ハッピーエンドはカーテンコールのあとで

おく

文字の大きさ
37 / 41

#31 〇〇になる前の彼について

しおりを挟む




「うえーん、こわいよぉ」
「誰か助けて……!」
 泣き続ける我が子を疲れたように柱や壁によりかかって抱く母親の姿が敷地内のあちこちにあった。アバルが連れ去られ、まもなくのことだ。斎宮の門の外に数百もの吸血鬼の群れが押し寄せたのである。それらがいっせいにドン、ドンと門を叩き続けるので、子どものみならず大人までもが泣きだす始末だった。
「大丈夫。阿国様の護りが破られることはありませんよ」
 天皇に仕える斎女たちが声をかけて回る。ときには震える女たちの肩を抱き、ときにはやさしく子どもたちをあやすのへ、須王は我知らずアバルの姿を重ねていることに気づいた。ふるふるとかぶりを振って払う。

(早くアバルをとりかえして皆のところに帰らないと)

 須王は北辰寺に残っているきょうだいたちのことを考える。
 斎宮へ戻ってきたのはもとの約束のこともあるが出雲阿国の子孫である天皇と斎宮に滞在しているであろうジーランディアの術師に協力を求められるのではないかと考えたからだった。アザゼルにしてみれば不愉快きわまりないこととは思うが、そのアザゼルが今頼りにならないのだからしかたがない。
 須王は自身の両手を広げて見た。小さい手だなと思う。「子ども」の手だ。

「勘違いすンじゃねえぞ」

 須王を抱えて走りながらヴァラクが言った。
「アザゼルの旦那はよォ、俺っちが倒すって決めてンだ。だからァ、こんなつまんねエとこでつまんねえガキのためにクソみてーな死に方してほしくねンだよねェ」
 それゆえに彼は怒り狂った須王とアバルをさらった男との間に文字通り体をねじこんで止めに入ったらしい。ありがとう、と須王はつぶやく。

「だからァ」
「助けたのはアザゼルの方で器の方じゃないとしても、今表に出てるのはオレの方なんだから、オレがお礼言うのは当たり前だろ」
「……チッ」

 斎宮の建物は全体的に朱と白で統一されていて、意図的に排除されているのだろう、華美な装飾類はほとんどみあたらない造りになっている。避難してきた人々が敷地内のあちこちにいて人口密度は確実に上がっているのに、空気がひどく静かに感じるのも不思議だ。
 天皇はその空気の中心、祭殿で須王たちを待っていた。祭殿の奥は「奥の院」と呼ばれ、天皇と一部の人間しか立ち入りを許されない禁域として扱われている。
 控えの間で待つ間、須王はヴァラクにたずねてみる。

「ヴァラクは斎宮が嫌じゃないの? アザゼルはすごく嫌みたいだけど」
「旦那が嫌なら俺っちだって嫌に決まってんだろクソが。今更すぎなんですけどォ」

 言いながら、ヴァラクが無造作に練り菓子を口へ放り込む。見る者が見れば食べるのが惜しいくらいに職人がその技巧の限りを尽くした芸術品なのだが、「うめえな、これ」という雑な感想で終わってしまった。須王は職人に同情した。
「あら、須王ちゃん」
 放っておくとこっちの皿に手を伸ばしてきそうだ。須王がさりげなく自分の皿をヴァラクから遠ざけていると部屋の戸が開いて祐善が現れた。

「一人できたの? アバルちゃんは?」
「一人じゃないよ。このお兄さんが一緒」
「ああ、侍所の一郎太くんの従兄弟の三郎太くんでしょ。このまえアバルちゃんとうちにきてくれたのよね」
「……“三郎太”?」

 『一郎太』の美貌にうっとりとしている祐善に聞こえないように、須王はヴァラクに問う。茶のおかわりを求められ、須王は控えの前の外で待機していた斎女に伝えた。
「このへんじゃ『侍所の一郎太』は顔が知られすぎてるってェ、アバルちゃんが」
 急須をもって現れた斎女に「これ、うまいな」とヴァラクが菓子の載っていた皿を指さす。するとどこか浮世離れした雰囲気のあった斎女が見る見るうちにその顔を赤くし、直接ねだられたわけでもないのに、あわてふためきながらヴァラクにおかわりを提供した。

