。しかし、リナリアがそう決心したのと、ファビアンが動いたのは同時だった。
「ところで殿下、結婚生活はいかがですか? 対立する家への降嫁、本当はお嫌だったのではないかと」
「……いえ、そんなことはありません。とてもよくしていただいています」
「私の前では我慢なさらずともよいのですよ。夜会でご夫君との様子を拝見しておりましたが、全然目が合っていなかった。実は、うまくいっていないのでは? 後悔していらっしゃるなら、まだ間に合います。私の家と縁を組めば、王家へさらなる支援も可能になりますし……」
「え、何を……」
人のよさそうな笑顔のまま、ファビアンは距離を詰めてくる。本能的な不安から、リナリアは思わず後ずさった。けれどもファビアンの腕が伸びてきて、あっという間に手を掴まれてしまう。
離して、と、上げたつもりの言葉は、声にならなかった。恐怖がリナリアの声を奪ったのだ。逃げなくては、助けを呼ばなくてはと思うのに、身がすくんで一歩も動けない。
「きっと私のほうが殿下を幸せにできます。あんな男との縁はさっさと切って、私と……」
リナリアが何も言わないのをいいことに、ファビアンは不躾に言い寄ってくる。頭が真っ白になる。掴まれた手に力を込めようとするが、こんなときに限ってまったく動かない。
今や恐怖でしかない相手の笑顔が、じりじりと眼前に迫る。男性がこんなに怖いものだとは知らなかった。
――嫌、やめて、これ以上近づきたくない――……!
「リナリア!」
鋭い声が、夜の庭園を走った。
それから――ごつん、と。鈍い音がリナリアの周囲に響き渡ったのは、ほぼ同時だった。
「ゔっ……」
目を開けると、ファビアンが額を押さえて呻いていた。必死に放ったリナリアの頭突きは、しっかり効果を上げたようだ。
窮地は脱したと気づくも、気力は限界。へなへなとその場にくずおれそうになる。そんなリナリアのもとへ、駆けつけたセルジュが身体を支えてくれた。
「遅くなって申し訳ありません。見事な頭突きでしたが……あなたにそんなことをさせてしまい、夫として不甲斐ない」
「セルジュ様……」
リナリアは、ぼんやりと夫の顔を見つめる。頭突きの直前リナリアの名を呼んだ鋭い声は、彼のものだった。その声に導かれるように、リナリアは勇気を振り絞ることができたのだ。
背中に回された彼の腕は優しく、力強く。こちらを向く瞳は心配そうに揺れていて、胸の奥がきゅっと掴まれるような気持ちになる。
「護身術、使えました。私……、ちゃんと守れました。この身はセルジュ様のものです」
張り詰めていた不安から解放され、涙が一粒こぼれる。体の力が全部抜けきっていたため、しかめっ面は出なかった。
「……っ……、そんな表情でそんなことを言われては……。嫌われていると知っていても、いろいろと抑えるのが難しい。姫、あなたは次に、俺に対して護身術を使うことになりますよ」
「え、嫌われて……?」
「あなたはいつも、俺にだけ険しい顔をしていらっしゃるでしょう」
「ち、違うんです、私……!」
リナリアが慌てて声を上げると、彼は目を見張る。
「緊張すると、顔をしかめてしまう癖があるんです。目が合うとどきどきしてしまって……本当は私、ずっとセルジュ様のことが――」
続く言葉は、言葉にならなかった。柔らかな何かがリナリアの唇を塞いで。
それがそっと離されると、目の前には穏やかに微笑む夫の顔があった。
「……続きは、二人のときに聞かせていただけますか? こんな人前では勿体無い」
「は、はい……」
今何が起こったのかを理解して、リナリアの頬は燃えるように熱くなった。周囲にはファビアンと、異変に駆けつけた衛兵たちがぽかんと立ち尽くしている。
リナリアの告白を「人前では」と遮ったわりに、彼は、今……。結婚式の誓いのキスも頬に軽く触れただけだったというのに。
なんとなく抗議したいような気持ちになって夫を見上げる。
と、彼は切れ長の瞳でちらりと視線を寄越し、悪戯っぽく微笑んだ。
「俺たちの仲が円満だというのは、これでしっかり見せつけられたでしょう」
*
橙色のランプに照らし出された寝室で、リナリアはセルジュと向き合っていた。
剣の鍛練を重ねて硬くなった彼の指が、リナリアの額をそうっと撫でるように滑っていく。頭突きで痛めたところへ、薬を塗ってくれているのだ。
「はい、できました。どうですか、染みます? 痛いですか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます……」
瞼を開け、視界に飛び込んできた夫の顔に、リナリアは懲りずに慌てふためいた。
眉間に力が入るのをどうにかしようと、今度は歯を食いしばってみる。が、かえってひどい表情になっていそうで泣きたくなる。
「無理しなくて大丈夫ですよ。嫌われているのではないとわかったので、あなたがどんな表情をしていようと俺は嬉しいです」
「でも私、セルジュ様の前で自然な表情ができるようになりたいです。一緒に笑い合って、少しでもいい妻になりたい」
「……まったく、あなたは」
抱き寄せられて、その逞しい胸にリナリアは身を預ける。どきどきと耳元で聴こえる鼓動は、もしかして。
「俺だって緊張しています。あなたがあまりに可愛らしいから。時間はたっぷりあるので、ゆっくり本物の夫婦になっていきましょう」
「はい……!」
*
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噂好きの貴族たちは両家の不和などすっかり忘れ、若く美しい夫婦を社交界の華と称えて熱狂した。
人々がそうした噂に興じられるのも、この国が平和である証だった。アクィラール家は目立ちたがり屋の国王をうまくいなし、その後何代にもわたって影から国政を支え続けたということである。
(了)
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