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プロローグ
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その日は昼間から降り始めた雨のせいで城全体がどんよりと湿気ていた。これから起こる諍いを予期する様に、夜が更けるにつれ嵐は強まっていく。
夜更け、覚悟を決めたセルジオは、カツカツと硬い音を立てながらアンバーの待つ寝室へと続く薄暗い廊下を歩いていた。
(もうアンバーに『リリーシャの王子であるこの私を』と言われても問題ない。国は栄え諸国の中でも発言力を持つようになった)
問題は、アンバーが離婚を素直に受け入れるかだった。彼の性格からして、離婚などプライドが許す筈がない。勿論、セルジオも受け入れてもらえなかった場合調停まで持ち込むつもりだ。だが、事が簡単に済めばそれに越したことは無い。
アンバーの機嫌を取り持つ為に最初は毎晩歩いたこの廊下だが、”王としての責務に追われている”と距離を置くようになってからはその回数も減っていった。それと共に必要以外でアンバーとセルジオが会わなくなったことで現在では結婚生活は破綻していた。
(結婚当初から愛があったわけじゃない。調停に持ち込むと言えば存外受け入れてもらえるかも知れない)
そうは思いつつも、セルジオは少し緊張していた。ドアをノックする音が重く聞こえる。
ふぅっと一呼吸置き、ついにセルジオはその扉を叩いた。
「夜分に申し訳ない、アンバー」
部屋に入ると、窓の側のテーブルで本を読んでいたアンバーは想定外の人物に目を丸くしていた。
それもそのはずだった。
流石に十年も経てば全くでは無いもののアンバーからの嫌がらせや、部屋に来るようにとの声もかからなくなっていた。
二人の寝室だったが、セルジオがその部屋に来ることは多くなく、夜伽の為の部屋という意味では一度も使われることがなかったその部屋は、セルジオにとっては決して落ち着く場所とは言えなかった。
少しソワソワしたセルジオの様子に気がつき、アンバーは相変わらずの強い口調で話しながら近づいていった。
「王よ、こんな夜更に来られてはみっともない寝巻き姿でお会いしなければならないのですよ?私に恥をかかせるおつもりで?」
決して笑ってはいないが、それでもアンバーの表情はどこか穏やかだった。
「お茶を淹れさせます、どうぞお座りになって下さい」
「……いや、ここでいい。話が終わったらすぐに出ていく。茶も無くていい」
セルジオがそう言うと、アンバーは少し寂しそうな顔をした。しかしその色もすぐに消え、アンバーはセルジオに尋ねた。
「それで、何の御用ですか?王よ」
次の言葉を待つアンバーと目がバチッと合った瞬間、セルジオは叫ぶように一息で言った。
「アンバー、私と離婚して頂きたい」
緊張からか、思わず最近は使わなくなっていた敬語が出る。
セルジオは相手の反応を待つが、当のアンバーは状況が全く飲み込めていない様子だった。
「お……王よ、今なんと……?」
「……離婚していただきたいと、そう言った」
状況を受け入れたくないアンバーは、うっすらと笑みを浮かべながら、途切れ途切れに返答する。
「……冗談にしては……笑えません。何故……そのようなことをおっしゃるので……?」
「……貴方の横暴に耐えかねたからだ。この十年、貴方がレイにしたことや使用人たちへの横柄な態度、問題行動は全て記録してある」
アンバーの口元がわなわなと震え、下がっていた彼の腕が上がってくる。
(殴られるっ!)
離婚を突きつけるのだ。正直、拳の一発や二発は覚悟していた。しかし、ぎゅっと目を瞑っていても、痛みはいつまでも訪れない。
セルジオが恐る恐る目を開けると、アンバーの両手は拳を握る代わりにセルジオの羽織を掴んでいた。
アンバーは脚に力が入らなくなった様にズルズルとしゃがみ込んでいく。
重い空気が漂う部屋に、嗚咽を漏らさないよう必死に我慢するアンバーの短い呼吸音だけが響いている。
「……アンバー」
「貴方は……貴方は私を愛してなどいなかったのですか?私があの妾に嫉妬する度、抱き締めてくれたり、接吻して下さったのに、あれらは全て嘘だったのですか……?」
「私が愛するのはこの世で一人、レイだけだ」
ヒュッと空気を呑む音が聞こえ、呼吸は次第に嗚咽になり、泣き声になっていった。
「なら何故あのようなことをされたのですか!?愚かにも騙されてしまった……!」
頬に大粒の涙を何粒も伝わせながら、アンバーはセルジオの羽織を掴む手に一層力を込める。
「私の……、私の十年を返して下さい!!!」
セルジオは困惑していた。レイに嫉妬していたのも、自分が何かすると嬉しそうにするのも、全て「リリーシャ帝国第二王子のプライド」の為だと思っていた。
しかし、目の前の男はどうだ。自分との離婚を本気で悲しみ、嫌がっている。
人目も憚らず床にへたり込むアンバーはなんとか呼吸を整えながら、絞り出すように口を開いた。
「……離婚、致します」
想定よりすんなりと離婚が受け入れられたことにセルジオは拍子抜けする。
「愛されてもいない、離婚したいとすら思われているのに結婚生活を続ける程の度胸は、私にはありません」
そう言って、側にいたルーシェル宰相の手から書類を奪い取る様に受け取ると、殴り書きで自身の名前を書いた。
