兎獣人《ラビリアン》は高く跳ぶ❗️ 〜最弱と謳われた獣人族の娘が、闘技会《グラディア》の頂点へと上り詰めるまでの物語〜

来我 春天(らいが しゅんてん)

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◆第5話 本能の疼き

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 ピノラは浴室で身体を清拭した後、いつも通り自室で眠るだろうが……俺にはまだ今夜中にやるべき事がある。
 ベッドと机しか置いていない殺風景な部屋だが、必要としているものは揃っている。
 俺は柔らかな革で作られた室内履きに履き替えると、軋み音を立てる椅子へと座った。

 まずは、闘技会グラディアの協会から受け取った書類を整理する。
 様々な誓約書のほか、今季の闘技会グラディアに於ける手当て金の支給などに関する内容が記されているものもあり、これらは次の闘技会グラディアの期間まで暮らすための貨幣ガルドを受け取る上で必要となる大切なものだ。
 これを紛失してしまうと、俺たちは暮らしていくための術を失ってしまう。
 この紙切れ1枚に生活がかかっていると思うと、まるで綱渡りのような生活をしているなと改めて感じる。
 俺は羽ペンを手に取ると署名が必要なものに名前を書き入れ、机にある鍵付きの引き出しに入れた。

 次に、今日ピノラが使用した武具の手入れだ。
 俺は帰宅時に机の足元に置いた袋から、土で汚れた革鎧レザーを取り出し、机の上に並べた。
 これは元々は人間族用に作られたもので、市場マーケットで叩き売られていた中古品を買い取り、ピノラの体格に合わせて調整したものだ。
 手に入れた当初からお世辞にも綺麗な状態のものではなかったが、この2年での使用ですっかりぼろぼろになってしまっている。
 それでも、次の闘技会グラディアでも使用できるよう手入れを怠る訳には行かない。
 俺は机の横にかけてある革細工用の工具をいくつか取ると、腕まくりをした。
 まずブラシで表面に付着した土を払い落とし、乾いた布で拭き上げる。
 武具を固定するためのリベットが緩んでいる箇所があれば、打ち台に乗せてハンマーで優しく叩き留め直す。
 指先に油脂を取り、表面全体に万遍なく塗り広げたあと、もう一度乾いた布で拭く。
 これらはすべて、ピノラと共に闘技会グラディアに出場するようになってから身につけたものだ。
 本来は闘技会グラディア訓練士トレーナーなら、専門の職人に賃金を支払って手入れをさせるものなのだろうが、うちにそんな金は無い。

 こんな事をしているうちに、すっかり夜が更けてしまう。
 全ての武具に油脂を塗り終え顔を上げると、窓の外は真夜中になっていた。
 家の前を流れる河川の向こうにはサンティカの夜明かりが見えるはずだが、それすらも疎らになるほど時間が経っていたようだ。
 

「いつの間にこんな経っていたのか…………」


 手に付いた油脂を拭き取りながら、俺は静かに椅子から立ち上がった。
 明日以降も今季の闘技会グラディアは2回戦、3回戦と続いていくが、初戦で敗退してしまった俺たちにはもはや出番など無い。
 だがそれでも、次期に繋げるために闘技会グラディアに出場している選手たちの戦いを見に行く必要がある。
 明日に備えて、もう寝なければ。
 そう思い、ベッドへ向かおうとした時────────


 コンコン、と静かに扉が鳴った。


「んっ?」


 思わず振り返る。
 まさかこんな真夜中に扉がノックされるとは思っていなかった俺は、少し驚いた声を上げてしまった。
 この家には、俺とピノラしか居ない。
 食事の後、入浴を済ませて寝ているものだとばかり思っていたが……。
 俺は真鍮製のノブに手をかけると、静かに自室の扉を開いた。


「ピノラ? 起きてたのか?」

「あっ……ご、ごめんね、トレーナー、こんな時間に……」


 扉の前に居たのは、パジャマに着替えたピノラだった。
 ピンク色の長袖のパジャマは、昨年市場マーケットで偶然見つけた安物だが、ピノラの白い髪色と小柄な身体によく似合う。
 白くふわふわの毛で覆われた長耳が彼女の可愛らしさを一層際立たせている。


「どうしたんだピノラ?」

「あ、あのね、トレーナー……その、ね……」


 下腹の前で手をもじもじと合わせて俯いており、時折上目遣いで俺の顔を見上げてくる。
 しばらくすると、意を決したようにやや大きくした声で訴えてきた。


「ね、眠れないの…………」


 直後、ピノラは俺の腹部に顔をうずめると、両手を腰に回してきた。
 唐突に抱きつかれるかたちになり、俺は心臓が跳ねた。
 驚く俺をよそに、顔を押し付けてくる。


「お、おい、ピノラ」


 鳩尾みぞおちのあたりが温かい。
 彼女の吐息が当たっている。
 ぐりぐりと鼻頭を押し付け、すんすんと俺の匂いを嗅いでいるようだ。


「ピ、ピノラ……ちょっと待……」

「んふ……すぅぅ……」


 制止しようと彼女の肩を掴むが、一向に止める気配がない。
 それどころか背中に回された手が俺を力いっぱいに抱きしめており、ほとんど密着しているような状態だ。
 俺の目の前で白い毛に覆われた耳が、ぴこぴこと可愛らしく動いている。
 その体勢のまま、ピノラはゆっくりと顔を上げて俺の目を下から覗き上げてきた。


