太陽を愛した狼

カナメ

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本編 第二章 【王都編】

届かない場所

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「ルミア様の推察通り、過労によるものですな。安静にしていれば2、3日で回復するでしょう」
「…助かりましたわ、ありがとうございます」


 ルミアが贔屓にしている医者は微笑み、一礼して部屋から退出して行った。
 後のことは使用人たちに任せている為問題ないだろうと判断し、呼吸を荒げるアビゲイルさんの寝るベッドの傍らに椅子を置く。

 乾いた布で顔周りの汗を拭き取り、ベッドサイドのテーブルにおいた水桶でもうひとつの布を濡らして水気を切って額に乗せる。

 顔を真っ赤にさせて苦しむ彼女が痛々しくて、胸を痛めずにはいられなかった。


 正直なところ、彼女に無理をさせているのをルミアは自覚していた。
 それでも『王都ここ』がどういう所であるか、世界はどんな物なのかをルミアはアビゲイルに知って欲しかったのだ。

 それでもここまでボロボロになることを、ルミアは望んではいなかった。
 今朝の朝食の時に、彼女の異変にルミアは察していたがそれでも引き止める事を選ばなかった。
 アラスターもアビゲイルの異変に気付いていたからだ。だが彼もまた彼女を休ませたり、引き止めるような事をしなかったから…ルミアは二人の選択に委ねた。


 (あの時、無理にでも引き止めれば…)


 アビゲイルが倒れるまでの事の経緯をアラスターから聞き出そうとした時に、最初は掻い摘んで話そうとしていた。
 明確に教えてくれなければ対応の仕方も分からないと強く言い切ると、彼は今日の彼女の様子を事細かに話してくれた。
 おかげで彼女が倒れるに至るまでの理由が、ルミアには手に取るように理解できる。

 世界の容赦のない目と値踏みに、彼女は耐えきれなくなったのだ。

 これは肉体の疲労じゃあない、心の疲弊だ。
 おびただしい数の鋭利な針の筵に傷付いた。
 視線、囁き、値踏み。
 そしてその針の中にはきっと、アラスターとアビゲイルのお互いに対する好意も混じっていたはず。

 相手を想うが故に、沈黙という優しさを選んだがそれが今回に限っては、二人の中で正解ではなかったという事。


 (残酷なまでに、お優しい二人)


 ルミアはアビゲイルの片手を取り優しく握る。
 自身が持つ癒しの力は、病気や怪我を癒す効果はある。けれど心に作用するような効果はない。
 アビゲイルの症状は、ただの過労ではない。彼女の心が許容量をこえてしまったから、防衛装置として病のような症状を引き起こしている。
 もう限界だと、心が訴えている証拠だ。

 せめて高熱だけでも取り除いてあげられれば、と熱がゆっくりと下がる自己流の癒しの力を発動させる。
 すぐに取り除くことは可能だが、そうすれば彼女の体に負担がかかる。
 癒しの力も万能ではないことを、改めて痛感する。


 (わたくしの、せいですわね…)


 何も出来ない無力さと自身が選んだ選択に罪の意識を覚えて、ルミアは握ったアビゲイルの手に縋り祈るように顔を伏せる。

 ルミアの手を弱々しく握り返す感触に、顔を上げるとここに運ばれてきてからずっと目を覚まさなかったアビゲイルのまぶたが開いていた。


「る、みあ…さま…」
「アビゲイルさん!目を覚まされたのですね。酷い熱ですからまずは少しでも水分補給をしましょう」


 弱々しい口調に胸が痛みつつ、水が入った吸飲みをサイドテーブルから取る。
 水が飲みやすいようにアビゲイルの背に手を当て、軽く起こしてゆっくりと飲ませる。
 されるがまま水を口に含み、ゆっくりと嚥下したのを確認するとアビゲイルを再びベッドへ寝かせる。

