人生ゲーム

オダ暁

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第1話

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この世で一番大切なものは何?

目に見えない愛や夢・・

確固とした名誉・・

それともお金・・

一つだけ選ぶとしたら、あなたはどれが欲しいですか?



 由利という名の、その女性に出会ったのは、私がバンド公演が終わった蒸し暑い真夏の夜だった。



「まったくよオ、頭にくるぜ。演奏中にあくびくらいならともかく、居眠りしやがってさ」



 生ビールのジョッキを片手に、リードギターの良樹は、鷲鼻のいかつい顔を歪めて声高に言った。



「でも途中でフケた客より、ましなんじゃないか?皆、お金払って見にくるわけだし・・」



 ベースの学が横やりを入れる。男前で常に冷静沈着な彼は、自他共に認める私の恋人だ。



「わかってるさ、そんなこと。バイトに皆追われてて練習不足だったんだ。憧れの

<穴ぐら>でやっと演奏できたってのに・・ったく情けねえぜ」



 ビールをぐいぐいあおりながら、グチめいた言葉を吐き続ける良樹と彼をなだめる学と私は、渋谷の駅裏にある安酒場で古ぼけた木製のテーブルを囲んでいた。キーボードとドラムの男はライブがはねた後、気が滅入ったのかさっさと帰ってしまっていた。

 それにしても客の反応は残酷なほど正直だ。いいものには瞳を輝かせ歓声を上げるが、興味がなければプイとそっぽを向く。それに対して文句の言えない世界に私たちはいた。



「洋子さんの歌だって、けっして悪かないのに」



 良樹の矛先が無言でバーボンの水割りをすすっていた私に向く。彼は同意を求める目で私を見つめた。



「そうね・・でも私程度ならいくらでもいるわ」



 指にはさんだ煙草に火を点けながら、私は小声で答えた。クーラーの排気口が傍にある為、煙が流れてしまい吸いづらい。冷房の利きも強すぎてタンクトップの重ね着だけでは寒く、私はいらついていた。



「けっきょく・・努力が足らなかったわけよね。だったら、もっとがんばればいいじゃない。私たちプロになる夢を実現させたいんでしょう?」



 まずい煙草をもみ消し、私は心と裏腹なことを口にしていた。大学の音楽サークルで知り合った良樹と学。卒業してからも三人とも就職せずにバイトをしながらバンド活動を続けて二年になるが、たまにライブハウスに出るのがやっとの状況だった。それも今回のごとく不成功なのだから、とてもプロになれるとは思えない。あとのメンバーは就職してしまった仲間の後釜につけやきばで調達したせいか、腕前も個性も凡庸だった。しかし、そんな彼らにさえも逃げられるかもしれないのだ。

 が、洞察力の鈍い良樹は



「そうだよな、俺たちには大きな夢があるんだ。よおし、もう一回ふんどし締め直してがんばるか」

「そうさ、その意気だよ」



 学がほっとしたように、相づちを打つ。

 こんな会話を何度繰り返したことだろう・・私は過去の似た場面を回想しつつ、ため息を秘かについた。

 目の前で微笑んでいる、最愛の学。彼はバンドの将来に希望を感じているのだろうか。ルックスもギターの腕もいいのに売れないのは、他のメンバーのせいだと気付いているはずなのに。いや、もしかしたら私自身が彼の足枷になってるのかもしれない・・

 そう思うや急に涙があふれ、慌てて私は椅子から立ち上がる。彼らから目をそらして「化粧を直してくるわ」と言い残し、洗面所に向かった。



 ハンカチで目元を押さえ、鏡台にもたれていた私の背後に、突然その女は現われ優しく言葉を投げた。



「大丈夫?」



 何のことか、私は咄嗟にはわからなかった。眼前の鏡に映っている美貌の女と目が合い、思わず振り向く。

 それが得体の知れない女、由利との初めての出会いだった。



「目が赤いわ、泣いてたんでしょう?」



 返答ができずに立ちすくんでいる私を彼女は穏やかな眼差しで見ていた。若くて美人だが、ありがちなタイプではなく、上品でいかにも育ちが良さそうな、こんな場に不似合いな女だ。涼しげな半袖のクリーム色のスーツは生地や仕立てが良さそうだし、時計や指輪といった小物も値がはりそうな高級品だと素人目にも察せられた。



「どうして、そんなこと・・」



 私はようやく唇を開いて、女に問い返す。気味の悪さと好奇心が混ざった、不思議な感情が湧いていた。



「ごめんなさい。私、あなたの真後ろに座っていたから、あなたたちの会話が聞こえてしまったの」



 さも申し訳なさそうに、女は伏し目がちになった。



「私の後ろに?」

「そう、あなたたちのすぐあとに坐ったの。全然気付かなかったでしょう?何か深刻な雰囲気だったわ」



 女はおもむろに近づいてきた。ボブ風の黒髪はつややかで、薄化粧された肌もきめが細かく若々しい。同年輩だろうと、私は推測した。



「突然、話し掛けてごめんなさい。びっくりしたでしょう?あなたが泣いてるように見えて、つい気になって・・余計なお世話よね?」



 ささやくような甘い声と、白檀のほのかな香りに包まれ、私は一瞬、我を忘れてしまったのかもしれない。言葉を失ったかのごとく、呆然としている私に女はにっこりと微笑んだ。



「私、あなたがうらやましいわ」

「・・どうして?」

「だって、私にないもの一杯持っているんですもの」



 女の唐突な告白は、私をさらなる混乱に導いた。私にあって女に無いものなど、貧乏なことくらいしか想像できない。



「本当よ、プロになる夢をかなえる為にがんばったり、そういう仲間がいるなんて事・・私は一度だって経験したことないわ」



 安酒場の暗くて狭い洗面所。ふいに出会った、自分とは異質な女。まるで映画のワンシーンのようで、現実感がなく、私はとまどうばかりだった。

 女はセカンドバッグから何かを取り出した。名刺サイズの紙にていねいな手書きで名前と携帯番号の番号が記されている。



「私、由利です。よかったらお友達になってくれません?」

「私と?」



 反射的に受け取った手製の名刺を片手に、私は素頓狂な声を上げていた。初対面の男性からナンパされることはたまにあるが、相手は女性なのだ。



「そう、あなたと・・本気よ。だって私のまわりにあなたみたいな人いないんですもの。私と同じようなタイプばかり」



 うんざりした表情を由利は浮かべる。



「私、もうすぐお見合いさせられるの、父の会社に有益な相手とね。その前に青春らしい経験をしたいのよ。熱烈な恋愛もしてみたい。でもそれはたぶん無理だから・・せめて、洋子さんみたいな女友達が欲しいの」



 名前を呼ばれ、私は思わず息を飲んだ。さっきのテーブルでの会話を聞いて知ったのだろうが、やはり薄気味悪い。いぶかしげな様子の私に由利は、



「ごめんなさい、でも本当に電話待ってるわ」



 と気恥ずかしげに告げ、そそくさと洗面所から出ていった。



 私は慌ててポシェットに名刺をねじ込み、彼女の後ろ姿を目で追いながら元のテーブルに戻る。酔客らの嬌声で店内は騒々しい。

 由利は席には戻らず、すたすたと会計カウンターまで歩いていく。



「遅かったけど、気分は悪くない?」

「大丈夫よ」



 心配顔の学に答える。本当は狐につままれたような気分だ。

 振り返って再び見た時には、彼女はもういなかった。うしろの二人掛けのテーブルにカンパリのグラスが半分飲みかけのまま残されていた。

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