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見知らぬ村と、薬屋あかねの役目
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戸口から差し込む朝の光は、どこか白く、やわらかかった。
雨戸もカーテンもない世界では、陽の高さだけが時間を教えてくれる。
あかねは、まだ体の芯に残るだるさを引きずりながら、ゆっくりと身を起こした。
昨夜までの記憶と、この世界の景色がどうしても結びつかない。
(夢……じゃないよね)
藁の布団を押しのけ、足を床に下ろした瞬間。
木の床板がぎしりと音を立てた。
まるで何十年も使われてきた古い家だ。
すると、隣の部屋から小走りの足音。
戸が開き、若い少年が顔を出す。
「あ、あかね姉! 起きたんじゃな! よかったぁ!」
日に焼けた頬、丸い目、ぼさぼさの髪。
十歳くらいの子どもだろうか。
あかねのことを“姉”と呼んだ。
「……あなたは?」
「なんじゃ、まだぼーっとしとるんか。わしは宗太(そうた)じゃ。昨日あんなに倒れとって……ほんまに心配したんで!」
宗太――聞き覚えのない名前。
だが、彼の表情は心から安堵しているようだった。
(この子は……私の家族? 村の子?)
問いは次々に浮かぶが、それを整理するより先に、また別の声が家の前から聞こえた。
「すまん、あかねさんは起きとるかいの!」
ややしわがれた男の声。
宗太がぱっと外へ走っていく。
「起きとるよ! ばあも見たって言うとった!」
「そうか、それはよかった……ほいで、ちょっと診てもらいたいもんがおってな」
(……診てもらいたい?)
それは、彼女がこの世界で背負う役目を思い出させる言葉だった。
薬屋――この村では、あかねは薬師として扱われている。
「姉、行けるか? まだきつかったら、わしが断っとくけど」
「……大丈夫。行く」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。
身体はまだ重い。
けれど、誰かが困って呼んでいるなら、放ってはおけない。
***
外に出ると、朝の光が村全体を金色に染めていた。
家々は藁ぶきで、土の道が続き、遠くでは水車が回っている。
馬をつなぐ杭、薪を割る音、鶏の鳴き声。
あかねの知っている令和の風景とは、なにひとつ重ならない。
呼びに来たのは、頭に手ぬぐいを巻いた中年の男だった。
「すまんのう、あかねさん。わしの孫が腹を押さえて泣き止まんのじゃ。薬草か、煎じ薬を見てもらえりゃ助かるんじゃが」
男は深く頭を下げた。
あかねは息を整え、落ち着いた声で言う。
「お孫さんは、どんな様子ですか」
「昨日の夕方から腹が痛い言うてのう……吐いたりはしとらんが、ずっと丸まっとる」
(急性の胃腸炎? 軽い食中毒……いや、この世界の食生活は違う。寄生虫だってあり得る)
前世の知識が、自動的に頭の中で分類を始める。
「まず、様子を見せてください」
***
男の家は村の中央にあり、板の間には藁の布団が敷かれていた。
その上で、小さな男の子がしくしく泣いている。
「……あかね、ねえ……」
「大丈夫。すぐ楽になるからね。触るね」
声はできるだけ優しく。
あかねは、子どもの腹をそっと押し、張り具合や痛む位置を確かめる。
熱はほとんどない。
(盲腸ではなさそう……右下の痛みも強くない。腸の動きが悪いだけかな)
棚には干した薬草が束ねられている。
名前を書いたラベルはなく、ただ干されたまま吊るされている。
「これ、いつも使っている薬草ですか?」
「おう、前の薬師どんがよう使いよった。腹ん薬になる言うての」
あかねは束を手に取り、香りを確かめる。
薄荷に似た清涼感――しかし、前世で知っている薄荷とは少し違う。
(ペパーミントじゃない、これは……ハッカクサ? 似てるけど効き目が弱い)
この世界の植物は、同じ名前でも効能が微妙に違う可能性が高い。
油断はできない。
それでも、いま使える範囲で処置するしかない。
「この葉を少し煎じて、薄めて飲ませてあげてください。お腹を温めると楽になります」
「ほんとか! 助かるわ、ほんに……!」
男は涙ぐむほど喜び、すぐに火を起こし始めた。
あかねはその様子を見守りながら、胸の奥に不思議な感覚を覚えた。
(この村の人たちは、私を本当に“薬師”として頼っているんだ)
令和の薬屋では、市販薬の説明や生活指導が中心だった。
手を触れて診察することはなかったし、薬草を自ら煎じることもなかった。
だがいま、この世界では――
自分の知識だけが、人の痛みを和らげる唯一の手段になり得る。
火にかけられた鍋から、薬草の香りが立ちのぼった。
やがて、煎じ薬を薄めて子どもに飲ませると、しばらくして表情が和らぎ、泣き声も止んだ。
「ええ……楽になった……」
その一言に、家族が歓声を上げる。
「あかねさん、ほんにありがとう! やっぱり村一番の薬師じゃ!」
あかねは微笑みながらも、胸の中で静かに呟いた。
(村一番かどうかは分からない。それでも……誰かを助けられるなら、ここで生きていける)
窓から差し込む朝日が、あかねの頬を照らした。
その光は、見知らぬ世界に放り込まれた彼女の背中を、優しく押すようだった。
(ここは、どこで……何年なんだろう。
でも、いま焦っても仕方ない。まずは、この世界の“薬”を知るところから)
あかねは深く息を吸い、前を向いた。
戦国の村での、新しい薬師としての人生が始まったばかりだった。
雨戸もカーテンもない世界では、陽の高さだけが時間を教えてくれる。
あかねは、まだ体の芯に残るだるさを引きずりながら、ゆっくりと身を起こした。
昨夜までの記憶と、この世界の景色がどうしても結びつかない。
(夢……じゃないよね)
藁の布団を押しのけ、足を床に下ろした瞬間。
木の床板がぎしりと音を立てた。
まるで何十年も使われてきた古い家だ。
すると、隣の部屋から小走りの足音。
戸が開き、若い少年が顔を出す。
「あ、あかね姉! 起きたんじゃな! よかったぁ!」
日に焼けた頬、丸い目、ぼさぼさの髪。
十歳くらいの子どもだろうか。
あかねのことを“姉”と呼んだ。
「……あなたは?」
「なんじゃ、まだぼーっとしとるんか。わしは宗太(そうた)じゃ。昨日あんなに倒れとって……ほんまに心配したんで!」
宗太――聞き覚えのない名前。
だが、彼の表情は心から安堵しているようだった。
(この子は……私の家族? 村の子?)
