太陽を愛した狼

カナメ

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本編 第二章 【王都編】

太陽のもとへ

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 ——アビー!!


 彼の悲痛な叫びが、耳について離れない。
 私は暗闇の中で、冷たい場所で伏してうずくまっている。
 ただ苦しくて、全身が痛くて、動くことが出来なくて…それでも頭に浮かぶのは彼のこと。


 確かめなきゃ。


 ——何を?


 彼が、無事かどうか。


 ——どうして?


 だって彼は酷い怪我をしている。


 ——どうして?


 …あれ、なんで私、彼が怪我をしてるって思うんだろう。彼は怪我なんてしていないはずなのに。
 暗闇に目が慣れて、横たわりながら視線を巡らせる。同じ闇の色なはずなのに、黒い髪と金の瞳が少し離れた場所にいるのを正確に捉えた。

 私が知っている彼ではない。
 体はずっと小さくて、子供だ。
 ボロボロで、背中から血を流して、こちらへ伸びる手のひらも血だらけだ。

 それでも私は彼だと思った。
 お願い、誰か、彼を助けて。


 そう願って目を固く閉じると、今度は横たわる私の体に柔らかい感触と暖かさが降り注ぐ。
 胸いっぱいに空気を取り込むと、瑞々しい草の匂いで全身が満ちる。
 なんだか眩しいような気がして、閉じたまぶたを開く。
 映るのは、黒髪に金色の瞳をした少年。


『アビー』


 幼さを纏ったままそう呼んで微笑むその少年が、昔のアラスターであることを確信する。


 ——刹那


 もやがかかっていたような視界が、一気に晴れてゆく。
 次いで、映画のフィルムのように次々と映し出されるのは、私がずっと忘れていた幼少期の記憶。

 出会った時。
 孤独の色を滲ませる彼に、手を差し伸べた時。
 野を駆けて、寝そべり、雲を見た時。
 大好きな絵本を読んで、いつか宝石を贈ると約束をしてくれた時。
 手を繋いで、笑い合った時。

 そのどれもが淡い光を発している。
 大切で暖かくてかけがえのないもの。
 どうして今まで忘れてしまえていたのか。

 暖かいのに、胸がじくじくと痛む。
 涙が溢れて止まらない。


 魔物に襲われた怪我のせいとはいえ、私は貴方を忘れて、恐れて…
 なんて、なんて酷いことを。



 ーーーーーー




 目を覚まして、真っ先に視界に映ったのは窓の外に浮かぶ月だった。
 私が高熱を出して、ルミア様が治療に来てくれてからかなり眠ってしまったようだ。
 自分の顔に伝う涙を拭いながら体を起こす。

 まだ体に沈澱する熱が、寛解ではないことを意味しているのに気付く。
 サイドテーブルに用意されているグラスを手にして水を飲む。高熱の時は一度にたくさん飲んではいけないから、ちびちびと回数を分けて。

 喉を潤して再び窓へ視線を向ける。
 雲ひとつない夜空に浮かぶ月が欠けている。
 それでも煌々と輝いていて、その輝きが今の私には痛々しく感じられた。


 (また、同じ夢)


 熱に浮かされながら、眠りにつく度に同じ夢を見る。
 忘れてしまっていた、記憶の夢。
 もう思い出したというのに、何度も同じ夢を見る事で、私を罰している。
 起きる度、体の不調よりも胸に広がる痛みに息が浅くなる。


 (私のせいで、貴方を縛りつけた)


 大切で暖かいはずの子供の頃の記憶。
 子供の無邪気で純粋な約束や行動が、アラスターにとって呪いとなった。

 私があの時、迂闊で無ければ。
 私があの時、忘れていなければ。

 後悔の念が消えない。
 私さえ、この世界に転生してこなければ。

 何がちゃんと生きて、ちゃんと死ぬだ。
 その自分勝手な振る舞いによって、私が今最も大切にしたい人の人生全てを…私という呪いで縛り付けている。


 (…私、貴方が大切なんです)


 自己嫌悪と自己否定に塗れていても、ありのままの私で良いと彼は示してくれる。
 だから少しずつでも自分を好きになれて、私にもできる事があるってちょっとだけ胸を張れて、それが何よりも嬉しくて。
 落ち込んでも、また自己嫌悪に陥っても、嬉しくてはしゃいでも、皮肉を返しても。
 全部微笑んで、抱きしめて、受け止めてくれるアラスターにずっと救われてきた。

 一度ならず、二度も私を救ってくれた貴方が、何よりも大切。

 だからこそ、その大切な人の手足に私が枷をつけている事が許せない。
 大切な人の心に私という呪いを刻んだ、私自身が許せない。


 (彼のそばにはいられない…)


『貴女は人を幸せにするお顔をしていますわ』


 静まり返った室内に、雫が落ちるようにその言葉が響いたような気がした。

 違うんです。
 私は誰かを幸せになんかしてない。
 こんな私は幸せになってはいけない。


『貴女がしなければならないのは、自責ではなく向き合う覚悟ですわよ』


 もう一度、大きな雫が落ちる。
 雫が起こした波紋が徐々に大きくなり、私の心を飲み込む。


「……向き合う」


 向き合うってどういう意味なんだろう。
 私は十分に向き合ってるつもりだった。
 それでもルミア様は、痛いほど真っ直ぐな瞳で、向き合う覚悟をしろと言った。

 同じ転生者であること、忘れた記憶があること、記憶を思い出したこと。
 それら全てを知って尚、ルミア様は私に言ったんだ。

 ——貴女はどうしたいの?

 私、きっと彼のそばにいてはいけない。

 ——貴女はどうしたいの?

 私、私…彼から、離れ…なきゃ…

 ——貴女はどうしたいの?


 頭の中で、何度もルミア様の声で問いかけられる。
 ガンガンと頭を打たれるような衝撃が痛い。
 再び呼吸が浅くなる。体の震えが止まらない。
 瞳に熱が集まって、込み上げる思いと涙を堪える。

 真っ直ぐなルミア様の瞳が脳裏に浮かんで、揺らいでいく。
 ルビーのような赤い瞳が、ゆっくりと金色へと変化していく。
 そうだ。
 今までずっと、私にそう問うてきたのは…


 ——君は、どうしたい?


 そうして優しく微笑むアラスターの顔を思い浮かべて、込み上げる熱も思いも抑えられなくなる。

 私、貴方と一緒に居たい!
 離れたくなんてない!

 溢れる涙も気持ちも、両手で覆う事ができなかった。わんわんと泣いて、ただ自分の中に湧き上がる感情に身を委ねた。

 貴方が居ない人生を、私はもう考えられない。
 貴方は私のそばにいてくれるって、何よりも大切だって、貴方の太陽だって言ってくれた。
 愛してるって、伝えてくれた。
 彼はずっと私を選んでくれていた。

 彼の選択を、私は歪めようとしていた。
 違う。私がしたいのは、彼の選択を歪める事じゃない。
 貴方の選択を私が受け入れて、私も貴方を選んだことを伝えたい。
 その選択で彼が傷つく事があるなら、また傷つかないように離れたいんじゃない。
 私はちゃんとその傷を手当てして、寄り添いたい。


 だって、私、彼を愛してる。




 ひたすら泣きじゃくって、いつの間にか泣き疲れて眠りについて、夢を見た。

 忘れた記憶の夢じゃない。

 ただ広がる、白い空間。
 もう随分と思い出す事のなかった前世の私が、相変わらず疲れた顔をしてこちらを見ている。

 でもその顔は…
 とても優しく、微笑んでいた。





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