「ごめんなさい、トレーナー……今日、試合だったから、興奮しちゃって、その……」

「あ、あぁ……」

「が、我慢できないの……」


 潤んだ瞳で見上げてきたと思えば、すぐに再び俺の腹部に顔を押し付けてくる。
 細かく動く鼻先が腹部に押し付けられているせいでくすぐったい。
 俺は小さくため息を吐くと、一生懸命な様子でしがみついているピノラの背中に手を回し、優しく抱きかかえた。
 ぴくん、と小さく震えたピノラだったが、そのまま全身でもたれ掛かってきた。

 ピノラは時折、こうして激しく甘えてくる。
 元々兎獣人ラビリアンは何十種も存在する獣人族のなかでも、特に発情周期が顕著な一族だ。
 他の獣人族と比較しても非力で身体も小さいため、生存戦略として子孫を残すための本能が色濃く残っており、異性に身体を預けることが多いのだという論文を、訓練士トレーナーの認定試験の際に見たことがある。
 とりわけ、ピノラは闘技会グラディアの直前・直後になる事が多い。
 そして俺は……ピノラの訓練士トレーナーであり、家族であり……パートナーでもある。
 ピノラと出会ってからの2年間、こうして幾度となく彼女の『疼き』を鎮めてきた。

 先ほどよりも更に激しく鼻を擦り付けられたせいで、前留めのシャツが少しはだけてしまった。
 ピノラはボタンの隙間から器用に鼻を滑り込ませ、俺の皮膚の匂いを直接嗅ぎ始める。


「ふぁ……トレーナーの、におい……」

「ピ、ピノラっ……」


 俺のへそのあたりを、ピノラのやわらかな唇が滑ってゆく。
 窒息してしまうのではないかと思うほどに強く顔を押し付けながら、俺の皮膚を唇で優しく甘噛みしている。
 彼女の口や鼻が下腹を這う度に、恥ずかしさと愛おしさがごちゃ混ぜになったような感情が膨らんでくる。
 腹部に伝わるピノラの感触に狼狽えながらも……胸のあたりでもぞもぞと動く彼女の白く美しい頭髪を、俺は無意識のうちに優しく撫で回していた。
 不意に撫でられたのがくすぐったかったのか、そこから伸びる兎獣人ラビリアン特有の長い耳がぴくんぴくんと跳ねている。

 しばらくして、ひたいにしっとりと汗を滲ませたピノラは顔を離した。
 だが、今度は身体全体を俺の下半身にぴっとりと擦り寄せる。
 密着した身体が熱い。
 

「えへへ……トレーナー……お願い。ピノラを……抱っこして……」


 潤んだ瞳。
 高揚した頬。
 俺は生唾を飲みつつも、ピノラを諭すために口を開く。


「ピノラ……お前は今日試合だったんだぞ。アンセーラ先生にも安静にしろって言…………!? ん、む……」


 最後の理性を押し出して説得を試みた俺だったが……唐突に唇が塞がれてしまった。


「ん、む…………ふぅん…………とぇーなぁ…………」

「お、おい、ピノ………ん…………」

「し、して……いつもみたいに……抱っこして……」


 生々しく伝わる、ピノラの唇の感触。
 こちらの制止などまるで耳に届いていない様子だ。
 腰に回されていた手はいつのまにか俺の頭を抱えており、決して離すまいとすがりついてくる。

 荒々しいピノラの鼻息が顔にかかった時……俺は残っていた最後の理性をかなぐり捨て、彼女を抱きしめ返していた。


「ふ、ぁ…………!」


 幸せそうな、恍惚の表情を浮かべるピノラを抱きしめ……俺はそのまま背後にあった自分のベッドへと倒れ込んだ。
 身体を反転させピノラの上に覆い被さるようになった俺は、ピノラの汗ばんだ首筋に頬を押し付けながら、左手で彼女の頭を撫でる。
 目を細め、羞恥に頬を染めながらも、ピノラの足が俺の腰に回されてゆく。


「ピノラ……」

「えへへ……トレーナー、すき……」



 その晩、言葉らしい言葉で会話ができたのはそれが最後だった。
 俺はピノラが求めるままに彼女を抱きしめ、ピノラもまた身体を寄せてくる。
 俺は毎回こうして、ピノラが満足するまで一晩中抱きしめてやるのだが……

 本心を言えば、こんな事をしているのはピノラの為だけではない。
 他ならぬ俺自身も、こうしてピノラを抱く事を望んでしまっているのだ。
 トレーナーとして彼女の発情を落ち着かせるために仕方なく……などと言えば聞こえは良い。
 だが、言葉と身体で余すところなく好意を伝えてくるピノラの紅潮した顔を見る事を、俺は────────


 そうして肌を介して感じるピノラの体温と、俺の体温が全く同じになった頃……俺はいつのまにか眠りに就いていた。
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