転生したら、もう会えないはずの彼女が隣にいた

まさき

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第4話|呼び方の癖

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第4話|呼び方の癖

 敬語は、無意識だった。
気づいたときには、もう口をついて出ている。
それが“癖”だと、彼女は言った。

翌朝、治療小屋の外は薄い霧に包まれていた。
 森の匂いと、湿った空気。
 この世界の朝にも、ちゃんと時間は流れているらしい。
「無理しないで。今日は安静」
 そう言って、彼女は俺の前に木の椅子を置いた。
 まるで、座る位置まで最初から決まっているみたいに。
「……分かりました」
 また、敬語が出る。
 無意識だった。
 けれど彼女は、気にした様子もなく頷いた。
「素直で助かるわ。言うことを聞いてくれる患者さんは、嫌いじゃない」
 冗談めかした口調。
 それなのに、胸の奥がざわつく。
 言うことを聞く。
 教えられる側。
 指示される側。
 そんな関係性が、頭の中で勝手に形を持ち始める。
 彼女は机に向かい、羊皮紙を広げた。
 何かを書き込みながら、ちらりとこちらを見る。
「昨日の薬、ちゃんと飲んだ?」
「……はい」
「嘘ついてない?」
 一瞬、言葉に詰まった。
「……少しだけ」
 彼女は小さく息をついて、苦笑する。
「やっぱり」
 責めるでもなく、呆れるでもない。
 ただ、見抜いているだけの声音。
 ――ああ。
 この感じだ。
 問い詰めないのに、逃げ場がない。
 相手が嘘をついている前提で、ちゃんと待つ。
 その立ち方を、俺は知っている。
「次は、ちゃんと全部飲みなさい」
「……はい」
 返事が、反射になっている。
 彼女はそれを見て、少しだけ不思議そうな顔をした。
「ねえ」
 ペンを置いて、こちらを向く。
「前から思ってたんだけど……」
 心臓が、嫌な音を立てた。
「あなた、私の前だと、妙に大人しいわね」
 言葉を失う。
 どう答えればいい。
 どう誤魔化せばいい。
「……そう、ですか」
「ええ。嫌じゃないけど」
 彼女はそう言って、首を傾げた。
「まるで、昔からそうだったみたい」
 その一言で、背中に冷たいものが走った。
 昔から。
 彼女は何気なく言っただけだ。
 意味なんて、考えていない。
 でも、俺の中では違う。
 昔から。
 最初から。
 呼び方も、距離も、返事の仕方も。
 全部、染みついている。
「……すみません」
 思わず、そう口にしていた。
 彼女は目を丸くする。
「謝ること?」
「いえ……癖みたいなものです」
 癖。
 それ以上、的確な言葉はなかった。
 彼女は少し考えるように視線を落とし、やがて柔らかく笑った。
「じゃあ、そのままでいいわ」
 そう言われた瞬間、胸がきゅっと締め付けられる。
 いいわ、じゃない。
 それは――許可だ。
 彼女は無自覚に、立場を取る。
 教える側。
 導く側。
 俺は、それに従う側だ。
 外に出ると、霧が少し晴れていた。
 治療小屋の前に立つ彼女の背中は、
 この世界でも、ちゃんと“役割”を持って立っている。
 ただの元恋人なら、
 こんな距離の取り方はしない。
 ただの再会なら、
 こんな安心感は生まれない。
 ――この人は、俺にとって。
 過去から、ずっと同じ場所に立っている。
 名前を呼びかけそうになって、
 慌てて口を閉じた。
 まだ言えない。
 まだ言ってはいけない。
 けれど、もう分かってしまった。
 彼女は、
 俺に「教える」立場の人間だった。
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