太陽を愛した狼

カナメ

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後日談

アラスターが風邪を引いた!?

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 昼下がりの冒険者ギルド。
 受付で今朝の訓練場の話をアラスターから聞いていた。
 他の冒険者たちの様子や成長具合、ギルドとしてランクを昇格させるべきかどうか…など、仕事の話を詰めていた。


 ——ゴホン


 人の少ないギルドのロビーに、小さく響いたその咳払い。私は書類に向けていた目を見開いて、音の出所へ顔を上げる。


「……」
「……」


 見つめる先は、当然アラスター。
 けれど彼はにこりと微笑んで私を見る。彼は何も言わない。私も何も言わない。
 沈黙は…肯定だ。この場合は否定しても肯定だ。だからアラスターはいつも通り微笑んでいる。どうかしたかい?とでも言いたげにシラを切っている。

 アラスターは時折、嘘をつくのがとても下手だ。

 敢えてバレやすく装っているのか。それとも本当に誤魔化しようがなかったのか。どちらかは彼のみぞ知るところではあるけれど、私は確信を持って言える。
 このシラの切り方…今のは間違いなく、誤魔化しきれなかったやつだ。

 真っ直ぐに金色の瞳を見つめると、一瞬だけ彼の視線が本当に僅かに泳いだのを私は見逃さなかった。


「…アラン様」
「なにかな?」
「風邪ですか?」
「いや、少し喉に引っ掛かりがあっただけだよ。今朝の指導に熱が入り過ぎたかな」
「…なるほど」
「最近は皆、頑張っているからね。私も応えてあげたくて…変に力が入ってしまうみたいだ」
「アラン様」
「……なにかな?」


 私なりに分かって来たことがある。
 アラスターは、何かを隠したい時ほど『誠実』や『真面目』という言葉を多く並べる。しかも私が仕事中の時は特に。
 私がそういった言葉や行動に弱いのを彼が理解しているからなんだろうけど、今日は誤魔化されてあげる気にはならなかった。

 再び彼の名を呼ぶと、彼は絶妙な間の後に首を傾げて応じる。今その仕草をするのは悪手だ。私の言葉を肯定しているに等しい。


「なら、体温を計っても問題ありませんね」
「計らなくても、私はこの通り元気だよ」
「念のためです。冒険者の方の体調管理は、私たちにとって大切な仕事ですから」
「…そうだよね」
「仕事ではお気に召さないなら、私情でも構いませんよ。心配で気が気でない私が見たいという話なら、聞かなかったことにします」
「…………」


 受付の近くに常に忍ばせている救急箱から、体温計を取り出しつつ敢えて淡々とした口調で言う。
 弱々しさを纏った彼の声色に若干申し訳ないな、と思う。でもここで引いてしまったら彼は今後、自分がどれだけ不調であっても隠し続ける癖をつけてしまう気がする。


 (心を鬼にしろ!アビゲイル!)


 体温計を手に屈めていた体勢を起こし、改めてアラスターに向き直る。
 きゅっと表情を引き締め、毅然とした態度で彼を見つめる。いつもの余裕そうな雰囲気はどこに行ってしまったのかと疑いたくなるほど、しゅんとした様子になっていた。
 …やり過ぎたかな。あーだめだめ。ここで引くわけにはいかない。


「どうしたいですか?」
「……君の言う通りに」
「分かりました。はい、計って下さい」


 気落ちした様子で体温計を受け取り、少し離れた場所にあるソファに腰を下ろして大人しく計るアラスター。
 その様子を尻目にギルド内が静まり返っていることに気がつく。隣に立っていた後輩のヘレナへ視線を向けると、怯えた様子で私を見ている。


