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第5話(1)
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公爵家へは、先方の都合を除いて訪問できない場合を除いて一段落したことから、父伯爵との本格的な侯爵・伯爵家回りが始まった。
オルロフは父伯爵の誰にでも胸襟を開く宥和的な人柄と、貴婦人社会での交際を通じて家名への定評維持に注力している母夫人の献身により、敵は少なかったが、それでもやはり親しくは付き合わない家は複数あった。
また今回の事件と、次期皇后の座に関するニコライの配偶者問題で、それぞれの角度から失望や不満を覚えた家は間違いなく増えていた。
父伯爵が、各家の家族構成や交友状況などを調べ、オルロフにどのような考えを持っているかを多少推理しているものの、拍子抜けになることも、思いがけず当たりが強いこともあり、父娘は推理結果にあまり依存しないようにという結論で合意した。
もっともP侯爵家については、セルゲイ叔父のウリヤノフ侯爵家と交際があるという一点により、十中八九後者だろうという見込みを立てていた。
P侯爵家の客間に招き入れられ、夫妻の応対を受けながら、父娘は油断なく振る舞っていた。
玄関先で素気無くあしらわれる、ということは貴族の場合はあり得ないことで、居留守を使うといずれ再訪、再々訪を受けて煩わしいため、快く思っていない相手でも客間に通して一通りの挨拶を交わす、というのが穏当で手早く応対を終わらせるやり方だった。
とはいえ、相手方の心に意趣がある場合、挨拶だけで終わらせず、話頭を転じて嫌味を注ぐというケースも、貴族の常套ではあった。
父伯爵が改めて訪問の趣旨を説明し、アレクサンドラが立ち上がって正式な挨拶を述べると、P侯爵はご丁寧にと言いながら急いで、アレクサンドラに座るよう促した。
「わざわざお越し下さって恐縮です。それにしても、男子に恵まれなかったのはお気の毒でしたが、このようにお美しく聡明なお嬢様がおられるであれば何よりですな。女性とて、下手な男子に勝りましょうからな」
「未熟者ではございますが、以後お見知り置きと、お引き立てのほどをよろしくお願いいたします」
「いやしかし、まだ花の盛りという時期に公証長とは。それが貴家の責務とはいえ、なかなか難儀なところでございますなあ」
「仰る通りです。もっとも、歴代の公証長には僅かですが女性がおりましたので、先達に倣わせるつもりでおります。第一人者の重責は担わせずに済むのが幸いでございます」
「おおそうなのですか。では、その勇猛果敢なご先祖に公爵夫人も肖(あやか)らねばなりませんな」
P侯爵に対し、アレクサンドラはその先祖については名前しか知らなかったが、「志しております」と薄く笑って答えておいた。
オルロフ家に男子が生まれなかったことは、貴族としては懸念材料と当然考える要素であり、善意害意問わずしばしば言及されていて慣れていた。
公証長に就任した今でもそれを持ち出されるのは面白くはなかったが、自分には資質が欠けているのではと思い始めている彼女は仕方のないことだと諦め、また他人にもそれを勘づかれているのかもと思うと扇の奥に引き籠りたい気持ちになった。
「そういえば、オルロフの爵位の方はいつ頃継承のご予定なのですか」
「まだ具体的にいつとは。陛下からは急ぐ必要はあるまい、との温かいお言葉を頂戴しておりますゆえ。ただ、あまり引き延ばすつもりはございません」
「そうでしょうそうでしょう、お言葉を鵜呑みになさってはいけません。公証は陛下から授かった権能なのですから、公証長が爵位なしでは権能の基礎を欠いてしまう。まあ、公爵夫人の地位はお持ちになったわけですから、一旦お目零し下さったと考えるべきですな」
やりとりを細目で聞いていたP侯爵夫人が、「そうは言いましてもあなた、そうスムーズには参りませんでしょう」と被せるように言った。
「何だね、どうしたね」
P侯爵が顎を引きながら問うと、夫人はやっと発言できると肩を怒らせながら居住まいを正した。
「ただでさえ公証長のお役目でご多忙なところに、爵位を継承されては、女伯爵としての責務も加わることになるではありませんか。
女性にそのように負荷をかけては、いつお子を育まれるというのです。陛下からもご理解を頂いているのでしょう、お子を無事に生み育ててからでも遅くはありますまい」
「それはあまりに遅すぎるよ。生み育てるって、あと何年もかかるではないか。そこまで爵位なしでよろしいとは、陛下のご意向ではないはずだ」
