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10:酒に酔う
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「リャン・チル殿。騒がしいでしょう? 申し訳ない」
「とんでもないです。『宴会』なんですから、こういうものですよ」
チルは果実酒の入った器を手に、笑って答えた。
ヤン・リクが蔵の酒樽を開けることを許可すると、家人たちは大いに喜び騒ぎ、宴会の規模は大きくなった。台所は、さぞかし忙しくしていることだろう。
チルはあえて動きまわることはせず、ルンと共に所定の位置に座していた。フォンはヤン家の武人たちと意気投合したらしく、あちこち連れ回されている。チルの相手に専念していたヤン・リクも同様に、しばらく席を立っていたのだ。
戻ってきたヤン・リクは、チルの隣に腰をおろした。そして、つい、とチルの前へ小さな皿を突き出す。皿の上には橙色の丸いものが乗っている。チルは目を見開いた。
「ヤン・リク殿。これは……」
「ユシ蜜柑の水菓子です。その、お好きだと聞いたので」
「ええ。確かに好きですが、今時期は、作られてないのでは……」
ユシ蜜柑の水菓子は、ヤン領の銘菓のひとつだ。ヤン領でしか採れないユシという種類の蜜柑の果汁と果肉を練り込んだ、甘酸っぱい水菓子。
それは確かにチルの好物だった。ヤン領の土産を問われると、名指しで頼むほどだ。
しかし材料の関係で、限られた時期にしか店に並ばないのだという。チルは街で探したのだが、ちょうどそれが外れていたようで食べられず、残念に思っていた。
「材料の採れる時期が短いと、聞きました」
「ええ。店で食べられるのは、秋の一月ほどです。ただ、材料は保存も効く。売り物にするには質も量も間に合わないが「家で作って食べる用に」と、残していることもあります」
チルは驚いた。
「では、わざわざ作ってくださったのですか?」
「ええ。運良く材料が残っていましたので、台所に作ってもらいました。ただ旬時期と比べると、やはり味は落ちますので、そこは申し訳ないが」
「いえ……いただきます」
チルは小さな水菓子口に入れた。ふわりと甘酸っぱい香りが舌に広がる。……美味しい。ふと懐かしい味がして、「ああ、こういうことだったのか」と思い至った。
「……口にあいませんでしたか?」
微妙な表情をしていたのかもしれない。いぶかしげに問うてきたヤン・リクに、チルは慌てて「そうではない」と否定した。
「とても美味しいです。ただ、その、気づいたことがありまして」
「気づいたこと?」
「はい。実は、私がこの水菓子を好きになったのは、ある方から土産にいただいたことがきっかけでして。その後も幾度か食べる機会があったのですが、その、どうも『味が違うなぁ』と思っていたんです。おそらく私がはじめて食べたものは、店で売られていたものでなく、こうやって、家で作られたものだったのかもしれません。料理が好きな方でしたから、もしかしたら自分で作っていたのかも……と」
「……そう、ですか。それは良かったです」
嬉しそうに語るチルの表情に、ヤン・リクは何とも言えない苛立ちを感じた。どうにも面白くなく、険の混じった曖昧な言葉を返してしまう。
「すみません。詮無いことを」
「とんでもない。ですが、よろしければ……」
「はい?」
「よろしければ、ユシ蜜柑の旬時期に、またいらっしゃるといい。店のものでも、うちの料理人が作ったものでも、お出ししますよ」
「…………」
「……その、リャン・チル殿がお嫌でなければですが」
ヤン・リクは、どこかいじけた子供のような表情をしている。確かなことは言えないが、もしかしてこれは「拗ねて」いるのだろうか?
