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アイドルだった頃

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仕事が終わり、今日もまた事務所の練習室で1人で練習をしていた。
けれど、いつものように練習する気力が何だか湧かなくて。どこか上の空というか、心ここに非ずというべきか。
俺は一息休憩を入れる頃に床に寝転がって天井を見つめていた。



そろそろ事務所の契約更新の時期に差し掛かる。
あまり考えないようにしていた問題に真剣に向き合わなければならない時がいよいよ来たのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていると。



「莉音?何してんのー?」


上から俺を覗き込む幼馴染みがそこに居た。スマホのカメラを構えながら、胸やけしそうな程の甘ったるい笑顔を浮かべて。



「伊月……」
「莉音がダラダラしてるの珍しいじゃん」
「俺だってそういう日はある」
「あれ、ひょっとして元気ない?」


さすがというべきなのか。表に出したつもりはないのにどうしてわかるのだろうか。
長年の付き合いだからか、伊月は俺の変化をいつも直ぐに察する。



「これは酒が必要なやつ?」
「飲みたいけど……飲みたい気分じゃない」
「これは相当だねぇ」
「お前は?仕事帰り?」
「事務所に呼ばれて帰ろうとしてたところ」


伊月の昔から変わらない態度にホッとする自分が居た。肩の力が抜けてようやく息が吐けたような、そんな心地。


伊月は寝転がっている俺の頭の隣近くに腰を下ろした。
整いすぎてる程に整った顔の伊月は俺に向けてふわりと甘く微笑み、俺はそれを下から見上げた。


幼馴染みであり、同期。デビューまでお互いに切磋琢磨し合い、グループは違ったけれど同じ事務所の仕事仲間であり、親友。
俺はそんな伊月だからこそ、伊月だけには色々と相談をしてきた。
最初は察知能力がずば抜けている伊月に口を割らせられたとも言うけれど。一度話してしまえば事情を把握している唯一の人間でもある為、俺はそこからは伊月だけにグループでの悩みを打ち明けるようになっていた。と言っても大体酒の飲み過ぎで何を話したか記憶が飛んでることの方が多いのだが。
伊月はいつも嫌な顔をせずにどんな話でも聞いてくれる。イケメンな上に聞き上手な男だった。




「伊月はさ、グループ解散して後悔してる?」


伊月が在籍していたグループは他のメンバー2人がそれぞれ不祥事を起こした。最初は不祥事を起こしたメンバーだけ脱退という話だったのが、被害者もいる事件だったので、責任は重いとして不祥事メンバーを脱退させた後、そのまま解散という形になってしまった。



「後悔って言っても俺にはどうしようもなかったしねぇ……」
「……それもそうか」
「でも解散してからソロの仕事で上手く行くようになったし、俺的にはいい流れでラッキーの方が強かったかな」
「そっか、お前いつの間にか芸人枠だもんな」
「一応肩書きはまだアイドルなんですけど?」


肩を竦めて冗談っぽく言う伊月に俺は少し笑ってしまった。



「だからさ、莉音?別に悪いことばっかりじゃないと思うよ?」


伊月は寝転んだままの俺の前髪を手櫛で整えながら、俺を励ますように穏やかに笑ってそう言った。
伊月の優しさがありがたかった。
全てを察しているのに、そこに触れない優しさが。


そんなことを訊いている時点で答えがどこに傾いてるかなんてわかりきっていた。だけど。
それでも俺はまだどこかで諦めたくない自分が居て、迷って決め兼ねているのも確かだった。




俺は本当に全部やりきったと言えるだろうか。
自分の感情に左右されすぎていなかっただろうか。
応援してくれるファンの為にやれることすべてをやってきたか。
まだ、やっていないことがあるんじゃないだろうか。
過去の自分の行いを振り返ってそう思った。





明くる日。
事務所の会議室でメンバー全員が集合して、社長と役員の人たちから生放送での失態について厳しいお叱りを受けた。
無理もない。役員の中には番組プロデューサーやディレクターと懇意にしている人も居る。反省も謝罪もしないなんてその人たちの顔を潰したも同然の行為で、御怒りも尤もなことだった。


なのに、メンバーは何故怒られなければいけないのかとでも言いたげな不満そうな表情を隠しもしなければ、自分は関係ありませんとばかりに目を逸らしたりと真剣に話を聞く姿勢では無かった。
これには温厚と知られるさすがの社長も頭を抱えながら「付け上がらせすぎたか」とドスの利いた声で、厳しい非難を込めたお言葉を冷やかに放った。
急激に下がった温度にその場はシン…と静まり返る。


社長の怒り具合をようやく理解したのか、メンバーたちは真っ青な顔でカタカタと震えながら姿勢を正した。あの森本さえも怯え切っている。
ここまでされないと反省して自覚しないことが嘆かわしい。
俺はやけに冷めた目でその様子を見ていた。



