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第4話 去りゆく背中と硝子の誓い
しおりを挟むエリザベートの手が微かに震えた。
突きつけた短剣はマリアの眼球まで数ミリの距離にある。だが、その刃の冷たさよりも、眼前で微笑む隻眼の騎士が放つ気迫の方が、はるかに鋭く、そして熱かった。
「……竜の、牙ですって?」
エリザベートが呻くように問う。
マリアは王女の手首を握ったまま、静かに、諭すように言葉を紡いだ。
「ええ。我が国ログレスにおいて、竜を操ることのできる『竜騎士』は片手で数えるほどしかおりません。ましてや、私のオニキスのような高位の竜を従える者は皆無。――殿下。貴女様は、これから王家に嫁ぐ身として、国の至宝たる戦力を私情で損なう愚をお犯しになるおつもりですか?」
「っ……、口が減らない女ね!」
「事実を申し上げたまででございます。私が死ねば、国の守りは薄くなり、巡り巡って貴女様とアレクセイ様の治世を脅かすことになりましょう」
マリアの言うことは最もだった。
エリザベートの国テクノラートは技術大国だが、資源と武力はログレスに依存している。竜騎士団長であるマリアをここで殺せば、同盟関係は崩壊し、エリザベート自身の立場も危うくなる。
エリザベートは悔しげに唇を噛み、乱暴にマリアの手を振り払った。
短剣を下ろすが、その瞳の怒りは消えていない。
「……では、どうするつもり? 貴女が王都にいる限り、貴族たちは噂をするわ。『王太子の心には隻眼の騎士がいる』と。それは私の王妃としての権威を傷つける…私は一つでも不安要素は消しておきたいの」
「その事ならばご安心くださいませ」
マリアは乱れた襟元を優雅に整え、夜空を見上げた。
「殿下が私を女性として見ているとお思いなら、私が子を成せぬよう薬を飲むことも厭いません。王家の血筋を乱すつもりなど毛頭ございませんから」
「……正気?」
「はい。私は女侯爵となる身ではありますが、子が出来るかどうか分からないのです。ですから元より一族のどこかから養子を迎える手筈となっておりました」
「……それは安心する理由にはならないわ」
「……自らの体を傷つけることだけはお断りします。五体満足でなければ、いざという時に王族や貴女様をお守りする事が出来ません」
マリアは再びエリザベートに向き直り、深々と頭を下げた。
「竜騎士を辞める気はありません。ですが、王都を離れる任務であれば……甘んじてお受けいたします」
それは、実質的な追放の提案だった。
マリア自らが、アレクセイの視界から消えることを選んだのだ。
エリザベートは息を呑んだ。
目の前の女は、恋敵である自分に対してすら、命を賭けて「守る」と言い切った。そして、愛する男のために、自ら身を引こうとしている。
そのあまりに純粋で、狂気じみた献身に、エリザベートは薄ら寒いものを感じた。
「……それでいいわ。北の辺境、対ヴォルグ帝国の最前線にある『鉄屑砦』。そこの視察と防衛強化を命じるようアレクセイ様の婚約者として陛下にお願いするわ」
「承知いたしました」
「言っておくけれど、あそこは激戦区と聞くわ。竜騎士だろうと、死ぬかもしれないわ」
「国のために散るならば、騎士の本望です」
「……っ、命懸けで国境を護るのですよ!」
エリザベートは吐き捨てるように言い放つと、ドレスの裾を翻して去っていった。
侍女と警護騎士達もそれに続く。
テラスには、再び静寂が戻る。
マリアは残され、ふぅ、と長く重い息を吐いた。
残っていた部下の騎士達に、会場に戻るよう指示をする。騎士達は一礼をすると、再び解除の警備へと戻って行った。
張り詰めていた糸が切れ、膝が震える。
強がってはみたが、胸が張り裂けそうだった。
王都を離れるということは、もう二度と、アレクセイの笑顔を見られないかもしれないということだ。
「……これで、よろしいのよね」
自分に言い聞かせる声が、夜風に溶けていく。
その時、植え込みの陰から、ぬっと二つの影が現れた。
「……聞いていましたか」
「ええ、バッチリと」
キリが珍しく真剣な表情で立っていた。フリオも眼鏡の位置を直しながら頷く。
二人は何も言わず、ただマリアの両脇に立った。
「辺境行きだなんて、貧乏くじもいいところですね」
キリが軽口を叩くが、その目には涙が滲んでいる。
「ですが、団長の判断は合理的です。今の王都に居場所はありません。エリザベート殿下との婚約が壊れると国益にダメージが出ますから」
フリオが淡々と肯定する。
「ついてきてくれる?」
「当たり前です!私はマリア様に拾って頂いた時からマリア様のお側を離れないって決めてるんです!地獄の底までお供しますよ。…それに、辺境なら誰に気兼ねなく暴れられますしね」
さっきまで涙目だったキリは、イタズラを思い付いたかのようにニコニコとしている。
「荷造りを急ぎましょう。夜明けと共に出立するのがよろしいかと」
フリオは相変わらずだ。
二人の従者の不器用な優しさに、マリアは救われたように微笑んだ。
* * *
翌朝。
マリアは竜舎に向かった。
あの後すぐに宰相の元へ向かった。
アレクセイ殿下とエリザベート殿下の婚約をまとめるのに奔走している宰相に相談した所、憂いは少ない方が良いとすぐに国王陛下に陳情し、婚約がまとまるまでの期限付きで国境への配置転換を命じられた。
相棒である黒竜、オニキスが、主人の気配を感じて鼻を鳴らす。
「おはよう、オニキス。……少し遠出をするわよ」
巨大な翼を広げ、オニキスがマリアを背に誘う。
硬い鱗だが、乗り心地は良いのだ。
オニキスが王都の空へと舞い上がる。
眼下には、目覚め始めた王都の街並みが広がっている。そして、その中心にある王城。
マリアは王太子の執務室がある塔を見つめた。
カーテンが揺れた気がした。
彼が見ているのかもしれない。あるいは、ただの風かもしれない。
「(さようなら、アレクセイ様。どうか、よき王に)」
マリアは前を向いた。
幼い恋心の涙は遥か昔に流し終わっているのだ。
風が涙をさらう前に、彼女は手綱を握りしめる。
「行くわよ、オニキス! 全速前進!」
竜の咆哮が朝の空気を震わせる。
隻眼の騎士は、愛する背中を一度も振り返ることなく、北の空へと飛び去っていった。
それが、彼女の運命を大きく変える旅立ちになるとも知らずに。
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