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◆第12話 巡り合い

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 静かになってしまった店先で絶望に暮れる俺は、ふと隣を見る。


「ん? ピノラ…………?」


 食べかけのアップルステーキを手に持つピノラは、立ち去ろうとするシュトルさんを見ている。
 もう一度声を掛けようとしたが……俺は直前で言葉を飲み込んだ。
 ピノラが、見たことも無いような表情をしていたからだ。
 背筋をぴんと伸ばし、口は半開きのまま。
 真っ赤な宝石のような両の瞳が、いつもより大きく見開かれている。
 まるで遠くにある何かを凝視しているような……。
 
 周囲にいるカフェの客たちも、突然動かなくなってしまったピノラを見て首を傾げている。
 いつまでも動かないピノラの肩を叩き、俺はもう一度名前を呼んだ。


「どうしたんだ、ピノラ? あの人の事が気に──────」

「……ねぇ、トレーナーっ!」


 唐突に、ずっと沈黙していたピノラが叫ぶ。
 元々元気の良い彼女だが、急になかなかの音量で返事をされたので、俺は驚いてしまった。


「うわっ!? え、ど、どうした?」


 慌てる俺へ振り返ったかと思うと、ピノラは手に持っていた食べかけのアップルステーキを俺に差し出した。
 訳がわからないままそれを受け取った俺に、ピノラは真剣な表情で叫ぶ。


「ピノラ、ちょっとあのおじさんのところに行ってくるね! これ、持ってて! 食べちゃダメだよっ!」

「…………は!? え、ちょ、待っ……ピ、ピノラっ!?」


 そう言ってピノラは道の方へ振り返ったと思うと、物凄い速さでシュトルさんのいる方向へと走り出してしまった。
 静止しようとしたが、あまりに急な事で何が何だか解らず、彼女を止め損なってしまう。
 それは周囲の客たちも同じだったようで、まさに脱兎の如く駆け出したピノラに驚くばかりだった。
 しばらくの間呆けてしまっていた俺たちだったが、カフェの客のひとりが我に返ったように声をあげる。


「ちょ、ちょっとちょっと! 訓練士トレーナーさん、マズいって! あんな奴にピノラちゃんを会わせちゃ!」

「そ、そうだよっ! あの男、何をしでかすか解らないぞ!?」

「追いかけるんだっ! 何かされそうになったら、すぐ大声を出して逃げるんだよっ!!」

「え、えぇぇ!? は、はいっ! い、いいいい行ってきますっ!?」


 慌てた客たちに追い立てられるようなかたちで、俺も急いでピノラの後を追う。
 幸い、店の前の道に馬車などは通っていない。
 俺はピノラが渡ったように、反対側の歩道へと急いで渡り彼女を追った。
 だが、ピノラは既にシュトルさんのすぐ背後まで迫っている。
 さすが兎獣人ラビリアン、足が速い。
 この速さを更に生かす事ができれば、闘技会グラディアでもっと活躍できるかもしれないが……。
 と、そんな事を考えている場合ではない。
 街中で平然と暴言を吐く浮浪者のような彼に、に何かされてからでは遅い。
 追いつかなくては。

 だが、既にはるか先にいるピノラは次第に速度を緩めると、背後からシュトルさんに声を掛けていた。


「あ、あのっ!」

「あぁ!? 何だ! 俺に何か声を掛けてくる奴ぁ、ロクな──────」


 粗野な言葉を吐きながら、シュトルさんが振り向く。
 酒に塗れた虚ろな瞳が見える。
 しまった、遅かった。
 だが


「………………え……?」


 ピノラを見たシュトルさんは、途中で言葉を失い……そのまま固まってしまった。
 据わっていた目はまん丸に見開かれ、息を呑むように立ちすくんでいる。
 何だ、どうなった?



