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動揺を押し隠し、一瞬でも気を抜けば発狂してしまいそうな自分の心に喝を入れ、アンジェリカは落ちつこうと深呼吸をした。
自分より頭一つ分ほど背の高いマリウスを見つめつつ、声が震えないよう細心の注意をはらいながら問いかける。
「婚約の白紙撤回をマリウス様が望まれる、その理由を教えていただけますでしょうか? わたくしに……なにか落ち度や失態がございましたか?」
「いやアンジェ、君に悪いところなどないよ」
「ならば、どうしてですか」
「…………」
これまで見たことがないような気迫を放つアンジェリカを前に、実のところマリウスはかなり戸惑っていた。
どうやらアンジェリカは自分の提案に乗り気ではないらしい。
その理由がマリウスには分からなかった。
なぜなら婚約してからずっと、一緒にいる時のアンジェリカがつまらなそうな顔ばかりしていたからだ。
月に一度のお茶会の席でも、マリウスはこれまで一度としてアンジェリカの心からの笑みを見たことがない。
いつだって作り物の隙の無い笑顔でしか、マリウスに微笑みかけてくれないのだ。
贈り物をしてもそれは変わらない。
笑顔で受け取って礼の言葉を述べるものの、それはあくまで礼儀としての言葉にすぎず、そこに感情は一切乗っていない。
贈ったアクセサリーを身に付ける様子がないのも、本当は気に入らなかったからだろう。
元々二人の婚約は政略的なものだ。
貴族の婚約者同士なんてこんなものなのかもしれないと、そう思ったこともある。
でももしかしたら、アンジェリカは感情を表に出すことが苦手なだけかもしれない。その内もっと打ち解けたら、飾りのない本当の笑顔を向けてくれるかも……。
そう思っていたマリウスだったが、アカデミーに入学後、クラスの友人たちと楽し気に談笑するアンジェリカを遠目に見てしまった時、自分の考えが誤りだったと気付かされた。
出会って間もない友人たちに、少女らしい素の笑顔を見せるアンジェリカ。話も弾むらしく、とても楽しそうにしている。
自分と二人きりの時は表情が硬く、口数も少ないアンジェリカとは別人のようにマリウスには思えた。
そして、ようやく気付いたのだ。自分がアンジェリカから嫌われているということに。二人の婚約をアンジェリカが不本意に思っているということに、マリウスはようやく思い至ったのだった。
マリウスはこれまでずっと、アンジェリカはとても素晴しい女性だと思ってきた。
婚約したばかりの幼い頃は人形のようにかわいくて、それが年を経るごとに美しく成長していった。
父親である公爵から聞いた話によると、アンジェリカの淑女としての素晴らしさは、社交界でもちらほら話に上がるほど有名になってきているらしい。
アカデミーに入学してからは、友人たちから事あるごとにアンジェリカが婚約者であることを羨ましがられてきた。
そんな素晴しいアンジェリカだからこそ、好きでもない、いや、それどころか嫌っている男と無理矢理婚姻させてはいけない、そんな酷い目に合わせてはいけないと、そうマリウスは考えた。
貴族だから恋愛結婚できないことは仕方がない。しかし、せめて少しは好意を持てる相手と結婚すべきだとマリウスは思う。
誰もが認める完璧令嬢アンジェリカこそ、誰よりも幸せになる権利を持っているはずだ。
そう考えたから、マリウスは婚約を白紙に戻す決心をして、それをアンジェリカに告げた。
この時、誤算が起こった。
アンジェリカに婚約の白紙撤回を告げた途端、なぜかマリウスの胸が激しく傷んだのだ。
それでやっとマリウスは気付いた。自分がずっとアンジェリカに恋をしていたことに、この時初めて気付いたのだった。
好きだからこそ、大切に想うからこそ、誰よりも幸せになって欲しい。
自分がアンジェリカを幸せにできれば、それが一番良かったとは思う。
しかし、婚約して何年も経つのに、未だに気を許してもらえてさえいないのだ。それを考えると、今後も二人の仲は平行線のままだろう。自分はアンジェリカに相応しい相手ではなかったのだ。
マリウスはそう思ったからこそ、アカデミーの卒業を三ヵ月後に控えた日の放課後、自分が役員を務めていた生徒会室を仲間に頼んで一時間だけ借り受け、そこにアンジェリカを呼び出した。そして、悲しみを押し隠してこう言ったのである。
