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本編 第一章 【伏縁編】
そぞろ雨に濡れる
しおりを挟むしとしとと降り注ぐ雨のせいか、今日はギルドの往来も少ない。
天窓に映る、外の曇り空に今日何度目か分からない溜め息をこぼした。
語られた彼と私の過去の話は、一夜明けた今も思い出せない。というか前世で過労死したにも関わらず、まだ幼かった私はほとほと運がなかったようだ。
記憶を失わずにいたら、彼の手もあんなに傷だらけになることもなく…今でも楽しく過ごせていたのだろうか。
小さな体で私が彼を助ける為に動けたことに、実は妙に私らしいなと納得していた。
死んでしまったら、本当に終わりだから。
一度死んだ時に学んで、どうせ死ぬのなら後悔なく死にたいと恐怖を捩じ伏せたのかもしれない。
結果的に私も彼も命だけは助かったのなら、それは良かったのか。でもアラスターの心の傷は相当だっただろう。彼の前では口が裂けても言うべきじゃないな。
「はぁ…」
「あら、またお悩み事?」
「ふふふ…なんですか先輩」
ひょこっと無邪気な顔で覗き込んできたリンジーに相変わらず気遣い屋さんだと笑う。本当に優しい人だ。私だけじゃなく、たくさんの後輩たちに慕われている。
笑った私を見て、少し意外そうな顔をした先輩はカウンターに立つ私の隣に並ぶ。
「笑える余裕があるってことは、悪い悩みじゃないみたいね」
「そう…かもしれません」
「ならたくさん悩みましょ。たくさん悩んだ分だけ貴女の糧になるはずだから」
「ですね。思う存分悩むことにします」
確かに現状、どうすることもできない。アラスターだって思い出して欲しいとは言っていなかった。思い出してくれと言われてもできないけど。
どうしようもないのなら、少しでも彼の気持ちに寄り添えたらいいな。無理のない範囲で。
しかし先輩は本当に優しい。
私がアラスターのことで悩んでいるのはお見通しだろうに。犬猿の仲だけあって、本当は私にも彼にもたくさん言いたいことがあるだろう。けれど私の選択を静かに見守ってくれる。
この間だって、私が昼休憩から戻らなかったからあれほど怒ってくれたのだろう。……たぶん。
もし立場が逆だったとしたら、私も先輩のように怒っていたと思う。可愛い後輩が危険な目にあったのではないかなんて、気が気じゃない。
私のここ数日の心境の変化を彼女は察しているようだし、どこまでも敵わないな。
雨の日はいつもよりも穏やかで、人々の動きも緩やかになる。だから私は雨が結構好きだ。
ギィ…と軋む音を立てたギルドの出入り口へ視線を向けると、雨に濡れた黒一色のいつもの装備に身を包んだアラスターが入ってくる。
「アラスター様」
「弱ったよ、思っていたより強く降ってたみたいだ」
「急いで体を拭くものとお茶を持ってきます」
「ありがとう、アビゲイル」
もはや日課の如く訪れる彼を不思議に思うギルド職員はいない。リンジーはとびきり分かりやすく顔を顰めたが、すぐにすました顔をして黙っている。
彼女も理不尽の権化ではないので、アラスターに非がない場合は噛みついたりせず大人しい。
彼が余計なことを言ってつついたりしなきゃ良いなと願いつつ、急いで調理場へ向かう。
お湯を沸かしている間にタオルを渡そう。体を冷やしたらまずい。
冒険者は体が資本だ。
雨に降られたり、疲れ果てた冒険者を手厚くサポートするのはギルド職員の義務だ。冒険者がいなければギルドも立ち行かないし、その逆も然り。
感謝の意を示すためにも冒険者には優しく接するように私は努めている。例外はあれど。
「先にタオルで拭いてください」
「助かるよ。今日は久々にダンカンと手合わせをしたから、汗もかいてね」
「それは…」
確かに朝の早い時間。ランクの低い冒険者たちへの様々な指南がギルドマスターを筆頭に高ランクの冒険者たちによって行われている。
ギルドマスターとアラスターが手合わせをしたことにも驚いた…それよりも今日あった出来事を彼の口から語られるのは初めてだったので、そちらのほうに驚いた。
自分のことを話すのは、あまり得意な人じゃないと思っていたから。
「他の冒険者たちには見応えがあったんじゃないんですか?」
「そうであれば喜ばしいよ。負けた甲斐があるね」
「…アラスター様が負けた?」
「ダンカンを立てるために…と言いたいところだけど、完敗だよ。気を緩めてはいられないね」
「すごいんですね……あ、お茶をお持ちします」
「ありがとう」
調理場へ向ける足取りは、軽い。
なんというか…今日何があったのかを話してくれるのって嬉しい。
冒険者は語りたがる。
己の武勲を語り、名を上げたがる気質の人が多い。だからこそ受付嬢なんて職務についていれば、仕事を終えた冒険者たちからその日の出来事を聞かされることが日常。
時間の許される限り耳を傾けるようにしているが、人の話を聞くのは結構体力を使う。
その一方で、アラスターはほとんど自分のことを話さない人だ。
出会った当初からずっとキザなセリフばかり聞かされて、依頼のことや一日自分に起きた出来事などは聞いたことがなかった。
私だけかと思っていたのだが、よく一緒に依頼を受けているユリシーズやヴィクターも同様。
彼が何をしていたのか、何が好きで何が嫌いなのか、同じ場所に立ち会っていなければほとんど知らないらしい。
だから、嬉しかったんだと思う。
私に話してくれたことが。
思わず鼻歌を歌いながら、お茶を淹れる。
そうだ先輩にも持っていってあげよう。今日は雨で少し冷えるから。
トレイに3人分のお茶を乗せ、受付に戻る。
「お待たせしましたー」
人がいるのか疑わしいほどに静まり返った受付。
先輩は受付のカウンターに椅子を持ってきて読書に勤しんでいる。暇なのでそれくらいしかやることないんだよな、わかる。
対してアラスターは受付から少し離れたソファーとテーブルが置かれた場所にいた。
どうなっているかちっともわからない装備を外し、体にピッタリとフィットしている黒いインナーと動きやすそうな黒のボトムス。
手袋も外し、見た限りではまだ髪は濡れているのに首にタオルをかけてソファーへ腰をかけている。
いい加減だな、と彼を尻目にカウンターに向かいお茶を置く。
「先輩もよかったらどうぞ」
「あら、ありがとう。今日は冷えるから助かるわ」
「そろそろ火鉢用意しましょうね」
「私がここを見てるから、いってらっしゃい」
「…あ、ありがとうございます」
日本だと季節は秋頃だろうか。四季がないから分かりにくいはずだが、この世界に17年もいれば慣れてくる。そろそろ冬が近い。
この街の気候は冬が長くひどく冷え込むので、しっかり冬支度をしなくては。
先輩に変な気を遣わせてしまったことに心の中では謝罪をしておく。暇だから良いのよなんて追い払うような手の仕草をして、私をアラスターの元へ促す。
トレイに乗せたお茶を溢さないように、アラスターの元へ向かいテーブルの上に二つ置く。
「あたたまりますよ」
「ありがとう」
「ちゃんと拭いたんですか?まだ髪濡れてます」
「そうかな?十分だと思うけれど」
「…よく分からないところで雑ですよね、タオル貸してください」
「え?あ、あぁ…」
少し動揺しながら手渡されたタオルを受け取り、ソファーに座るアラスターの背後へ回る。
彼の髪を丁寧に、ゆっくりとタオルで乾かす。
普段からこうなのだろうか。だとしたら普段からこんなに雑なのに、なんでこんなに綺麗な髪をしているのか。
私なんて常日頃から気を遣わないと、すぐにゴワゴワして広がってしまうというのに。
前世の知識をフル活用と言わんばかりにしっかりと髪を拭き上げて、タオルを返す。
「終わりました。ちゃんと拭かないと、風邪ひきますよ」
「うん、ありがとう。君は上手だね、うとうとしてしまったよ」
「自分で慣れてますからね」
「確かに君の髪はとても綺麗だね」
瞼を重たそうに背後にいる私を見上げる。
顔の両サイドで結んでいる三つ編みをこえて私の前髪へ手を伸ばし、さらりと優しく撫でられる。
「ずっと触っていたくなるよ」
「……」
「不服そうだね、もっと言葉を尽くした方が良かったかな」
「違います。恥ずかしいだけです」
前髪を触る彼の手を痛くない程度にぺちりと叩き、彼の向かいのソファーへ腰を下ろす。
少しぬるくなってしまったが、すでに少し熱を帯びた体には熱すぎずちょうど良いくらいだ。
ふと視線を戻すと足を組んでゆったりと座り、お茶を嗜む彼へ向き直る。様になることこの上ない。
寛いではいるようだが、品のある所作をする彼を見て、返事をはぐらかしたままだということを思い出した。ものすごい罪悪感。
実は今日会ったら真っ先に返事を催促されるのではと構えていたので、少し拍子抜けしてしまっている。
…が、それが更に私に追い打ちをかけてくる。
「いつも早朝の訓練を手伝っているんですか?」
「毎日ではないよ、皆で交代しているんだ」
「お休みの日は、何を?」
「鍛練だよ。基礎を中心としたものばかりだから、地味なものばかりでね」
「…走り込み、的な?」
「そうだね。持久力も筋力も…出来るだけ限界まで追い込むんだ」
「そのあとは?」
「とにかく食べる、かな」
「はぇ…」
思い返してみれば二人で2度食べ歩きをしたけれど、アラスターは細身なのにとにかくよく食べる。
私がかなり少食だからとかくそう思うのかもしれない。けど一度ユリシーズとヴィクターの二人と食事をしたことがあるが…それをゆうにこえる食事量だ。
ユリもエルフにしては豪快にたくさん食べる。…そのほとんどが胸にいってる気がするけど。
よく食べ、よく飲むと名高いドワーフのヴィクターの食事量を初めて目の当たりにした時はとんでもなく驚いたものだ。
昨日も夜の星でワッフルを食べたばかりだったというのに、とにかくアラスターは良く食べていた。
私が食べ歩きをしたくて誘ったのだが、むしろ彼の食べ歩きに私がついて行ってるというほうが正しい。
それくらいアラスターはとにかく美味しそうなものを見つけては食べ、見つけては食べ…私はたまにひとくち譲ってもらう程度。
この細い体の一体どこに収まっているんだろう。前世で大食いの人とか目の当たりにしたら、こんな気持ちになるんだろうか。
じぃとアラスターの腹部を見る。すごい腹筋。
黒いインナーはぴっちりとフィットしているし、首と手首までしっかりと覆うタイプのもの。普段はその上に装備を身につけているから、分かりにくかったが…
細身のわりにかなりがっしりしている気がする。
贅肉のぜの字も見えないほど引き締まった体だ。
今は前からしか見えないけど、腕や脇の辺りを見るに背筋も相当ある。
すごく、逞しい……良い体で…
「どこを、みているのかな?」
「え」
「いやらしいね」
「ちっ、違います!そんな!すごい鍛えられているなあって思っただけで!」
「ははは、すまない。からかってしまったね」
顔に一気に熱が集まる。
ちょっと違う路線に思考が行きそうになった瞬間に声をかけられたので、余計だ。ああもう。
懸命に否定すればするほど、そういうふうに見てましたって言っている様な気がして更に顔が熱い。
両手を胸の高さほど上げて、これ以上言及しないと素直に謝罪するアラスターに唇を尖らせる。
「…ユリとヴィクター様も良く食べますけど、貴方はそれ以上に良く食べるよなと思いまして」
「ああ、確かに。二人と依頼終わりに食事に行ったことがあるけれど、ものすごく驚かれたよ」
「そりゃそうでしょうね…」
「体作りに食事はとても大切だから」
「好きな食べ物とかって?」
「お肉だね」
にっこりと即答される。
まあ、ですよね。
「ああ、甘いものも大好きだよ。好き嫌いがそこまでないかな」
「羨ましいです。それだけ食べても太らないなんて」
「私だって動かなければ増えるさ。良ければ運動不足にならない程度に教えるよ」
「いやその…体力には自信がないです」
「それは困るね」
「…なぜです?」
「………いや、こちらの話だよ。気にしないで」
…どういうことだろうか。ふと気になって考え込みそうになって……やめた。
いや無理だ。それはセクハラじゃなかろうか!?
ストレッチやランニング程度なら教わっても良いかなとか思っていたのに、絶妙にお願いしにくくなった。
顔を伏せて困惑していると、カウンターの方からわざとらしい咳払いが聞こえる。
そりゃ先輩にも聞こえてますよね!!
「ストレッチから始めてみるのはどうかな?」
「え…あ、その……」
答えを催促するんかい!!
普段なら考えておきますと言うところだが、またこうして返事を先延ばしにしてしまうのかと罪悪感が私を更に責める。
ほらでもストレッチだし!私もしなきゃいけないなと思っていたし!教えてくれるのはまごうことなくS級冒険者なわけだし!
ショートして口から煙が出るんじゃないかというくらい、頭をぐるぐると回した結果。
「…オネガイシマス」
「喜んで」
結局、頼んでしまったというわけだ。
今度は呆れたような大きな溜め息がカウンターから聞こえた。助けてほしい。
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