太陽を愛した狼

カナメ

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本編 第二章 【王都編】

動き出す選択

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 久方ぶりに訪れたルミアの屋敷を歩く。
 明後日に控えた仮面舞踏会の最終的な打ち合わせをルミアと済ませ、困った顔をしていたルミアからアビゲイルとアラスターの件を聞いた。

 すれ違うメイドたちが、ヒソヒソと声を顰めて話している。
 その理由は問うまでもない。
 見えてきた目的地、明るい屋敷の中で異質なほどに浮いて黒が存在していた。

 壁に凭れ掛かりながら片膝を立てて座り込むアラスターがただじっと、アビゲイルが休む部屋の扉だけを見つめていた。
 アラスターのそばに置かれた軽食のサンドイッチへ視線を向ける。
 現在はもう夕暮れ時だ…乾燥具合を見るに今朝置かれたものだろう。

 ルミア曰く、アビゲイルが倒れてから丸二日…アラスターは食事も水も摂らずにこの状態らしい。
 アビゲイルの看病や、アラスターへの食事の運搬を使用人たちにお願いしようにも皆一様に怯えてしまい、結局ルミアが直々にどちらもこなしているようだ。

 手間のかかる男だなと大きな溜め息をつき、アラスターの近くへ歩み寄る。


「アラスター、食事をするんだ」
「……」


 反応はない。
 瞬きや呼吸はしている。しかしそれ以外が石像のように微動だにしない。
 アラスターの目を見るが、その視線の先は扉だというのにどこか焦点が合っていない。


「アラスター、アビゲイル嬢の為にも休め」
「……」


 彼女の名の元にそう言えば、多少は効力があるだろうと試してみるもののやはり反応はない。
 僕の口から彼女の名が紡がれるだけで、心底忌々しそうな顔をしていたというのに。

 視察の際に見た嫉妬も、怒りも、余裕も、挑発もどこかに掻き消えてしまったかのようにアラスターはただそこにいる。


 (“待っている”んじゃない。“止まっている”んだ)


 それはあまりにも滑稽で、あまりにも人としては異質だった。

 アラスターは言っていた「彼女に捧げる全てを労だと思ったことはただの一度もない」と。
 僕はあの時、アラスターがアビゲイル嬢に対する行動の話だろうと推察していたが…どうやら大きく読み違えていたようだ。
 彼にとっては、自身につけた力や名声、富はもちろんのこと…食事や睡眠などの自身の行動や時間、それらのことを“全て”と一括りにしていたのだ。

 どころか、生存本能すらどこか希薄である。
 アラスターの思考は、人の領域を超えている。
 これは人ではない。
 番がいなければ、生きる意味を失ってしまう獣だ。

 彼女がいない世界など生きる意味がないを具現化した男だ。

 使用人たちが怯えるのも無理はないな、と再び盛大に溜め息を漏らす。
 どうしたものか。
 無理やりにでも食事を摂らせるべきか?おそらく今のアラスターはなんの抵抗も見せないだろうから、それは容易だろう。
 その手段はアラスターの為にはならない。奴の論理を助長させるにすぎない行為だ。

 だからと言って僕は裁きたいわけでもない。
 これが二人がした選択の結果ならば、その良し悪しなど他者が論じて良いものじゃない。

 とはいえど放置もまずい。
 丸二日、アラスターは食事も水も摂っていない。本来なら1日でも限界だと根を上げるものだ。生存欲求を完全に遮断したとはいえ、体の限界はとうにきている。
 このままではアラスターは死に至る。

 現に奴の体の不調は出始めている。
 焦点の定まらない目。
 肌や唇の乾燥。
 アラスターは自覚がないだろうが、時折身体が震えている。
 常にどれほどの魔法を行使していたか予想出来ないほど、今は全てが解除され無防備である。

 呆れるほどに規格外だ。

 肩を竦め、身を屈める。
 アラスターにしっかりと聞こえるように、腹に力を込める。


「アラスター、君は自分の命にまるで関心が無いようだけれど…アビゲイル嬢は、どうかな?」


 アラスターの指がぴくりと動く。
 こんな脅しめいた事など、本来なら言いたくはない。けれどこうでもしないと今のアラスターに、生存欲求を持たせる事は不可能だ。


「自分のせいで君が倒れたと知れば、アビゲイル嬢はどれほど胸を痛めるんだろうね?」


 そんなこと僕に言われなくとも、彼が一番よく理解しているだろうに。

 これは本当に厄介な話だが、この困った男は恐ろしいほど正確にアビゲイル嬢の事を良く理解している。
 だからこそ、自身の事で胸を痛めるアビゲイル嬢という構図に耐えられず、生存欲求を断絶してしまうのだ。


「君が投げた賽じゃないか。まだ転がっている途中だというのに…その出目を見ないつもりか?」


 再びアラスターの身体が小さく動く。
 どうやら僕の声は届いているようだ。


「君は賽の目を見届ける責任がある。だから今は、彼女を信じて休め」


 それだけ告げて僕は立ち上がり、身を翻して歩き出す。
 背後で動く音が聞こえ出し、その音に深く息を吐いてルミアの元へ向かう。
 衰弱状態なら、ルミアの癒しの力が適応されるだろうから頼みに行くとしよう。





