63 / 77
常若の大森林
2
しおりを挟む降り積もった一面の白銀が溶け、新芽が芽吹き花が開く春がこの街にも訪れた。
私はいつものようにお昼休憩を終えて冒険者ギルドへ戻ろうと歩いていた。
厳しい冬が終わって街の人々が再び活気付いている。そんな街の陽気な様子に、私までご機嫌な足取りだった。
通り過ぎる人たちはみんな笑顔。
それなのにその中に一人だけ、様子が違っていたので私は思わず歩みを止めた。
「うぅ……どうしよう…」
スラリと高い身長を縮こまらせ、周囲をキョロキョロと見回す青年。栗色でツヤのある髪と琥珀色の彼は、今にも泣き出しそうだった。
整った見た目とは裏腹にどこか幼く見える彼。背中には大きなカバンを背負い、服装は着ているものこそ平民らしい簡素なシャツとパンツ。でもパンツの上には見慣れない色鮮やかな柄の布がベルト代わりに巻かれている。
(この辺りの人じゃあ無さそうかも)
そう考えるやいなや私はすぐに歩き出していた。
困っているなら放ってはおけない。この街のギルドの受付嬢としても、個人的にも。
私はそうして周りの人たちにたくさん助けられてきたから。見て見ぬふりをするのはもうやめたから。
「人も、物も…たくさん……うぅ、せんせぇ……」
ぽつぽつとか弱い声を溢しながら、すっかり俯いてしまっていた彼の視線に入るように手を差し伸べる。
「見ないお顔ですね。この街は初めてですか?」
「!!」
なるべく優しく声をかけると、彼は肩をビクリと大きく跳ねさせてこちらへ視線を向けた。
琥珀色の瞳をまんまるにさせて、大層驚いている様子。まるで話しかけられるなんて思ってもみなかったような顔。
驚いて硬直してしまっている彼だけれど、私は急かさずに緩く笑みを浮かべて答えを待った。
捲し立てればきっと余計に混乱させてしまうだろうから。
「……は、はじめて」
「そうでしたか。何かご用があって来たんですか?」
「あ、えっと…その、あの」
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
「!!」
両手を握ってもじもじとする彼が緊張しているのかと思って、少しでも解れればいいなと願いつつ柔らかく微笑みかける。
私の顔を見た彼は、目を見開いた。……のと同時に、彼のお尻に茶色と白い毛を纏った短い尻尾がぴょこりと現れる。
なんだっけ…この尻尾。ああ、鹿かな?
(獣人さんかな?)
この街や王都でもほとんど見たことがないが、この世界には獣人という種族がいるらしい。動物の耳や尾などが常時出ているのか、それとも普段は隠していてほとんど人間と変わらないのかすら私には分からない。
でもどのみちこの世界には居る種族だし、仮に目の前の彼が獣人だとしたら…獣人がいない街に来るのは初めてなのかもしれない。だからこれほどオドオドとしているのかも。
それにしてもこの街に来られるほどの範囲で、獣人が住んでいる場所があるなんて話も聞いたことはないなあ。どこから来たんだろうか。
彼の返事を待っている間に色々と考えを巡らせていると、いつのまにか彼のお尻から尻尾は消えていた。
まあ色々と聞きたいところではあるけれど、きっとあまり詮索されたくないからこうして人間と同じ姿をしているのかもしれない。
考えるのはやめておこう。
「えと…先生に薬、売って来いって…」
「お使いですか?良ければ案内しますよ」
「ほんと!?やさしいね!」
不安そうだった顔を一変させて喜ぶ彼は、やはり体の割には子供のような印象を受ける。
獣人さんってこんな感じなのかな?
彼の言う『先生』とやらはお師匠さんとかなのだろうか…なんにしてもこんな警戒心の薄い人をお使いに出すということは、社会勉強の一貫だったりするのかな。
彼に声をかけたのが私で良かった。
「私はこの街の冒険者ギルドの受付嬢をしているアビゲイルと言います。あなたのお名前は?」
「ザシャ!おれはザシャっていうの!」
「ザシャさんですね。私のことは気軽にアビーって呼んでください」
「うん!ありがとう!アビー!」
「慣れない街にお使いなんて、偉いですね」
「えらい?おれ、えらいの?わー!うれしい!」
先ほどまで不安そうだった様子を一変させ、今はすっかり嬉しそうなザシャ。
ひとまず冒険者ギルドへ向かおうかな。
仕事中だし、薬を売りたいという彼のお使いを手伝うためには情報が集まるあの場所なら良い取引先を紹介出来るかもしれない。
そう考えながら隣を歩くザシャを見ると、琥珀色の瞳を真っ直ぐと向けてどこか一点を見つめて首を傾げている。
なんだろう?気になるものでもあったのかと思って、ザシャが向いている方を見てみるけれど、特に何もない。
人通りのない裏路地へ続く場所を、ただ見ている。え、本当に何もないし誰もいないのに…何を見てるの?
