兎獣人《ラビリアン》は高く跳ぶ❗️ 〜最弱と謳われた獣人族の娘が、闘技会《グラディア》の頂点へと上り詰めるまでの物語〜

来我 春天(らいが しゅんてん)

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◆第42話 エピローグ

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 闘技会グラディアでの優勝を勝ち取ってから3ヶ月後 ────────

 俺たちは、再び闘技場の地下にある選手控室に居た。


「さぁ、今日も頑張るぞ、ピノラ!」

「うんっ! 今日はまたラーナさんが相手だからねっ! 捕まらないようにしなくちゃ!」


 アダマント製の武具を着け終わり、木製の椅子から勢いよく立ち上がったピノラは、俺の目の前で元気いっぱいに飛び跳ねて見せた。
 3ヶ月前の闘技会グラディアよりも少しだけ後ろ髪が伸びた彼女は、幾分か背も伸びているように見える。
 肌艶も良く、以前よりも更に筋肉がついた大腿は兎獣人ラビリアンとして健康である何よりの証拠だ。
 きっとこの3ヶ月で食生活が大きく充実したことで、彼女の身体にも色々と良い影響が出ているのだろう。
 俺はいつも通り、ピノラの真っ白な頭髪を撫でてやった。



 ◆ ◇ ◆  



 前回の闘技会グラディアでの優勝は、俺たちの生活に大きな変化を齎した。
 優勝当日に行われた表彰式にて協会から優勝賞金が支給されたのだが、目録手形に書かれた金額は見たこともないほどの莫大なものであった。
 いつも参加手当金しか受け取った事がない俺は、目録手形の額に目を疑ってしまった程だ。

 あまりに多額の貨幣ガルドに固まってしまった俺の横で、「どれくらい凄いの?」と、きょとんとした顔でピノラが尋ねてきたので、「これからは好きな時に桃が食べられるよ」と答えてやった。
 その時のピノラの満面の笑みは、俺は一生忘れないだろう。
 両足に湿布薬を満遍なく貼られ、左腕は包帯でぐるぐる巻きにされたピノラの姿は痛々しいものだったが、途端に元気に跳ね回る姿を見て、俺は苦笑してしまった。


 さらに後日 ────────
 サンティカ商業組合を通じてキャドリーさんから正式に資金提供スポンサードの申請を頂いたこともあり、俺たちはわずか数日で信じられない程の大金持ちになった。
 理事のキャドリーさんは、あらかじめピノラが優勝したときの事を想定し協会内で決を採ってくれていたようだ。
 決勝戦のあの日、キャドリーさんが俺たち側の客席に現れたのは、『ピノラと俺に私費を投じて支援していた』という事を内外に知らしめす目的もあったようで……。
 やはり商業組合の理事を務めるほどの人物という事だけあって、俺たちに商売敵が付かないようにする先手だったのだと思う。
 さすが抜かりが無い……しかしこれによりサンティカの商業施設とともに、ヴェセットの商工会からも全面的に支援を受けられるようになる。
 後日、個人投資と正式な資金提供スポンサードの申請のお礼を伝えるために商会を訪れた俺とピノラを見て、キャドリーさんは満面の笑みで出迎えてくれた。


「とんでもございませんわ、モルダン様! むしろわたくしの方こそ、堅くお約束を守って頂いたことへお礼を申し上げたいくらいです。瞬く間に優勝まで上り詰めたピノラさんの人気は、今やこのサンティカやヴェセットのみに留まらず、他の都市にまで届いておりますのよ! そのような今大注目の獣闘士グラディオビスタに、我が商会をメインのスポンサーにして頂けるなんてっ……! これは我が商会にとって、またと無い商機ですからねぇ! 先日購入して頂いた桃も、『ピノラピーチ』と名前を付けた途端、倍ほどの値段でも飛ぶように売れておりますしっ……ああっ! 興奮して、手当たり次第に石にしてしまいそうですわ、ほほほほほほほ!」


