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 アンジェリカにとって、それは間違いなく青天の霹靂だった。

 突然、愛しのマリウスから婚約撤回つきつけられたのだから、それも当然だろう。

 混乱しすぎてパニックを起こしそうになりながらも、こう思った。婚約撤回の理由を尋ねるくらいの権利は自分にはあるはずだ、と。

 だから聞いた。どうして婚約を白紙に戻したいのか。

 するとマリウスは、困った顔をして黙り込んでしまった。

 ああ、これは……。

 滲みそうになる涙を、アンジェリカは必死で堪えた。

 婚約撤回を望む理由はアンジェリカの落ち度ではないとマリウスは言う。
 となると、考えられる理由はこれしかなかった。

 マリウスには他に想う人ができたに違いない。

 その人と新たに婚約を結ぶため、自分との婚約撤回が必要なのだとアンジェリカは思った。
 他の理由が考えられない以上、間違いないだろう。

 悲しかった。
 胸が張り裂けそうなほど苦しくて辛い。

 けれど、婚約の撤回がマリウスの幸せにつながるのなら、アンジェリカには「是」と答える以外の選択肢は思い浮かばない。

 大好きなマリウス。初恋の人マリウス。

 ずっと片想いだった。最後まで想いは通じなかった。
 けれど、恋する気持ちを教えてくれた大切な人。
 誰よりも好きだから、大切に思っているから。だからこそ、絶対に幸せになってもらいたい。
 愛する人ができたのなら、その人と幸せになってもらいたい。

 それがアンジェリカの思いだった。
 だから零れ落ちそうな涙をぐっと堪え、マリウスにこう答えた。

「分かりました。婚約の撤回、了承いたします」

 努めて毅然とした態度をとった。
 マリウスに後ろめたい思いさせないために、平然としていなければ。
 婚約の撤回など少しも気にしていないという態度をとらなければ、マリウスに罪悪感を抱かせてしまう。

 そう理性では分かっているのに、どうしても感情が追いつかない。
 アンジェリカのルビーのような紅い瞳から、本人の意思に反して大粒の涙が零れ落ちた。

「うっ……」

 両手で押さえる口元から、堪えきれずに嗚咽が漏れる。
 どんなに我慢しようとしても、涙が留まることなく流れ続けた。





 驚いたのはマリウスである。

 婚約の撤回はアンジェリカのためだった。きっと喜んでくれると思っていたのに、なぜか彼女は泣き始めてしまったのである。

 これは一体どういうことだ?!

「アンジェ、アンジェリカ。どうして泣くんだ?! 君はわたしを嫌っているのだろう? 婚約が白紙なれば喜ぶと思っていたのに、どうして……」
「うっ、ぐすっ、わ、わたくしはマリウス様を嫌ってなどおりません、むしろ心から愛しています。初めてお会いした時からずっと……ずっと……うううううわ~んっ」

 好きな人に婚約撤回を言われただけでなく、嫌っていると思われていたと知って、アンジェリカの心はズタズタである。
 そのせいで情緒が一気に不安定になってしまい、本来なら隠し通すつもりだったマリウスに対する想いを、泣きながら全部ぶちまけてしまう。

 今まで我慢してきた分、一度口に出したらもう止まらなかった。

「ううっ、好きです、マリウス様、誰よりも愛しています。ぐすっ、お慕いしています。世界中の誰よりもマリウス様が好きです……ずっと、初めてお会いした時からずっと……ううっ」
「!!」

 思いがけずアンジェリカの本心を聞くことになったマリウスは、驚きよりも喜びに胸を震わせた。とはいえ、これまでのアンジェリカの態度を思い出すと、本当だろうかと疑う気持ちも捨てきれない。

「ほ、本当に? 君はこれまでずっと、わたしに作り笑顔しか見せてくれなかった。いつも壁を感じていた。わたしは君に嫌われていると思っていたんだ」
「そ、それは……淑女は感情を表に出してはいけないと習ったから。躾けがなっていない令嬢だとマリウス様に思われて嫌われたくなかったんです」
「贈ったドレスやアクセサリーを身に付けてくれない理由は……?」
「マリウス様にいただいた物はあまりに大切で、勿体なくて使うなんてできません。すべて家宝として家の金庫に入れてもらっています」

 ちなみに、貰った花束はすべてドライフラワーやポプリに加工して、半永久保存できるようにしてあるとアンジェリカは言った。

「だったらなぜ、先ほどわたしが婚約の撤廃を申し出た時、嫌だと拒否しなかったんだ」
「それは……」

 少し弱まってきていたアンジェリカの涙が、またもや滝のように流れ出した。

「だって、マリウス様は好きな人ができたのでしょう? だから婚約を白紙にしたかったのでしょう? だったらわたくしにできることは、マリウス様を自由にして差し上げることだけ。そうすることがマリウス様の幸せに繋がると思って……わたくしさえ我慢すればいいと思って……絶対にマリウス様には幸せになって欲しくて、それで了承したんです」
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