2 / 3
第2話
しおりを挟む
あとになって、なぜこの時点でジ・エンドにしなかったのかと自問する。私は学生でも主婦でもない、夢を追うフリーターという中途半端な存在だった。その見果てぬ夢を捨て切れず、不安だったからかもしれない。
「嬉しいわ、洋子さんからの電話ずっと待っていたのよ」
一週間後に電話をした私に、受話器の向こうで由利は弾んだ声で言った。
「変な女だと思ったでしょう」
「・・いいえ・・」
「我ながら大胆なことしたわ。でも、お話したことは本当の気持ち。あなたみたいな人と友達になりたかったの」
「私なんかと・・」
「なんかは余計よ」
ひとしきり朗らかに笑い、由利は自分のことを喋りはじめた。何不自由ない贅沢な生活。今までずっと親の敷いたレールの上を安穏と生きてきたが、人形のように味気ない暮らしだと言う。
「でも私は由利さんがうらやましい。所詮プロになるなんてこと無理だし、お金がもっとあればどんなにいいだろうと、いつも思ってるもの」
「お金なんて一杯あっても虚しいだけよ、それより夢が欲しいわ」
「アパート代の支払いさえも苦しい、かつかつの生活でも?」
束の間、沈黙があった。控えめに、どこか躊躇しながら由利は、こう切りだしてきた。
「良かったら、私にあなたの夢の協力をさせてくれないかしら」
「協力?」
「そう、きっとお役にたてると思うわ・・そのかわり一緒に夢を見させてほしいの、他の世界を教えてほしいの」
酔狂なことを考える女だと、私は内心あきれていた。恵まれすぎて暇と金を持て余しているのだろうか。が、ことさらに断る理由もなかった。
「じゃ、よろしくお願いします」
「いいのね、協力させてもらっても」
「ギブアンドテイクということで」
「嬉しいわ」
由利は協定を結べて、心底うれしそうだった。私たちは次に会う約束を取り付け、電話を切った。自分とは違う世界に住むお嬢様と、私はこんなやりとりから親しくなっていった。
それにしても由利は、俗世間の若者が好む遊興に、ことごとく未体験だった。ライブハウスの熱気のある生音響やクラブで汗だくになって踊り狂う輩を、おのぼりさんのように目を見はって驚嘆するのだった。
「洋子さんのおかげだわ、こんな所に来れるのも」
「そんなにおもしろい?」
「ええ、とっても」
それらの費用は、すべて由利のサイフから出ていた。さいしょ遠慮がちだった洋子も、しだいにオゴられることが当たり前になっていった。
バンドのメンバーに由利を紹介した時、彼らは口々に言ったものだ。
「あんなお嬢様が俺たちの音楽に興味あるなんて嬉しいぜ」
「洋子さんの友だちじゃ珍しいタイプだなあ」
「上品だし綺麗だし、まさに高嶺の花」
いつのまにか由利はバンドの集まりにも顔を出すようになっていった。
「俺たち、ちょっと彼女に甘えすぎじゃないか」
嬉々として貸しスタジオ代や器材費のカンパをする由利に、学だけは渋い顔を見せた。
「絶対まずいよ、ハングリー精神がなくなっちまう」
それに対して良樹や他のメンバーは
「いいじゃねえか、相手は超大金持ちなんだから」
と笑い飛ばしていた。
由利は私を時どき、彼らには内緒で自分のテリトリーの場所に誘ったが、それは私がかつて足を踏み入れたことのない高級な世界だった。
たとえば銀座のマキシムや帝国ホテルのレストラン、著名人が出入りしている美容院やブティック。
由利からプレゼントされた洋服やアクセサリーを身につけた私は、深窓の令嬢さながらに変身し、そして未体験ゾーンに目をまるくするのは、今度は自分の番だった。
「なんか別世界にいるみたい・・」
そんな私に、余裕のある態度で微笑む由利がまぶしかった。
倉橋に出会ったのは、やはり由利に案内された高層ホテルにある、会員制のバーだった。
長身瘦躯で年齢は三十前後。銀灰色のシルク仕立てのスーツにロレックスの腕時計という出で立ちで、彼は突然私たちの前に現われた。
「はじめまして。由利の従兄で、倉橋といいます」
私は窓際のテーブルで、由利と向き合って座っていた。見知らぬ男にいんぎんな挨拶をされ、とまどう私に由利は苦笑いして説明した。
「ごめんなさい、予告なく会わせちゃって。あんまり私があなたの話ばかりするものだから、彼、あなたに会ってみたいって言い出したのよ。今日ここに来る話はしたけど、まさか本当にやってくるなんて・・」
