狐に幸運、人に仇

藤岡 志眞子

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11 寝坊

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夏の盛りが過ぎて、日も少しずつ短くなり始めた。吹く風も気持ち良くなってきた。

「蒼助さん、帳簿の確認をして頂きたいのですが、どうも…何回計算しても誤差が出るんです。何か未報告の数字があったりしませんでしょうか。」

庭で伸びをしていると、番頭が帳簿を持って状況を報告してきた。
急いで店に行くと、奉公人総出で在庫帳やら売上帳やら引っ張り出して、床中書類だらけになっていた。算盤を弾く音もかまびすしい。

「毎月月末に数字を出して合っていたじゃないか。」

「それが、ずれていたんですよ。」

「…どれくらい。」

「今年、入ってからです。今のところ数字はこれだけの箇所とこれだけの誤差が出ていますが、まだありそうです。」

「………おい。」

「申し訳ありません。」

深々とお辞儀して謝る番頭の禿頭が光を反射して光っている。月末まであと三日、いや二日。今夜は徹夜か。
奉公人と一緒になって文机に向かいひたすら算盤を弾く。計算しても計算しても一向に間違いの箇所は見つからないし、探す帳簿は山積みのままだ。
周りを見ると皆同じく疲弊して頭を抱えて絶望している。こうなったのは誰が原因かなんてすぐわかる。

実は、俺は字を書くのが苦手だ。

俺の悪筆のせいで以前読み間違えてちょっとした問題があったが、番頭が言わないだけで今回もそうなのだろう。
わかりきっている…なぜなら自分で書いた字が今まさに読めないからだ。
困った。数字はなんとかわかるが、何の薬種か全く読めない。頭を抱えている奉公人が、涙目で俺をちらちら見てくる。

すまん。

晩飯の時間も過ぎた頃、店にあかりがやって来た。手には無数の握り飯が乗った盆を持っていた。
休憩とばかりに皆立ち上がり、あかりの元へ駆けていく。夢中で頬張り咽せている者もいる。
それを見て、あかりが店の薬缶のお茶を湯飲みに注ぎ手渡す。

「採算が合わないとお義父様から聞きましたが、あとどれほど残っているのでしょうか。」

皆握り飯を食うのを止め、一斉に黙る。あかりは開かれていない帳簿の山に目を留める。一瞬、眉間に皺が寄った。

「…私で力になれるのなら、お手伝い致しますが。」

「本当ですか!」

一斉に喜び出す。はて、療養所での仕事でも算盤を弾いていたのだろうか。
あかりは早速、帯に挟んであった襷で着物の袖を括り、俺の隣の文机に座り算盤を手に取った。
目の前に広げられた帳簿を見るなり、算盤の手元はほとんど見ずに、鮮やかに珠を弾いていく。あっという間に次の頁(ページ)へ。周りで見ていた奉公人達も呆気に取られている。みるみるうちに頁は捲られ、俺が一時間掛けていた一冊を半分くらいの時間で終わらせてしまった。

「あかり、この字が読めるのか。」

自分で言っていて恥ずかしいが、恥ずかしがってる場合じゃない。

「雪庵先生も似たような字を書いておりました。書いてある内容も薬種の名前ですし…私は買ってきた薬種の在庫管理を任されていたので。」

「頼もしいです。若奥様に手伝わせる事ではありませんが、ここはどうか協力願えませんか。」

番頭が膝を突き深々とお辞儀する。いや、ほぼ土下座だ。悪かったな、字が汚くて。

「わかりました、頑張りましょう。」

あかりのお陰でみるみる帳簿は減っていき、計算するにつれぽつりぽつりと間違いの箇所、計算間違いも見つかった。
並行して新しい帳簿にあかりの字で書き直す作業も加わったが、滞りなく作業が捗った。
日を跨ぐ頃には目処が付いてきたので、奉公人達は帰らせた。番頭も明日朝早く来ると言って、あかりに再度お礼を言って帰って行った。
変わらず帳簿を見ながら算盤を弾くあかりを見ながら、こんな才能があったなんて。
商家向きの良い嫁だ…なのに。
妻になったら一緒に店を盛り立てられるのにな、と物悲しい気持ちになった。

「後は明日番頭さんがいらした後に一緒にやれば終わりそうです。私達ももう休みましょう。」

「あ、あぁ。」

「では片付けてお家に戻りましょう。」

「あかり、」

「はい。」

立ち上がったあかりの左肩に手を置く。

「もう遅いのか。」

「え。はい、もう一時くらいかと思いますよ。」

「本当に。」

「え?」

「あかり、俺の妻にならないか。」

「え。そうではないのですか。」

瞬間、あかりに口付けした。理性が吹っ飛び止まらなくなり、口の中に舌を入れる。あかりは足掻き足が滑った拍子、尻餅をついた。倒れたあかりに覆い被さり、その後は夢中で、覚えていない。






朝。
店の板の間で目が覚めた。周りには帳簿が散乱している。硬い床で寝ていたせいか身体中の至る所が痛い。
起き上がってみると帯は解かれ、着物ははだけていた。腹の上には蒼助さんのお仕着せが掛かっている。
立ち上がり乱れた着物を直していると、尻の辺りに血の染みが付いていた。月のものかと焦ったが、そうではない。しかし、月のものが来た時のような鈍痛を下腹に感じた。

そうだ、昨日。

びっくりして転んだ後、蒼助さんが突然人が変わったようになり、力づくで体を触られた。抗っても蒼助さんの力は強く、どうしようもできなかった。
やめて下さい、と声を出したら口を手で塞がれ、息ができなくなり気が遠退いた。その後、股に手を入れられて、何か棒のような物が挿さった。経験の無い痛さに踠いて、蒼助さんもなんだか苦しそうで。
お互い息が上がってもう耐えられないと限界差し迫った時、いきなり蒼助さんの動きが止まり、大きく息をして崩れるように横に倒れ込んだ。
その後すごい眠気に襲われて、眠ってしまったんだ。
あぁ、早く血の染み抜きをしなくちゃ。
蒼助さんのお仕着せを腰に巻き、まだ誰も起きていない母屋の自室に急いだ。着替えて忍足で風呂場に向かう。湯船に水が張ったままだったので、それを桶に取って染み抜きした。ふと、思い出した。
何をされても抗わず、されるがままに。
一月遅れの初夜を迎えた朝だった。







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