「わかるわあ、こんな美形に子どもみたいな笑顔見せられちゃったらなんだってさしだしたくなっちゃうわよねー」

 とは、祐善のコメントである。
 祐善と須王とヴァラク、それから劇場街から数名のパフォーマーが代表として天皇の前に呼ばれた。須王は報告としてアバルがさらわれたことを一同に告げ、『歌によってアスモデウスを弱体化させる』という彼の案を伝えたのだが、天皇の答えは否だった。
「理由はいくつかありますが、劇場街の壊滅的被害が挙げられます。歌い手を狙われたことは大きな痛手です」
 次に、と天皇が続ける。

「それを用いるべき時期。『歌』をもって対抗する段階はすでに過ぎてしまった」
「どうしてもっと早くできなかったの? 話を聞く限り斎宮は事態に対する手段も知識もあったようだけど」
 祐善の問いは当然だった。それまですらすらと答えていた天皇がここで初めて言葉に詰まる。やがて意を決するように大きく息を吸う音が聞こえた。
「不思議に思ったことはありませんか? 出雲阿国の子孫であり祭祀を管理する天皇家がありながら、なぜ阿国祭りにおいて『阿国』を一般公募するのか。なぜ出雲阿国の子孫であるはずの天皇がつとめないのか」
「天皇!」

 四隅で控えていた斎女たちが悲鳴のように叫ぶが天皇はかまわない。するすると、こちらと高御座をさえぎっていた御簾が上がっていく。
「!」
「おいおい、どういうこった」
 結果としてヴァラクが一同を代表する形となったのは現れた天皇の姿のせいだ。いけないと思いながらも須王はぶしつけな己の眼を制御することができない。

 当代天皇は声から受ける印象の通り、まだ年若い、女と見まがうような線の細い青年だった。はかなげだが芯の強そうな微笑を浮かべる白皙に黒く長い髪、裾の長くとられた白い装束をまとっている。「出雲阿国」の子孫を名乗るのならば女性であろうと漠然と思っていたがそういうルールではないらしい。本人の曰くには頬に見える鱗のようなものは化粧ではなくそのものなのだそうだ。

「どういうことだ? ヤマトタケルが倒したオロチって、まさか天皇家のことだったのか?」

 水穂国の民であれば誰でも抱いた疑問だろう。なぜなら座している天皇の着物の裾から伸びているのはヒトのそれではなくオロチの鱗におおわれた「尾」だったからだ。なるほど「天候を自由に操るほどの神通力」などといったもっともらしい理由をつけてその存在を秘するしかないわけである。
 天皇がしずかに首を横に振った。

「ご存じない方のために申し上げますが、ヤマトタケルとヤマタノオロチは同じものでございます。そして我らは――」
「ようするに天皇家と出雲阿国は他人だったってことでしょ! でもそんなことはこのさいどうでもいいのよ! そんなことを聞きにきたんじゃないわ!」

 楽一の座員が悲鳴のように叫んだ。
「私たちは希望を見出すためにここにきた! 結局誰を頼りにすればいいのよ!」
「! そうね、そうだったわ!」
 祐善が仕切りなおすように手を打つ。
「無事にこの場をきりぬけたらぜひこのネタで演りましょう! ウケること間違いなしよ!」
「何言ってるんすか、こんなときに! みんなで聞いたんだから楽一さんだけに独占はさせませんよ!」
「うるさいわねえ、演ったモン勝ちに決まってるでしょ! 脚本はここにもうできてるんだから! あー、演出はどうしようかしら」
 得意そうに胸を張って祐善が自分の頭を指さした。以降喧々諤々と議題は演出のアイディアや配役へ移り、最終的には共同でという妥協点に落ち着いた。ネタ元である天皇サイドを完全に忘れ去っている。