えっ!怖い怖い!
犬が何もないところに向かって吠えたり、猫が何もない場所をただじっと見つめている時に覚える…あの妙な不安に襲われる。
獣人さんって霊感とか、あるのかな…
ーーーーーー
「妙なのが街に来て…アビーが対応してる」
珍しくアビゲイルが居ない時にギルドへ来たかと思えば、開口一番に告げられた内容にリンジーはため息をついた。
黒い髪を揺らしアラスターが口を開いたかと思えば、アビゲイルの事ばかり。
それでも耳元で小さく光る赤を纏ってから、多少は色々とマシになった。
現に、妙だと言う割には彼女のそばから離れて私に報告をしに来ている辺り…アビゲイルに害はないと判断して先回りをしているんだろう。
今までのアラスターなら、すぐにその存在を引き剥がしにかかるだろうに。
それでも“妙”だという彼に、少し呆れた眼差しを向ける。
「妙って?どういうことなのよ」
「『不可視化』の私に気付いていた」
「……はぁ?そんなのありえな…いや…」
アラスターの『不可視化』はおそらくこの世界の誰もが破ることは出来ない。だから普通ならありえない。
…けれど例外はある。
それは人間ではないこと。
正しくは精霊や妖精の類…またはそれに属する存在。
精霊や妖精は人の目で見ることは叶わない。
そして彼らは、人よりも魔法に長けていて人の行使する魔法など通用しない。
アビゲイルやアラスターが視認出来ている以上、精霊や妖精ではないのだろう。それに近しい何かだからこそ、アラスターの『不可視化』が通用しない。
なるほど。アラスターが“妙”だというわけだ。
「それで?」
「…これは予想でしかないんだけれど、奴はおそらく『森』から来てるね」
「森?まさか『白銀の樹海』?」
この付近で森といえば『白銀の樹海』だけだ。
この街よりも北部から、王都のある南部まで広大な土地を緑で生い茂らせた大森林。
白銀の髪を持つ賢者が森を守護していると古くから言い伝えられており、森を侵す事を近隣の村や街…国に至るまで厳しく禁止されている聖域。
昔、それらを破って森を開拓しようとした北方の小国が飢饉や疫病に長年苦しめられた歴史があるため、森の怒りに触れれば裁きが下る…と言い伝えられている。
狩猟や採取の為に森に入る際にも、最大限の敬意を払わなくてはならない決まりなのだ。
そんな禁域から人の形をした何かが来た、とあればアラスターがわざわざ先回りしてリンジーに伝えに来たのも頷ける。
どんな用件であれ、優先度はぐっと跳ね上がる。
「何の用かは話してなかったの?」
「先生…とやらに、薬を売ってこいと言われたようだよ」
「…先生?精霊に近いその人が、そう呼んだの?」
「あぁ…おそらく“賢者”のことかもしれないね」
「なんてこと…実在していたなんて」
実在するか分からない、伝承の存在でしかなかった賢者。
ただでさえ森からの使者というだけで重要度は高かったが、賢者の使者となれば最優先事項になる。
その賢者が作った薬なのだとすれば、その価値もとんでもないことになる。これは慎重に対応しなくてはならない。
そう考えてリンジーは大きくため息をつくと、近くにいた職員を呼びつけて商人のメルシエを至急呼んでくるように伝えた。
彼はこの街のギルドからも、王都の聖女からも信頼の厚い商人だ。彼なら適任だろう。
「アビゲイルのおかげね。助かったわ」
「もうすぐここに来ると思うよ。彼女のことだから、まずは君に相談しようとするだろうから」
「あら、信用されてるのね」
「私は、君を信用しているアビーを信頼しているからね」
「……相変わらず嫌な奴」
にっこりと微笑んで見せるアラスターに、リンジーは恨めし気な視線を向けた。
ーーーーーー
冒険者ギルドの扉を開くと、受付にはリンジー先輩と……象徴的な黒を纏ったアラスターが居た。
私の戻りに視線を向ける二人は、何かを話していたようだった。珍しいこともあるものだな。
でもちょうど良かった。二人が揃っているなら、ザシャのお使いを果たすための良い方法を相談できそうだ。
そう思って彼を連れて歩み寄ると、隣に居たザシャが首を傾げながら口を開いた。
「あれ?さっきの黒い人だ」
ザシャがそう言って不思議そうにアラスターを見る。
さっき?私がザシャに声をかける前も後もアラスターの姿なんて一度も見ていないんだけどな。
