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常若の大森林
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しおりを挟む程なくして訪れる厳しい冬に、人々が慌ただしく動きだす季節の頃。
冷えて透き通った空気が心地よい、美しい三日月が輝く夜に森がざわめいていた。
常若の大森林。
その深くにあるひときわ大きな大樹の隣に居を構えて幾星霜。
窓辺にかけた特製の角灯が窓から入り込んだ風に揺れて音を立てる。
常とは異なる風の動きに乗って、囁きが耳にするりと流れ着く。
《たすけて、たすけて》
「…ふむ」
子供のように拙く小さな言葉。
この森に棲む妖精の言葉だ。
窓の外に蛍のように淡く光る存在を一瞥し、住居を出て森を歩く。
風が乗せる想いと光に先導されながら、角灯を手に歩を進めた先。
小さな湖にそれはあった。
先ほどまでざわめいていた森は見守るように静まり返る。
離れているというのに届く苦しげな呼吸音とただよう鉄の匂い。
水辺の傍らに横たわる牡鹿。
口から鮮血を溢し、腹部にはその原因と思われる穴の空いた傷口が見える。
狩人の仕業であろうことは誰が見ても分かる。
しかしこの森で狩りをする者は、覚えている限りでも腕の悪い者はいなかったはず。
狙う場所がお粗末だ。
どんなに狙う場所を誤ったとしても、狩人は必ず無駄にしないために持ち帰る。
——悪戯に撃たれた。
嘆かわしいことこの上ない。
ここ数年はこのような森に対する無礼を働く者はいなかった。
だからこそ森は驚いてここまで招いたのか。
最近は森の北部の方が騒がしかったから、おそらくその近辺の者の仕業だろう。
自然の営みに敬意を払えぬ者は、きっと自然から見放され近いうちに罰を受けるだろう。
私の知ったことではないが。
「苦しいだろう、楽にさせてやる」
屈んで手を伸ばすと牡鹿は荒い呼吸のまま、こちらをじっと見た。
目を見開き、じぃと見つめ…
笑った。
笑った?死の間際に?唯の鹿が?
そんな疑問を浮かべた矢先に森が木の葉を揺らして急かす。精霊たちが呼応している。
私をここまで導いた淡い光も、先ほどからずっと「たすけて」の一点張りだ。
まさか、この鹿を助けろと?
本来であれば精霊も妖精も、たかだか動物の死ひとつにこれほどまで騒ぎ立てたりはしない。
産まれて、死ぬ。自然の摂理だ。
彼らにとって無限にも等しい長い時間の中で、刹那の寿命のうちのひとつが終わりを迎えるだけ。
「…仕方ない」
長い時をこの常若の大森林で過ごしているが、今だに彼らの思考回路はよく分からない。
精霊や妖精はとても気まぐれで、とても純粋ということだけしか分からないのだ。
それでも森がこの死に損ないを助けろというのだから、従っておく方が良さそうだ。変に無視をすると機嫌を損ねて、そちらのほうが面倒なことになる。
とはいえどこの牡鹿を助ける手立てはない。
もはや精霊たちの力を借りた治癒術ですら、間に合わない。
この状況下で、助ける手段はただひとつ。
自分の使い魔として契約をさせる。
契約主の魔力で構築した体に、この牡鹿の魂を移し替える…という精霊魔法だ。
肉体をそのままの状態で行う通常の契約魔法の、上位互換とでも呼ぶべきものだが…この精霊魔法を行使するには膨大な魔力を必要とする。
そして使い魔となったあとも少々問題はあるが、まあどちらも些細なことだ。
膝をついて屈み、牡鹿の心臓の辺りに手をついて目を真っ直ぐ見つめる。
「お前、生きたいか?」
「……」
当然人の言葉を解さないただの鹿に、返事をすることは叶わない。それでもその牡鹿はこちらをじっと見つめ、ゆっくりとまばたきをした。
「ならば私と来い。お前の名は……そうだな、ザシャだ」
お前をこんな目に遭わせたのは人間だが、人間はそういうものだ。
恨んだりしても無駄なのだ。
だから恨むな。
恨むくらいならその時間をより有益な事に使う方がよほど良い。
良い人間は必ずいる。
お前が守りたいと思う人間も。
だからお前は“人を守る者”であれ。
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