「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」

まさき

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第5話「そのやり方を、少し変えさせてもらいます」

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第5話「そのやり方を、少し変えさせてもらいます」

マリー主任が凛を呼び出したのは、五日目の朝だった。
 
「新人。ちょっと来な」
 
厨房の入り口で、腕を組んで立っていた。
五十代くらい。
がっしりとした体格で、白髪交じりの髪を固く結い上げている。
目つきが鋭く、口元に笑みはない。
王城のメイドとして二十年以上働いてきたという、古参中の古参だった。
 
凛は手を止めて、マリーの前に立った。
 
「なんでしょうか」
 
「調子に乗ってるって聞いたよ」
 
「調子に乗る、というのは具体的に何のことですか」
 
マリーの目が細くなった。
 
「エマに近づいてるだろ。あの子は問題のある子だ。新人が関わるもんじゃない」
 
「エマさんのどこが問題なんですか」
 
「生意気だからだよ」
 
凛は少し間を置いた。
 
「仕事ができるから、ということですか」
 
「なんだと」
 
「エマさんは厨房で一番仕事が速い。それが気に入らないということなら——それは組織の問題だと思います」
 
マリーの顔色が変わった。
頬がじわりと赤くなる。
 
「新人が何を言ってるんだ。ここのやり方は私が決める。二十年ここで働いてきた私がね」
 
「二十年のご経験は尊重します」
 
凛は静かに続けた。
 
「でも今、厨房には問題があります。新人の離職率が高い。仕事ができる人が正当に評価されていない。このままでは遅かれ早かれ、機能しなくなります」
 
「そんなことは余計なお世話だ」
 
「余計なお世話ではないと思っています」
 
マリーが一歩、凛に近づいた。
威圧するような距離感だった。
 
「もう一度言う。新人が出しゃばるんじゃない。ここのやり方に従えないなら、辞めてもらって構わない」
 
「辞めません」
 
即答した。
 
マリーが目を見開いた。
令嬢がここまではっきり言い返すとは、思っていなかったのだろう。
 
「今すぐ変えようとは言っていません」
 
凛は続けた。
声を荒げなかった。
怒りを出さなかった。
前世で学んだことの一つが、感情的になった方が負けだということだった。
 
「ただ——見ています。何が問題で、何が必要か。それだけです」
 
マリーはしばらく凛を睨んでいた。
それから鼻を鳴らして、背を向けた。
 
「生意気な新人だ。どうせすぐ辞める」
 
その背中に、凛は何も言わなかった。
 
 
――――
 
 
その日の昼休み、凛はエマを探した。
メイド棟の裏、小さな中庭のベンチにエマはいた。
一人で、膝の上に手を置いて座っている。
 
「マリー主任に呼ばれたって聞きました」
 
エマが顔を上げた。
 
「……凛さんのせいじゃないです。私が勝手についていくって言ったから」
 
「エマさんのせいでもないですよ」
 
凛はエマの隣に腰を下ろした。
 
「主任に何か言われましたか」
 
「新人と群れるなって。あと……仕事のやり方に口出しするなって」
 
「口出しした覚えがありますか」
 
「ないです。ただ黙って働いてただけで」
 
凛は中庭の木を見た。
葉が風に揺れている。
 
「エマさん。一つ聞いていいですか」
 
「はい」
 
「今の厨房で、一番非効率だと思うことは何ですか」
 
エマが少し驚いた顔をした。
それから、ゆっくりと考え始めた。
 
「……食材の管理、だと思います」
 
「どういうふうに?」
 
「在庫の確認が担当者によってバラバラで、毎朝同じ食材を二人が別々に確認しに行くことがある。それで時間をロスしてる。あと、腐りかけの食材を使う順番が徹底されてないから、食材を無駄にすることも多くて」
 
凛は頷いた。
 
「他には?」
 
「朝の仕込みの分担が毎日変わるから、誰が何をどこまでやったかわからなくなる。引き継ぎのやり方が決まってないから、同じことを二度やったり、逆に誰もやらなかったりする」
 
「全部、把握してたんですね」
 
エマは少し俯いた。
 
「言っても聞いてもらえなかったから。主任に一度提案したら、余計なことを言うなって怒鳴られて。それから何も言えなくなりました」
 
凛は少しの間、黙っていた。
 
(もったいない)
 