「いえいえ、アレクサンドラ嬢はいまやザハーリン公爵夫人なのですよ、人の妻なのです。陛下の御子であらせられる背の君に、いち早くお子を生んで差し上げるのも夫人としての大事な、何より優先されるべき務めですわ」
「それはそうだが、しかし公証長として備えるべき資格を疎かにしていいものか」
「疎か!公証としても跡継ぎは不可欠でございましょう、多忙ゆえにお子がなかなか、となってはそれこそ危機ですわ。
公爵夫人、こうなったらすぐにでも妊娠なさるのも手ではなくて。そうすれば陛下もご理解くださるわ」
特段の返答をしない娘に代わって、父伯爵が「ご助言痛み入ります。子供は授かりものでございますので、気長に温かく見守ってくださいますと幸いです」と角を立てないようにその場を収めた。
オルロフは父伯爵の誰にでも胸襟を開く宥和的な人柄と、貴婦人社会での交際を通じて家名への定評維持に注力している母夫人の献身により、敵は少なかったが、それでもやはり親しくは付き合わない家は複数あった。
また今回の事件と、次期皇后の座に関するニコライの配偶者問題で、それぞれの角度から失望や不満を覚えた家は間違いなく増えていた。
父伯爵が、各家の家族構成や交友状況などを調べ、オルロフにどのような考えを持っているかを多少推理しているものの、拍子抜けになることも、思いがけず当たりが強いこともあり、父娘は推理結果にあまり依存しないようにという結論で合意した。
もっともP侯爵家については、セルゲイ叔父のウリヤノフ侯爵家と交際があるという一点により、十中八九後者だろうという見込みを立てていた。
P侯爵家の客間に招き入れられ、夫妻の応対を受けながら、父娘は油断なく振る舞っていた。
玄関先で素気無くあしらわれる、ということは貴族の場合はあり得ないことで、居留守を使うといずれ再訪、再々訪を受けて煩わしいため、快く思っていない相手でも客間に通して一通りの挨拶を交わす、というのが穏当で手早く応対を終わらせるやり方だった。
とはいえ、相手方の心に意趣がある場合、挨拶だけで終わらせず、話頭を転じて嫌味を注ぐというケースも、貴族の常套ではあった。
父伯爵が改めて訪問の趣旨を説明し、アレクサンドラが立ち上がって正式な挨拶を述べると、P侯爵はご丁寧にと言いながら急いで、アレクサンドラに座るよう促した。
「わざわざお越し下さって恐縮です。それにしても、男子に恵まれなかったのはお気の毒でしたが、このようにお美しく聡明なお嬢様がおられるであれば何よりですな。女性とて、下手な男子に勝りましょうからな」
「未熟者ではございますが、以後お見知り置きと、お引き立てのほどをよろしくお願いいたします」
「いやしかし、まだ花の盛りという時期に公証長とは。それが貴家の責務とはいえ、なかなか難儀なところでございますなあ」
「仰る通りです。もっとも、歴代の公証長には僅かですが女性がおりましたので、先達に倣わせるつもりでおります。第一人者の重責は担わせずに済むのが幸いでございます」
「おおそうなのですか。では、その勇猛果敢なご先祖に公爵夫人も肖(あやか)らねばなりませんな」
P侯爵に対し、アレクサンドラはその先祖については名前しか知らなかったが、「志しております」と薄く笑って答えておいた。
オルロフ家に男子が生まれなかったことは、貴族としては懸念材料と当然考える要素であり、善意害意問わずしばしば言及されていて慣れていた。
公証長に就任した今でもそれを持ち出されるのは面白くはなかったが、自分には資質が欠けているのではと思い始めている彼女は仕方のないことだと諦め、また他人にもそれを勘づかれているのかもと思うと扇の奥に引き籠りたい気持ちになった。
「そういえば、オルロフの爵位の方はいつ頃継承のご予定なのですか」
「まだ具体的にいつとは。陛下からは急ぐ必要はあるまい、との温かいお言葉を頂戴しておりますゆえ。ただ、あまり引き延ばすつもりはございません」
「そうでしょうそうでしょう、お言葉を鵜呑みになさってはいけません。公証は陛下から授かった権能なのですから、公証長が爵位なしでは権能の基礎を欠いてしまう。まあ、公爵夫人の地位はお持ちになったわけですから、一旦お目零し下さったと考えるべきですな」
やりとりを細目で聞いていたP侯爵夫人が、「そうは言いましてもあなた、そうスムーズには参りませんでしょう」と被せるように言った。
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公爵夫人、こうなったらすぐにでも妊娠なさるのも手ではなくて。そうすれば陛下もご理解くださるわ」
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