「……アビゲイル先輩を怒らせちゃいけないことが、よく分かりました」
「えっ!?怒ってないよ?ごめんね、ちょっと行ってくる」
「はい!ここは任せて下さい!」



 ーーーーーー



「…37.6度」
「………」


 手渡された体温計を見てぽつりと呟く。
 ソファに座るアラスターは背中を丸めて、私の反応を伺っている。

 どうして熱が出るまで放っておいたのか。…いやどうせ彼のことだから、いつもより体が重たいなくらいにしか思っていなかったんだろう。まさか発熱してるとは、と驚いているのは本人かも。


「アラン様」
「うん」
「これは風邪です」
「…うん」


 私に叱られると分かってる彼は、大型犬のように分かりやすくしょんぼりしている。とりあえず反省はしているようだ。
 これ以上は可哀想だと思い、彼の前に立って膝を折って屈み覗き込む。なるべく優しい顔で彼を見て、額や首元に手を伸ばす。
 触れた彼の肌は熱が出ているとは思えないほど冷えている。いつも彼は体温が高いから、これはまだ熱が上がるっていう前兆かも。喉も少し腫れているように感じる。


「喉以外は、何かありますか?」
「…おそらく、頭痛だと、思う」
「頭痛ですね。他には?」
「少し、体に倦怠感が」
「分かりました。薬師の方のところに行って来ます…とりあえず、ギルドの空き部屋を借りて横になりましょう」
「…うん」


 自分でなんとかできる程度の症状なら問題ないが、具合によっては病気や怪我の合間には手伝いを必要とする人がいる。
 冒険者は独り身が多い。そうした人に対して冒険者ギルドの中に宿泊用の部屋が用意されている。レオニス様やルミア様が泊まったのは例外中の例外だ。

 アラスターを引き連れて、2階の部屋に入る。
 昼下がりの日差しは眠るには眩しいから、カーテンを閉めておこう。そう考えて歩き出そうとすると、左手を緩く握られて足を止める。

 振り返れば、顔を少し伏せ気味のまま私の様子を窺うアラスターが目に映る。きゅっと強くも弱くもない力で私の手を握る彼の革手袋は、なんだかいつもより固く感じた。


「アビー…怒っているかい?」
「もう怒っていませんよ」
「隠そうとして、ごめんね」
「私も厳しい言い方をしてしまってすみません。だからちゃんと休んでくれますね?」
「うん」


 頷いて柔らかく微笑む彼に笑顔で応え、再びカーテンを閉めるべく歩き出す。
 背後で装備を外す音が聞こえているから、ちゃんと横になる準備をしているなと胸を撫で下ろした。

 アラスターが風邪を引くなんて。
 正直、かなり驚いている。
 咳払いなんてしているところを見たことがないくらいに、怪我はともかく病気とは無縁だと思っていた。
 私はきっと心底驚いて、とても心配になってしまったんだと思う。だからあんな有無を言わさないような物言いをしてしまったのかも。

 少し気持ちが落ち着いて、先ほどまでのやり取りを思い返しながら反省する。
 冷静に対応しなきゃなんて思っていたのに、病人であるアラスターの精神を弱らせるような言い方をするのは流石にやり過ぎた。

 窓から振り返るとベッドに入り、横になった彼が不安そうな面持ちで私を見ている。
 きっと、まだ私が怒っていないのか不安に思っているんだろう。いつもなら怒っていないと言えば、私もそれ以上は怒らないのを知っているはずなのに。風邪で弱ってるのかな。
 病は気からなんて言うから、気持ちだけでも元気になって欲しいところなんだけれど。


「アラン様」
「…うん」


 ベッドに横になる彼のそばへ歩み寄り、視線を合わせるように身を屈める。
 思えばさっきよりもアラスターの言葉数が少なくなってきた。これは、彼の疲弊のサイン。そして同時に甘えのサインでもある。
 まさか彼がそんなに疲労を溜めていたとは。本人はそんなつもりはないのだろうけれど、彼はどうにも自分のことを二の次にしてしまうきらいがある。
 …まぁ、かくいう私も人のことは言えないけれど。これでもお互い少しはマシになった方だが、癖というのはそう簡単に直らない。