これほどの観察眼を持っている子が、黙らせられている。
エマが気づいていることを、きちんと整理して実行に移すだけで、厨房の効率は大きく変わるはずだった。
 
「エマさん、それを紙に書いてもらえますか」
 
「紙に?」
 
「問題点と、改善案。思いつく限り全部。主任に出すわけじゃないので、気にせず書いてください」
 
エマはしばらく凛を見た。
 
「……書いて、どうするんですか」
 
「私が使います」
 
「どうやって」
 
凛は立ち上がって、エマを見下ろした。
 
「順番に、やります」
 
 
――――
 
 
その夜、凛は自分の部屋で紙に向かった。
 
エマから聞いた問題点を整理して、優先順位をつける。
前世で何百回もやってきた作業だった。
 
まず手をつけるべきは——食材管理の統一だった。
 
在庫確認を一人が担当する当番制にして、記録を共有する。
使う順番を腐りやすいものから優先するルールを明文化する。
たったそれだけで、食材のロスと無駄な重複作業がなくなる。
 
問題は、主任の許可なく動けないことだった。
 
(直接動いても潰される)
 
マリー主任は自分のやり方を守ることに必死だった。
正面からぶつかっても意味がない。
必要なのは——上からの許可だった。
 
(マーガレットさんに話を通す)
 
面接でこちらを採用したあの人なら、話を聞く耳を持っている。
感触はそう悪くなかった。
数字と根拠を持って行けば、動いてくれるかもしれない。
 
凛はペンを走らせた。
改善前と改善後の工数の比較。
食材ロスを減らした場合のコスト削減の試算。
新人の離職率が下がった場合の採用コストの変化。
 
全部、前世で散々やった資料作りだった。
でも今は羊皮紙に羽ペンで書いているのが、少しおかしかった。
 
(環境が変わっても、やることは同じだな)
 
深夜になって、凛はペンを置いた。
資料は一通り仕上がっていた。
 
明日、マーガレットに時間をもらえるか聞いてみる。
断られるかもしれない。
でも、やってみなければわからない。
 
凛は窓の外を見た。
王城の灯りが、夜空の下に静かに光っている。
 
あの建物の中で、今夜も500人のメイドが働いている。
そのうちの何人が、エマと同じように声を殺して働いているだろう。
 
(全員を、ちゃんと見る)
 
焦らない。
でも、止まらない。
 
 
――――
 
 
翌朝、凛はマーガレットの執務室の前に立った。
 
扉をノックすると、低い声が返ってきた。
 
「入りなさい」
 
マーガレットは机に向かって書類を読んでいた。
凛が入ってきたのを確認して、眼鏡を外した。
 
「新人が私に用とは、珍しい。何かね」
 
「お時間を十分いただけますか。厨房の改善案を持ってきました」
 
マーガレットの眉が、わずかに上がった。
 
「改善案」
 
「はい。数字で整理してあります」
 
凛は羊皮紙をマーガレットの机に置いた。
マーガレットはそれを手に取り、眼鏡をかけ直して読み始めた。
 
沈黙。
 
部屋の中に、ペンの走る音だけが聞こえた。
マーガレットが何かに書き込んでいる。
 
やがて顔を上げた。
 
「……新人が五日でこれを作ったのか」
 
「はい」
 
「マリー主任は知っているか」
 
「知りません。主任を通すと潰されると判断したので、直接お持ちしました」
 
マーガレットは少し沈黙した。
それから、かすかに口元を動かした。
笑った、と気づくのに少し時間がかかった。
 
「正直だな」
 
「嘘をついても意味がないので」
 
「マリーが怒鳴り込んできても知らないぞ」
 
「覚悟しています」
 
マーガレットは再び資料に目を落とした。
 
「三日待ちなさい。検討する」
 
「ありがとうございます」
 
凛が頭を下げて扉に向かいかけたとき、マーガレットが言った。
 
「ヴェルナー令嬢」
 
「はい」
 
「なぜそこまでする。令嬢が、メイドの組織改善に命を削るほどのことがあるか」
 
凛は少し考えた。
それから、正直に答えた。
 
「エマさんが、三日間誰にも名前を呼ばれていなかったので」
 
マーガレットは何も言わなかった。
ただ静かに、凛を見ていた。
 
 
廊下に出ると、朝の光が石畳を照らしていた。
厨房の方から、慌ただしい音が聞こえてくる。
今日も朝食の準備が始まっていた。
 
(三日、待つ)
 
焦らない。
でも、止まらない。
 
凛は厨房へ向かう廊下を歩き出した。
 
 
——変わる。必ず、変えてみせる。
 
 
――――
 
 
【次話予告】
 
三日後、マーガレットから呼び出しがかかった。
隣には、青筋を立てたマリー主任がいた。
 
「あんたのせいで私が恥をかいた。どう落とし前をつけるつもりだ」
 
——落とし前は、結果で出します。
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