「……ファ、ル…………? い、いや……違う? お、お嬢ちゃん、あんた誰だ?」

「ふぇっ?」


 何かを喋ろうとしていたシュトルだが、夢中で走っていた俺には上手く聞き取れなかった。
 そんなシュトルさんの様子もかまわず、ピノラが叫ぶ。


「え、えっと……あ、あのねっ! おじさんが昔、すっごく強ーい兎獣人ラビリアン訓練士トレーナーさんだったひと!?」

「お、おぉ……? そ、そうだが……な、何の用事だ? お嬢ちゃんも兎獣人ラビリアンのようだが……」


 シュトルさんは驚いたような表情のまま、ピノラの事を頭の先から爪先まで見ている。
 そんな2人の元に、ようやく追いつくことが出来た。


「ピノラっ!!」


 背後から大きな声で呼ばれ、ピノラはびくりと肩をすくませた。
 お尻の上に見える小さな尻尾の毛が、ぶわっと逆立つのが見えた。
 驚かせてしまったようだが、仕方がない。


「ピノラっ! いきなり走り出しちゃダメじゃないかっ!」

「あ、あぅ……トレーナー、ごめんね……」


 普段からほとんど叱る事など無い俺が、きっぱりと注意した事で驚いてしまったのだろうか。
 長く白い耳がぺたんと寝てしまった。
 いかん、ちょっと強く言い過ぎたかも知れない。
 俺は落ち着きを取り戻すように一度深呼吸をしてから、優しい声でピノラに問いかけた。
 

「いや、いいんだ……一体どうしたんだ?」 

「う、うん……あのね、ピノラ……おじさんの持ってる『アレ』が見えたの」

「え……? あ、『アレ』って何だ?」

「あれだよ、おじさんの腕についてる、アレ!」


 そう言ってピノラは、シュトルさんの左腕を指さした。
 見ると、ぼろぼろに破けた外套コートの袖から見えるシュトルさんの手首に、何か赤いものが巻き付いている。
 身につけているシュトルさん本人も、自身の左腕を見つめた。


「うん? こいつのことか、お嬢ちゃん?」

「あれは…………」

「うんっ、あれは兎獣人ラビリアンが作るお守りなの! 私も家族で暮らしていた時は、よく作ってたんだ! えへへへ!」


 ピノラが指さしたそれは、この辺りでは『ケルコの実』と呼ばれている赤い木の実の殻で作られたアミュレットだった。
 艶やかな表面に光沢があるケルコの実は、落葉の季節である月光蝶ルーナの月になると、中の種子を守るために石のように硬くなることで知られている。
 地面に落ちたものから種子を取り除くとこのような鮮やかな赤い殻が残るため、この木が自生している地域で生活している兎獣人ラビリアンの一族にはこの殻を使ったアクセサリを作る風習があるのだとか。
 実の数と、組みになっている紐の結び方で、様々な意味を持たせていると聞いたことがある。

 シュトルさんがこれを持っていると言う事は……恐らく20年前に活躍した兎獣人ラビリアンである『ファルル』との縁のある品なのかもしれない。
 美しい赤色の殻は年月を経て少しヒビが入っているものの、表面は今も光沢を放っている。
 ズボンも靴も、髪や髭さえもぼろぼろの様子であるシュトルさんなのに、このアミュレットだけは大切に扱われているように見える。

 左腕に着けたアミュレットと俺たちを交互に見ると、シュトルさんは静かに口を開いた。


「…………こんな小さなお守りを見つけて追いかけて来るたぁ、お嬢ちゃん……びっくりするくらい目がいいな」

「えへへへっ!」


 褒められて嬉しかったのか、照れたように話すピノラに対し……シュトルさんは静かに微笑んだ。
 先ほどパン屋の前で放っていた怒声が、嘘のような落ち着きようである。
 彼がピノラに話す声は、まるで自身の娘に話しかけているかのような、そんな優しい声だ。


「…………お嬢ちゃん、名前は?」

「ピノラだよっ! こっちは、ピノラのトレーナー!」


 背の低いシュトルさんに見上げられるようなかたちで、視線が合う。
 ピノラに紹介されてしまっては、黙っている訳にもいかない。
 俺もピノラの横に並ぶように立ち、シュトルさんに軽く頭を下げる。