 まぶたが重たげな表情の彼の頬を手のひらで優しく撫でる。私の体温をしっかりと覚えるように目を閉じる彼の姿は、常とは異なってどこか弱々しい。


「お薬をもらってきます。他に何か欲しいものはありますか?」
「……」


 アラスターは、ゆっくりと一度だけまばたきをした。特にないって言いたいんだろう。
 声を出すのが辛いわけではない。これが彼なりの最大限の甘え方なのだ。彼が甘えたになると、出てくる言葉は「アビー」「うん」だけ。否定の時は黙る。
 普段はあれだけ言葉を並べるというのに、本当に極端で困った人だ。そして私もそんなアラスターに対して、いじらしいって思ってしまうから困ったものだ。


「分かりました。少し寝ていて下さいね」
「…うん」
「偉いですよ、“私のノワール”」
「…!」


 彼の額に口付けを落として身を起こす。
 へにゃりと表情を崩し嬉しそうな顔を見せる彼に、私も笑顔を返して部屋を後にする。


 ——ゴホン


 扉を閉める際にアラスターがまた咳き込む声が耳に入って、早く薬をもらいに行かなきゃと小走りで向かった。



 ーーーーーー



「ヘレナ…申し訳ないんだけれど、アラスター様に水を持って行ってくれるかな?」
「えっ!?アビゲイル先輩じゃなくて私がですか!?」
「私は薬もらって来るから!」
「ちょ…!!」


 私の制止の言葉など聞かず、手早く荷物を持って風のように行ってしまったアビゲイル先輩。
 昼下がりの人気のないギルドが少し恨めしく思えて、肩を落とした。

 この街のギルドの受付嬢になって約1年。
 仕事をテキパキとこなし、冒険者の人たちとも良好な関係を築いているアビゲイル先輩を本当に尊敬しているし、憧れている。
 …でも、アラスターさんへの対応を私に任せて来たことに関しては異議を唱えたい。

 確かに今はある意味、緊急事態だと思う。
 まさかあのS級冒険者のアラスターさんが。完璧超人で紳士で余裕綽々の彼が。アビゲイル先輩に言い負かされてるのを目の当たりにする日が来るなんて…
 確かにアラスターさんが風邪を引くなんて想像は出来ないけれど、そんなことよりもよっぽど驚愕だった。

 お二人が恋仲なのは知っていたし、仕事中は仲が良いという雰囲気はあっても比較的いつも通りだったから、いまだに現実味がない。


 (いけない。水を持って行けって言われてたんだ)


 正直に言うと、行きたくない。
 私からすればアラスターさんは雲の上のような人だし、いつも彼を応対しているのはアビゲイル先輩とリンジー先輩だ。話したことすらないから、どう接して良いのかわからない。畏れ多いことこの上なくて緊張してしまう。

 水を入れたガラスピッチャーとグラスをトレイの上に乗せ、アラスターさんのいる部屋の扉の前に立つ。


 (失礼があったらどうしよう。言葉遣いに気をつけなきゃ)


 深呼吸をし、扉を真っ直ぐ見て、ノックする。


 ——コンコン


「アビゲイル先輩に言われて、お水をお持ちしました」
「…どうぞ」


 部屋の中から許可の声が聞こえて、扉を開ける。
 私が来たことでベッドの上で上体を起こしてこちらを見るアラスターさんは、先ほどのアビゲイル先輩とのやり取りなんて無かったみたいにいつも通り。緩く弧を描いて穏やかに私を見ている。

 実は結構元気なんじゃないかと思いたくなるけれど、アビゲイル先輩が急いで薬を貰いに行った時点で多分そんなことはない。だったら横になっていてくれるとすごく助かるんだけど。