それに彼は良くも悪くもとても目立つから、ザシャが見える範囲にいたなら私も気付いていたはずなんだけど。
ザシャの言葉に、二人は驚いた顔をしている。
なんで?冒険者の人には何か知らせがあったのかな。わからん。
「お知り合いですか?」
「…いや、初対面だよ」
「アビゲイル、そちらの人は?」
「ああえっと、困っていたので案内をしようかと。なんでも薬を売りたいんだとか」
「おれね、おれね!ザシャって言うの!アビーに声かけてもらったの!」
「はいはい、落ち着いてくださいね」
「自己紹介できた!アビー、おれえらい?」
「ええ、とっても偉いです」
「わー!!」
私の腕を掴んで嬉しそうに小さく跳ねるザシャ。…なんか妙に懐かれてしまったな。
喜んでいるザシャとは裏腹に、ギルド内はザシャがはしゃげばはしゃぐほど場が静かになっていく。
リンジー先輩もこの場に居合わせた職員たちや冒険者たちも、みな一様にアラスターの反応を窺っている。
なんでみんなアラスターを見てるんだろ。
そう思って何故か私も不安に苛まれながらアラスターへ、そうっと視線を向ける。
「ふふ、まるで“子鹿“だね」
そうして緩やかに微笑むアラスターの言葉に、周囲の人間が揃ってほっと胸を撫で下ろした。
私もつられて胸を撫で下ろす。
いやいやこんな無邪気な人に、アラスターがまさか嫉妬するなんてことあるわけない。
彼だってそれくらいすぐに察しがつくはずだ。そう考えて、今までのアラスターの行動を振り返る。
……いや、しないよね?ちょっと不安になってきた。
「薬を売りたいって話だったわね。ザシャはどこから来たのかしら?」
「あ……えっとね、その…も、森の…ずっと奥…」
リンジー先輩の問いかけに、もごもごとしながら答えるザシャ。
この街の付近で森…といえば、ひとつしかない。
『白銀の樹海』
故郷の村に居た時も、採取で森に入る時は必ず敬意を払ってから入るようにって習わしがあったくらいのとんでもない場所だ。
しかしそんなところから来たとは。
森の深くには獣人の人が隠れ住んでいる場所でもあるんだろうか。だとしてもザシャのこの人慣れのしていなさと、無邪気さは…あまり彼の周囲に人の気配を感じさせないんだよなあ。
あーそうなるとあまり詮索するのは、悪手かもしれない。
そう考えてリンジー先輩へ視線を向けると、気付いた彼女は小さく息をついた。
「…信用できる商人を呼ぶわ。すぐに手配するから、貴方は応接室で待っていてもらえる?」
「えっ!アビーは!?」
「なんとかなりそうなので、私は仕事に戻りますよ」
「やだ!アビーもいっしょがいい!」
そう言って私の腕にしがみつくザシャ。
アラスターの眉根が一瞬だけぴくりと動いた気がする。あー、なんてややこしいことに。
ザシャにやんわりと離れるように促しながら、なるべく優しく微笑みかける。
「お茶とお菓子を持って行きますから」
「おかし?おかしってなあに?」
「甘いものです。お好きですか?」
「あまいのすき!おれ、えらいとね!先生がくれるの!」
「ちゃんと待っていられたら、偉いので甘いの持って行きます」
「わー!おれ、がんばる!」
そうして意気込むと、リンジー先輩の案内で応接室へ向かって行くザシャを見送る。
信用できる商人を呼んでくれるようだし、これでザシャのお使いは達成されるだろうな…と息をつく。
ひとまずはお茶の用意をしなくちゃ。
いや、それよりも先に…
その場でじっとことの成り行きを見ていたアラスターへ向く。この人のケアの方が先だな、後にするとロクなことがないし。
彼はザシャの背をじっと見ていたが、私の視線に気が付くと柔らかく微笑んだ。
「懐かれていたね」
「それほど、不安だったのかもしれません」
「そうだろうね」
妙に素直な反応に、私は少し拍子抜けしてしまう。心配しすぎていたかも。そうだよね…あんな無邪気な人に嫉妬するほど、アラスターだって子供じゃあないし。
そう思うな否や、アラスターが私の左手を掬い取って甲に口付ける。先ほどまでザシャがしがみついていた左手だ。
ゆっくりと口付け、そのまま大きく深呼吸をしている。
…前言撤回だ。
「……アラン様」
「匂いがついたら、困るからね。念入りに確認しないといけない」
「動物じゃあないんですから…あ、そういえばザシャさん。一瞬だけ尻尾出たんですけど、獣人さんですかね?」
動物と自分で言って思い出す。
鹿のような尻尾、嬉しい時にぴょんぴょんと跳ねる仕草。めちゃくちゃ鹿みたいなんだよなあ。さっきアラスターが子鹿みたいだと言っていたので、彼も気付いているのかもしれない。
そう思って聞いてみると、アラスターはくすりと笑った。
「どうだろうね?私にも分からないよ」
「えっ、アラン様にも分からないことがあるんですね?」
「その辺りは、私もかなり知識が浅いんだ。それに秘匿されてることも多いんだよ」
「なるほど…」
秘匿されているということは、知らない方が良いということでもあるのかな。
そう考えて、私はお茶の準備をしに調理場へ向かった。
もちろん、アラスターもついてきた。
10
あなたにおすすめの小説
転生したら4人のヤンデレ彼氏に溺愛される日々が待っていた。
aika
恋愛
主人公まゆは冴えないOL。
ある日ちょっとした事故で命を落とし転生したら・・・
4人のイケメン俳優たちと同棲するという神展開が待っていた。
それぞれタイプの違うイケメンたちに囲まれながら、
生活することになったまゆだが、彼らはまゆを溺愛するあまり
どんどんヤンデレ男になっていき・・・・
ヤンデレ、溺愛、執着、取り合い・・・♡
何でもありのドタバタ恋愛逆ハーレムコメディです。
気付いたら最悪の方向に転がり落ちていた。
下菊みこと
恋愛
失敗したお話。ヤンデレ。
私の好きな人には好きな人がいる。それでもよかったけれど、結婚すると聞いてこれで全部終わりだと思っていた。けれど相変わらず彼は私を呼び出す。そして、結婚式について相談してくる。一体どうして?
小説家になろう様でも投稿しています。
男嫌いな王女と、帰ってきた筆頭魔術師様の『執着的指導』 ~魔道具は大人の玩具じゃありません~
花虎
恋愛
魔術大国カリューノスの現国王の末っ子である第一王女エレノアは、その見た目から妖精姫と呼ばれ、可愛がられていた。
だが、10歳の頃男の家庭教師に誘拐されかけたことをきっかけに大人の男嫌いとなってしまう。そんなエレノアの遊び相手として送り込まれた美少女がいた。……けれどその正体は、兄王子の親友だった。
エレノアは彼を気に入り、嫌がるのもかまわずいたずらまがいにちょっかいをかけていた。けれど、いつの間にか彼はエレノアの前から去り、エレノアも誘拐の恐ろしい記憶を封印すると共に少年を忘れていく。
そんなエレノアの前に、可愛がっていた男の子が八年越しに大人になって再び現れた。
「やっと、あなたに復讐できる」
歪んだ復讐心と執着で魔道具を使ってエレノアに快楽責めを仕掛けてくる美形の宮廷魔術師リアン。
彼の真意は一体どこにあるのか……わからないままエレノアは彼に惹かれていく。
過去の出来事で男嫌いとなり引きこもりになってしまった王女(18)×王女に執着するヤンデレ天才宮廷魔術師(21)のラブコメです。
※ムーンライトノベルにも掲載しております。
一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!
夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」
婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。
それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。
死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。
……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。
「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」
そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……?
「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」
不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。
死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる