太陽を愛した狼

カナメ

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本編 第一章 【伏縁編】

馳せる想いに

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 至福の一言に尽きた。
 夜の星リット・ベガはそれくらい最高だった。
 出されたワッフルと紅茶は舌鼓を打っていたらあっという間に平らげてしまって、いつのまに食べ切ってしまったのかと悔やまれるほど。
 帰り際に、シルヴィアさんを撫でて「また来ます」と告げたら鈴のような声で「にゃん」と鳴いて返事をしてくれたので心が締め付けられる。
 シルヴィアさんのお持ち帰りは可能ですか?と言いかけたが、また会いにくれば良いだけなのでグッと堪えた自分を褒めてやりたい。えらすぎる。

 店を出てアラスターと並んで歩く。
 こんな素敵なお店は確かに誰にも教えたくない。なるほどなと思いつつも、それでも連れて来てくれた彼に素直に感謝する。


「アラスター様、今日はありがとうございます」
「私が紹介したかったんだ、むしろついて来てくれてありがとう」
「本当に素敵なお店でした。また行きます」
「ならまた行こうか、二人で」
「…もう場所はわかったので、一人で行けます」
「おやおや、ひどいなあ。私はもう用無しかな?」
「違います…貴方がいるとシルヴィアさんと遊べません」
「私とも遊んでくれないと、また悪戯してしまいそうだよ」
「…まったく」


 ティータイムを済ませた後、シルヴィアさんがまた近くに寄って来てくれたというのに彼が無言の圧力をかけて追い払ってしまうのだ。
 シルヴィアさんも猫なのに呆れた様子でウォルターさんのそばへ戻ってしまう。そもそも猫に呆れられるってなんなんだ。
 しかもまた悪戯するぞなんて脅しまでかけてきて、本当に困った人である。構ってくれなくて駄々をこねるなんて、この世界では子供でもしているのをあまり見たことがないというのに。


「貴方とも行きます。でも一人でも行きます」
「なら安心だ。君との時間は私にとってなによりも大切なんだ」
「それと」
「?」
「今日のお礼を…手を出してください」


 歩いていた足を止める。
 不思議そうに首を傾げながら、私に言われるがままに差し出された彼の手に鞄から取り出したものを乗せる。
 小さなケース。
 ますます不思議そうに彼はじぃと見つめて、私に向き直る。


「これは?」
「手を保湿する軟膏です」
「軟膏…?」
「私がスペアで買っておいたものですみません。でも貴方、手が荒れていたので」


 傷だらけの手に触れられていたことを思い出す。
 冒険者である彼にとって手は酷使する場所だろうし、手に傷を負っても治りかけのかさぶたなどは痒くなりがちだ。私ならきっと掻きむしってしまう。
 少しでも良くなればと思って持ってきたのだが、あまりこういうのは気が進まなかっただろうか。


「私を気遣ってくれてとても嬉しいよ」
「ガサガサの手で触られると痛いですし」
「それは君に触れることを了承してくれると捉えて良いのかな?」
「あっ、いや!女の人はたぶんみんなそう思うんじゃないかな…と」


 あまり寝付けなかった夜に彼の手を思い出して、ひどく荒れていたなと思っただけでそんなつもりはなかったのだが。確かに聞こえようによってはそうとも捉えられ……いやいや屁理屈にもほどがある。
 言葉のあやだろうが比喩的な言い回しだろうが皮肉だろうが、容赦なく私が困りそうな事を的確に突いてくる。


「なるほど?…そういえば私はこういったものには疎くてね」
「…はい?」
「どうするのか、教えてほしいんだ。君が一度、私の手に塗ってみせてほしい」
「は、はいぃ?」


 にっこり満面の笑みで軟膏のケースを渡し返されて、革手袋を外しだす。
 もしかして、自分以外の女の人がみたいな事を言ったのがまずかったのか。はたまたシルヴィアさんと遊びたいなんて言ったのがいけないのか。そもそもちりも積もればかも…と思い当たる節が多すぎる。
 なんとか許してもらえないかと困り果ててみるものの、彼はわくわくした様子で待っている。許してもらえないらしい。

 諦めよう…ここで強く反発するとあとが怖い。


「……し、沁みたり、違和感があったら…言ってくださいよ」
「…そうしよう」
「つめたい、かもですが…我慢してください」
「わかった」


 一瞬、驚いたような顔をみせる彼に大きな溜め息をつく。貴方が言い出したことだろうに。
 ケースの蓋を開けて指先に取る。軟膏のついていない指でケースを閉じ、一度鞄に入れて…彼の左手を取る。

 大きな手だ。私の一回りも二回りも大きいその手におびただしい傷の痕。手の甲から軟膏を塗り広げていく。優しく、マッサージをするように。
 沁みたりしてないかな。まあでも何も言わないってことは大丈夫なのか。ちょっと恥ずかしくて彼の顔を確認出来ないが、まあ私が集中してるってことにしよう。


「アラスター様」
「なにかな」
「この傷は…?」
「ああ、それは随分昔に魔法を暴発させてしまってね」
「これは?手の甲と手のひらに同じようなものがありますが…」
「矢を受けた時の傷かな。武器を持っている手を狙うのは定石だからね」
「矢を?…痛々しいですね」


 そうか…戦闘中に受けた傷もあるが、訓練中の傷もあるんだ。当たり前な話だがすっかり失念していた。
 冒険者は日々の鍛錬を怠ればその反動が露骨に出る。この手を埋め尽くすほどの傷は彼の努力の賜物といえよう。私の知らない世界。
 左手を塗り終わって、反対の手を取る。


「痛くなったりしないんですか…?」
「全部昔のものだよ。今はなんともないさ」
「そう、ですか…」
「君が心を痛めることはないよ、優しいね」
「優しくなんて…」
「優しいさ」
「っ?」


 不意に軟膏を塗り終えた彼の左手が、私の顎を捉えてくい…と上を向かされる。
 私の背丈に合わせて向けられた顔は少し角度が下がっていて、俯いたように見えるその金色の眼差しがゆらりと光る。これまでにないほど真剣な面持ちに、目が逸らせない。


「君が、そんなに辛そうな顔をする必要はないだろう?」
「…だって、こんな、痛々しいのに…」
「アビゲイル、これは君のせいでもないし君が受けた傷でもないよ」
「それでも、こうして頑張ってくれているから私みたいに力を持たない人が平和に過ごせてます」


 魔物を退け、人々の脅威を払う冒険者かれらはそれで生計を立てている。それが当たり前となっている者にとって、そこまで大きな正義感を持って臨んでいる人は少ないだろう。富と名声を求める冒険者は大多数を占める。
 それゆえに力無い者は忘れてしまうのだ、守られていることに。
 だからギルドの業務に属し、冒険者と相対することの多い自分だけは決して忘れてはならない。
 これは私にとって譲れないポリシーだ。
 強い気持ちでアラスターを見つめ返す。


「そう思ってくれることが…優しさというんだよ、アビゲイル」


 顎を捉えた手に引き寄せられる。
 ゆっくりと目を閉じる彼の仕草に目を奪われる。
 何をする気なのかと驚いている間に、唇が、触れ合って……え、触れ合って!?


「!?」


 銅像よろしく硬直する私を置いてきぼりに、長い口付け。ああそうかこれはキスをされてるのか。いやいやキス!?はい!?なんで!?!?

 一度触れていた唇がほんの少し離れて、彼が薄く瞼を開く。長いまつ毛が二人の間から差し込んだ光できらきらと輝いて見える。
 目を見開いたままの私の腰を今度は右手で引き寄せて、唇を啄むように短いキスを何度も落とされる。
 この感覚は前にも感じたことのあるこそばゆさだ。不思議と抵抗する意志を砕かれてしまうし、まともな思考が働かなくなるのだ。
 思わず目を開けていられなくなって、ぎゅっと閉じる。


「あ、の…アラ、スター…様」
「……」


 啄まれる合間に彼に呼びかける。
 私の声に動きを止めたらしく、ゆっくりと瞼を開くと心底苦しそうに眉を顰める彼の顔がうつる。
 瞬間、今度はぎゅう…と抱き締められる。


「あ、え、あの…!?」
「アビゲイル、君を愛している」
「アラスター様?」
「ずっと昔から、君だけを想っていた」
「…昔?昔ってどういう…」


 突然の告白に驚くが、それよりも何よりも昔…?
 昔と言われても記憶にない。そもそもアラスターとはこの街で出会ったのが初対面のはずだった。
 もしかして誰かと間違えているのだろうか…それはそれで悲しいけど。
 尋ね返すとアラスターはそっと優しく解放してくれた。


「君が覚えていないのも、無理はないよ」


 どこか寂しそうに笑う彼を見て、急にどこかで見たことがあるようなデジャヴに襲われた。










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