「……」
「…ここに、置かせていただきますね」
「あぁ、ありがとう」


 少し掠れた声で彼は頷く。
 それでも、じっと私を見据えるアラスターさんの視線が痛い。そんなに見られるとますます緊張する。
 震える手でなんとかベッドのサイドテーブルにトレイごと置くけれど、その間もアラスターさんは何も言わないで私を見ている気がする。

 なんというか、警戒して目線を外さない獣…みたいな感じがする。お礼言ってくれてるし、別に怖い顔をしているわけでもないのに。


 (うぅ…胃が痛い。助けてぇアビゲイルせんぱぁい…)


 とにかく早くこの場から立ち去りたい。
 心の中で半泣きになりながら、トレイを置くとアラスターさんに向かって深々と一礼し、なるべく迅速に扉へ向かう。

 ドアノブに手をかけて、冒険者の人が怪我や病気で看病をしなくてはいけない時のマニュアルを思い出す。
 サイドテーブルに置かれたベルを使っていつでも呼んでくださいって言わなきゃ。
 そう思って振り返る。


「あ、えと、何かお困りの事があれば…」
「そうするよ」
「あっ、はい…失礼しました…」


 私の言いたいことが分かってるみたいに言葉を遮られ、声を小さくしながらなるべく静かに部屋を出る。

 2階からロビーに降りて、受付に戻るや否やずっと息を止めていたみたいに大きく深呼吸してへたり込む。


「きっ、緊張したあ!怖かった~!アビゲイル先輩~!早く戻って来て下さい~!!」



 ーーーーーー



 薬師のところに行って、薬を貰って帰って来る頃には街はすっかり夕暮れ時になっていた。
 薬師にはその場で症状を伝えて調合してもらうので、ただでさえ時間がかかる。だというのに今日に限ってギルド御用達の薬屋は調合を待つ人が多かった。


「やっぱり解熱や鎮痛作用のある薬くらいは、いくつかギルドに置くように提案してみようかな」


 そんなことを考えながら急ぎ足で歩き、ようやくギルドに到着する。冒険者に対応している最中のヘレナと目が合うと、今にも泣き出しそうな顔をしている。忙しかったのかな?時間かかっちゃったから申し訳ないことをしちゃったな。

 とはいえどギルドの受付を待つ冒険者はおらず、現在後輩が対応している者のみ。この状況ならアラスターへ薬を届けに行っても良いだろうと判断して、二階の部屋へ向かう。


 ——コンコン


「アラン様、入りますね」


 ノックをして扉を開く。返事が無かったのは寝ているからかな…と少し静かに部屋へ入る。
 サイドテーブルに置かれたガラスピッチャー。後輩はちゃんと水を持って来てくれていたようだし、グラスが使われた痕跡があるからアラスターも水を飲んだようだ。
 次いでベッドに横になる彼へ視線を向けると、普段の色白の肌を赤くさせ、額に汗を滲ませて苦しそうに寝ている姿が目に入る。


 (やっぱり、熱が上がったんだ)


 少し時間がかかってしまったから、彼の様子を見て食事をさせてから薬を飲ませるかどうか悩んでいたけれど…この状態ならまずは薬を飲んで少しでも熱を下げる方が優先だ。

 足早にアラスターのそばに歩み寄り、手にしていた薬を一度サイドテーブルへ置く。引き出しからタオルを取り出して、彼の額の汗を拭ってあげる。


 ——ゴホッ、ゴホッ


 苦しそうに咳き込む彼が、タオルの感触にうっすらと瞳を開ける。
 熱で潤んだ金色が、ゆらゆらと私を見る。
 風邪で苦しい本人には大変申し訳ないけれど、とんでもない色気である。これは…ちょっと他の人に看病を任せるのは酷かもしれない。

