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第8話「領主の館へ」
第8話「領主の館へ」
カサレス辺境伯家の館は、街の外れにあった。
アーシェルの街並みを抜けて、石畳の道を北へ十五分ほど歩く。
丘の上に建つ石造りの館は、街から見上げると思ったより大きかった。
ゴードンと二人で向かった。
トーマスとクレイは工房で別の依頼に対応している。
「緊張するな」ゴードンが歩きながら言った。
「していません」
「そうか」
短い会話だった。
でも、ゴードンが珍しく先に話しかけてきた。
それだけで、この依頼がいかに大きいかがわかった。
館の門に着くと、初老の男性が待っていた。
執事だろうか。背筋が伸びていて、物腰が丁寧だった。
「ゴードンさん、お待ちしておりました。こちらがご依頼の魔法陣師の方ですか」
「そうだ。リアナという。腕は保証する」
「よろしくお願いいたします。リアナさん、私はセバスタンと申します。本日の案内役を務めます」
「よろしくお願いします」
セバスタンに案内されて、館の中へ入る。
広かった。
アーシェルの街の建物とは規模が違う。
高い天井。
石造りの廊下。
壁には古い絵画と、武具の飾り。
王都の貴族の屋敷とは違う雰囲気だった。
王都の屋敷は華やかで、見せるための装飾が多かった。
ここは実用的だった。
美しいが、飾りのための美しさではない。
長く使われてきた建物の、落ち着いた美しさだった。
「まずは現状の結界をご確認いただければと思います」セバスタンが言った。「設置からかなりの年数が経っておりまして、各所で劣化が見られます」
「いつ頃設置されたものですか」
「記録では、三代前の当主の時代です。八十年ほど前になります」
八十年。
リアナは内心で息を呑んだ。
二十年の宿屋の結界でも古いと感じたのに、八十年とは。
「設計図は残っていますか」
「はい、こちらに」
セバスタンが取り出した羊皮紙は、黄ばんでいて、端が少し傷んでいた。
でも、文字と線はしっかり読める。
リアナは受け取って、じっくりと見た。
古い設計だった。
でも、丁寧だった。
設計した魔法師の実力が伝わってくる。
八十年前の技術として、これは相当高いレベルだ。
随所に独自の工夫がある。
この時代にこの発想は珍しい。
「……優れた魔法師が設計したものですね」
「そうお聞きしています。当時の辺境伯が王都から招いた魔法師だったとか」
リアナは設計図をもう一度見た。
王都から招いた魔法師。
この設計の癖、どこかで見た気がする。
父の書斎で読んだ古い魔法書の中に、似た設計思想のものがあった気がする。
気のせいかもしれない。
でも、もし同じ流派の——。
「ご覧になりますか」
セバスタンが廊下を歩き始めた。
館の各所を回りながら、結界の状態を確認していく。
玄関ホール。
応接室。
厨房。
東棟の廊下。
どこも劣化しているが、完全に消えてはいない。
八十年経っても残っているというのは、それだけ基礎陣が強固だということだ。
廊下を歩きながら、リアナは気づいた。
一箇所、妙に結界が強い場所がある。
北棟の突き当たり。
古い扉の前。
ここだけ、他と比べて明らかに魔力の密度が違う。
「この扉は何ですか」
セバスタンが少し間を置いた。
「書庫です。先代の当主が魔法の研究をされていたとかで、特別に強化されているとのことです」
「今も使われていますか」
「現当主がたまに使われます」
現当主。
カサレス辺境伯家の若い当主。
リアナは扉を見た。
古い木の扉。
取っ手の金具が、魔法陣の形をしている。
「ここの結界は別途強化が必要かもしれません。後で詳しく確認させてください」
「承知しました」
一通り確認を終えて、セバスタンに応接室へ案内された。
ゴードンと二人で設計の方針を話し合う。
「どれくらいかかる」ゴードンが聞いた。
「基礎陣が残っているのが助かります。全体を作り直すより、補強と部分更新で対応できます。ただ、規模が大きいので——」
リアナは頭の中で計算した。
「十日ほどかかります。毎日通う形になりますが」
「そうか」
「書庫前の結界だけは、別に時間が必要です。あそこだけ構造が違います」
「どう違う」
「他の箇所よりずっと複雑です。設計した人間が、特別な意図を持って描いた陣です。下手に触ると干渉が起きる可能性があります。慎重に読み解いてから手を入れたい」
ゴードンは黙って頷いた。
セバスタンが戻ってきた。
「ご確認いただけましたか。何かご不明な点はございますか」
「一点だけ」リアナは言った。「書庫の結界について、現当主にお話を伺えますか。設計の意図を理解するために、経緯をお聞きしたいのですが」
セバスタンが少し考えた。
「当主は現在、外出中でして……明日以降でしたら」
「構いません。明日また伺います」
「承知しました。では明日、当主にお伝えしておきます」
帰り道、ゴードンが前を歩きながら言った。
「書庫の陣、気になったか」
「はい。あれだけ別物です」
「そうだな」ゴードンは少し間を置いた。「あの館にはいくつか触れない場所がある。代々そういうものらしい」
「ゴードンさんは以前に来たことがあるんですか」
「一度だけ。先代の当主の時代に、少し仕事をした」
先代の当主。
つまり今の若い当主の父親の時代。
「そのとき、書庫の結界は?」
「あった。同じように強かった。俺には手が出なかった」
俺には手が出なかった。
ゴードンがそう言う結界。
リアナは少し背筋が伸びる感覚がした。
面白い、と思った。
怖いとは思わなかった。
解けない謎を目の前にしたときの、あの感覚。
父と一緒に難しい魔法書を読み解いていたときの、あの感覚。
「明日、当主に話を聞けますね」
「ああ」ゴードンがぼそりと言った。「覚悟しておけ」
「何をですか」
「あの当主は、普通じゃない」
それだけ言って、ゴードンは歩き続けた。
普通じゃない。
リアナはその言葉を頭の中で繰り返しながら、アーシェルの街並みに戻ってきた。
夕暮れの石畳。
工房の看板。
いつもの景色。
でも明日、ここへ来たときには——何かが変わっている気がした。
根拠はない。
ただ、そんな予感がした。
リアナは工房の扉を開けた。
明日の準備をしなければ。
そう思いながら、作業台に向かった。
カサレス辺境伯家の館は、街の外れにあった。
アーシェルの街並みを抜けて、石畳の道を北へ十五分ほど歩く。
丘の上に建つ石造りの館は、街から見上げると思ったより大きかった。
ゴードンと二人で向かった。
トーマスとクレイは工房で別の依頼に対応している。
「緊張するな」ゴードンが歩きながら言った。
「していません」
「そうか」
短い会話だった。
でも、ゴードンが珍しく先に話しかけてきた。
それだけで、この依頼がいかに大きいかがわかった。
館の門に着くと、初老の男性が待っていた。
執事だろうか。背筋が伸びていて、物腰が丁寧だった。
「ゴードンさん、お待ちしておりました。こちらがご依頼の魔法陣師の方ですか」
「そうだ。リアナという。腕は保証する」
「よろしくお願いいたします。リアナさん、私はセバスタンと申します。本日の案内役を務めます」
「よろしくお願いします」
セバスタンに案内されて、館の中へ入る。
広かった。
アーシェルの街の建物とは規模が違う。
高い天井。
石造りの廊下。
壁には古い絵画と、武具の飾り。
王都の貴族の屋敷とは違う雰囲気だった。
王都の屋敷は華やかで、見せるための装飾が多かった。
ここは実用的だった。
美しいが、飾りのための美しさではない。
長く使われてきた建物の、落ち着いた美しさだった。
「まずは現状の結界をご確認いただければと思います」セバスタンが言った。「設置からかなりの年数が経っておりまして、各所で劣化が見られます」
「いつ頃設置されたものですか」
「記録では、三代前の当主の時代です。八十年ほど前になります」
八十年。
リアナは内心で息を呑んだ。
二十年の宿屋の結界でも古いと感じたのに、八十年とは。
「設計図は残っていますか」
「はい、こちらに」
セバスタンが取り出した羊皮紙は、黄ばんでいて、端が少し傷んでいた。
でも、文字と線はしっかり読める。
リアナは受け取って、じっくりと見た。
古い設計だった。