「お前たちは遊びでやっているのか」
「いえ、違います…… 」

リーダーの伊佐山が小さい声でそう答えた。


「プロならミスを活かすにしても、ミスしたこと自体は反省するべきだと思うが」
「仰る通りです……」

いつも口調が荒い柚葉が俯きながら声をか細く震わせる。小さな狂犬もさすがに飼い主である社長には噛み付かないらしい。実に大人しいものだった。
社長の冷え切った視線が俺たちを一巡する。



「あの番組はお前らのファンで固められたライブじゃない。ミスすら喜ぶ?驕りが過ぎるな。お前たちは一体何様なんだ」


その迫力は普段の社長とかけ離れたもので、身の毛がよだつような凄まじい恐怖が全身を震わせる。
最早それは静かな恫喝だった。
ただ聞いてるだけの役員の人ですら冷や汗が滲んでいる。


メンバーたちは社長と目を合わすことができずに俯いて、ひたすらにブルブルと身を震わせていた。
空気がとても重い。
社長は怒りを抑えるように大きく溜息を吐いた。



「……こんな調子なら10周年を迎える前に解散した方が事務所の為にもいいし、ファンの為でもあるな」
「待ってください!俺たちは水面下できちんと準備を──」
「準備?アイドルとして当たり前のこともできていないのに何を準備してるんだ?」
「それは……」
「いいか。個人の仕事に熱を入れるのは結構だが、グループとしての仕事を蔑ろにしていいわけではない。寧ろグループあってこその個人の仕事なのだから、そこを履き違えるな」
「……申し訳ございません」


果敢に立ち向かおうとした殿岡は見事なまでに論破されて言い負ける。
普段の行動からよく言い返そうなどと思ったな、と俺は内心呆れた。
殿岡は屈辱に耐えるように唇を噛み締めていた。



「今回は私たちが謝罪に出向くが、後日お前たちもしっかりと頭を下げて謝罪しろよ」


各々が頷いて了承の返事をする。
区切りのいいところで役員の1人の「時間です」を合図に社長たちは出て行った。



緊張して張り詰めた空気がメンバーたちの脱力と共に霧散する。
だが全員どこか納得できていないような、そんな表情だった。
橘は「クソッ……!」と机を叩き、須美からはデカい舌打ちが聞こえた。
苛立っているのが見なくとも音と空気だけでわかる。


全員がピリピリした態度で沈んだ空気の中、俺は意を決して口を開いた。



「なあ、グループとして今後どうしていくのか一度きちんと話し合おう」


この場はいい機会でもあった。
社長からのお言葉は俺が日頃言い続けてきたことでもある。社長に言われたことにより、昨日までより少しは前向きに考えてくれるだろうと思った。
鉄は熱いうちに打て、とも言う。
後日に提案しようと考えていたことを俺は勇気を出して切り出した。


振り返ってみるとこういう話をしようとしたことがなかった。口に出すことはなんとなく憚られたからだ。
俺から提案すれば言い掛かりをつけているように受け取られそうな気がして、今まで怖くて言い出せずにいた。


それぞれに得手不得手があり、その中で本人の模索してきたやり方がある。
それは紛れもない本人の努力の賜物であり、結果だ。
個人の仕事に対して口を出すのは、それを潰すような、禍根を残す行為だと思っていた。例え感想だとしても。良く受け取ってもらえないことはわかりきっていた。
だから余計に、ソロの仕事に関して触れることはとてもじゃないができなかったのでしたことがなかった。


そんな風に遠慮していく内に、いつの間にかグループのことに関してもあまり口にすることがなくなっていたことにこの前やっと気付いた。
そうやって話を避けてきたことでみんなとの距離も離れてしまったのなら。
まだ修正ができるんじゃないか。
個人の仕事はあれどグループなのだ。
節目を迎えるからそれまで安泰だとしても、話し合うことは悪いことじゃない。そう思った。



「は?何言ってんの?」


橘が何言ってんだコイツと言いたげに顔を歪めた。


「10周年もあるのに必要なくね?」
「それで余裕かましてミスしまくって怒られたんじゃないか。グループの仕事を疎かにするなって言われたばっかだろ」


必要ないと判断する伊佐山にそう問い掛けると、横で柚葉がハッと鼻で笑った。



「周年とレゾブンの名前売る為に今年はそれぞれソロの仕事やってんだろ。それで充分じゃん。バカなの?」
「社長だってグループあってこそって言ってたじゃないか。別に話し合うことは悪いことじゃないだろ?」


いつも事務所からの「こういう方向で行くから」という指示に従ってきた。それに異論がある場合、そのことについて話し合ったこともあったが、結局それは事務所側との話し合い。メンバーで話したことはなかった。


だから10周年を迎えた後はどういう方向性でみんなは動きたいのか、グループとして何がしたいか、とことん話し合って意見を摺り合わせるのも悪くないと俺は思ったのだ。



「くだらねーことに時間使わせんなよ。だる……」
「せっかくの休みが台無し~」
「こっちはアンタと違ってヒマじゃねぇんスけど」


殿岡が舌打ちをして俺を睨み、橘が爪を弄りながらぼやく。須美はこちらに目をくれることなく、スマホから目を離さないまま毒づいた。



「つーか今後を考えるならお前もっと仕事しろよ。お前が1番考えてねぇだろうが」
「それな」

柚葉に橘が同意し、おかしそうにケラケラ笑っていた。



「俺らだっていつまでもアイドルじゃいられないんだ。できる時に名前と顔覚えてもらおうとみんな必死にやってる。やってもいないお前が口を出すことじゃないだろ」


伊佐山は酷く冷たい声で俺を睨みながらそう言った。
やはり全員まともに取り合う気がなさそうで、一筋縄ではいかない。予想はしていた。



「でもそれはグループじゃなくて、どっちかといえば先を見据えた個人の仕事の一環だろ?俺はグループとしての話し合いを──」
「いい加減にしろよ!お前の為に割く時間なんてねぇんだよ!学級会がやりたきゃ一人でやってろ!」


バンッ!と机を叩き、そう吐き捨てて出ていった柚葉を皮切りに、メンバーたちが会議室を退出していく。
俺以外、この場に残ろうとする者は誰も居ない。
最後に乱暴に閉められたドアはまるで俺とメンバーの前に聳え立つ分厚い壁みたいだった。




「話し合いのテーブルにすら着いてもらえないのか……」



痛切な呟きは誰に聞かれることもなく消えていく。
全員が出て行くのを見ながら、襲ってくる失望感に似た虚しさに俺は唇を噛んだ。


こうなることなんてわかっていた。今までがそうだったのだ。急に協力的になってくれる方がおかしな話だ。
そう、頭では理解しているのに。
膝の上に乗せて握り締めていた拳の震えが止まらない。



──限界だった。
見ている方向性が違うとかそんな次元じゃない。
そもそも熱量自体に差がありすぎる。いつからこんなに違ったんだろう。ひたすら上だけを見る俺と、維持にしか目が向かない俺以外。
俺だけが、違った。


みんな同じ目標をもってやってきたはずなのに、いつの間にか全員違う方向を見るようになった。いや、俺だけみんなと同じ方向を見ることがなくなってしまった。
それがどうしようもなく悲しい。
ファンを大切にしたくて、ファンが好きでいてくれる自分でありたかったし、そんなグループでいたかった。
ファンの期待に応えてもっと上へ行けたらと思っていた。
だけど理想は所詮理想に過ぎなくて。
俺がやりたいこととメンバーのやりたいことは何から何まで明らかに違っていた。


俺らも現実が見える年頃だ。これ以上伸びることはないと自分たちの限界が見えていた。
それに対してみんなはただ、生き残れるようにシフトを変えたにすぎない。俺が求めすぎていたのだろう。



だけど、それでも。何もグループのことを蔑ろにしなくてもいいではないか。そう思ってしまうのは俺の人間性の問題なんだろうか。
アイツらは社長のお叱りがあっても意識が変わらない。
そこで肩を落としながら俺はようやく気付く。
蔑ろにされているのはグループじゃなくて俺なんだ、と。
俺の意見だから頭から否定し、聞く気がないのではないか。そう思い至ると妙に腑に落ちた。


なるほど。それならば俺はアイツらにとって本当に文字通りの邪魔者でしかないのだろう。
そんな奴がよりによって口うるさく小言をグダグダと言うなんて、煩わしい以外の何ものでもない。そりゃ何も伝わらないわけだ。 
嫌いな奴の言うことなんて素直に聞けないに決まってる。
なんて単純な話なのだろう。
乾いた笑いが思わず漏れた。



メンバーたちに嫌われ、自分一人が目標に向かって頑張ったところでチームのやる気を削いでいるなら意味がない。
俺のやってきたことは無駄どころか、メンバーを不愉快にさせて迷惑しか掛けていなかった。
自分を全否定されている事実に、今まで何とか保っていた心も粉々に潰れ、とても立ち直れそうにない。
俺は片手で顔を覆いながらギュッと目を瞑り、眉間に力を入れた。こうでもしないと泣いてしまいそうだった。



「もうダメだな……」



きっと、ここが引き際なのだ。
自分が消えて上手く回るのなら、自分はもう潮時なのだろう。


嫌われてしまったが、一時でも同じ夢を見たチームで、今までの年月、やはり色々と思い入れがある。
楽しい思い出も、嬉しさに泣いた思い出も、誇らしい思い出だってたくさんあった。
応援してくれるファンの期待に応える為に努力を惜しまずにしてきたつもりだ。俺がやってきたこと全てが無駄だったわけじゃない。ファンがそれを証明してくれているからこそ、それだけは自信をもって言える。


そもそも俺はただ、ステージの上で楽しく踊り続けたかっただけだ。
アイドルとしてやっていこうと思ったのはそんな単純な理由が始まりだった。


俺のスタートはそんな些細な理由からだったけれど、ファンのみんなのお陰でレゾブンはここまで来れた。
レゾブンを信じてついてきてくれたファンを解散という最悪の形で悲しませたくない。
俺は何よりもそのことだけを案じていた。



自分の見ていた夢か、たくさんのファンが応援しているグループの存続。



どちらを取るかなんて明白だ。
既に俺の中で答えは出ていた。







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