 妙に冷静な頭でそう思いつつ、今一度彼の額や首に触れる。分かってはいたけれど相当熱い。これは辛いだろうに。


「アラン様」
「……」
「遅くなってすみません。お薬もらって来ました。飲めますか?」
「…うん」


 数時間前よりもすっかり掠れてしまった声が痛々しい。
 返事をしてゆっくりと体を起こす彼に水の入ったグラスと薬を手渡すと、雑に薬を口に放り込んで水を飲んだ。
 いつもは丁寧な所作の彼も流石に辛くて余裕がないんだろう。その弱々しい姿に胸を締め付けられる。


「少し寝て、まずは熱を下げましょう」
「……」


 彼が飲んだグラスを受け取ってサイドテーブルへ置く。
 後で消化に良い食事と喉に良い飲み物を持って来てあげよう。今はきっと食事を摂るのも辛いだろうから。
 上体を起こしたままぼんやりとこちらを見るアラスターに優しく微笑みかけると、彼も緩く弧を描いて笑った。


『ありがとう』


 目線がそう言っている。
 辛いだろうに、一生懸命に笑って見せる彼がなんだか儚くて、可愛らしく見えてしまう。
 ああもう、お礼なんていらないのに、本当に困った人だ。

 そう思っていると傷跡だらけの彼の手が私の手を掬い上げて、頬を擦り寄せる。
 大きく息を吐きながら目を閉じるアラスター。本当なら早く横になって寝てくださいって言いたいところだけど、今は少しだけ彼の好きなようにさせてあげたかった。


「アビー」
「はい」
「アビー」
「ここにいますよ」
「…アビー」


 まるで縋るように、目を閉じたまま掠れた声で何度も私の名前を呼ぶアラスター。

 私は、今世ではほとんど風邪を引いたことがない。でも、前世で一人で暮らしていた時に、高熱を出した事があった。
 そんな状況だったのに、一人でいるしかなくて、このまま誰にも気付かれないかもなんて考えていたことを思い出す。
 熱に浮かされると、体は熱いのに心は妙に冷えて冷えて、どうしようもなくなる。
 だから今のアラスターの様子も、私には痛いほど分かる。

 手に擦り寄る彼の頬を、指先で宥めるように撫でる。またじんわりと汗をかいている。たくさん汗をかけばそれだけ熱が引くのも早いだろう。体が冷えてしまうから、着替えも持ってこないと。


「アラン様、横になりましょう?」
「…うん」


 彼の気が済むまでこうしてあげていたいのは山々だけれど、それではいつまでも良くはならない。促すと彼はおとなしくベッドへ横たわった。
 不安そうな視線で私を見るアラスター。


 (…ここにいてってことだろうな)


 ベッドの端へ腰を下ろし、彼の片手を撫でながら緩く握る。彼の手は優しく握り返してくれるけれど、どこか強張っているようにも感じる。
 今は彼の心を落ち着かせてあげる方が優先だ。
 空いた手でタオルを持ち、もう一度彼の汗を拭いながら何か彼が落ち着けることはないかと思考を回す。


 (よっぽど疲れが溜まっていたんだろうな。あ、そういえば…)


 王都でアラスターがうたた寝をした時を思い出す。あの時は風邪を引いてはいなかったけれど、レオニス様の仕事の手伝いをしてアラスターは疲れ気味で、寝てしまったんだっけ。
 彼がすごく気を許してくれているのが嬉しくて、思わず鼻歌を口ずさんでしまっていたっけ。
 歌い出したら、眠ってしまった彼の体の強張りが少し解けたようにも感じたから…今回も効果あるかな?

 そう考えて鼻歌を歌い出すと、徐々に彼の手から固さが抜けていく。良かった。ちょっとずつ落ち着いて来たかな?

