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13 模索
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田圃、田圃、田圃。
夏の日差しに、昨日の夜降った雨の雫が反射しキラキラしている。
雨の中、父親と母親とで山を越えたばかり。
今回の引っ越しはいつもより少し遠かった。
両親の仕事の関係でいろいろな所に行ったけど、こんなに稲が元気なところは初めてだ。今まではだいたい育ちが悪く、黄ばんだ葉っぱの稲の田圃を眺めていた。
荷物はほとんどなくて軽装で、着ている着物は寸足らずだし、汚れて元の色がわからない。草履もぼろぼろで、足の裏の皮は擦れてべろっと剥けていた。
「ハル、母さん達仕事あるから、そこらで遊んでな。」
そう言われて、いつもの如く独りになる。
家は町のはずれの、いや、ほぼ村の、今にも崩れそうな荒屋(あばらや)。
一応長屋で三世帯暮らせるらしいが、私達以外の住人はいない。
すぐ近くの村をぶらぶら歩く。町にいても変な目で見られ追い払われるので、人のいない村の方が多少居心地がいい。
お腹空いたな。昨日の朝父ちゃんがお地蔵さんに供えてあった、バリバリの饅頭を持ってきて食べたのが最後だった。
力なくぶらぶらと歩いていたら、なんとなく食べられそうな葉っぱが目に留まった。
食べられるかな。匂いを嗅いで口に運ぶ。いけそう。
「あ、こら。食べたら駄目だ。」
やばい、怒られる。逃げようとしたけど上手く走れない。呆気なく腕を掴まれてしまった。
「おまえ、これ食ったら腹下すぞ。早く吐いちまいな。」
そんな事言われても、吐くほど腹の中、何も入っちゃいないよ。
「腹減ってんのか。親はどこだ。見ない顔だな、迷子か。」
矢継ぎ早に言われて混乱する。
「は、腹減ってる。」
「汚ねぇなぁ。まあ、取り敢えずうちに来い。煎餅くらいはあるから。」
その爺は村の薬屋みたいな事をしてる人で、昔は手習いの先生だったという。家の中はそこそこ広いが物がなく、着ている着物も私が着ている着物より少し状態が良い、と言った感じだ。他の村人より貧乏そうだった。家に入って足を洗った。皮が剥けたところが滲みて痛い。
「ひどいな。軟膏塗ってやるから足貸しな。」
それから爺は、いつも独りでいる私を家に招き入れ、足を治療してくれたり、読み書き、算盤を教えてくれた。
私の事はムジナと呼んだ。意味はわからないけど、気にしなかった。
薬代や手習い代を払えないよと言っても、金稼ごうってやってるわけじゃないからいいんだよ、と一銭も取らなかった。
朝になっても夜になっても親は一向に帰って来ない。とうとう捨てられたかな、と思うとひょこっと帰ってくる。するとだいたい、あの娘と友達におなり、と言われる。
友達になって、その子が父親に手を引かれて何処かに行くとごはんが食べられた。そんな事を二、三回繰り返すと引っ越しする。
物心付いた時からこうだ。
今回友達になる子は、近くの旅籠に泊まってる客の娘らしかった。目が碧くて、髪の毛が赤くて、肌が抜けるように白い美人さんだった。
いつもの子達よりお姉さんだ。汚い私を嫌うかと思ったけど、すぐ仲良くなって一緒に爺の所にも行った。私みたいに驚くかな、と思ったけれど案外ふつうで、私とたいして変わらなかったが顔を見て話す事はなかった。
友達になって半月くらい経った頃、その子は父親に連れられ何処かに消えた。
いつも何処に連れて行っているのだろうと不思議に思い、帰ってきた父親に恐る恐る聞いてみた。久しぶりのお酒に酔った父親は、上機嫌に言った。
「女衒に渡してるんだから、遊郭に決まってるだろ。今回はいい金になったなぁ。」
ゼゲン、ユウカク。
それを爺に聞いてみた。返事がなかった。私の父親は何の仕事なんだ…人攫いか。
…悪い事だよね。
「そうだな。」
爺はそれだけ言った。
罪悪感と、両親に対して怒りが出てきた。
私を放って置いて、余所の子ばかり可愛がってって思ってた。
でも違った。ごはんが食べられてたのは、あの子を売った金だったんだ。
爺がいない時間帯を狙って家に行き、薬棚から、
トリカブト
と書いてある油紙の包みから一掴み盗んだ。
これは危ないからな、とだけ教わったけど、危ないって死ぬって事だよね。
荒屋に帰って、それを煮出す。
死のう。煮出した汁を冷ましている間に散歩に行った。
ひとしきり歩いて日が暮れて、ぼーっとしていてふと思い出して急いで帰った。
両親は珍しくふたり帰っていた。
蝿がたかっていた。
泣きながら爺の家に駆け込んだ。自身番に行った方がいいか聞いた。
「今度はお前が殺されるぞ。」
「私は死にたかったから良いんだ。どうしよう。殺すつもりはなかった。お茶と間違えたんだ。」
「落ち着け。わかった。なんとかしてやる。」
数時間後、爺の家にひとりで居たら警鐘が鳴り始めた。町は大火事になった。両親がいる荒屋もきれいに燃えた。
骨も残らなかった。私は荒屋の前で倒れた。目が覚めると寺だった。
名前、なんだったっけな。
親、誰だったっけな。
私、誰だったけな。
出火原因はここのところの猛暑のせいで、藪から発火して燃え広がった、と祥庵坊主から聞いた。
「藪ってどこの藪。」
簪をくれた女の子に聞いた。
「町はずれの、壊れた長屋だって。」