でも、丁寧だった。
設計した魔法師の実力が伝わってくる。
八十年前の技術として、これは相当高いレベルだ。
随所に独自の工夫がある。
この時代にこの発想は珍しい。
「……優れた魔法師が設計したものですね」
「そうお聞きしています。当時の辺境伯が王都から招いた魔法師だったとか」
リアナは設計図をもう一度見た。
王都から招いた魔法師。
この設計の癖、どこかで見た気がする。
父の書斎で読んだ古い魔法書の中に、似た設計思想のものがあった気がする。
気のせいかもしれない。
でも、もし同じ流派の——。
「ご覧になりますか」
セバスタンが廊下を歩き始めた。
館の各所を回りながら、結界の状態を確認していく。
玄関ホール。
応接室。
厨房。
東棟の廊下。
どこも劣化しているが、完全に消えてはいない。
八十年経っても残っているというのは、それだけ基礎陣が強固だということだ。
廊下を歩きながら、リアナは気づいた。
一箇所、妙に結界が強い場所がある。
北棟の突き当たり。
古い扉の前。
ここだけ、他と比べて明らかに魔力の密度が違う。
「この扉は何ですか」
セバスタンが少し間を置いた。
「書庫です。先代の当主が魔法の研究をされていたとかで、特別に強化されているとのことです」
「今も使われていますか」
「現当主がたまに使われます」
現当主。
カサレス辺境伯家の若い当主。
リアナは扉を見た。
古い木の扉。
取っ手の金具が、魔法陣の形をしている。
「ここの結界は別途強化が必要かもしれません。後で詳しく確認させてください」
「承知しました」
一通り確認を終えて、セバスタンに応接室へ案内された。
ゴードンと二人で設計の方針を話し合う。
「どれくらいかかる」ゴードンが聞いた。
「基礎陣が残っているのが助かります。全体を作り直すより、補強と部分更新で対応できます。ただ、規模が大きいので——」
リアナは頭の中で計算した。
「十日ほどかかります。毎日通う形になりますが」
「そうか」
「書庫前の結界だけは、別に時間が必要です。あそこだけ構造が違います」
「どう違う」
「他の箇所よりずっと複雑です。設計した人間が、特別な意図を持って描いた陣です。下手に触ると干渉が起きる可能性があります。慎重に読み解いてから手を入れたい」
ゴードンは黙って頷いた。
セバスタンが戻ってきた。
「ご確認いただけましたか。何かご不明な点はございますか」
「一点だけ」リアナは言った。「書庫の結界について、現当主にお話を伺えますか。設計の意図を理解するために、経緯をお聞きしたいのですが」
セバスタンが少し考えた。
「当主は現在、外出中でして……明日以降でしたら」
「構いません。明日また伺います」
「承知しました。では明日、当主にお伝えしておきます」
帰り道、ゴードンが前を歩きながら言った。
「書庫の陣、気になったか」
「はい。あれだけ別物です」
「そうだな」ゴードンは少し間を置いた。「あの館にはいくつか触れない場所がある。代々そういうものらしい」
「ゴードンさんは以前に来たことがあるんですか」
「一度だけ。先代の当主の時代に、少し仕事をした」
先代の当主。
つまり今の若い当主の父親の時代。
「そのとき、書庫の結界は?」
「あった。同じように強かった。俺には手が出なかった」
俺には手が出なかった。
ゴードンがそう言う結界。
リアナは少し背筋が伸びる感覚がした。
面白い、と思った。
怖いとは思わなかった。
解けない謎を目の前にしたときの、あの感覚。
父と一緒に難しい魔法書を読み解いていたときの、あの感覚。
「明日、当主に話を聞けますね」
「ああ」ゴードンがぼそりと言った。「覚悟しておけ」
「何をですか」
「あの当主は、普通じゃない」
それだけ言って、ゴードンは歩き続けた。
普通じゃない。
リアナはその言葉を頭の中で繰り返しながら、アーシェルの街並みに戻ってきた。
夕暮れの石畳。
工房の看板。
いつもの景色。
でも明日、ここへ来たときには——何かが変わっている気がした。
根拠はない。
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