 やがてアラスターの寝息が聞こえるまで、私はしばらくそばに居続けた。
 時折「あびー」と私を呼んだりすることがあって驚いたけれど、どうやら寝言だったようだ。


 (私はちゃんとここにいますよ)



 ーーーーーー



 アラスターが寝たのを確認してから、一人きりにしてしまったヘレナがいる受付へと戻り、一日の業務を終えた。
 とびきり緊張したから次からは自分が薬を取りに行く…と涙目で訴えてきた彼女を思い出したながら、冒険者ギルドのキッチンで食事の支度をしていた。

 まあ確かに、ヘレナはまだBランクまでの冒険者の対応しか任せていない。いきなり話した事もないS級冒険者の対応をさせるのは良くなかったかも。とはいえど急を要する場面はいくらでも想定出来るから、少しずつ慣れてくれると良いんだけどな。


「先輩、頼まれていた着替えお持ちしました」
「…?直接届けてくれて良かったのに」


 一人で食事と更に貸し出しの着替えを持っていくのは危ないから、ヘレナに持っていくように頼んだんだけれど。
 作り終えた粥とはちみつ湯、湯桶とタオルを乗せた大きなトレイを手に持って振り返ると、彼女は背中を丸めて不安そうな顔をしている。


「あの…一緒に行っても良いですか?」
「良いけど、そんなに緊張しなくてもいいのに」
「しますよ~!なんかめちゃくちゃ警戒されてて…!」
「警戒って、猫じゃあないんだから…」
「いやいやいや!本当なんですって!」


 今だに半泣き気味のヘレナ。
 この調子じゃあギルドマスターにちょっと凄まれただけで、気絶しちゃうんじゃあないだろうか。冒険者は威勢の良い人が多いから、比較的穏やかなアラスターにこれでは先が思いやられるなぁと苦笑する。

 そうして二人で歩いて、アラスターが寝ている部屋へと辿り着く。
 私は手が塞がっているから、ヘレナにドアをノックするように視線で促すと眉尻を下げながら渋々といった様子でドアを軽く叩いてくれた。


「ア、アラスター様…失礼致します…」


 ヘレナが声をかけながら扉を開いてくれたので、二人で入室する。
 明かりを灯さなかった部屋はすっかり夜の色に染まっていて、窓のカーテンから透けて入り込む月明かりだけが頼りになってしまっていた。

 ベッドに横になっていた影が、ゆるりと起き上がってこちらへ顔を向ける。
 暗闇なのにまるで本当に猫の目みたいに光って見える彼の金色の目が、私より先に入ったヘレナを見た。

 見開いて、固い視線でじっと見ている。


 (……確かに、警戒してるみたい)


 ヘレナの言った事は本当だったな、と私は溜め息を漏らす。多分、体調が悪いから、いつもより色んなものに敏感で余裕が無いだけだと思うんだけど。
 アラスターの視線に動揺する彼女の背後にそっと歩み寄り、こほん…とわざとらしく咳払いをする。


「アラン様、着替えと食事を持ってきました」


 私の声に気が付き、彼の瞳が私を捉える。その瞬間にゆっくりとまばたきをして柔らかさが戻った。
 私の前に立つヘレナが腰を抜かしそうなほど脱力しかけている。まあ、最初はみんな冒険者に怖気付いてしまうから、仕方ないか。


「ヘレナ…着替えはそこに置いて、明かりをつけてもらえるかな?」
「は、はい!」


 私も一度、部屋に備え付けてあるテーブルにトレイを置く。まずは彼の具合を確認しなくちゃ。椅子を持ってベッドサイドへ置き、腰を下ろした。

 ヘレナが部屋の明かりをつけてくれたおかげで、アラスターの顔がはっきりと見える。
 顔色は…まだ少し赤いけれど、数時間前よりはずっと良くなった。少し熱が引いたのかも。
 時折、小さく咳き込む彼は少し力が抜けたように私を見ている。


「アラン様、具合はいかがですか?」
「まだ、良くは無いね」
「…喉がかなり辛そうですね」


 返事をした彼の声は、先ほどよりも更に掠れている。寝ている時に咳き込んでいたんだろう。こんなに掠れたアラスターの声を聞いた事が無かったので、当たり前なんだけど、彼も人間なんだなぁと今更実感する。