 苦しそうな表情のまま、部屋を見渡す彼女。
 その視線が何を探しているのかも、ルミアはよく理解していた。


「彼は、部屋の外で待機させておりますわ」
「………そう、ですか…」


 ほっとしたような彼女の顔。
 普段アビゲイルから考えれば、自分の状況など顧みずアラスターが自分を心配しているのではないかと案じている…と推察するのが一番セオリーだ。
 けれど彼女の安堵は、常とは別のところにあるような違和感にルミアは見逃さなかった。
 アビゲイルを心配するアラスターを案じているなら、彼の顔を見て得る安堵なはず。
 まるでここにアラスターが居ないことを安心しているように、ルミアには感じたのだ。


「会いたくない、理由が?」
「………っ」


 ある意味確信を持って問うと、彼女は堰を切ったように目に涙を浮かべる。
 大粒の涙が熱で潤んだ萌葱の瞳から溢れ、彼女が顔を手で覆う。
 それでも大きな声を上げまいと、声を押し殺そうとしているのは…おそらく部屋の外で待つ彼の為。

 どれほど心が傷付いて床に伏せようとも、それでもと己が身を削って彼を想う彼女。そのあまりにも真っ直ぐすぎる優しさがとても儚くて美しかった。


 (太陽のようとは、まさしくですわ)


 太陽は、自身でその光を調整出来ない。
 ただ人々の頭上に、そうあるだけ。
 だからその光に身を焼かれそうになる人を見ても、太陽は光を緩めることは出来ない。
 自分の身をどれだけの熱量で削っていたとしても、それを止めることは出来ない。

 ただそうあれかしと祈るだけ。

 顔を覆い声を押し殺して泣く彼女の痛々しい姿に、ルミアは黙っていた。
 肩をさすり大丈夫だと…伝えてあげることも可能だったが、その優しさは今の彼女には毒にもなり得ると判断し、ただルミアは待った。


「っ、わた、わたし…」
「はい」
「わたし、おもい、だしたん…です」
「……それは」


 あの街で視察を終えた後、やり取りをしていた手紙でアビゲイルが綴っていた事をルミアは思い出す。
 アビゲイルの忘れられた記憶。
 アラスターが語ったという、二人の幼少期の記憶。

 手紙の中で彼女は、忘れた自分を…思い出せない自分を酷く責めて悩んでいた。
 記憶の片鱗のような夢は何度か見てはいたものの、それでも思い出すには至らないとも。

 そしてそれを思い出した。とアビゲイルは言いたいのだろう。


 (なんて最悪のタイミング。…いえ、これも神が与えた試練かもしれませんわね)


 彼女の心はすでに摩耗し切っているというのに、記憶が回復すればそれは更なる追い打ちをかけることになる。
 アビゲイルの忘れられた記憶は、手紙の中でアビゲイル自身を戒めるように事細かに書かれていた。
 それを読んだ時に、ルミアは思ったのだ。

 思い出せば、よりアビゲイルはアラスターを縛っているのではないかと自責の念に駆られるだろうと。
 同時に、そうなる前に彼女が強さを身につけてくれれば良いと願った。

 そして、現に自分を責めることをやめられずに泣く彼女が目の前に居る。
 予測は現実となり、現実は得てして残酷だ。
 これは因果ではない、試練だ。


 (なら、わたくしが言うべきことは…尚更に慰めではいけませんわね)


 ルミアは自分の手を固く握り、意を決す。
 腰を下ろしていた椅子から立ち、アビゲイルの顔を覆う手首を掴んで剥がす。
 熱と涙で痛々しく顔を歪ませたアビゲイルの顔が露わになると、怯みそうになる。
 これ以上は酷だと体の内側で警鐘が鳴る。
 けれどルミアはゆっくりと瞬きをして、強い視線で彼女を見据えた。


「わたくし、言いましたわよね?貴女は人を幸せにするお顔をしていますわって」


 茶会で告げた言葉。
 これは世辞でもなんでもない。アビゲイルが特別であることを示したいわけでもない。
 アビゲイルも“幸せになる資格がある”ということを交えた言葉。