 見事な艶の鱗を光らせながら、キャドリーさんは積み上げられた果実用の箱の前で側近たちに対し次々と仕事の指示を出していた。
 いつも以上に目をぎらつかせたキャドリーさんに、彼女の部下たちは『本当に石にされてしまうのではないか』と戦々恐々の様子だ。
 実際に倉庫の片隅で、人間の形をした石像が何体か置かれていたのを見てしまったのだが……きっと、おそらく、本物の石像だった、と思いたい。
 ともあれ、ピノラの人気のおかげで商品が売れれば、それはサンティカやヴェセットにとっても大きな収入源となる。
 キャドリーさんとの良好な関係のおかげで、俺は2つの街にも恩返しができそうだ。
 俺は生活の拠点はそのままに、頻繁にヴェセットを訪れるようになっていた。

 俺たちはまずピノラの武具を作ってくれたヴェセットの『ガリオン工房』に、予備のアダマント製武具の発注を済ませた。
 お礼も兼ねて初めて訪れた工房内には、闘技会グラディアで優勝したピノラの新聞記事とともに『彼女の武具は私たちの工房で作りました!』とでっかく描かれたポスターが貼られており、その商魂の逞しさに俺はピノラと一緒に笑ってしまった。
 しばらく眺めていたところに工房の関係者が寄って来たのだが、使用者本人であるピノラの姿に気付くと、工房で働いていた汗だくの筋肉たちが一斉に集まってきてしまった。
 聞けば、あの優勝から獣闘士グラディオビスタの武具のみならず、日用品の発注や王宮騎士団の武具まで発注が舞い込み、職人の皆さんは忙殺されそうな毎日を過ごしているとの事だ。
 そんな苦労話をしつつも、工房長は目尻に涙を浮かべながら俺やピノラに握手を求めてくれた。
 工房とは、これからも良好な関係を築けそうだ。

 そして、頻繁にヴェセットを訪れるようになった理由はもうひとつ。
 俺はシュトルさんと相談して、今後もシュトルさんの訓練所をピノラのトレーニングで使わせて貰える事となったのだ。
 ヴェセットの街の中央からシュトルさんの家まで続いている野道を私費で整備し、ヴェセットにある商業組合の施設で個人用の馬車まで手配できるようになったおかげで、山道の移動は今後さらに便利になるだろう。
 近々、ここは『兎獣人ラビリアン街道』と名前を付けられる事になるそうだ。
 

「おう、アレン! お嬢ちゃんも! 待ってたぜ!」

「シュトルさんっ! こんにちはーっ!」

「こんにちは、シュトルさん。今週も訓練所を貸して頂いても良いですか?」

「ああ、もちろんだとも。訓練所でが待ってるぜ。準備もバッチリのはずだ」



 そうそう、実はシュトルさんのところに一人、居候が増えることになった。
 その人物とは────────


「おっ、来たな。今ちょうど掃除が終わったところだぜ!」

「マナロさぁんっ! 久しぶりーっ!」


 前回の火蜥蜴サラマンダ闘技会グラディアにおいて、決勝で戦った狼獣人ワーウルフ族の娘、マナロだ。
 訓練所に落ちている枝葉を綺麗に拾っていたマナロは、俺とピノラの顔を見るなりにやりと笑って見せた。
 銀色に輝く美しい体毛は、闘技会グラディアの決勝戦で見た時よりも艶やかになっている。
 嬉しさいっぱいに飛びついたピノラと抱き合う姿は、何とも微笑ましい。


「やあ、マナロ。シュトルさんの元での生活には慣れたか?」

「ああ、おかげさまでな。プレシオーネに捨てられちまった時、あんたにここを紹介された時は戸惑ったが……今じゃ前よりも充実した毎日を過ごしてるよ。本当にあんたとシュトルには感謝しか無いな」


 彼女の言うように、前回の決勝戦で敗れた後……なんと対戦相手だったプレシオーネは決勝戦開始前に叫んでいた通り、あろうことか本当にマナロの協会登録を抹消してしまったのだ。
 これによりマナロは獣闘士グラディオビスタとしての資格を一方的に失い、何の後ろ盾もないまま放り出される事になった。
 初めてこの報を聞いた時、俺は耳を疑ってしまった。
 その理由も酷いもので、恐らく本当にただ決勝で敗れた事への腹いせで行なったのではないかと言われている有様だ。