なにやらこの背の高い男性が可愛らしく見えてきて、チルは思わず笑みをこぼした。
「ふふっ」
「なんですか?」
「いえ。なんと言いますか。ヤン・リク殿は、意外と面白い方だったのですね。正直、話を聞くに、もっと苛烈で恐ろしい、戦方面にしか興味のない方かと思っていました」
「それは……」
「なんでも『ヤン家の武は紅海龍のようなもの』だと。下手に手を出すと『叩き潰されてしまう』そうです」
ずいぶんな言われようだと思ったが、あながち間違いとも言えなかった。歳を重ねて幾分ましになったものの、ヤン・リクは戦において「手加減」を一切しない性分だったのだ。自分から戦をしかけることはなかったし、民を巻きこむことは許さなかったが、ひとたび敵対すれば、相手を徹底的に叩きのめす。
海洋を有するヤン領は、その益を求めた他領によって、たびたび戦火にさらされてきた。当代のヤン・リクは、武力とその苛烈さでそれらを退けてきたのだ。
今では迂闊に手を出してくる者はいない。しかし『ヤン領と民を護るため』とはいえ、その過激なやり方に非難の声があったのもまた事実だ。
ヤン・リクは嗤った。
「なるほど。それは言い得て妙ですね。確かに私はヤン家の族長で、武人です。なわばりを荒らす敵とみなせば、徹底的に叩き潰す気質でもある。確かに『紅海龍』だ」
「……ヤン・リク殿。そういうところですよ」
「ん?」
チルはすまし顔で果実酒に口をつけ、意地の悪い視線をヤン・リクへと向けた。
「ヤン・リク殿も家人の皆さんも、その『紅海龍』という揶揄、何気に『悪くない』と思っていません?」
「…………」
「…………」
沈黙は肯定だ。
「リャン・チル殿は、ぶれませんね。はっきり物をおっしゃる」
もはや笑って肩を落としたヤン・リクに、チルは「しまった……」と視線をそらした。
「……すみません」
「責めているわけではありません。ですが、ヤン家に血の気が多い武人が多いというのは本当のことです。それを厭う方がいるということも。卑下するつもりはありませんし、正当化するつもりも、武勇を誇るつもりもありません」
「なるほど。なんとなく、ヤン家が武に厚い理由が、わかった気がします」
「?」
「ヤン・リク殿や、ヤン家の武人の方々は、戦うことに『意志』をお持ちなんです」
チルの言葉の意図を測りかね、ヤン・リクは首をかしげた。
「意志もなく、戦えますか?」
「そういう者もいます。『自らの意志』ではなく、『大義名分』を必要とする者も。特に『兵』には多いことです。命令に忠実な者を優秀とする考えもある。実際『そう』でなければ、軍が立ち行かないこともあります」
そういえばこの姫は元将軍だったな、とヤン・リクと頷いた。強い武人が良い兵とは限らない。それはわかる。
「確かに。ヤン家の武人は、我が強すぎて使えないと言われたことはありますね。命令に疑問や異を唱える、死ぬことを恐れる憶病者だ。と」
「それは彼らを上手く使うだけの力が、その将に無かっただけですよ。それに、死を恐れない兵など、それこそ恐ろしくて使えません。そう考えれば、ヤン家の武人は優秀です」
「そうでしょうか」
「そうですよ。例の妖魔と戦って、死者が出ていないのが良い証拠ではないですか」
「…………」
ヤン・リクはただ、続きを待った。
「ただ恐れて逃げ帰ってくるようでは困りますが、目的のために戦って、それでも生きて帰ってくるのが、良い武人というものです」
「生きて、帰る?」
「そうです。生きて戻りさえすれば、いつか再戦もできるでしょうし、味方に情報をもたらすことだってできます。本人の経験にもなる。ですが、死んでしまえばそれまででしょう?」
「…………」
「武人として、戦って死ぬ『覚悟』は必要だと思います。ですが、『生きて帰ってくること』以上に、優秀な武人の条件がありますか!」
ヤン・リクはそれを聞いて、言葉を失った。
「…………」
押し黙ってしまったヤン・リクに、チルは再び「しまった」と肩をおとした。
「……すみません。また、余計なことを言いました」
しかし彼は、静かに首を振った。
「?」
「ただ、リャン・チル殿の言葉に、感心していました」
「そうは見えな……あ、と」
反省した端から、重ねて言い返しそうになったチルは、慌てて口をつぐんだ。