「……初めまして。俺はピノラの訓練士トレーナーで、アレン=モルダンと言います」

「……シュトル=アルマローネだ。お嬢ちゃんに『訓練士トレーナー』って呼ばれてるって事は……お前たちは、サンティカの……?」


 そこまで言うと、シュトルさんは俺の顔とピノラの腕章を交互に見た。
 規則通り、隠すつもりなどは無かったのだが……俺は可能な限り自分たちの素性を話さないままシュトルさんに接触しようとは考えていた。
 世間一般のイメージでは、教会認定の訓練士トレーナーと言うのはイコール金持ちだ。
 お金に困っているであろうシュトルさんに、初っ端から金の話を切り出される可能性があるような出会い方はできれば避けたかった。
 ……まぁ、ピノラが走り出した時点で何となくこうなるだろうなとは思っていたのだが。


「はい、サンティカの闘技会グラディアで認定を受けています、協会の訓練士トレーナーです」

「やはりそうか。まさか俺以外に兎獣人ラビリアンのパートナーをやるヤツがいるとは、正直思わなかったぜ。それも、こんな若い兄ちゃんがやってるなんてよ……全く、クソッタレな世の中でも長生きしてみるもんだなぁ」


 シュトルさんはそう言いながら下を向き、後頭部のあたりを掻いている。
 俺はそんな彼の前で、警戒したまま身構えているのだが……

 先ほどから気になってしまう。
 どうにも、ピノラの様子がいつもと違う。

 今でこそ俺やファンの方たちに笑顔を向けられるようになったピノラだが、過去に違法奴隷商に拉致されたことで、彼女は今でも初対面の人間との会話を嫌う傾向がある。
 元来の明るさもあって打ち解けるのも早いため、普段はあまり気にしてはいないのだが……それでも、今回のように完全に初対面であるシュトルさんに対して駆け寄り、自分から話しかけるなど大変珍しいことだ。
 あまりに酷い第一印象のせいで警戒しっぱなしの俺とは対照的に、今もシュトルさんに笑顔を向けている。
 ピノラには、シュトルさんに何か感じるものがあるのだろうか?

 
兎獣人ラビリアン訓練士トレーナーが俺を訪ねて来たって事ぁ……大方、ファルルの事を聞きに来たんだろう?」


 アミュレットを静かに外し上着のポケットにしまいながら、シュトルさんは俺の顔を見上げてきた。
 灰色の瞳が鋭く光る。
 見た目は完全に初老の浮浪者のはずなのだが……その眼光はどこか若々しく見える。
 ここまで来たら、隠す必要も無い。
 本来の目的のために、このシュトルさんに話を聞かなければ。


「そうです。俺は、ピノラを獣闘士グラディオビスタとして強くする方法を探していて────────」

「あぁ、解った。だがちょっと待て」


 俺が前ぶれ無く本題に入ろうとしたところ、シュトルさんは右手を翳して俺の言葉を制した。
 眼前に突き出された彼の手のひらが、今度は何かを指し示すように形を変える。
 それは、俺の後方にあるカフェを指さしていた。
 見れば、カフェの店主や客たちが心配そうにこちらを見ている。
 もしかして、カフェに居た人たちはあれからずっと俺たち事を見ていたのだろうか?
 その光景を見たシュトルさんは、鼻で小さくため息を吐くと、顎で促すようにして口を開いた。


「ここで立ち話していると、あそこでこっちを見ている連中がイロイロうるさそうだ。街の外れに俺の家がある、話はそこで聞こう」

「は、はぁ…………」


 それだけ言うと、シュトルさんは靴を引きずるように歩き始めた。
 振り返りざまに俺たちの事を横目で見たあと、振り返って歩いて行く。
 『ついて来い』とでも言いたげな背中を見て、俺は小さく首を横に振った。
 果たして、彼を信じていいものか。
 このまま黙ってついて行っていいものだろうか。
 面倒ごとに巻き込まれてしまうのではないかという不安が頭をもたげてくる。

 だが────────


「トレーナーっ! 早く、行こう行こうっ!」


 ピノラはまるで疑う素振りすら見せず、俺の手を引いて歩き始めた。
 

「ちょ、ちょっと待てピノラ……! そんなに引っ張らなくても大丈夫だから!」


 俺は怪訝な表情のまま、ピノラに引かれるがままにシュトルさんの後を追った。
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