安瀬乃片敷六丁目六番地六号より

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第六十話 乳母車

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 怖い話は知らないなぁ…
 なんとも言えない経験ならあるけど。え、それでいい? はぁ…
 じゃあそれ話してやるよ。

 一昨年の夏は暑かったよな。十月に入ってもまるで真夏日でさぁ。夕方になっても暑い日が続いててさ。

 あの日も一仕事終えた夕方にも関わらず、蒸し暑い日だった。
 さっさと帰りたかったが、会社に報告に戻らないとなんねぇ。げんなりしながら、通りがかった公園で適当にジュースを飲み、一息入れることにしたんだ。

 そのときはガキども数人がサッカーみたいなことしててさ。
 夕方とはいえ、暑い最中に玉遊びとか元気だよなぁ。つーか俺らがガキの頃もあんなかんじだったっけ?
 ま、そんな益体もないこと考えながらボケーと涼んでたんだ。

 と、いつからか乳母車押した婆さんが公園の前を通りがかっててさ。黒っぽい服を着たよぼよぼの、白髪がくちゃくちゃになったきったねえ婆さん。或いは喪服だったかも知れないな。
 で、たまたまガキどもの蹴ったボールがよ…その乳母車に当たっちまったんだ。
 ガキどもの蹴ったものとはいえそこそこ勢いがついていたようで、乳母車は思いっきり横倒しになって中の子供まで吹っ飛んだ。

 もちろん驚いた…が、本番はそっからだった。
 婆さん、最初は何があったのか分からなかったのかぼんやり立ちすくんでいたんだが…すぐに大声で泣き叫んだんだ。

「パパァアァァァァアァァ」って。
 赤ん坊の様子を見ようと腰を浮かした俺はそこでびっくりしたね。まさかの年寄りがパパって泣くか?って。
 けど婆さん、ずっと自分の顔を手で覆って喚き続けてるんだ。
「ママァァァァァァァァ、おねえちゃあぁぁぁぁぁぁぁん」
 そして、その声がさ。

 やけに、甲高いの。

 まるで小学生低学年の女の子みたいな声だった。

 対し、乳母車から吹っ飛んだ子供の方はまったく声をあげない。

 公園にいたガキどもも、おろおろするしかなかったよ。
 ガキみたいに泣き喚く婆さんとまったく泣かない赤ちゃん。
 俺もだが、異常すぎてどっちに声を掛けたらいいか分からなくなったんだ。



 そうやって誰もがおろおろしてたらさ。

 いつの間にかm公園の傍に横付けしていた黒い外車からスーツを着た男たちが現れてさ、その婆さんの方に駆け寄ってきたんだ。
 その人たちは、「祖母がお騒がせしてすみません」と俺たちにぺこりと一礼して婆さんの腕をつかんで車へ引っ張っていく。
 だもんで俺も最初は遠目に見守ってたご家族なんかなって思ったんだけどさ。

「たっ、たすけてっ!」
 婆さんが、俺たちへ手を伸ばして明らかに助けを求めてくるんでやんの。

「この人たち、あたし知らない! 助けて、助けてぇっ!!」って叫ぶんだよ。

 もう、マジで訳が分からないよね。

 男たちはというとその間、一言も発さないし、俺たちのことなんかもう目もくれないでただ婆さん一人を車へと引っ張っていく。
 でさ、婆さんなんだけど…実は俺、この段階でうっすらと、彼女が本当は見た目通りの婆さんじゃないんじゃないかって気がしてきてたんだ。

 というのも、たまたま目があったんだけどさぁ。

 なんていうか…目がさ、子供のそれに見えたんだよ。

 それまでは小柄で猫背な上白髪ばかりが目立ってたから年寄りだと思い込んでたんだけど、こちらを向いた顔の造りは意外と若かった、気がする。気がする、って言うのは、しっかり確認する前に男が間に割り込んですぐに見えなくなったからだ。
 結局年寄りかどうかは分からないまま。
 ただ、小柄な女性一人が大の男たち数人に逆らえる訳もなく、数分と経たず押し込まれて車は走り去ってしまった。

 もう、ぽかーんだよ。多分、俺がジュース飲んでからここまで十分も経ってなかったんじゃないかな。

 未だに何が起きてたのか理解しきれず、混乱したままの俺に止めを刺したのはガキどもの怯えたような声だった。

「なんだよ、これ…」
「うえ…キモっ」

 声の主はサッカーしてたガキどもだ。

 なんだろうとそちらに向かってみると、その反応になるほどと俺も理解したよ。

 彼らはおろおろしていただけの俺と違い、乳母車から落ちた赤ん坊の方を助けようと考えてたらしい。立派なもんだ。
 で、肝心の赤ん坊だが…そこにいたのは、薄汚れたキュー〇ー人形だったんだよ。



 結局、残された俺とガキどもはそれ以上お互い言葉を交わすこともなく、そそくさとその公園を後にした。

 あの婆さん?は、屈強な男たちに監視されながら赤ちゃん人形をベビーカーに載せて後生大事に散歩させていたって訳だ。

 なんでかって?

 さあてね、そんなもん俺の方こそ知りたいよ。そもそもあれが本当に婆さんだったのかもわからんし。強いて理由を付けるなら、どっかの権力者なり金持ちなりを怒らせた女の子が無理やりやらされてる罰とかそんなんじゃねえの、知らんけど。

 …あれからもたまにあの婆さんがいないか公園へ確かめに行きたい欲求が沸き起こることもあるが、幸い一度も俺は向かわずに済んでる。

 そりゃあ、下手に首を突っ込むとやばそうな気がするからさ。

 特にあの場にいたガキどもは巻き込まれた赤ん坊を気にするくらいまっとうな育ち方をしていた。だから確実に首を突っ込もうとしそうだからよ、余計なことをして俺までつまらんことに巻き込まれたくはないんだよね。

 余計なことには知ろうとしない、聞こうとしない、首を突っ込まない。人生それが一番さ。


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ツギハ24ニチ19ジ
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