 ーーーーーー





 扉。

 その先に彼女がいる。

 会う事は叶わない。

 ——なぜ

 彼女がそう願ったから。

 ——なぜ

 彼女がそう願ったから。

 ——なぜ

 私が彼女を苦しめているから。

 ——なぜ

 私に守られる事を彼女は是としない。

 ——なぜ

 私が彼女を苦しめているから。



 視界に映る扉は、音を立てない。
 そういえばそれ以外も音はしない。

 規則的に動く瞼が、刹那の間だけ視界を遮る。
 どこからか発生する小さな振動と、大きな振動で、身体が揺れる。

 君がいなきゃ、何も聞こえないんだ。
 だって、聞く価値が私にはわからない。
 君がいなきゃ、何も見えないんだ。
 だって、見る意味が私にはわからない。

 視覚も聴覚も味覚も…私を形作る肉体さえも、君がいないなら、必要がないんだ。

 私は君を守りたくて、君に必要とされたい。
 でも君を守るべき私が、君を傷付けて、君が一人になりたいというのなら。
 私が存在する理由はどこにもないのと同じだ。


 私はどうしたらいい?
 明確だ。
 彼女が望むだけ、一人にさせてあげるべきだ。
 それはいつまで続く?
 いつまででも、私はただ止まっていればいい。
 並んで歩くはずだった彼女が足を止めたというのなら、私も止まるべきだから。


 なら、これ以上思考する必要はない。
 だって意味がない。
 私はただここで止まる。
 ただ、それだけのことだ。


『アラスター、アビゲイル嬢の為にも休め』


 大きなノイズが耳につく。
 誰だ。彼女の名を呼ぶな。
 彼女は私に止まる事を願っている。


『アラスター、君は自分の命にまるで関心が無いようだけれど…アビゲイル嬢は、どうかな?』


 身体が無意識に動く。
 私は私の事などどうでも良い。
 …でも、そうだ。
 彼女は、たぶん、違う。

 私の体の傷跡を見て、彼女はひどく心を痛めていた。
 これは彼女のせいでもなんでもないのに。
 でも私がここで止まっていれば、やがて本当に動かなくなる。
 それでも彼女が望むなら、実行するべきだ。
 いや違う。
 彼女は私が動かなくなれば、自分のせいだと責めてしまう。
 違う。
 悪いのは私だ。
 彼女のせいでもなんでもない。


『君が投げた賽じゃないか。まだ転がっている途中だというのに…その出目を見ないつもりか?」』


 頭に響く声。
 鼓膜から響くその音に頭が揺れる。

 私が投げた賽。
 そうだ。
 私が彼女に出会った時に、自ら投げた。
 幸福の出目だった。
 彼女に忘れられようとも、また投げた。
 体の内側を引き裂くような出目だった。
 彼女に選ばれて、また投げた。
 幸福の出目だった。
 彼女と共に歩いて、二人でまた投げた。
 ……私はその出目を、まだ見ていない。


『君は賽の目を見届ける責任がある。だから今は、彼女を信じて休め』


 信じる?信じている。
 これまでだって一度だって彼女を疑った事はない。
 それなのに信じろと。
 とうに信じているのに、これ以上どうしろと。

 私は彼女をこの世の何よりも愛していて、大切で、唯一無二だ。
 そんな私を選んだ彼女は、私にも愛していると、大切であると行動で示してくれる。
 それが何よりも暖かくて、私にとっては太陽そのものだ。

 …彼女は、私を愛してくれている。
 その想いを、優しさを、信じろと言いたいのか。

 転がる賽は、いつか必ず止まって出目を見せる。
 二人で投げた賽は、どんな出目も尊い選択なはず。


 焦点の合わぬ視界の中で、こちらに微笑みかける彼女の笑顔を見た。


 その瞬間に、大きく息を吸い込む。
 一気に取り込まれた酸素に身体が驚いて、咳き込む。
 同時に自身の咳の音と、視界に映る色が戻り、耳と目に痛みを感じる。
 耐えがたいほどの空腹と喉の渇きに苦しさを覚え、自分の横に置かれていたグラスを手にして一気に水を飲み干す。

 遠くから、駆け寄る足音が聞こえる。
 視線を向けるとルミアだった。
 血相を変えた様子で私を見るや否や、癒しの力を行使する。

 窓の外に視線を向けると、いつの間にか空は夕暮れ時だった。
 自分の最後の記憶では、確かまだ日が高かったはず。それに目の前のルミアの様子と自身の体に起きている異変から察するに、1日以上は経過しているんだろう。


 (危うく死にかけるところだったのか)


 立てた膝に肘をついて項垂れ、思わず笑いが込み上げる。

 お笑い種だ。
 私が誰よりもアビーを信じてあげられていなかったなんて。
 信じるよりも自身に渦巻く不安に飲まれていたなんて。


 (こんな状態になっていたなんて知ったら、君は怒るだろうな…)


 今一度、壁に凭れ掛かり扉へ視線を向ける。


 (怒られても良い、早く君に会いたいよ)



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