「これで貴方様の望みは叶ったでしょう……?どうぞ、出ていって下さい」
彼は吐き捨てるように言った。
これはアンバーがその姓をリリーシャに戻した十年後の話である。
夜更け、覚悟を決めたセルジオは、カツカツと硬い音を立てながらアンバーの待つ寝室へと続く薄暗い廊下を歩いていた。
(もうアンバーに『リリーシャの王子であるこの私を』と言われても問題ない。国は栄え諸国の中でも発言力を持つようになった)
問題は、アンバーが離婚を素直に受け入れるかだった。彼の性格からして、離婚などプライドが許す筈がない。勿論、セルジオも受け入れてもらえなかった場合調停まで持ち込むつもりだ。だが、事が簡単に済めばそれに越したことは無い。
アンバーの機嫌を取り持つ為に最初は毎晩歩いたこの廊下だが、”王としての責務に追われている”と距離を置くようになってからはその回数も減っていった。それと共に必要以外でアンバーとセルジオが会わなくなったことで現在では結婚生活は破綻していた。
(結婚当初から愛があったわけじゃない。調停に持ち込むと言えば存外受け入れてもらえるかも知れない)
そうは思いつつも、セルジオは少し緊張していた。ドアをノックする音が重く聞こえる。
ふぅっと一呼吸置き、ついにセルジオはその扉を叩いた。
「夜分に申し訳ない、アンバー」
部屋に入ると、窓の側のテーブルで本を読んでいたアンバーは想定外の人物に目を丸くしていた。
それもそのはずだった。
流石に十年も経てば全くでは無いもののアンバーからの嫌がらせや、部屋に来るようにとの声もかからなくなっていた。
二人の寝室だったが、セルジオがその部屋に来ることは多くなく、夜伽の為の部屋という意味では一度も使われることがなかったその部屋は、セルジオにとっては決して落ち着く場所とは言えなかった。
少しソワソワしたセルジオの様子に気がつき、アンバーは相変わらずの強い口調で話しながら近づいていった。
「王よ、こんな夜更に来られてはみっともない寝巻き姿でお会いしなければならないのですよ?私に恥をかかせるおつもりで?」
決して笑ってはいないが、それでもアンバーの表情はどこか穏やかだった。
「お茶を淹れさせます、どうぞお座りになって下さい」
「……いや、ここでいい。話が終わったらすぐに出ていく。茶も無くていい」
セルジオがそう言うと、アンバーは少し寂しそうな顔をした。しかしその色もすぐに消え、アンバーはセルジオに尋ねた。
「それで、何の御用ですか?王よ」
次の言葉を待つアンバーと目がバチッと合った瞬間、セルジオは叫ぶように一息で言った。
「アンバー、私と離婚して頂きたい」
緊張からか、思わず最近は使わなくなっていた敬語が出る。
セルジオは相手の反応を待つが、当のアンバーは状況が全く飲み込めていない様子だった。
「お……王よ、今なんと……?」
「……離婚していただきたいと、そう言った」
状況を受け入れたくないアンバーは、うっすらと笑みを浮かべながら、途切れ途切れに返答する。
「……冗談にしては……笑えません。何故……そのようなことをおっしゃるので……?」
「……貴方の横暴に耐えかねたからだ。この十年、貴方がレイにしたことや使用人たちへの横柄な態度、問題行動は全て記録してある」
アンバーの口元がわなわなと震え、下がっていた彼の腕が上がってくる。
(殴られるっ!)
離婚を突きつけるのだ。正直、拳の一発や二発は覚悟していた。しかし、ぎゅっと目を瞑っていても、痛みはいつまでも訪れない。
セルジオが恐る恐る目を開けると、アンバーの両手は拳を握る代わりにセルジオの羽織を掴んでいた。
アンバーは脚に力が入らなくなった様にズルズルとしゃがみ込んでいく。
重い空気が漂う部屋に、嗚咽を漏らさないよう必死に我慢するアンバーの短い呼吸音だけが響いている。
「……アンバー」
「貴方は……貴方は私を愛してなどいなかったのですか?私があの妾に嫉妬する度、抱き締めてくれたり、接吻して下さったのに、あれらは全て嘘だったのですか……?」
「私が愛するのはこの世で一人、レイだけだ」
ヒュッと空気を呑む音が聞こえ、呼吸は次第に嗚咽になり、泣き声になっていった。
「なら何故あのようなことをされたのですか!?愚かにも騙されてしまった……!」
頬に大粒の涙を何粒も伝わせながら、アンバーはセルジオの羽織を掴む手に一層力を込める。
「私の……、私の十年を返して下さい!!!」
セルジオは困惑していた。レイに嫉妬していたのも、自分が何かすると嬉しそうにするのも、全て「リリーシャ帝国第二王子のプライド」の為だと思っていた。
しかし、目の前の男はどうだ。自分との離婚を本気で悲しみ、嫌がっている。
人目も憚らず床にへたり込むアンバーはなんとか呼吸を整えながら、絞り出すように口を開いた。
「……離婚、致します」
想定よりすんなりと離婚が受け入れられたことにセルジオは拍子抜けする。
「愛されてもいない、離婚したいとすら思われているのに結婚生活を続ける程の度胸は、私にはありません」
そう言って、側にいたルーシェル宰相の手から書類を奪い取る様に受け取ると、殴り書きで自身の名前を書いた。
「これで貴方様の望みは叶ったでしょう……?どうぞ、出ていって下さい」
彼は吐き捨てるように言った。
これはアンバーがその姓をリリーシャに戻した十年後の話である。
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