 だが、多くの国民に支持される神聖な闘技会グラディアに於いて、そんな暴挙が許されるはずもない。
 プレシオーネの非行を問題視した闘技会グラディアの協会は、マナロの登録抹消のかわりにプレシオーネ自身の訓練士トレーナー認定も剥奪してしまったのだ。
 協会側のこの反撃には、さすがにプレシオーネも交渉人を立てるなどして抗議を行ったのだが、ご自慢の貴族家の名前が役に立つこともなく、結局のところロガンツァ家は闘技会グラディアの界隈から追放される憂き目に遭う事となる。
 更に影響はそれだけに留まらず、ロガンツァ家は本業である海運業でも冷遇を受ける羽目になり、世間からは『ざまあみろ』と後ろ指を指されるようにまでなってしまったらしい。
 跡取りであるプレシオーネの暴挙でとんでもない被害を被ってしまったのは気の毒に思う部分もあるが、決勝の舞台でマナロに対して恥ずかしげもなく虐待まがいの事を言っていたのを耳にした俺としては、当然の報いであると思う次第である。

 だが……悪意ある登録抹消を行なったプレシオーネが処分されようとも、マナロが行き場を失ってしまったことに変わりはない。
 そこで名乗りを上げたのが、他ならぬシュトルさんだったのだ。
 俺が事情を説明したところ、自らマナロの引き取り手として協会へ交渉に赴き、すぐに彼女の身元を引き受ける手続きを済ませてしまった。
 確かにシュトルさんのような元訓練士トレーナーならば、行き場のない獣人族の引き取り手として認められる事も多いにあり得るのだが……実は、その申し出によるサプライズが待っていた。
 なんと闘技会グラディアの協会は、今回のピノラの奇跡的な躍進に関してシュトルさんの助力があったことを認め、再びシュトルさんに闘技会グラディアの協会認定訓練士トレーナーとしての資格を与える事を認めてくれたのだった。

 最初は『嫌だ、今更面倒臭えよ』と文句を言っていたシュトルさんだったが、それを聞きつけたヴェセットの街の人たちが一斉に闘技会グラディアの協会本部に乗り込んで、シュトルさんの認定を取り付けてしまう騒ぎとなった。
 これにはさすがにシュトルさんも怒ったものの、ヴェセットの人々に復帰を懇願された事に悪い気はしなかったようだ。
 プレシオーネの登録剥奪により空席となった枠に、20年の時を経て『伝説の訓練士トレーナー』シュトル=アルマローネが闘技会グラディアの世界に返り咲く事となったため、サンティカの闘技会グラディアは大盛り上がりを見せている。

 そういった理由で、今の俺とピノラは名目上ではシュトルさんとマナロの訓練所を共同利用している事になっている。
 闘技会グラディアの規定では、何も他の協会認定訓練士トレーナー獣闘士グラディオビスタと共同訓練をしてはいけないという決まりはない。
 むしろピノラ1人では不可能な訓練も常時行えるので、俺たちにとってはメリットしかない。
 動きやすい服装に着替えたピノラとマナロは、このオール樹の生い茂る森の訓練所で一緒に準備体操を行っている。
 足の筋をしっかりと伸ばしながら、マナロは前回の決勝戦を振り返って呟いた。


狼獣人ワーウルフのあたしが、まさか兎獣人ラビリアンに負けるとはな……いや、リダやラーナに勝っちまう程の実力だ、あたしが全力でやったところで勝てっこ無かったんだろうけどさ」


 マナロは火蜥蜴サラマンダの決勝戦で見せていた威勢の良さが嘘のように、しおらしくなってしまっていた。
 銀色に輝く体毛に包まれた尻尾はぺたりと下がっており、試合中では機敏に動いていた彼女の耳もしょんぼりと寝てしまっている。
 その姿はまるで、親に叱られた子供のようにさえ見える。
 粗野な印象を抱いていたのだが……こうして肩を落として凹んでいる様を見ると、どこか可愛らしさを感じてしまう。


