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第5話
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私は夢を見ていた
天井にぽっかりあいた黒い穴
ユラユラ昇っていき、そこに吸い込まれていく
もとの部屋とまったく同じ部屋があった
だけど何かが違う
空気が澱んでいる
邪気に充ちている
禍々しい異空間、ここにいてはいけない
それは本能的な勘だった
確信といってもよかった
滑るように穴をくぐり、私は下に落ちていった
えんえんと続く長い闇をどこまでも、果てしなく落ちていく
途中、光の洪水がいきなり現れた
茜色のまばゆい光
いつか見た、あの夕焼けの色だった
「あっ、目をあけた」
「良かったな」
幾人かの見覚えのある顔が私を見下ろしていた。マンションの管理人や住人だった。
私は四階の踊り場の手前で倒れていた。誰かが見つけて大騒ぎになり、管理人がやってきたとろこで気がついたらしい。
救急車を呼ぼうとしていたと聞かされ中山五郎だった記憶が頭をよぎった。
やはりあれは夢だったのだ。ひどくリアルだったが。
私はほっと息をついた。立ち上がり、皆に礼を言って、通路を歩き出した。
何やら奇妙な感覚が、なまぬるい風とともに身体をすり抜けていく。
「ゆっくり気をつけて歩いてください、コスギさん」
うしろで誰かの声がした。
聞き覚えのある低い声。
それは私の声に似ていた。
嫌な予感がしたが振り返らなかった。
一瞬・・時が止まった気がした。まわりの喧騒が消えていく。
日が翳っている
山の稜線が黄金色に染まっていた
天と地と人が織りなす
あたりまえのように繰り返す日常
ずっと続くと信じていた安寧
昨日までは疑っていなかった
でも今は・・
ぎくしゃくと歩いて、私はようやく扉の前に立った。
四〇三号室、この部屋番号のはずだった。色褪せた表札は達筆な文字で
【小杉信次】と書かれて、その横に妻の名前があった。
小杉信次?
コスギシンジ?
どこかで聞いた名だ。
私はどこに消えてしまったのか?
私はすぐに思い出した。あの夢の中で、妻が言い放った冷淡な言葉を。
もう何も気にしないくていいのよ、あの人は勝手に死んだのだから
結局、弱い人だったのよ
信次さんは・・・
シンジさんは・・・
さっき感じた不安、まさかと打ち消した想像、それらが色を帯びて眼前に迫ってくる。
信次は死んでいない。
生きている、この世界で。
そう、今おそらく小杉信次は私、この私なのだ。
それが証拠に今着ているスーツは礼服ではない。銀縁眼鏡もかけていない。ネクタイも黒ではなく、見たことない地味な縞模様だった。
だが戻る場所が、他にどこにあるというのか。
いつものようにチャイムを押す。インターフォンから聞こえてくる妻の声に、私は安堵した。すこしして扉が開き、憂いのある笑顔が覗く。
どの世界も彼女は変わらない。妖しい美しさで男を魅了し、知らず知らずのうちに破滅に追い込んでしまう、天使の姿をした悪魔のような女。
それが私の妻だった。時空を超えて、彼女はいつも私の傍にいた。
どこかで海鳴りの音がした。じりじりと焼けついた砂の匂いの記憶がよみがえる。
自分が誰なのか、いったい誰だったかわからない・・いや誰であっても、もうかまわない。
私は扉の中にはいっていった。
※【メビウス】
横長の長方形の紙の両端をひとひねりした通称「メビウスの輪」から引用
この面上をぐるっと一周すると最初とは反対側に来てしまい、さらにもう一周するともとの面に出る。
天井にぽっかりあいた黒い穴
ユラユラ昇っていき、そこに吸い込まれていく
もとの部屋とまったく同じ部屋があった
だけど何かが違う
空気が澱んでいる
邪気に充ちている
禍々しい異空間、ここにいてはいけない
それは本能的な勘だった
確信といってもよかった
滑るように穴をくぐり、私は下に落ちていった
えんえんと続く長い闇をどこまでも、果てしなく落ちていく
途中、光の洪水がいきなり現れた
茜色のまばゆい光
いつか見た、あの夕焼けの色だった
「あっ、目をあけた」
「良かったな」
幾人かの見覚えのある顔が私を見下ろしていた。マンションの管理人や住人だった。
私は四階の踊り場の手前で倒れていた。誰かが見つけて大騒ぎになり、管理人がやってきたとろこで気がついたらしい。
救急車を呼ぼうとしていたと聞かされ中山五郎だった記憶が頭をよぎった。
やはりあれは夢だったのだ。ひどくリアルだったが。
私はほっと息をついた。立ち上がり、皆に礼を言って、通路を歩き出した。
何やら奇妙な感覚が、なまぬるい風とともに身体をすり抜けていく。
「ゆっくり気をつけて歩いてください、コスギさん」
うしろで誰かの声がした。
聞き覚えのある低い声。
それは私の声に似ていた。
嫌な予感がしたが振り返らなかった。
一瞬・・時が止まった気がした。まわりの喧騒が消えていく。
日が翳っている
山の稜線が黄金色に染まっていた
天と地と人が織りなす
あたりまえのように繰り返す日常
ずっと続くと信じていた安寧
昨日までは疑っていなかった
でも今は・・
ぎくしゃくと歩いて、私はようやく扉の前に立った。
四〇三号室、この部屋番号のはずだった。色褪せた表札は達筆な文字で
【小杉信次】と書かれて、その横に妻の名前があった。
小杉信次?
コスギシンジ?
どこかで聞いた名だ。
私はどこに消えてしまったのか?
私はすぐに思い出した。あの夢の中で、妻が言い放った冷淡な言葉を。
もう何も気にしないくていいのよ、あの人は勝手に死んだのだから
結局、弱い人だったのよ
信次さんは・・・
シンジさんは・・・
さっき感じた不安、まさかと打ち消した想像、それらが色を帯びて眼前に迫ってくる。
信次は死んでいない。
生きている、この世界で。
そう、今おそらく小杉信次は私、この私なのだ。
それが証拠に今着ているスーツは礼服ではない。銀縁眼鏡もかけていない。ネクタイも黒ではなく、見たことない地味な縞模様だった。
だが戻る場所が、他にどこにあるというのか。
いつものようにチャイムを押す。インターフォンから聞こえてくる妻の声に、私は安堵した。すこしして扉が開き、憂いのある笑顔が覗く。
どの世界も彼女は変わらない。妖しい美しさで男を魅了し、知らず知らずのうちに破滅に追い込んでしまう、天使の姿をした悪魔のような女。
それが私の妻だった。時空を超えて、彼女はいつも私の傍にいた。
どこかで海鳴りの音がした。じりじりと焼けついた砂の匂いの記憶がよみがえる。
自分が誰なのか、いったい誰だったかわからない・・いや誰であっても、もうかまわない。
私は扉の中にはいっていった。
※【メビウス】
横長の長方形の紙の両端をひとひねりした通称「メビウスの輪」から引用
この面上をぐるっと一周すると最初とは反対側に来てしまい、さらにもう一周するともとの面に出る。
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