すると――
「は、はははっ!」
ヤン・リクは何を思ったか、突然声をたてて笑い出したのだ。
そして眉をひそめているチルを尻目に、彼は自らの髪を解いた。彼の髪はきっちりと結い上げられていたのだが、髪留めを解くと印象がガラリと変わる。
どこか人を寄せ付けさせない硬い雰囲気は身をひそめ、柔らかい土から伸びた若木のような、ふわりとした緑の匂いが顔を出した。
「チル殿。その、なんだ。互いに取り繕うのはやめにしよう。『俺』も、普段通りにする。乱暴な言葉づかいで申し訳ないが、怖いと思ったら言ってくれ」
そう言ってニヤリと笑い、おろした髪を手ぐしでほぐす。なにやら吹っ切れたような、すがすがしい表情だ。
「ちなみにだが、俺はチル殿のように、はっきり物を言う人は嫌いじゃない。むしろ好もしいくらいだ。だから、気にしなくていい」
チルはあっけにとられはしたものの、同時に妙な『納得感』も感じていた。
「なるほど。確かにそちらの『素』のお姿のほうが、お似合いですね」
「嫌か?」
「いいえ? 何というか、自然でしっくりきます。それこそ『よそいき』の長言葉より、ずっと分かりやすくて良いです」
チルがそう返すと、ヤン・リクはまたひとしきり笑い、そして申し訳なさそうに言った。
「すまんな。家人からもよく言われるんだ。『言葉が足りない』と」
「ええっと……」
「気をつけてはいるのだが、なかなか上手くいかない。『伝えたかったのはそんなことではない』と思うのは、日常茶飯事だ」
「そう、なのですか」
チルは意外に思った。確かに彼の意図はわかりにくいこともあったが、そこまでだろうか?『意思の疎通』を思えば、家人とのやり取りを見るに、割と達者だったと思うのだが。
「特に、その、相手が男であればなんとなく、力技で伝わることも、女人が相手だと、ただ怖がらせてしまうことも少なくない。それこそ見合いが上手くいかないのは、そういうところが原因だと、人から言われる始末だ」
「……」
なるほど。確かに『女性相手の感情の機微』には、向いていないかもしれない。チルは、黙って納得した。
「だから、チル殿も気にしなくていい。ヤン家では、はっきり言い返したところで、それを不快に思う者は少ない。内容や相手によっては、喧嘩にはなるかもしれないがな。だが意見を言いあうことで、結果として家が上手く回るのであれば、悪くない」
くつくつと笑いながら、ヤン・リクはチルの髪に手を伸ばした。そして無造作にその一束をつかみ上げると、その滑らかさを確かめるように、節くれだった指でなぞったのだ。
その突然の暴挙に、チルはギョッとして身を強張らせた。
普段のチルは、髪を後頭部でまとめ上げているのだが、今は招かれた身として少々の体裁として、結い上げるだけでなく、いく束かの髪を長く垂れさせていた。まさか、このようなことになるとは。戦場で強者と対峙したとしても、これほど対応に困ることはそうそうない。
なんとも表現しがたい居たたまれなさに、チルは固まってしまった。
そんなチルの心情を知ってか知らずか、ヤン・リクは楽しそうに毛先を弄び、その感触を愉しんでいる。
「……あの、ヤン・リク殿、酔ってらっしゃいます?」
ヤン・リクは首をかしげ、ゆっくりと小さな杯を傾けた。
先ほどからどことなく、妙に感じていたのだ。「ヤン・リクは酒を好むらしい」ということは、宴会を見ていて知れた。ひっきりなしにやって来る家人からの酌を断っている様子はなかったし、酒の味も楽しんでいるようだった。
ただ、浴びるように杯をあおるわけではなく、どちらかというとちびちびと、小さな杯で静かに呑んでいた印象だ。
が、その手が止まっていた覚えがない。少しずつでも『ずっと呑み続けていた』のであれば、相当な酒量になるのではないか。酔っ払いが相手なら、こういうことも仕方がない。はずだ。
しかしヤン・リクは、チルの希望的想定を、あっさり否定する。
「いや? 酒にはめっぽう強いらしくてな。結構な量を呑んでも、なかなか酔わん。すぐ酒に酔える奴が、羨ましいくらいだ」
「ええっと、ですが……」
チルは同じく固まっているヤン・リクの側近に視線を向けたが、彼は「自分に聞かないでください」とでも言いたげに首をふっている。
「ふむ。チル殿の髪は、手に心地良いな。ずっと触っていられる」
「ひぇっ……ヤン・リク殿! 絶対! 絶対、酔ってますよね!」
「ん? リクでいい」
「は?」
「俺も『チル殿』と呼んでいるんだ。『ヤン・リク』ではなくて、『リク』と呼んでくれ」
「えっと、あの、それは、さすがに……」
チルの動揺をよそに、ヤン・リクはなにやらしみじみと、一人ほくそ笑んでいる。
「そうか? ふふ。確かに、こういうのも、悪くないな」
「あの、からかってます?」
「さあな。どう思う? チル殿」
そう囁いたヤン・リクは、チルの髪にそっと口づけた。
チルは目を白黒させて、完全に動きをとめてしまい、一部始終を見てしまった家人たちは、阿鼻叫喚の嵐にみまわれたのだった。
ヤン・リクが本当に酒に酔っていたのかどうか、それは誰にもわからなかった。
「とんでもないです。『宴会』なんですから、こういうものですよ」
チルは果実酒の入った器を手に、笑って答えた。
ヤン・リクが蔵の酒樽を開けることを許可すると、家人たちは大いに喜び騒ぎ、宴会の規模は大きくなった。台所は、さぞかし忙しくしていることだろう。
チルはあえて動きまわることはせず、ルンと共に所定の位置に座していた。フォンはヤン家の武人たちと意気投合したらしく、あちこち連れ回されている。チルの相手に専念していたヤン・リクも同様に、しばらく席を立っていたのだ。
戻ってきたヤン・リクは、チルの隣に腰をおろした。そして、つい、とチルの前へ小さな皿を突き出す。皿の上には橙色の丸いものが乗っている。チルは目を見開いた。
「ヤン・リク殿。これは……」
「ユシ蜜柑の水菓子です。その、お好きだと聞いたので」
「ええ。確かに好きですが、今時期は、作られてないのでは……」
ユシ蜜柑の水菓子は、ヤン領の銘菓のひとつだ。ヤン領でしか採れないユシという種類の蜜柑の果汁と果肉を練り込んだ、甘酸っぱい水菓子。
それは確かにチルの好物だった。ヤン領の土産を問われると、名指しで頼むほどだ。
しかし材料の関係で、限られた時期にしか店に並ばないのだという。チルは街で探したのだが、ちょうどそれが外れていたようで食べられず、残念に思っていた。
「材料の採れる時期が短いと、聞きました」
「ええ。店で食べられるのは、秋の一月ほどです。ただ、材料は保存も効く。売り物にするには質も量も間に合わないが「家で作って食べる用に」と、残していることもあります」
チルは驚いた。
「では、わざわざ作ってくださったのですか?」
「ええ。運良く材料が残っていましたので、台所に作ってもらいました。ただ旬時期と比べると、やはり味は落ちますので、そこは申し訳ないが」
「いえ……いただきます」
チルは小さな水菓子口に入れた。ふわりと甘酸っぱい香りが舌に広がる。……美味しい。ふと懐かしい味がして、「ああ、こういうことだったのか」と思い至った。
「……口にあいませんでしたか?」
微妙な表情をしていたのかもしれない。いぶかしげに問うてきたヤン・リクに、チルは慌てて「そうではない」と否定した。
「とても美味しいです。ただ、その、気づいたことがありまして」
「気づいたこと?」
「はい。実は、私がこの水菓子を好きになったのは、ある方から土産にいただいたことがきっかけでして。その後も幾度か食べる機会があったのですが、その、どうも『味が違うなぁ』と思っていたんです。おそらく私がはじめて食べたものは、店で売られていたものでなく、こうやって、家で作られたものだったのかもしれません。料理が好きな方でしたから、もしかしたら自分で作っていたのかも……と」
「……そう、ですか。それは良かったです」
嬉しそうに語るチルの表情に、ヤン・リクは何とも言えない苛立ちを感じた。どうにも面白くなく、険の混じった曖昧な言葉を返してしまう。
「すみません。詮無いことを」
「とんでもない。ですが、よろしければ……」
「はい?」
「よろしければ、ユシ蜜柑の旬時期に、またいらっしゃるといい。店のものでも、うちの料理人が作ったものでも、お出ししますよ」
「…………」
「……その、リャン・チル殿がお嫌でなければですが」
ヤン・リクは、どこかいじけた子供のような表情をしている。確かなことは言えないが、もしかしてこれは「拗ねて」いるのだろうか?
