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アイドルだった頃
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しおりを挟む9年目を迎えたレゾブンは10年目を盛大にやろうと企画していた。
記念すべき10周年を迎える新年1月。アルバム発売を皮切りに全国ツアー、野外フェス初参戦、ベストアルバム、MV集の発売、そしてグループの結成日に初めての武道館での大型単独ライブが決まっている。
そこまで終えたら、そのまま毎年恒例の年末に向けてのスケジュールでその年を締め括るという、新年の始まりから年の瀬まで今までにないほど全速全力で駆け抜けていく1年を予定していた。
野外フェスに出演という10年目にして初の試みがあったり、合間合間に新曲のリリース予定も控えており、レコーディングや振付けなどを含めた制作期間、歌番組や民放での番宣を考慮すると、全てに於いて殺人的なスケジュールが予想されている。
なので今年はグループとしては年間シングル2曲と緩やかに、水面下では10周年に向けてアルバム制作など色々と準備をしていく方針だった。
そしてそんな今年は契約更新の年でもある。
10年目を目前にスケジュールが安定して決まっていれば、契約更新は流れ作業のように恙無く行われると誰もが思っているだろう。
俺は、覚悟を決めた。
「契約の更新はやめます。グループから抜け、事務所も辞めます」
社長室で社長にそう告げると、社長は驚いたよう目を剥いた。
緊迫した空気に変わって、俺は身構える。
社長は銀色の縁無し眼鏡を右手で押し上げてかけ直し、真剣な眼差しで俺に問い掛けた。
「10周年が控えているんだぞ?」
「承知の上です」
「考え直さないか?せめて10周年が終わってからとか、」
「いえ、このままズルズルいってもいいことはありませんし、今抜ければ10周年を迎える時には6人が定着してると思います」
「莉音……」
困ったような表情を浮かべる社長に俺は姿勢を正して頭を下げる。
「社長にはお世話になったので、こんな恩を仇で返す様な真似をして申し訳ないと思っています」
「なら、」
「社長もグループの不仲をご存知のはずです。10周年を迎えたいなら俺を切るべきです」
「お前は本気なんだな……?」
「はい。決めました」
「……わかった。ただし、認めるのはグループの脱退だけだ。申し訳ないと思うならまた1からやり直せ」
「え……いや、でも……」
「莉音。お前には期待している。別に今のグループが全てじゃない。しばらく時間をやるから考えてみなさい」
社長はそう言って目元を緩くして笑う。
期待に応えられなかったのに、咎めるどころか労ってもらえるなんて思ってもみなかった。
こんな俺に次を見込んで目を掛けてくれるのはありがたくて、俺は申し訳無さでいっぱいになる。
辞める決断をするまで、俺にとってはレゾブンが全てだった。あんな状態になってしまったが、デビューしてから今まで自分の人生全てを賭けてきたのだ。
そんな全てを失くした俺はこれからというものを考えられるのだろうか。それも、再び芸能界で。
社長はレゾブンが全てじゃないと言うが、とてもじゃないが未来が浮かばない。
だけど、嫌でも考えなきゃいけない。
不安が顔に出ていたのだろう。
社長は「莉音はまだまだこれからだ」と言ってくれた。
事務所のオーディションの時から俺を気に入ってくれた社長の言うことだからお世辞と疑うこともなく、それがすんなり胸に響いていく。
俺はその後も続く社長の力強い説得に折れて、事務所に残ることに頷いた。
そこからいつ抜けるか具体的な話に取り掛かった。
本来なら卒業ライブという集大成があって然るべきなのだが、メンバーとの関係上、揉める可能性が高かったので公式に発表するだけにしてもらった。
何せ水面下の年だ。そこに俺の卒業ライブという予定にない仕事ができてしまったら全員ブチ切れる未来が安易に予想できる。
なので今回の新曲に関わる仕事が終わり次第、脱退の発表。
名目上はやりたいことができ、その為に海外へ留学という形を取ることにした。
こんな終わり方で、ファンすらも突然裏切る形になってしまったことが何より申し訳なく、それだけが悔いで心残りだった。
社長室での話し合いが終わり、事務所を出ようとするとエントランスで交流のある後輩に捕まった。
いいところに!とでも言いたげに腕をがっちり掴まれて捕獲され、笑顔のままグイグイ強引に引っ張られる。そこには全く遠慮というものがない。
そして数時間、その後輩のグループの自主練に強制的に参加させられた。
ダンスの指導や動画のカメラマンをやらされ、時には一緒にショート動画を撮ったりもして。先輩をいい様に使うとは……と呆れながらも、その図々しさと熱意は嫌いじゃないので俺は彼らにとことん付き合った。
手の位置はここでいいのか、顔の向きはこっちでいいのか、目線はどうするか。細かい所にも気を配る姿勢はより好感を持てた。
後輩たちは気になるところがあれば意見を出し合い、全員の納得できる落とし所を探りながら楽しそうにダンスを踊る。
いいな。こういうの。
素直に羨ましいと思う。
それは今の俺には眩しすぎる、とても微笑ましい光景だった。
全員満足行く形になってそこでお開きになり、俺は一足先に練習室を出る。
すると扉の横の壁にしゃがみ込みながら凭れている伊月が居た。
いつから居たのか。缶コーヒーを持ったまま伊月は待っていて、それを「お疲れ」との言葉と共に立ち上がって俺の目の前に差し出した。
俺はコーヒーを受け取って、自然と伊月と並んで歩き出す。
「聞いたよ。辞めるんだって?」
「……耳が早すぎるだろ」
情報の早い伊月の耳には既に入っているらしい。何時間かは経過してるとはいえ、今さっき話してたんだぞ。
俺は伊月の情報収集力に慄くも、社長と仲の良いコイツにはすぐ伝わるだろうなとどこかでわかっていたから、驚きはしなかった。
「ようやく決めたんだね。こっちとしてはずっと心配してたからさ」
「お前には相談に乗ってもらってたのにこんな結果になって悪いな……」
「なーに言ってんの。これでお前も前に進めるんだから俺は安心したよ」
「伊月……」
ポンッと頭に伊月の手が乗る。
伊月は昔からスキンシップが多い。
それに慣れてしまった俺はされるがままに撫でられた。
「寮どうすんの?」
「出るよ」
「いやそうじゃなくて住む場所アテあんの?」
「社長が戻ってこいって……」
「うわ……それ絶対ゆっくりできないやつ」
「俺もそう思う。毎日飲みに連れてかれそう」
「俺んち来れば?部屋空いてるし好きなだけ居なよ」
「え、でも……」
「そんな遠慮なんか今更だろ?住む場所決まるまでのホテルだと思って気軽にさ?俺ん家ならすぐ来れるだろ?」
「いいのか……?」
「ダメなら言わないし」
そうして俺は伊月の家に居候することが決まった。
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