愛を抱えて溺れ死にたい。

日向明

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αとα

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「アンバー!離縁されるなど情けない……。これは貴様だけの問題ではないのだぞ!」
 皇帝がラシールから帰国したアンバーに最初にかけた言葉は決して優しいものではなかった。謁見の間に響く声は怒鳴り声などではなく、話したくない相手と話さざるを得ない、といった声音だ。
 唯一敵わない相手の言葉に、アンバーは何も言い返すことが出来なかった。本当はセルジオのせいだとかレイのせいだとか言い訳はあったが、妾に敵わず出戻りとなったなどと自分の口から言うのは彼のプライドが許さなかった。
「だが、お前以外を捨てΩの妾を選ぶとは……」
 ピクリとアンバーの瞼が動く。
 この時、アンバーはほんの少しだけ期待していた。皇帝とて自分の父だ。自身の子の地位を奪ったレイに対して多少なり憤りを感じているのかもしれないと。
 だが、そんな期待は続く言葉によって脆くも崩れ去った。
「人を見る目はあるらしい。存外、良い関係が築けるやもな?」
 そう言った皇帝の目は、もうアンバーの事など見てはいなかった。

「アンバー様はまた貴族の御令息と……?」
「ああ、それも前の方とは別のようだ」
「だからαは……」
「常に色欲のことばかりなのだろう。昔からあの目は嫌いだったんだ」
 従者達の声から身を隠す様に、アンバーは目の前の青年の肩に顔を埋める。
「あぅっ……」
 アンバーを煽る様に高めの声が響く。
 青年の唇を吸い、舌を中に差し込んで、アンバーはを求める。
 Ωのフェロモンで頭はクラクラし、全身が熱くて、心臓も煩いくらいに高鳴っているというのに、アンバーはどこか寒さを感じていた。
 それを掻き消す為に青年の身体を更に抱き締める。
「……アンバー様、離してください」
 青年の言葉に全身の熱がスーッと冷めていく。
「何故だ?」
 問いかけるアンバーに青年は答える。
「愛する方がいるからです」

「っ!?」
 その言葉のショックと共に、アンバーは馬車の中で目を覚ました。頬こそ濡れていないものの、全身にうっすらと汗をかいている。
 窓の外を見遣ると、既に陽は傾き始めていた。
 (いつの間にかオステルメイヤー領に入っていたのか)
 リリーシャとオステルメイヤーは隣接する国だが、文化などは違った部分が多く、その様相も異なっていた。城下町であるリリーシャと違い、田畑が目立つその国を見て、アンバーは何となく息がしやすい様な気がした。

 馬車が止まったのはそれから間も無くだった。
 一眼で王の住まう建物だと分かるそれは精巧な装飾や模様の入った石造りの建物で、アンバーですら一瞬見惚れるほどであった。
 差し出された従者の手を取り、右脚から地面に降り立つ。
 ジャリッと砂を踏む音がして、安全に両足が地面についたことを確認するとアンバーは顔を上げた。

「ようこそお越し下さいました」
 チョコレート色の健康的な肌に、後ろで束ねた濡鴉の様な黒の髪。紫色の瞳でこちらを見据えるいかにも優秀なαといった感じの青年は、ニッコリと気持ちのいい笑顔で一礼する。右手を握り胸元に当て、左腕は軽く広げ、上体を少し屈める。これが、誓いと友愛を表すこの国の礼だ。
わたしの名はダリウス・オステルメイヤー。国王ディラン・オステルメイヤーの弟であり、この国の宰相。そして……
 」
「!?」
 ダリウスはその長い脚で歩幅を広くとりながらアンバーに近づくと、するりと左手をアンバーの腰に添えて自身に引き寄せ、もう片方の手でアンバーの左手を握った。
「そして、貴方の夫になる者です」
 ダリウスの突然の行動にアンバーの思考は止まった。
 (……?な、何をしているんだ、この男は。人前で、こんなに近づいて……)
 顔が熱くなっていくのを感じ、アンバーはバッと顔を背けながらなんとか返事をする。
「アンバー・ド・リリーシャ、に、ございます」
 ゴツゴツとした手に腰を抱かれる。高身長の自分より更に数センチ高い男に僅かだが見下ろされる。決して可愛いとは思わないが非常に整った顔が触れてしまいそうな程近くにある。生まれて初めての事が一気にアンバーを襲っていた。
「……アンバー様?」
 微動だにしないアンバーを呼ぶダリウスの声が、腕の中の人物の鼓膜を甘く揺らす。
 (何なのだこの男は!?)

 恥ずかしさに悶えていたアンバーだが、そっと目を開けた瞬間その熱は冷めていった。
 後ろに控える従者達が皆困惑の目でこちらを見ている。
 先程までとは種類の違う羞恥がアンバーの脳を支配した。
「……ダリウス殿、いささか距離が……」
 冷静さを取り戻したアンバーは、いつも通りの冷たい声でそっとダリウスを引き剥がしながら言う。
「!……そうですね。私としたことが失礼いたしました」
 そばにいた護衛の青年が、恐らく文化の違いを理由に静止したのだろう。ダリウスは謝罪しながら距離を離すと、代わりに左腕を差し出した。
 それに手を添えるアンバーは以前の夫と出会った日のことを思い出し、それが終わりの始まりの様に感じる。
「お疲れのところ申し訳ありませんが、王との謁見の場を用意しております」
 そう言ってダリウスは歩き出す。
 (どうせすぐ会いにも来なくなるのに、何が夫だ)
 先程の従者達の雰囲気を無理やり忘れさせる様に、アンバーは心の中でダリウスに悪態をついた。
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