「へえ、誰か住んでたのかな。かわいそうだね。」
夏の日差しに、昨日の夜降った雨の雫が反射しキラキラしている。
雨の中、父親と母親とで山を越えたばかり。
今回の引っ越しはいつもより少し遠かった。
両親の仕事の関係でいろいろな所に行ったけど、こんなに稲が元気なところは初めてだ。今まではだいたい育ちが悪く、黄ばんだ葉っぱの稲の田圃を眺めていた。
荷物はほとんどなくて軽装で、着ている着物は寸足らずだし、汚れて元の色がわからない。草履もぼろぼろで、足の裏の皮は擦れてべろっと剥けていた。
「ハル、母さん達仕事あるから、そこらで遊んでな。」
そう言われて、いつもの如く独りになる。
家は町のはずれの、いや、ほぼ村の、今にも崩れそうな荒屋(あばらや)。
一応長屋で三世帯暮らせるらしいが、私達以外の住人はいない。
すぐ近くの村をぶらぶら歩く。町にいても変な目で見られ追い払われるので、人のいない村の方が多少居心地がいい。
お腹空いたな。昨日の朝父ちゃんがお地蔵さんに供えてあった、バリバリの饅頭を持ってきて食べたのが最後だった。
力なくぶらぶらと歩いていたら、なんとなく食べられそうな葉っぱが目に留まった。
食べられるかな。匂いを嗅いで口に運ぶ。いけそう。
「あ、こら。食べたら駄目だ。」
やばい、怒られる。逃げようとしたけど上手く走れない。呆気なく腕を掴まれてしまった。
「おまえ、これ食ったら腹下すぞ。早く吐いちまいな。」
そんな事言われても、吐くほど腹の中、何も入っちゃいないよ。
「腹減ってんのか。親はどこだ。見ない顔だな、迷子か。」
矢継ぎ早に言われて混乱する。
「は、腹減ってる。」
「汚ねぇなぁ。まあ、取り敢えずうちに来い。煎餅くらいはあるから。」
その爺は村の薬屋みたいな事をしてる人で、昔は手習いの先生だったという。家の中はそこそこ広いが物がなく、着ている着物も私が着ている着物より少し状態が良い、と言った感じだ。他の村人より貧乏そうだった。家に入って足を洗った。皮が剥けたところが滲みて痛い。
「ひどいな。軟膏塗ってやるから足貸しな。」
それから爺は、いつも独りでいる私を家に招き入れ、足を治療してくれたり、読み書き、算盤を教えてくれた。
私の事はムジナと呼んだ。意味はわからないけど、気にしなかった。
薬代や手習い代を払えないよと言っても、金稼ごうってやってるわけじゃないからいいんだよ、と一銭も取らなかった。
朝になっても夜になっても親は一向に帰って来ない。とうとう捨てられたかな、と思うとひょこっと帰ってくる。するとだいたい、あの娘と友達におなり、と言われる。
友達になって、その子が父親に手を引かれて何処かに行くとごはんが食べられた。そんな事を二、三回繰り返すと引っ越しする。
物心付いた時からこうだ。
今回友達になる子は、近くの旅籠に泊まってる客の娘らしかった。目が碧くて、髪の毛が赤くて、肌が抜けるように白い美人さんだった。
いつもの子達よりお姉さんだ。汚い私を嫌うかと思ったけど、すぐ仲良くなって一緒に爺の所にも行った。私みたいに驚くかな、と思ったけれど案外ふつうで、私とたいして変わらなかったが顔を見て話す事はなかった。
友達になって半月くらい経った頃、その子は父親に連れられ何処かに消えた。
いつも何処に連れて行っているのだろうと不思議に思い、帰ってきた父親に恐る恐る聞いてみた。久しぶりのお酒に酔った父親は、上機嫌に言った。
「女衒に渡してるんだから、遊郭に決まってるだろ。今回はいい金になったなぁ。」
ゼゲン、ユウカク。
それを爺に聞いてみた。返事がなかった。私の父親は何の仕事なんだ…人攫いか。
…悪い事だよね。
「そうだな。」
爺はそれだけ言った。
罪悪感と、両親に対して怒りが出てきた。
私を放って置いて、余所の子ばかり可愛がってって思ってた。
でも違った。ごはんが食べられてたのは、あの子を売った金だったんだ。
爺がいない時間帯を狙って家に行き、薬棚から、
トリカブト
と書いてある油紙の包みから一掴み盗んだ。
これは危ないからな、とだけ教わったけど、危ないって死ぬって事だよね。
荒屋に帰って、それを煮出す。
死のう。煮出した汁を冷ましている間に散歩に行った。
ひとしきり歩いて日が暮れて、ぼーっとしていてふと思い出して急いで帰った。
両親は珍しくふたり帰っていた。
蝿がたかっていた。
泣きながら爺の家に駆け込んだ。自身番に行った方がいいか聞いた。
「今度はお前が殺されるぞ。」
「私は死にたかったから良いんだ。どうしよう。殺すつもりはなかった。お茶と間違えたんだ。」
「落ち着け。わかった。なんとかしてやる。」
数時間後、爺の家にひとりで居たら警鐘が鳴り始めた。町は大火事になった。両親がいる荒屋もきれいに燃えた。
骨も残らなかった。私は荒屋の前で倒れた。目が覚めると寺だった。
名前、なんだったっけな。
親、誰だったっけな。
私、誰だったけな。
出火原因はここのところの猛暑のせいで、藪から発火して燃え広がった、と祥庵坊主から聞いた。
「藪ってどこの藪。」
簪をくれた女の子に聞いた。
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「へえ、誰か住んでたのかな。かわいそうだね。」
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