 まだ瞳から大粒の涙をこぼすアビゲイルが、不安定ながらもルミアの視線に応えるように見ている。

 これだけ摩耗しても、彼女は応えようとする意志がある。だから大丈夫。彼女を信じる。
 何度もルミアは自分の心に言い聞かせて、再度口を開く。


「貴女がしなければならないのは、自責ではなく向き合う覚悟ですわよ」
「っ!」


 ルミアの言葉に、より一層瞳を濡らす彼女は今にも泣き崩れそうだ。
 きっと掴んだ手首を離して欲しいだろう。
 けれどルミアは、アビゲイルが何かを言わない限り離すつもりはなかった。

 自身がアビゲイルに向き合うことで、彼女に向き合う練習をさせるように。


 (癇癪を起こしてもいい。乱暴でもいい。なんでもいい、何か…何かを言ってくださいまし。それだけでわたくしは、貴女を解放してあげられる)


 胸中に強い祈りを込め、ルミアはただ真っ直ぐアビゲイルを見つめる。
 どんな形であれ、自身の今の望みを告げるのがアビゲイルにとって試練を乗り越える“鍵”になると、ルミアは確信していた。


「…少し、一人に…してもらえますか?」


 声を震わせ、手を離すように促すアビゲイルの言葉にルミアは大人しく従って身を離す。


「分かりましたわ。数時間後にまた、メイドに水桶を替えに来させても構いませんか?」
「…はい、お願いします」
「では、失礼しますわね」


 少し脱力したような様子のアビゲイルに心配せずにはいられなかったが、ルミアは一度も振り返る事なく部屋を出た。

 ——今はこれで良い。

 そう自分を納得させ、部屋を出てから大きく息をつくと視線の先にアラスターが映る。
 腕を組んで壁に凭れ掛かる彼が、ルミアに気付くと慌ててドアノブに手を差し伸べる。


「アラスターさん」
「……何かな」


 彼を呼び止めることが、入室するのを止めることを意味しているのをアラスターは直ぐに察し、冷たい表情でルミアへゆっくりと向く。

 一番アビゲイルの身を案じているのは、アラスターだ。ルミアとてそれは理解している。
 けれどアビゲイルの願いは、アラスターと会う事ではない。


「今は、一人にして欲しいそうですわ」
「彼女が、そう、言ったのかな?」
「ええ、そうですわ」
「……」


 信じられないものを見るようなアラスターの表情。それでもルミアは冷静に淡々と告げる。

 今のアビゲイルが提示したささやかな要求。
 けれどその願いは、アラスターにとって地獄に等しいこともルミアは同時に理解していた。


「アラスターさんには、隣にお部屋をご用意しましたのでそちらでお休みになってくださいましね」
「……」


 彼は答えない。
 ただ彼女の願いに動揺して、ドアノブにかけた手をゆっくりと下ろし、立ち尽くしている。
 それもそのはずだ。
 どれだけ力を持っても自分では、彼女を守れない領域があることを、アラスターは残酷なまでに突きつけられている。


 (その領域は守られる場所ではなく、自ら選択する領域ですもの。例え貴方でなくとも誰にも出来ないことですわ)


 ルミアは、アビゲイルがいる部屋のドアノブにそっと手をかけて魔法を発動させる。
 どんな魔法も、衝撃も、音もアビゲイルの部屋に干渉が出来ない強固な結界。
 アラスターは冒険者としての腕は確かだ。その結界が破れる類のものではないと一番理解しているのは、アラスターだろう。


「わたくしの許可なく、部屋に入れないよう結界を張らせていただきましたわ。いくら貴方とて、聖女の結界は破れませんことよ」
「……」


 ルミアの言葉が届いているかどうか怪しいほど、アラスターは黙して扉を見つめたまま動かない。

 身を翻し、歩き出す。
 二人の状況に胸が痛む。
 それでも確かな足取りと正した姿勢で、毅然とした振る舞いで、ルミアは歩かねばならなかった。



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