 喉が痛いとなると、食事をするのは大変そうだ。でも頑張って食べてもらわないとな。なんて考えていると、アラスターがチラリと視線を向ける。
 なんだろう?と不思議に思って私も彼が見た方へ顔を向けると、明かりを灯し終えたヘレナがオロオロしながら部屋の隅っこに立っていた。


「あ、あの…他に何かお手伝い出来ることはありますかね?」
「もう大丈夫だと思う。手伝ってくれてありがとう、ヘレナ。先に上がっててくれる?」
「はい!お先に失礼します!」


 私の言葉を聞くや否や、ものすごい早さで部屋から出て行ってしまった。
 ……いやまあ手伝ってくれたのは本当にありがたいけど、そんなにアラスターの事、苦手かあ。本当に先が思いやられるなぁと、大きく溜め息をつく。


「…私のせいだよね、ごめんね」
「ヘレナは気弱な子なので、次はもう少し優しくしてあげてください」
「うん。気をつけるよ」


 喉に負担がかからないよう、極力小さな声で頷くアラスター。まあこう言ってくれているし、大丈夫かな。


「貸し出し用の寝衣を持ってきたので、まずは着替えましょう。体も暖かいタオルで拭きますね」
「うん」


 一度椅子を立ち、用意を始める。
 着替えをベッドの上に置いて、湯桶でタオルを絞り、再びアラスターの元へ向かう。
 いつものぴったりとした黒のインナーを脱いだ彼の体は、引き締まった身体に相変わらずおびただしい傷跡で埋め尽くされている。何度見ても痛々しいけれど、私はその痛みを想像して胸を痛めることは無くなった。

 これは彼が生きてきた証だから、同情や哀れみよりも目を逸らさずに向き合わなきゃいけないって思ったから。


「背中、向けてもらえますか?」
「うん」


 手の届かない場所だけ優しく拭いてあげる。
 風邪を引いてる時って、皮膚も触られるだけで痛かったりするけど大丈夫だろうか。
 何も言わないし、痛がる様子もないから大丈夫そうではあるけれど。

 とはいえ相変わらず言葉数が少ないから、これはまだ辛いんだろうな。早く済ませて、横になってもらおう。

 背中を拭いてあげて、湯桶で絞り直したタオルを手渡し、彼が体を拭くのと着替えるのを済ませている間に食事と飲み物をサイドテーブルに用意する。


「お粥とはちみつ湯です。食べられそうですか?」
「うん、ありがとう」


 寝衣を着ながら素直に頷くアラスターに、少し安心する。食事が食べられるのは良いことだ。食べなければ治るものも治らないし。
 着替えを済ませて、食事を食べ始める彼を椅子に座りながら眺める。

 ああ、そっか。私は泊まるわけには行かないから、家に帰らないといけないんだよな。
 この様子なら、この後薬を飲んでまた寝れば明日はもう少し元気になるだろう。ならそばについていなくても良い。むしろ私まで風邪を引いたら目も当てられない。

 少し、心がモヤモヤとする。
 いや心配して風邪が治るわけじゃあないから、仕方のないことなんだけれど。でも弱った彼のそばを離れるのは、少し寂しいというか…余計に心配になってしまう。


 (こういう時、一緒に住んでいないのを不便に感じちゃうな…)


「…アビー?」
「あ、いえ、私もそろそろ帰らないとなぁって」
「……そうだよね」


 すっかり食事と薬を飲み終えた彼が、私の言葉を聞いて、少し俯く。
 聡い彼のことだ。そばに私がいれば風邪をうつしてしまうとか、自分の状態がつきっきりで看病するほどひどい状態ではないこととか、きっと分かっている。
 だから私が家に帰るのを理解している。

 でも、それでも、寂しいと私たちは感じてしまっている。

 本当に、好きとか愛してるってどうしようもない。でもそのどうしようもないものが、たまらないほど寂しくて、幸せだ。
 そう考えたら、なんだか少し笑えてきてしまう。寂しいが幸せなんて、うん、ほんと、どうしようもなくて楽しいや。