困惑顔の彼女から傍らで立ったままの倉橋に視線を移し、
「よかったら御一緒に」
と私は声をかけた。
倉橋はほっとしたように、品のある端正な顔をほころばす。じゃお言葉に甘えて、彼はそう一言断り、由利の隣に静かに腰を下ろした。
「彼、私の父の会社に勤めているの。私ひとりっ子だから、もしかしたら次期社長になるかもね」
悪戯っぽい目で、由利は倉橋の顔をのぞきこむ。
「やめろよ、いきなり変な話」
倉橋は眉をひそめて
「洋子さんがびっくりしてるじゃないか」
と続ける。
名前を呼ばれたことに、むしろ私は驚いていた。彼は機敏にそれを察知し
「あ、すみません。軽々しく、洋子さんなんて口にして。由利から聞いてたものだから、つい・・」
「いいんです、そう呼んでください」
私はすまして答えたが、いつになく緊張していた。倉橋のような洗練された男は、今まで周囲にいなかった。
オーダーを取りにきたボーイに、彼は迷わずドライマティニを注文する。
窓の外はみごとな夜景。ガスライトの灯るテーブル。冷えたカクテルを飲みほし、私は身体も心も酔っていた。
目の前にいる由利と倉橋。まぎれもなく上流階級の彼らと対等に談笑している自分に酔ってたのかもしれない。
「すごいなあ、バンドで歌ってるんでしょう」
彼はさも感心したように私に言う。由利が横から口をはさむ。
「洋子さん、とっても上手よ。でも曲や歌詞がちょっと平凡だから・・」
彼女の言う通りだった。うちのバンドには歌作りの名人がいないのだ。由利のような素人にさえ見抜かれていることがショックだった。
帰りしな駅で別れる際に、倉橋は
「又、ぜひお会いしたいです」
と私の耳元でささやいた。学という恋人がいながら、その瞬間、私の胸は妖しくざわめいた。火照った頬を鎮めるように涼風が吹き抜けていく。知らぬ間に、夏は終わろうとしていた。
「嬉しいわ、洋子さんからの電話ずっと待っていたのよ」
一週間後に電話をした私に、受話器の向こうで由利は弾んだ声で言った。
「変な女だと思ったでしょう」
「・・いいえ・・」
「我ながら大胆なことしたわ。でも、お話したことは本当の気持ち。あなたみたいな人と友達になりたかったの」
「私なんかと・・」
「なんかは余計よ」
ひとしきり朗らかに笑い、由利は自分のことを喋りはじめた。何不自由ない贅沢な生活。今までずっと親の敷いたレールの上を安穏と生きてきたが、人形のように味気ない暮らしだと言う。
「でも私は由利さんがうらやましい。所詮プロになるなんてこと無理だし、お金がもっとあればどんなにいいだろうと、いつも思ってるもの」
「お金なんて一杯あっても虚しいだけよ、それより夢が欲しいわ」
「アパート代の支払いさえも苦しい、かつかつの生活でも?」
束の間、沈黙があった。控えめに、どこか躊躇しながら由利は、こう切りだしてきた。
「良かったら、私にあなたの夢の協力をさせてくれないかしら」
「協力?」
「そう、きっとお役にたてると思うわ・・そのかわり一緒に夢を見させてほしいの、他の世界を教えてほしいの」
酔狂なことを考える女だと、私は内心あきれていた。恵まれすぎて暇と金を持て余しているのだろうか。が、ことさらに断る理由もなかった。
「じゃ、よろしくお願いします」
「いいのね、協力させてもらっても」
「ギブアンドテイクということで」
「嬉しいわ」
由利は協定を結べて、心底うれしそうだった。私たちは次に会う約束を取り付け、電話を切った。自分とは違う世界に住むお嬢様と、私はこんなやりとりから親しくなっていった。
それにしても由利は、俗世間の若者が好む遊興に、ことごとく未体験だった。ライブハウスの熱気のある生音響やクラブで汗だくになって踊り狂う輩を、おのぼりさんのように目を見はって驚嘆するのだった。
「洋子さんのおかげだわ、こんな所に来れるのも」
「そんなにおもしろい?」
「ええ、とっても」
それらの費用は、すべて由利のサイフから出ていた。さいしょ遠慮がちだった洋子も、しだいにオゴられることが当たり前になっていった。
バンドのメンバーに由利を紹介した時、彼らは口々に言ったものだ。
「あんなお嬢様が俺たちの音楽に興味あるなんて嬉しいぜ」
「洋子さんの友だちじゃ珍しいタイプだなあ」
「上品だし綺麗だし、まさに高嶺の花」
いつのまにか由利はバンドの集まりにも顔を出すようになっていった。