「マナロさんっ、ごめんね……決勝戦のとき、最後に思いっきり蹴っちゃって……!」

「いやいや、気にすんなよ、試合なんだから。それよりピノラ……あたしの方こそ済まなかった」

「ほぇ?」


 マナロは心底申し訳無さそうな表情でピノラの顔を覗く。
 どこか気恥ずかしそうに頬を掻きながら、ぼそぼそと口を開いた。


「いや、ほら、あの時は試合中で気が昂っていたとはいえ、お前には随分と威嚇しちまったからな……その…………」

「えへへっ、気にしてないよっ! むしろピノラ、嬉しかったんだからっ!」


 準備運動を終えてぴょんと飛び跳ねたピノラに、マナロは不思議そうに聞き返した。


「嬉しかった?」

「うんっ! だってマナロさん、試合中にピノラのこと、最後にちゃんと名前で呼んでくれたでしょっ! 『兎獣人ラビリアンじゃなくて、名前で呼んで』っていうピノラのお願いを、覚えていてくれたんだもんっ! えへへへ!」


 あどけない笑顔を向けたピノラに、マナロは呆気に取られたような顔をしていた。
 側でトレーニングの準備をしながら聞いていた俺も、静かに微笑む。
 ピノラは、そういう娘だ。
 例え熾烈を極める戦いの中でも、底抜けの明るさと優しさを持ち合わせている。
 その笑顔は、今の生活で彼女が幸せを感じてくれている証だろう。


「……やれやれ、これじゃあたしは当分の間、勝てっこ無さそうだな」


 やや呆れたように返すマナロだったが、その口元には笑みが溢れていた。
 二人とも立ち上がったのを見計らって、俺は声をかけた。


「よし、まずはコンディションチェックだ。ピノラ、マナロ、2人で向こうのオール樹までの間を駆け足で10往復!」

「はーいっ!!」

「おうっ!!」


 赤く色付き始めたオール樹の針葉が揺れる、ヴェセットの森の中────────
 2人の獣闘士ビスタは楽しそうに駆け出した。
 最高の訓練場と、頂点を経験した訓練士トレーナーが2人もいれば、ピノラは次の闘技会グラディアに向けて、より精度の高いトレーニングができるだろう。
 訓練士トレーナーとして、やるべきことは沢山ありそうだ。



 そうそう、闘技会グラディアと言えば……

 協会専属獣人医のアンセーラ先生は、相変わらず闘技場の治療室で熱々の珈琲を飲んでいる。
 街の中央診療所にいる獣人医の弟さんも評判は上々で、姉弟揃ってサンティカの獣人族たちの健康を日々支えてくれている。
 俺が支給された賞金の一部を設備拡充のために寄付したことで、診療所で働く従業員たちの激務はいくらか改善されたと聞いている。
 そして今季の闘技会グラディアが始まる前に、闘技場の治療室にいるアンセーラ先生に挨拶に伺ったのだが、相変わらず金色に輝く鋭い瞳は健在だった。
 たまには手伝いにでも来ても良いのよ、と冗談を言うアンセーラ先生に対し、『ピノラが強くなれば、今後は仕事も減るんじゃないですか』などと茶化してみたのだが……


「……その分、ピノラちゃんに蹴っ飛ばされた選手たちが次々に担ぎ込まれて来るんだから、こっちの身にもなってものを言いなさい」


 と、寒気を覚えるほどの眼力で睨まれてしまった。


「ま、私はこれからも、あなたたちがこのサンティカの闘技会グラディアで全力を出せるようサポートするために、治療室で待ってるわ。弟もアレン君の寄付のおかげで随分と助かったみたいだし、遠慮せずいつでも頼ってちょうだい。アレン君は、いつか私に焼き鳥と麦酒ビールを返しなさいよね」


 なんて言ってくれたのだが、それを聞いたピノラが『何のこと??』と首を傾げていた。
 何となく黙っておいたほうが良さそうな気もしたものの、俺はピノラに隠し事ができるような器用な性格ではない。
 豊穣祭の夜に奢ってもらった事を洗いざらい話すと、ピノラは分かりやすくむくれてしまったので、来年は是非ともピノラと一緒に祭の夜を楽しもうと思う。


 ◆ ◇ ◆ 


 ……とまぁ、そんな具合で……。
 前回の優勝からわずか3ヶ月もの間に様々な変化があった。
 そんな変わりゆく日常を、俺とピノラは共に楽しみながら過ごしている。
 だが、俺たちはそこで歩みを止める事は無かった。
 火蜥蜴サラマンダの月から、3ヶ月。
 月日は巡り、今は月光蝶ルーナの月、第3週。
 そう、また今日から新たな闘技会グラディアが始まるのだ。