「ふふふ」
「?」
「アラン様」
「うん」
「寂しいので早く元気になってください」
「…そうだね」
「元気になったら、また二人でお散歩に行きましょう」
「うん、行こう」
「お天気が良ければ、ピクニックもしたいです」
「ふふ、いいね。とても楽しみだ」
「ですよね、楽しみです」


 そうして少し話して笑い合った。
 部屋を出る時、アラスターは少しスッキリした顔をしていた。私も楽しみになった事が増えて、先ほどまで感じていた寂しさが紛れていた。

 さて、明日も仕事だから少し早く出勤してまたアラスターの様子を見に来よう。



 ーーーーーー



 翌朝。
 出勤の時間よりも早く冒険者ギルドへ来て、アラスターの部屋へ静かに入る。

 いつも朝の早い彼も、今日はまだ大人しく寝息を立てている。やっぱり体調が悪いといつものようにはいかないよね。

 昨夜、ベッドのそばに置いたままの椅子に腰を下ろす。
 眠る彼の呼吸は昨夜よりもずっと穏やかだ。朝日に照らされたアラスターの肌は、赤みが消えていつもの血色が戻っている。すっかり熱は下がったみたいだ。


 (良かった…)


 思わず手を伸ばし、彼の顔にかかった前髪を指先で優しく移動させる。
 昨日あれだけ汗をかいていたのに、指通りも良くて相変わらず触り心地が良い。そのまま指を滑らせて、頬を撫でる。

 起こしてはかわいそうだと分かってる。でも、私は起きて欲しいって思ってしまってて、触れられる感触に寝ているアラスターが少しだけ身じろぐ。
 閉じた目が、部屋の眩しさに一瞬だけぎゅっと固く結ばれて、ゆっくり開かれる。
 まぶたが開いて現れた金色の瞳が、ぼんやりと私を見ている。


「おはようございます、アラン様」
「………アビー、あぁ…おはよう…」


 まだ声は掠れている。
 それでも彼はやんわりと微笑んだので、体調はかなり回復しているように見える。
 頬を撫でた私の手に擦り寄って何度かゆっくりとまばたきをして私を見た彼が、目線を逸らす。


「………情けない姿を、見せてしまったね」
「そうですか?頼ってもらえて、私は嬉しかったですけど」
「…思っていたよりも、その、余裕が…無かったみたいで…」


 ごそごそと布団の中で体を動かし、私に背を向けるアラスター。分かりやすく、照れている。表情は見えないけれど、耳が赤い。
 大変悩ましい。心の中で意地悪な私が顔を見せて「心配させられたんだから、もう少し意地悪を言っても許される」って囁いている。
 まあ確かに?最初は体調が悪いのを隠そうとしていたし?あのまま私が見過ごしていれば、アラスターは今頃どうしていたんだろうか。
 うん。ちょっとお仕置きがてら、意地悪しても良い気がしてきた。


「寝言でも私を呼んでくれて、嬉しかったです」
「………今日の君は、意地悪だね」
「まさか、とってもご機嫌ですよ?」


 少し恨めし気な声が聞こえて、くすくすと笑いながら答える。
 彼が困るようなことを言っている自覚はあるけれど、事実私は機嫌が良い。
 頼られたことも、寝言で名前を呼んでくれた事も、体調が良くなった事も、どれも私にとって嬉しい事だから嘘はひとつも言っていない。


「これに懲りたら、次はもっと早めに頼って下さいね」


 身を乗り出して、彼の後頭部に口付けを落とす。
 私もつくづく現金だ。
 彼がどんなに余裕が無くても、私の前だけでは素直に甘えてくれたことに嬉しいと感じているのだから。


「…うん、そうするよ」


 小さく頷いた彼は今だに耳が赤いままだったけれど、どこか嬉しそうな声色だった。









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