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4章: 波のまにまに愛を求めて

4-2 神永は・・・(挿絵あり)

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僕の眼前にあるのは、照りつける太陽!真っ白なビーチ!そして、青い海!ではなかった。

今僕の目に見えるのは、欠けた月と人気の無い薄暗いビーチと、真っ黒い海だった。

寄せては返す波に沿って、海岸線を歩く僕達。人気のない静寂なビーチに、ただ潮騒の音だけが聞こえてくる。冷たい海風が運ぶ潮の香りが、鼻先をくすぐる。



「2週間で3件だから、夏休みが終わるまでには事件が起きてくれると思うの。」



潮風に靡く長い髪を抑えながら、彼女はそう言った。



「これはまた根気がいるな。というか、今回の作戦に僕必要?」



今回の作戦は海に訪れた子供の記憶を神永が読み取って、犯人の手がかりを掴むというものだ。だから、僕の出番は無いように思える。



「何言ってるの、当たり前でしょう。もし仮に犯人が現れたら、それを拘束するのは貴方の役目なんだから。拘束用の手錠だってさっき渡したじゃない。」



「いやこれオモチャの手錠だよね。」



そう言って僕は彼女から先程受け取った手錠を彼女の眼前に突き出す。ちゃらちゃら、とプラスチック製のちゃちな作りをした手錠が海風に吹かれて頼りなく揺れている。



「しょうがないじゃない。ネットで適当に買ったものなんだから。」



「警視庁長官の娘なら家にちゃんとした手錠の一つや二つぐらいあるだろ!」



「無茶言わないで。父の寝室に忍び込めと言うの?そんなコソ泥みたいな真似、警視庁長官の娘である私が出来るわけないでしょ。」



警察のデータベースに無断アクセスしているような人間が。どの口が言っているのだろう。



「もー!結局僕、また危険な目に遭いそうじゃん!」



「あまり大声は出さないで。犯人がこの砂浜にいるかもしれないのよ。」



そんなやりとりをしながら、僕達は海水浴場の端まで辿り着いた。



「ここの海水浴場ってあんまり広くないんだな。」



「そうね。夜明けまでに10往復以上は、する事になりそうね。」



事件発生まであとトータルで何往復しなければならないのだろう。一度もこの海で泳がないのに、この海水浴場のことに誰よりも詳しくなってしまいそうだ。



それから、何もない海岸線を大体5往復ぐらいした。その間、僕達は特に何も会話を交わさなかった。彼女はそれほど会話を好むタイプではないし、僕も彼女とは仲良くなるつもりなどさらさらない。だから別段、その間流れていた沈黙が気まずいとは一切思わなかった。波の音に耳を澄ませ、黒い海に浮かぶ月をただ眺めながら歩いた。

海を眺めると、隣を歩く彼女の物憂げな横顔が視界に入った。


今、一体彼女は何を考えながら歩いているのか。一体今まで何を考えながら生きてきたのか。ミステリアスな彼女に対して、ふと頭に浮かんだそれらの疑問を「こんな奴のことなどどうでもいい」と思い直して、すぐに掻き消した。
アブラムシはアリに天敵から守ってもらう代わりに、糖度の高い汁を出してアリに食べさせる。それは相互利益の一致であり、そこに友情とかそんなものは当然無い。僕と彼女の関係はいわばアリとアブラムシだ。単なる共依存の無機質な関係で、僕がこれ以上彼女に踏み込む理由はない。



ただ、そうだと分かっていた上で、僕は神永にどうしても聞きたいことがあった。僕はその横顔に疑問を投げかけた。



「なぁ、神永。お前は、『死』に魅力を感じるか?」



歩きながら、横目で彼女は僕の顔を見た。

僕はこの能力を得てから、他人の死の記憶を視る事に取り憑かれている。でも能力を得る前、僕は死が美しいと感じる事は全くなかった。むしろそんなのは悪趣味だと言って、眉を顰めたことだろう。

果たして、この目覚めた新しい趣向が、能力の影響によるものなのか、それとも能力はただのきっかけに過ぎず、これは僕が元から持っていた性質なのかを僕は知りたかった。だから、同じ一線を超えない能力者である神永に聞いておきたかったのだ。お前は他者の死の記憶に惹かれる事はあるのか、と。



「・・・私は・・・・・・」



彼女にしては珍しく、何やら口籠もっている。少し彼女の内面に踏み込む話題なので「貴方にそんな事は関係ないでしょう」と言って突っぱねられる事も考えていたが、意外に僕の質問をしっかり受け止めてくれた様だ。



「・・・私は、魅力を感じるわ。」



僕と同じく海を眺める神永。ちょうど僕に背を向ける形となるその表情を、伺い知る事は出来ない。彼女の風に靡いた艶のある髪が、月光を受けてきらきらと輝いた。



「・・・じゃあ、やっぱり死に関する記憶を覗くことは、お前にとって楽しい事なのか?」



彼女は振り向かないまま答える。



「いいえ、私には、自殺願望がある。」



「・・・・・・」



予想しなかった返答に、僕は静かに驚いた。この自信に満ち溢れた高慢な彼女が、自ら自殺願望がある事を口にするとは。



「ーーでも、私には理想の死に方があるの。ただ死にたいというわけでは無い。」
 


そう言うと、彼女は夜空を見上げる。いつもの冷たい眼差しではない。空を見つめるその瞳には、今まで見たことの無い輝きが宿っていた。



「私は星空の下、草原で白骨化したいの。吸い込まれそうな星空を眺めて、草原を撫でる風を肌で感じて、地面に生える草の感触を確かめて。土になっていく自分を感じながら、そうして静かに白骨になりたいの。ねぇ、とても幻想的で美しい情景だと思わない?」



夜空を見上げ目を瞑り、静かにそう問いかける神永に、僕はなんと言葉を返していいものか戸惑っていた。唐突に繰り広げられた彼女の特殊な自殺願望に、僕は正直面食らっていた。

「何故お前はそんな自殺がしたいのか」と、その動機を聞いてみたかった。だがそれは流石に踏み込み過ぎている。僕と彼女の関係値的に、聞いて良い部分では無い気がする。それに、今の彼女は何か近寄り難い雰囲気を帯びている。危険な匂いだ。本能的に、僕は今の神永には物理的にも精神的にも、近づきたく無いと感じた。



暫くの沈黙の間、ざぁざぁと波の音だけが流れる。この瞬間初めて、僕は彼女との沈黙が気まずいと感じた。僕がそうしてずっと黙っていると、今度は彼女から質問してきた。



「私も一つ、貴方に聞きたい事がある。」
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