地雷カプブルー 

89桃(はくとう)

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第3章 縮まる距離

3-4

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 ぼやきながらも部室棟に向かって走り出した奏多くん。
 小さくなっていく彼の背中を見つめる僕の肩から、たまりにたまっていた緊張感が少しずつずり落ちていく。
 
 はぁぁぁぁ、いったん嵐が去ってくれた。
 でもまだ心臓はバクバクとうるさいまま。

 テニスコートに霞くんと二人だけになってしまった。
 彼の心底を探れていない僕は、視線が交わることすら気まずくて目線が下がってしまう。

 嫌いな僕とテニスのペアを組むなんて、霞くんは嫌だよね。
 練習すらしたくないと思うんだ。
 でも霞くんは優しいから、当分のあいだ学校に来れない小倉くんのために、僕とテニスをしたくないとは絶対に言わなくて。
 今もお兄さんみたいな穏やかな笑顔で、僕に微笑みかけてくれている。
 
 「萌黄くんは、テニスをやっていたりするんだよね?」

 またしても苗字呼び。
 話し方も他人行儀だ。
 心無い笑顔の花が咲き誇っていて、壁を作られているのがまるわかり。

 「週に2回くらい、父さんと黄色いボールを打ち合ったりしてるよ」
 
 「頼りにしてるね」

 「あっ、うん」

 髪が躍るほどオーバーに頷いた僕だけど、うまく笑顔が作れない。
 霞くんが僕の目の前で咲かせている笑顔の花は、仲が良かった小学生のころとは全く違う色どりだ。

 僕が得意としている作り笑いと同じだと、簡単に見破ってしまった。
 テニスコートの周りを囲んでいる女子たちの目があるから、とりあえず僕に微笑んでいるだけ。
 本当は今すぐ僕の前から消えたくて、僕なんかと関わりたくもないに決まっている。

 悲しみが僕の右腕の傷跡をつつく。
 痛むのは右腕なのか、ハートなのか、それとも両方なのかわからない。
 ジャージの長袖に覆われた腕を体に巻き付け、うつむいた時だった。

 「危ない!」

 切羽詰まったような声が僕の耳に突き刺さったのは。


 何が起きたのかわからなかった。
 叫んだのは霞くんで間違いない。
 大好きな声が耳に届き肩を跳ね上げはしたものの、状況を確認する時間は0.1秒もなくて。
 誰かに腕を引っ張られたと思った直後、僕の体が何かにすっぽりと包まれたんだ。


 動けない、今この瞬間も。
 甘い熱に体中が縛られ、心まで捉えられてしまったから。

 僕の右頬には固いものが押し当てられていて、ドクドクと響くような心拍が心地いい。

 腰に巻きついているのは、程よく筋肉がついた腕。
 顔を守るように僕の片耳に大きな手の平が添えられていて、後頭部に当たっているのはあご……だよね?

 清涼感のある心地い匂いが鼻腔をくすぐり、ハートまでくすぐってくる。
 極上の毛布に包まれているようなぬくもりに溺れそうになって、息苦しくて。

 「大丈夫だった? 輝星」

 優しさと焦りが溶け合うような甘い声が、僕の鼓膜を揺らした。
 さらに強く抱きしめられ、沸騰しそうなほど血液の温度が上がってしまう。

 抱き好きな人に呼んでもらえた……輝星って……嬉しい……
 
 湧き上がる喜びは涙腺を弱くするらしい。
 感極まって瞳に滲みだした雫。
 霞くんの胸に頬を当てていると、彼の心拍がダイレクトに伝わってくる。

 ものすごく早いビートを刻んでいるような、僕に負けないくらいの駆け足気味。
 この身体現象が、僕を抱きしめていることによるドキドキだったらいいのにな。

 霞くんの胸板から頬を外し、僕は緊張気味に視線を上げる。
 騎士のように凛とした顔で遠くを見つめていた霞くんが、視線を下げた。

 至近距離で目が合う。
 視線が絡みあう。
 霞くんの綺麗な瞳に、この僕だけが映っている。

 この瞳を独占したいと、この6年間思ってきた。
 僕だけを見つめて欲しいと願い続けてきた。

 その夢が今叶うなんて。
 このままずっと抱きしめられていたいと思うのは、僕のワガママだよね。

 僕を抱きしめる腕がほどけないのはなぜ?
 恥ずかしさの中に甘さが溶けこんでいるような表情で、僕を見つめ続けてくるのはなぜ?

 「キャー! カスミ先輩がテラセ先輩を抱きしめてる!」

 遠くから黄色い悲鳴が飛んできて、現実に意識が引き戻された。

 「やめて、私の推しカプはカスミソウなのに!」

 「麗しい霞先輩と可愛い輝星先輩のカプなら、わたし推せちゃう!」

 みんなに見られているという現実が羞恥心をいたぶってきて、僕と霞くんは焦りに任せお互い背後にジャンプを決める。
 僕たちの間にはリンゴが10個並べられそうな距離が生まれてしまった。

 流れ出す気まずい空気。
 ビビりな僕は顔を上げられない。
 霞くんの靴を見つめれば見つめるほど、霞くんへのハテナが募ってしまう。

 大好きな人のぬくもりに包まれている時は幸せすぎて冷静に考えることができなかったけれど、霞くんはなんで僕を抱きしめたりなんかしたんだろう。
 『危ない』と叫ばれてからのギュッ。

 何かから僕を守ってくれたのかな?

 いやいや、そんなことはどうでもいい。
 キャーキャー飛び跳ねるような黄色い声が四方八方から飛んでくるから、恥ずかしすぎて。

 消えたい。
 透明人間になりたい。

 みんな、テニスコートにいる僕と霞くんを注目しないで。
 僕は霞くんに嫌われているんだよ。

 頬に刻まれてしまった霞くんのぬくもりを消したい。
 力強く抱きしめてくれた彼の腕の圧を消し去りたい。

 でも本当は消したくなくて。
 ずっとずっと僕の中に残って欲しくて。
 宝物にしたくて。

 【霞くんの特別は、僕じゃなくて奏多くん】

 悲しい現実が苦しくてたまらなくなった僕は、萌え袖からちょっとだけはみ出す指たちで顔を押さえた。


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