 たくましいですねえ、とは顕典の感想だ。須王が知る限り彼の家は『パライソ』の件で疑いをもたれ、自由に身動きできない状況にあったはずだが、斎宮経由で解放されたということらしい。アバルが知ったら喜ぶだろうな、と須王は思った。
「結局ふりだしに戻るのよね。『誰に助けを求めればいいのか』って」
顕典のコメントが聞こえたわけではあるまいが、楽一の座員が脱線しまくった話題を戻すように咳ばらいをする。

「将軍家は? ヤマトタケルの子孫なんだろ」
「公方様はまだ子どもでしょ。子どもにあの化け物をどうにかしろっていうの?」
「いやいや、斎宮が実は阿国と無関係でしたってなら将軍家だってあやしいもんだぜ」

 財前屋の情報によると、曰く、将軍家の神宝ヤマタノオロチの魂がアスモデウスにわたった可能性があるようだ。それが事実ならばいよいよアスモデウスを止められる者はいないということだ。最悪のタッグだな、と須王は頭痛を覚える。
 だが、成果としては大きい。少なくとも知らないで挑むのと心得たうえで挑むのとはまるで条件が異なる。

(まだ子どもでしょ、か)

 我知らず須王は笑った。さっきまでの活気はどうしたのか、祐善たちはいよいよ意気を失ってため息をついている。
(そういえば将軍様が本当のきょうだいかも、なんて思ったこともあったっけ)
 自嘲のように聞こえたのだろうか。顕典がどうかしたのか、と須王を案じるように声をかけてきた。須王は素直に返す。

「オレってやっぱ子どもなんだなって思って」
「……」
「わかりきったことを何言ってんだって思うよな。オレもそう思うよ。そんなふうに思ったのだって別に今が初めてってわけじゃない。何度も何度も感じてきたことだ」

 くやしかった。そのたびに早く大人になりたいと思って「子ども」扱いを受けるたびに反発をした。
 だけど、現実はどうだ。
 何よりも大切なアバルをさらわれて、だけど後を追うこともできなかった。アザゼルの力を頼りにできなかったから? 違う。ヴァラクに止められたから? 違う。斎宮にいけばジーランディアの術師の協力を得られるかもしれないから? 違う。

(相手にされなくて、当たり前だ)
 
 須王は斎宮に入って見た、こわいこわいと泣いて母親に抱き着いていた小さな子どもを思い出しながら両手を伸ばした。ぎゅっと抱き着くと顕典は戸惑いながらも須王のしたいようにさせてくれる。ヴァラクに運ばれてここにやってきたときも須王は同じことをした。まるで迷子の子どもがようやく親を見つけたみたいにわき目もふらず一目散に走って、彼の袍にしがみついた。顕典はひどく驚いて、それからやさしく須王の背中を撫でてくれた。

 顕典にとって須王が「子ども」だから。
 子どもだから甘えさせてくれる。子どもだから顕典は、自分を一方的に敵視する須王を笑って許した。まるで小さな弟にするみたいに。最初から須王なんか顕典の眼中にもなかったのだ。そしてそんなことにすら須王は気づかずに顕典に甘やかされていた。須王は深く自分を恥じた。

「顕典、オレ、北辰寺に戻る」

 顕典にだけ聞こえる声で須王は言った。
「トウコたちもきっと心細い思いをしてる。アバルと一緒に帰ってやれたらよかったけど……」
「……そうですね。それがいいでしょう。しかし、こんな状況です。須王くん一人では」
「大丈夫だ。顕典は知らないと思うけど、オレ、今見廻り組やってるんだぜ! もちろん顕典が一緒だったら、オレがそうだったみたいにみんなももっと安心できると思うけど、顕典にまで何かあったら、オレも悲しい」
「須王くん」
「顕典が無事でよかった」

 じゃあな、と続けようとしたときだった。
「失礼!」
 にわかに扉の向こうがざわついたかと思うと、報せがもたらされた。曰く、ヤマタノオロチのような怪物が発生して六波羅の方角へ飛び立ったという。
「クソガキ!」
「須王ちゃん! ダメ!」
 ヴァラクが気づき、祐善が悲鳴のように叫んだときには遅い。須王はすでに出口に向かって一目散に駆けていく。