問いは次々に浮かぶが、それを整理するより先に、また別の声が家の前から聞こえた。
「すまん、あかねさんは起きとるかいの!」
ややしわがれた男の声。
宗太がぱっと外へ走っていく。
「起きとるよ! ばあも見たって言うとった!」
「そうか、それはよかった……ほいで、ちょっと診てもらいたいもんがおってな」
(……診てもらいたい?)
それは、彼女がこの世界で背負う役目を思い出させる言葉だった。
薬屋――この村では、あかねは薬師として扱われている。
「姉、行けるか? まだきつかったら、わしが断っとくけど」
「……大丈夫。行く」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。
身体はまだ重い。
けれど、誰かが困って呼んでいるなら、放ってはおけない。
***
外に出ると、朝の光が村全体を金色に染めていた。
家々は藁ぶきで、土の道が続き、遠くでは水車が回っている。
馬をつなぐ杭、薪を割る音、鶏の鳴き声。
あかねの知っている令和の風景とは、なにひとつ重ならない。
呼びに来たのは、頭に手ぬぐいを巻いた中年の男だった。
「すまんのう、あかねさん。わしの孫が腹を押さえて泣き止まんのじゃ。薬草か、煎じ薬を見てもらえりゃ助かるんじゃが」
男は深く頭を下げた。
あかねは息を整え、落ち着いた声で言う。
「お孫さんは、どんな様子ですか」
「昨日の夕方から腹が痛い言うてのう……吐いたりはしとらんが、ずっと丸まっとる」
(急性の胃腸炎? 軽い食中毒……いや、この世界の食生活は違う。寄生虫だってあり得る)
前世の知識が、自動的に頭の中で分類を始める。
「まず、様子を見せてください」
***
男の家は村の中央にあり、板の間には藁の布団が敷かれていた。
その上で、小さな男の子がしくしく泣いている。
「……あかね、ねえ……」
「大丈夫。すぐ楽になるからね。触るね」
声はできるだけ優しく。
あかねは、子どもの腹をそっと押し、張り具合や痛む位置を確かめる。
熱はほとんどない。
(盲腸ではなさそう……右下の痛みも強くない。腸の動きが悪いだけかな)
棚には干した薬草が束ねられている。
名前を書いたラベルはなく、ただ干されたまま吊るされている。
「これ、いつも使っている薬草ですか?」
「おう、前の薬師どんがよう使いよった。腹ん薬になる言うての」
あかねは束を手に取り、香りを確かめる。
薄荷に似た清涼感――しかし、前世で知っている薄荷とは少し違う。
(ペパーミントじゃない、これは……ハッカクサ? 似てるけど効き目が弱い)
この世界の植物は、同じ名前でも効能が微妙に違う可能性が高い。
油断はできない。
それでも、いま使える範囲で処置するしかない。
「この葉を少し煎じて、薄めて飲ませてあげてください。お腹を温めると楽になります」
「ほんとか! 助かるわ、ほんに……!」
男は涙ぐむほど喜び、すぐに火を起こし始めた。
あかねはその様子を見守りながら、胸の奥に不思議な感覚を覚えた。
(この村の人たちは、私を本当に“薬師”として頼っているんだ)
令和の薬屋では、市販薬の説明や生活指導が中心だった。
手を触れて診察することはなかったし、薬草を自ら煎じることもなかった。
だがいま、この世界では――
自分の知識だけが、人の痛みを和らげる唯一の手段になり得る。
火にかけられた鍋から、薬草の香りが立ちのぼった。
やがて、煎じ薬を薄めて子どもに飲ませると、しばらくして表情が和らぎ、泣き声も止んだ。
「ええ……楽になった……」
その一言に、家族が歓声を上げる。
「あかねさん、ほんにありがとう! やっぱり村一番の薬師じゃ!」
あかねは微笑みながらも、胸の中で静かに呟いた。
(村一番かどうかは分からない。それでも……誰かを助けられるなら、ここで生きていける)
窓から差し込む朝日が、あかねの頬を照らした。
その光は、見知らぬ世界に放り込まれた彼女の背中を、優しく押すようだった。
(ここは、どこで……何年なんだろう。
でも、いま焦っても仕方ない。まずは、この世界の“薬”を知るところから)
あかねは深く息を吸い、前を向いた。
戦国の村での、新しい薬師としての人生が始まったばかりだった。
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