「アンジェ、わたしたちの婚約を白紙に戻さないか」
自分より頭一つ分ほど背の高いマリウスを見つめつつ、声が震えないよう細心の注意をはらいながら問いかける。
「婚約の白紙撤回をマリウス様が望まれる、その理由を教えていただけますでしょうか? わたくしに……なにか落ち度や失態がございましたか?」
「いやアンジェ、君に悪いところなどないよ」
「ならば、どうしてですか」
「…………」
これまで見たことがないような気迫を放つアンジェリカを前に、実のところマリウスはかなり戸惑っていた。
どうやらアンジェリカは自分の提案に乗り気ではないらしい。
その理由がマリウスには分からなかった。
なぜなら婚約してからずっと、一緒にいる時のアンジェリカがつまらなそうな顔ばかりしていたからだ。
月に一度のお茶会の席でも、マリウスはこれまで一度としてアンジェリカの心からの笑みを見たことがない。
いつだって作り物の隙の無い笑顔でしか、マリウスに微笑みかけてくれないのだ。
贈り物をしてもそれは変わらない。
笑顔で受け取って礼の言葉を述べるものの、それはあくまで礼儀としての言葉にすぎず、そこに感情は一切乗っていない。
贈ったアクセサリーを身に付ける様子がないのも、本当は気に入らなかったからだろう。
元々二人の婚約は政略的なものだ。
貴族の婚約者同士なんてこんなものなのかもしれないと、そう思ったこともある。
でももしかしたら、アンジェリカは感情を表に出すことが苦手なだけかもしれない。その内もっと打ち解けたら、飾りのない本当の笑顔を向けてくれるかも……。
そう思っていたマリウスだったが、アカデミーに入学後、クラスの友人たちと楽し気に談笑するアンジェリカを遠目に見てしまった時、自分の考えが誤りだったと気付かされた。
出会って間もない友人たちに、少女らしい素の笑顔を見せるアンジェリカ。話も弾むらしく、とても楽しそうにしている。
自分と二人きりの時は表情が硬く、口数も少ないアンジェリカとは別人のようにマリウスには思えた。
そして、ようやく気付いたのだ。自分がアンジェリカから嫌われているということに。二人の婚約をアンジェリカが不本意に思っているということに、マリウスはようやく思い至ったのだった。
マリウスはこれまでずっと、アンジェリカはとても素晴しい女性だと思ってきた。
婚約したばかりの幼い頃は人形のようにかわいくて、それが年を経るごとに美しく成長していった。
父親である公爵から聞いた話によると、アンジェリカの淑女としての素晴らしさは、社交界でもちらほら話に上がるほど有名になってきているらしい。
アカデミーに入学してからは、友人たちから事あるごとにアンジェリカが婚約者であることを羨ましがられてきた。
そんな素晴しいアンジェリカだからこそ、好きでもない、いや、それどころか嫌っている男と無理矢理婚姻させてはいけない、そんな酷い目に合わせてはいけないと、そうマリウスは考えた。
貴族だから恋愛結婚できないことは仕方がない。しかし、せめて少しは好意を持てる相手と結婚すべきだとマリウスは思う。
誰もが認める完璧令嬢アンジェリカこそ、誰よりも幸せになる権利を持っているはずだ。
そう考えたから、マリウスは婚約を白紙に戻す決心をして、それをアンジェリカに告げた。
この時、誤算が起こった。
アンジェリカに婚約の白紙撤回を告げた途端、なぜかマリウスの胸が激しく傷んだのだ。
それでやっとマリウスは気付いた。自分がずっとアンジェリカに恋をしていたことに、この時初めて気付いたのだった。
好きだからこそ、大切に想うからこそ、誰よりも幸せになって欲しい。
自分がアンジェリカを幸せにできれば、それが一番良かったとは思う。
しかし、婚約して何年も経つのに、未だに気を許してもらえてさえいないのだ。それを考えると、今後も二人の仲は平行線のままだろう。自分はアンジェリカに相応しい相手ではなかったのだ。
マリウスはそう思ったからこそ、アカデミーの卒業を三ヵ月後に控えた日の放課後、自分が役員を務めていた生徒会室を仲間に頼んで一時間だけ借り受け、そこにアンジェリカを呼び出した。そして、悲しみを押し隠してこう言ったのである。
「アンジェ、わたしたちの婚約を白紙に戻さないか」
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