(“神様”)

 神様はいると思うかといつかアバルにたずねたことを須王は思い出していた。「神」。そんなものはいないと今の須王は知っている。いるのは世界を創った主であり、主とはただ己の創造を続けるだけの存在。人間のように特定の誰かの助力をすることはない。
(こわい)
 吸血鬼が須王の姿を見つけるや襲ってくる。須王は太刀の柄を握った。そうでもしないと足が止まってしまいそうだった。とにかく走って走って、まもなく目指す「家」、家族のいる家が見えてくる。
(なんだ、あれ!?)
 須王は自分の目を疑った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。

きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。 自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。 食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

【完結済】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜

キノア9g
BL
「貴族の僕が異世界で出会ったのは、愛が重すぎる“森の主”でした。」 平凡なサラリーマンだった蓮は、気づけばひ弱で美しい貴族の青年として異世界に転生していた。しかし、待ち受けていたのは窮屈な貴族社会と、政略結婚という重すぎる現実。 そんな日常から逃げ出すように迷い込んだ「禁忌の森」で、蓮が出会ったのは──全てが虚ろで無感情な“森の主”ゼルフィードだった。 彼の周囲は生命を吸い尽くし、あらゆるものを枯らすという。だけど、蓮だけはなぜかゼルフィードの影響を受けない、唯一の存在。 「お前だけが、俺の世界に色をくれた」 蓮の存在が、ゼルフィードにとってかけがえのない「特異点」だと気づいた瞬間、無感情だった主の瞳に、激しいまでの独占欲と溺愛が宿る。 甘く、そしてどこまでも深い溺愛に包まれる、異世界ファンタジー

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

ヤンデレ王子と哀れなおっさん辺境伯 恋も人生も二度目なら

音無野ウサギ
BL
ある日おっさん辺境伯ゲオハルトは美貌の第三王子リヒトにぺろりと食べられてしまいました。 しかも貴族たちに濡れ場を聞かれてしまい…… ところが権力者による性的搾取かと思われた出来事には実はもう少し深いわけが…… だって第三王子には前世の記憶があったから! といった感じの話です。おっさんがグチョグチョにされていても許してくださる方どうぞ。 濡れ場回にはタイトルに※をいれています おっさん企画を知ってから自分なりのおっさん受けってどんな形かなって考えていて生まれた話です。 この作品はムーンライトノベルズでも公開しています。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

冷血宰相の秘密は、ただひとりの少年だけが知っている

春夜夢
BL
「――誰にも言うな。これは、お前だけが知っていればいい」 王国最年少で宰相に就任した男、ゼフィルス=ル=レイグラン。 冷血無慈悲、感情を持たない政の化け物として恐れられる彼は、 なぜか、貧民街の少年リクを城へと引き取る。 誰に対しても一切の温情を見せないその男が、 唯一リクにだけは、優しく微笑む―― その裏に隠された、王政を揺るがす“とある秘密”とは。 孤児の少年が踏み入れたのは、 権謀術数渦巻く宰相の世界と、 その胸に秘められた「決して触れてはならない過去」。 これは、孤独なふたりが出会い、 やがて世界を変えていく、 静かで、甘くて、痛いほど愛しい恋の物語。

令嬢に転生したと思ったけどちょっと違った

しそみょうが
BL
前世男子大学生だったが今世では公爵令嬢に転生したアシュリー8歳は、王城の廊下で4歳年下の第2王子イーライに一目惚れされて婚約者になる。なんやかんやで両想いだった2人だが、イーライの留学中にアシュリーに成長期が訪れ立派な青年に成長してしまう。アシュリーが転生したのは女性ではなくカントボーイだったのだ。泣く泣く婚約者を辞するアシュリーは名前を変えて王城の近衛騎士となる。婚約者にフラれて隣国でグレたと噂の殿下が5年ぶりに帰国してーー? という、婚約者大好き年下王子☓元令嬢のカントボーイ騎士のお話です。前半3話目までは子ども時代で、成長した後半にR18がちょこっとあります♡  短編コメディです

処理中です...