 俺たちが次に掲げた目標は、月光蝶ルーナの月、そしてその3ヶ月後にある氷狼フェンリルの月の闘技会グラディアを制し、大会3連覇を飾ること。
 そしてサンティカにおける闘技会グラディアの王者として、年度末に行われる3第大会のひとつ『チャンピオンズ杯』への参加権を得ることだ。
 見据えるは、頂点。
 その為にはまず、今日の第1回戦を突破しなければならない。


「ピノラ、そろそろだ。準備はいいか?」


 俺は超重量であるはずのアダマント武具を装備しながらも、軽々と跳ねるピノラに対し問いかけた。
 この3ヶ月で、ピノラは更に力を増した。
 引き締まった大腿はしなやかな筋肉に覆われ、栄養管理の向上でスタミナもついた。
 大人びた印象さえ抱くピノラだが、その宝石のような赤い瞳は、変わらぬあどけなさで俺を見つめてくる。


「うーん……トレーナぁ…………」

「んっ? 何だ、ピノラ? 何か気になる事があるのか?」


 元気いっぱいの返事が返ってくるものだと思っていた俺だったが、予想外に静かな返答が耳に入り、思わず聞き返す。
 ピノラはくるりと向き直ると、笑みを浮かべながら俺の目の前にやってきた。


「いつもの、やって欲しいなっ!」


 そう言いながら顔を近づけてくるピノラは、どこか甘えたような表情をしている。
 少しだけ伸びた髪が揺れるたびに、花のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「あ、あぁ、そういう事か…………しかし、もうすぐ入場の鐘が鳴ると思うし……」

「じゃあ、早く早くっ! 抱っこ! してよーっ!!」

「わ、解った解った。じゃあこっちにおいで」


 まるで子供のように小さく跳ねるピノラに手招きをすると、嬉しそうな笑顔を浮かべて腕の中に飛び込んできた。
 火蜥蜴サラマンダの月よりも若干肌寒くなったため厚手のシャツを着てきたのだが、またもやピノラは器用にボタンの隙間に鼻先を滑り込ませてきた。
 白くふわふわの毛が生えた耳をぴこぴこと動かしながら、俺の肌の匂いを嗅いでいる。


「えへへぇ……んふふぅ……」

「今日も全力で、でも怪我をしないようにな」


 抱きしめたまま白い髪を撫でてやると、ピノラはくすぐったそうに顔を擦り付けてくる。
 しばらくして満足したのか、抱き合ったまま胸の中で顔を上げ、俺の目を覗き込んできた。


「えへへへ……ねぇトレーナーっ」

「ん? ピノラ、何だ?」

「もし、また今回の闘技会グラディアでも優勝できたら……また、いーっぱい抱っこしてくれる!?」

「あ、ああ」

「そ、それと……キ、キスも、いっぱい、して欲しいなっ……!」

「……いいとも。で、でもそういう事は皆の前で言っちゃダメだぞ? 前回みたいに…………」

「えへへへっ! わかってるよーっ!!」


 嗜めながらも、俺は潤いに満ちたピノラの唇を見て密かに心臓を跳ねさせる。
 優勝直後に行われた3万人超の観衆前での口づけは、サンティカ全土に知れ渡ってしまった。
 翌日の新聞では、決勝前セレモニーで喋った内容はわずか2行で終わっていたのに、闘技場中央でピノラとキスをした記事は顔を覆いたくなるくらい長々と書かれてしまっていた有様である。
 もはや俺とピノラが、訓練士トレーナー獣闘士グラディオビスタという枠を超えて相思相愛であることは周知の事実となってしまったのだが、一応は節度をもって過ごしているつもりだ。


「よし、解った。じゃあ『約束』だ」

「うんっ! 約束だよっ!!」


 満面の笑みを浮かべたピノラのうしろから、入場開始を知らせる鐘の音が鳴る。
 俺たちは、同時に歩み出す。
 互いの顔を見たまま頷きあった俺とピノラは、控室の大きな扉を開け放ち、闘技場へと続く階段を上るのだった。

 より高い場所を目指して。


 - fin -
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