血の一滴すら、あんたの物になる前に

せみしぐれ

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こんばんは2

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(こいつ、は)

 男は黒いマントを身に着け、やはり黒く短い髪の間から、赤く染まった目が覗いていた。
 随分と古い装いに、手首や胸元から白いフリルがはみ出している。

「それにしても、随分と荒らしてくれましたね」

 ニコの頭上側に立ちながら辺りを見渡すと、男はため息じみた声で言った。

「私の散歩コースだったんですよ。それなのにこんなにおびただしく、しかも幾日も幾日も滞在なされてるから――」

 ニコは瞬きもせずに、文句を言う男を凝視した。
 こいつは人ではない。同族だ。
 声を掛けられるまで気配を全く感じられなかったことに、凍り付く思いがした。
 とても力のある吸血鬼だ。濁る頭でも、すぐに理解できた。
 気付かれているのを分かっているだろうに、完璧に力を抑え込み、人のフリをして、手足と胴を半分以上なくした自分に話しかけている。
 死の間際か、この男の存在のせいか、再び呼吸が荒くなる。

「ああ、申し遅れました。私――」
「なのら、」

 喉をこじ開け、男の言葉を遮り、ニコは言った。

「名乗ら、なくて……いい」

 言い終わるや、ゲホゲホと咳が止まらなくなる。
 決して強がっているわけではない。名乗られた以上、名乗らされるのが、お偉いさんの常だ。自分よりも古い時代に生まれた吸血鬼が、名乗った相手を使役できる力なぞ持っていたら、たまったものではない。

「なんの、よ、で……?」
「……散歩コースだと言ったでしょう。その最中ですよ」

 この島で戦闘を始めてから半月以上経っている。戦地が散歩とは、いささか趣味が悪すぎる。

「ハ……よそ、行け……」

 無理やり笑いながら、兵士が行方不明や変死で発見されたことはなかっただろうかと考える。
 道すがら花の蜜を吸うように、野郎共を『吸う』ようなことはしていないだろうが、やはり違う場所で散歩しろと思わざるを得ない。

「ところで貴方、顔色が悪いようですが。大丈夫ですか?」

 いけしゃあしゃあ、と男が言ってのけた。
 本当になぜなだと言わんばかりの顔だったので、死にかけにしては中々な怒りが、ニコの中に生まれてきた。

「っすみ、ませ、が。そこ……っやろう」
「……野郎? ……ああ」

 目配せで、側で死んでいる敵兵を示した。
 もし彼が、この状態を余興と感じているなら、今のうちに活路を見出さなければいけない。
 一蹴されようと、可能性がないに等しくとも、もはや、この方法しかないだろう。
 ニコは申し訳程度の敬語で懇願するため、口を必死に開いた。

「おれっ、の、かおに……っ」
「はい」

 寄せてくれという前に、男がやや焦げ付いた腕を、差し出してきた。
 ぽた、ぽたと、顔に大小の血の雨が降ってくる。

「……っは」

 鮮度のないそれが頬を打つのを、ニコは絶句の表情で眺めた。
 助けてくれるのか。
 秋が深まり、冷え込む日も増えたとはいえ、うじが湧いもおかしくないほど不衛生な死体を掴んでまで、こんな下級の同族へ。
 そこまで思っていると、ふと、何かがおかしいことに気付く。

「……おい」
「はい?」

 血は振ってくるが、口へ垂れてくる気配が、全くなかった。

「もっと……下、に」
「下? ああはいはい」

 言うや、男は自分にとっての下、というか手前、つまりニコの額にずらし、思いきり腕を握りしめて絞り出した。
 顔の上半分がびちゃびちゃになっていく。

「まてまてまて」

 鼻の下筋を通った血を必死で舐めとり、わずかに気力が戻ってニコが叫ぶ。

「く、くちにっ、口に垂らして、いただけないか!?」

 だいぶ動くようになった首と舌を動かしながら、なんとか口へ垂れるよう調整するが。

「しかし、男の血なんかよく飲めますね貴方」

 話を逸らされた。
 さっきからずっと、眼球が点眼薬をさしたような感覚がして、ろくに視界が使えない。
 このまま男に遊ぶだけ遊ばれて、飽きた、と、プチリと頭を踏まれて仕舞にされるのだろうか。

「おや」

 唐突に、意外そうな声が降ってきた。
 ニコは険しい顔で男を見る。

「目が赤くなってしまいましたね」

 当たり前すぎることを言われ、誰のせいだと言いたくなった。
 吸血鬼は先天性だろうが後天性だろうが皆赤くなる。力の強さが関係しているらしく、ニコは黒同然の赤だったが。

「おそろいだ」

 鮮血のように赤い目の男は、マントが地面に着くのも構わず屈みこむや、瞼を細めて嬉しそうに笑った。
 胡散臭いのに、本当に喜んでいるように、見えてしまった。

(……いや、白目が染まってるだけだろに)

 ようやく唇に垂れてきた血に舌を這わせながら、ニコは心の中で突っ込んだ。
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