「俺たち、ちょっと彼女に甘えすぎじゃないか」
嬉々として貸しスタジオ代や器材費のカンパをする由利に、学だけは渋い顔を見せた。
「絶対まずいよ、ハングリー精神がなくなっちまう」
それに対して良樹や他のメンバーは
「いいじゃねえか、相手は超大金持ちなんだから」
と笑い飛ばしていた。
由利は私を時どき、彼らには内緒で自分のテリトリーの場所に誘ったが、それは私がかつて足を踏み入れたことのない高級な世界だった。
たとえば銀座のマキシムや帝国ホテルのレストラン、著名人が出入りしている美容院やブティック。
由利からプレゼントされた洋服やアクセサリーを身につけた私は、深窓の令嬢さながらに変身し、そして未体験ゾーンに目をまるくするのは、今度は自分の番だった。
「なんか別世界にいるみたい・・」
そんな私に、余裕のある態度で微笑む由利がまぶしかった。
倉橋に出会ったのは、やはり由利に案内された高層ホテルにある、会員制のバーだった。
長身瘦躯で年齢は三十前後。銀灰色のシルク仕立てのスーツにロレックスの腕時計という出で立ちで、彼は突然私たちの前に現われた。
「はじめまして。由利の従兄で、倉橋といいます」
私は窓際のテーブルで、由利と向き合って座っていた。見知らぬ男にいんぎんな挨拶をされ、とまどう私に由利は苦笑いして説明した。
「ごめんなさい、予告なく会わせちゃって。あんまり私があなたの話ばかりするものだから、彼、あなたに会ってみたいって言い出したのよ。今日ここに来る話はしたけど、まさか本当にやってくるなんて・・」
困惑顔の彼女から傍らで立ったままの倉橋に視線を移し、
「よかったら御一緒に」
と私は声をかけた。
倉橋はほっとしたように、品のある端正な顔をほころばす。じゃお言葉に甘えて、彼はそう一言断り、由利の隣に静かに腰を下ろした。
「彼、私の父の会社に勤めているの。私ひとりっ子だから、もしかしたら次期社長になるかもね」
悪戯っぽい目で、由利は倉橋の顔をのぞきこむ。
「やめろよ、いきなり変な話」
倉橋は眉をひそめて
「洋子さんがびっくりしてるじゃないか」
と続ける。
名前を呼ばれたことに、むしろ私は驚いていた。彼は機敏にそれを察知し
「あ、すみません。軽々しく、洋子さんなんて口にして。由利から聞いてたものだから、つい・・」
「いいんです、そう呼んでください」
私はすまして答えたが、いつになく緊張していた。倉橋のような洗練された男は、今まで周囲にいなかった。
オーダーを取りにきたボーイに、彼は迷わずドライマティニを注文する。
窓の外はみごとな夜景。ガスライトの灯るテーブル。冷えたカクテルを飲みほし、私は身体も心も酔っていた。
目の前にいる由利と倉橋。まぎれもなく上流階級の彼らと対等に談笑している自分に酔ってたのかもしれない。
「すごいなあ、バンドで歌ってるんでしょう」
彼はさも感心したように私に言う。由利が横から口をはさむ。
「洋子さん、とっても上手よ。でも曲や歌詞がちょっと平凡だから・・」
彼女の言う通りだった。うちのバンドには歌作りの名人がいないのだ。由利のような素人にさえ見抜かれていることがショックだった。
帰りしな駅で別れる際に、倉橋は
「又、ぜひお会いしたいです」
と私の耳元でささやいた。学という恋人がいながら、その瞬間、私の胸は妖しくざわめいた。火照った頬を鎮めるように涼風が吹き抜けていく。知らぬ間に、夏は終わろうとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
妹の仇 兄の復讐
MisakiNonagase
青春
神奈川県の海に近い住宅街。夏の終わりが、夕焼けに溶けていく季節だった。
僕、孝之は高校三年生、十七歳。妹の茜は十五歳、高校一年生。父と母との四人暮らし。ごく普通の家庭で、僕と茜は、ブラコンやシスコンと騒がれるほどではないが、それなりに仲の良い兄妹だった。茜は少し内気で、真面目な顔をしているが、家族の前ではよく笑う。特に、幼馴染で僕の交際相手でもある佑香が来ると、姉のように慕って明るくなる。
その平穏が、ほんの些細な噂によって、静かに、しかし深く切り裂かれようとは、その時はまだ知らなかった。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる