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聖域の断罪
第三話:深夜の贖罪
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第三話:深夜の贖罪
PM 11:30 浄化の寝室
リビングの明かりが消え、家の中は深い静寂に包まれた。
寝室に差し込む月光は、昼間のあの刺すような太陽とは違い、すべてを許し、覆い隠すような慈悲の色をしている。
二人は並んでベッドに横たわっていた。
男がゆっくりと手を伸ばし、女の指先を絡めとる。
「……今日、仕事で嫌なことがあったんだ」
男が天井を見つめたまま、独白するように呟いた。その声は、昼間の「部長」としての冷徹さも、「愛人」を組み伏せた時の獣のような荒々しさも消え、ひどく脆く、幼い。
「……そうだったの。大変だったわね」
女は体を横に向け、男の胸にそっと耳を寄せた。
トクン、トクン、と刻まれる鼓動は、昼間のあの暴走するような速さではなく、凪いだ海のように穏やかだ。
「君とこうしている時だけが、自分が自分でいられる時間だよ。……外の世界は、毒に満ちている」
男は女を抱き寄せ、その髪に深く顔を埋めた。
昼間、あんなに乱暴に扱った身体を、今は壊れ物を修復するかのように、指の腹で優しくなぞっていく。
AM 0:15 痣への口づけ
男の手が、女のパジャマの袖を滑り落ちた時、その動きが止まった。
月光の下で、白く浮かび上がる女の二の腕。
そこには、昼間の「男」が残した、無残な指の跡が青黒く浮き出ていた。
「……あ」
女は咄嗟に隠そうとしたが、男はその腕を逃がさなかった。
男は自分の掌を見つめ、それから女の痣を、痛みを分かち合うような沈痛な面持ちで見つめた。
「……ひどいな。……誰に、こんなことをされたんだ」
男の声が震えている。
彼は、自分が数時間前にこの痣を付けた張本人であることを、この「聖域」の中では完全に切り離していた。あるいは、切り離そうと必死に演じていた。
「……なんでもないの。……ちょっと、職場でぶつけただけ」
女もまた、嘘を重ねる。
(……あなたよ。……私をこんなに強く掴んで、もっと壊してと叫ばせたのは、あなたなのよ)
喉元まで出かかった言葉を、女は甘い溜息と一緒に飲み込んだ。
男は、その痣に吸い付くように口づけをした。
それは昼間の、欲望をぶつけるための行為ではない。
傷を悼み、穢れを吸い出し、自分たちの犯した罪を「夫」として肩代わりするための、静かな贖罪の儀式。
「……ごめんな。……僕が守ってあげられなくて」
「いいの。……あなたがこうして、側にいてくれるだけで」
二人は、重なり合う。
今度のセックスには、叫びも、支配も、背徳の快楽もない。
ただ、互いの欠落を埋め合わせるような、涙が出るほど優しい、純粋な愛の交換。
男は女を壊さないように、慎重に、慈しむように求めた。
女はその腕の中で、昼間に受けた「処刑」の傷が、夜の「夫」によって癒やされていくのを感じていた。
汚されることでしか満たされない渇きと、癒やされることでしか生きられない孤独。
その矛盾した二つの愛が、一つのベッドの上で、いびつに結合していた。
AM 2:00 円環の完成
「……愛しているよ」
男が眠りに落ちる直前、消え入るような声で囁いた。
女はその寝顔を見つめながら、静かに指輪を撫でる。
明日になれば、また太陽が昇る。
この優しい夫は、またあの冷酷な「男」へと変貌し、自分をホテルの密室で処刑するだろう。
そして自分もまた、貞淑な妻の面皮を剥ぎ捨て、彼に蹂躙されることを望む「愛人」へと成り下がるのだ。
(……これでいい。……これが、私たちの完成形)
昼の地獄があるからこそ、夜の天国が輝く。
夜の救済があるからこそ、昼の断罪に耐えられる。
二人は、この終わりのない円環の中に閉じ込められている。
「……私も。……愛しているわ。旦那様」
女は、男の腕の中で静かに目を閉じた。
窓の外では、夜明けが近づいている。
また新しい「嘘」と「真実」が交互に訪れる一日が、すぐそこまで来ていた。
PM 11:30 浄化の寝室
リビングの明かりが消え、家の中は深い静寂に包まれた。
寝室に差し込む月光は、昼間のあの刺すような太陽とは違い、すべてを許し、覆い隠すような慈悲の色をしている。
二人は並んでベッドに横たわっていた。
男がゆっくりと手を伸ばし、女の指先を絡めとる。
「……今日、仕事で嫌なことがあったんだ」
男が天井を見つめたまま、独白するように呟いた。その声は、昼間の「部長」としての冷徹さも、「愛人」を組み伏せた時の獣のような荒々しさも消え、ひどく脆く、幼い。
「……そうだったの。大変だったわね」
女は体を横に向け、男の胸にそっと耳を寄せた。
トクン、トクン、と刻まれる鼓動は、昼間のあの暴走するような速さではなく、凪いだ海のように穏やかだ。
「君とこうしている時だけが、自分が自分でいられる時間だよ。……外の世界は、毒に満ちている」
男は女を抱き寄せ、その髪に深く顔を埋めた。
昼間、あんなに乱暴に扱った身体を、今は壊れ物を修復するかのように、指の腹で優しくなぞっていく。
AM 0:15 痣への口づけ
男の手が、女のパジャマの袖を滑り落ちた時、その動きが止まった。
月光の下で、白く浮かび上がる女の二の腕。
そこには、昼間の「男」が残した、無残な指の跡が青黒く浮き出ていた。
「……あ」
女は咄嗟に隠そうとしたが、男はその腕を逃がさなかった。
男は自分の掌を見つめ、それから女の痣を、痛みを分かち合うような沈痛な面持ちで見つめた。
「……ひどいな。……誰に、こんなことをされたんだ」
男の声が震えている。
彼は、自分が数時間前にこの痣を付けた張本人であることを、この「聖域」の中では完全に切り離していた。あるいは、切り離そうと必死に演じていた。
「……なんでもないの。……ちょっと、職場でぶつけただけ」
女もまた、嘘を重ねる。
(……あなたよ。……私をこんなに強く掴んで、もっと壊してと叫ばせたのは、あなたなのよ)
喉元まで出かかった言葉を、女は甘い溜息と一緒に飲み込んだ。
男は、その痣に吸い付くように口づけをした。
それは昼間の、欲望をぶつけるための行為ではない。
傷を悼み、穢れを吸い出し、自分たちの犯した罪を「夫」として肩代わりするための、静かな贖罪の儀式。
「……ごめんな。……僕が守ってあげられなくて」
「いいの。……あなたがこうして、側にいてくれるだけで」
二人は、重なり合う。
今度のセックスには、叫びも、支配も、背徳の快楽もない。
ただ、互いの欠落を埋め合わせるような、涙が出るほど優しい、純粋な愛の交換。
男は女を壊さないように、慎重に、慈しむように求めた。
女はその腕の中で、昼間に受けた「処刑」の傷が、夜の「夫」によって癒やされていくのを感じていた。
汚されることでしか満たされない渇きと、癒やされることでしか生きられない孤独。
その矛盾した二つの愛が、一つのベッドの上で、いびつに結合していた。
AM 2:00 円環の完成
「……愛しているよ」
男が眠りに落ちる直前、消え入るような声で囁いた。
女はその寝顔を見つめながら、静かに指輪を撫でる。
明日になれば、また太陽が昇る。
この優しい夫は、またあの冷酷な「男」へと変貌し、自分をホテルの密室で処刑するだろう。
そして自分もまた、貞淑な妻の面皮を剥ぎ捨て、彼に蹂躙されることを望む「愛人」へと成り下がるのだ。
(……これでいい。……これが、私たちの完成形)
昼の地獄があるからこそ、夜の天国が輝く。
夜の救済があるからこそ、昼の断罪に耐えられる。
二人は、この終わりのない円環の中に閉じ込められている。
「……私も。……愛しているわ。旦那様」
女は、男の腕の中で静かに目を閉じた。
窓の外では、夜明けが近づいている。
また新しい「嘘」と「真実」が交互に訪れる一日が、すぐそこまで来ていた。
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