なにやらこの背の高い男性が可愛らしく見えてきて、チルは思わず笑みをこぼした。
「ふふっ」
「なんですか?」
「いえ。なんと言いますか。ヤン・リク殿は、意外と面白い方だったのですね。正直、話を聞くに、もっと苛烈で恐ろしい、戦方面にしか興味のない方かと思っていました」
「それは……」
「なんでも『ヤン家の武は紅海龍のようなもの』だと。下手に手を出すと『叩き潰されてしまう』そうです」
ずいぶんな言われようだと思ったが、あながち間違いとも言えなかった。歳を重ねて幾分ましになったものの、ヤン・リクは戦において「手加減」を一切しない性分だったのだ。自分から戦をしかけることはなかったし、民を巻きこむことは許さなかったが、ひとたび敵対すれば、相手を徹底的に叩きのめす。
海洋を有するヤン領は、その益を求めた他領によって、たびたび戦火にさらされてきた。当代のヤン・リクは、武力とその苛烈さでそれらを退けてきたのだ。
今では迂闊に手を出してくる者はいない。しかし『ヤン領と民を護るため』とはいえ、その過激なやり方に非難の声があったのもまた事実だ。
ヤン・リクは嗤った。
「なるほど。それは言い得て妙ですね。確かに私はヤン家の族長で、武人です。なわばりを荒らす敵とみなせば、徹底的に叩き潰す気質でもある。確かに『紅海龍』だ」
「……ヤン・リク殿。そういうところですよ」
「ん?」
チルはすまし顔で果実酒に口をつけ、意地の悪い視線をヤン・リクへと向けた。
「ヤン・リク殿も家人の皆さんも、その『紅海龍』という揶揄、何気に『悪くない』と思っていません?」
「…………」
「…………」
沈黙は肯定だ。
「リャン・チル殿は、ぶれませんね。はっきり物をおっしゃる」
もはや笑って肩を落としたヤン・リクに、チルは「しまった……」と視線をそらした。
「……すみません」
「責めているわけではありません。ですが、ヤン家に血の気が多い武人が多いというのは本当のことです。それを厭う方がいるということも。卑下するつもりはありませんし、正当化するつもりも、武勇を誇るつもりもありません」
「なるほど。なんとなく、ヤン家が武に厚い理由が、わかった気がします」
「?」
「ヤン・リク殿や、ヤン家の武人の方々は、戦うことに『意志』をお持ちなんです」
チルの言葉の意図を測りかね、ヤン・リクは首をかしげた。
「意志もなく、戦えますか?」
「そういう者もいます。『自らの意志』ではなく、『大義名分』を必要とする者も。特に『兵』には多いことです。命令に忠実な者を優秀とする考えもある。実際『そう』でなければ、軍が立ち行かないこともあります」
そういえばこの姫は元将軍だったな、とヤン・リクと頷いた。強い武人が良い兵とは限らない。それはわかる。
「確かに。ヤン家の武人は、我が強すぎて使えないと言われたことはありますね。命令に疑問や異を唱える、死ぬことを恐れる憶病者だ。と」
「それは彼らを上手く使うだけの力が、その将に無かっただけですよ。それに、死を恐れない兵など、それこそ恐ろしくて使えません。そう考えれば、ヤン家の武人は優秀です」
「そうでしょうか」
「そうですよ。例の妖魔と戦って、死者が出ていないのが良い証拠ではないですか」
「…………」
ヤン・リクはただ、続きを待った。
「ただ恐れて逃げ帰ってくるようでは困りますが、目的のために戦って、それでも生きて帰ってくるのが、良い武人というものです」
「生きて、帰る?」
「そうです。生きて戻りさえすれば、いつか再戦もできるでしょうし、味方に情報をもたらすことだってできます。本人の経験にもなる。ですが、死んでしまえばそれまででしょう?」
「…………」
「武人として、戦って死ぬ『覚悟』は必要だと思います。ですが、『生きて帰ってくること』以上に、優秀な武人の条件がありますか!」
ヤン・リクはそれを聞いて、言葉を失った。
「…………」
押し黙ってしまったヤン・リクに、チルは再び「しまった」と肩をおとした。
「……すみません。また、余計なことを言いました」
しかし彼は、静かに首を振った。
「?」
「ただ、リャン・チル殿の言葉に、感心していました」
「そうは見えな……あ、と」
反省した端から、重ねて言い返しそうになったチルは、慌てて口をつぐんだ。
すると――
「は、はははっ!」
ヤン・リクは何を思ったか、突然声をたてて笑い出したのだ。
そして眉をひそめているチルを尻目に、彼は自らの髪を解いた。彼の髪はきっちりと結い上げられていたのだが、髪留めを解くと印象がガラリと変わる。
どこか人を寄せ付けさせない硬い雰囲気は身をひそめ、柔らかい土から伸びた若木のような、ふわりとした緑の匂いが顔を出した。
「チル殿。その、なんだ。互いに取り繕うのはやめにしよう。『俺』も、普段通りにする。乱暴な言葉づかいで申し訳ないが、怖いと思ったら言ってくれ」
そう言ってニヤリと笑い、おろした髪を手ぐしでほぐす。なにやら吹っ切れたような、すがすがしい表情だ。
「ちなみにだが、俺はチル殿のように、はっきり物を言う人は嫌いじゃない。むしろ好もしいくらいだ。だから、気にしなくていい」
チルはあっけにとられはしたものの、同時に妙な『納得感』も感じていた。
「なるほど。確かにそちらの『素』のお姿のほうが、お似合いですね」
「嫌か?」
「いいえ? 何というか、自然でしっくりきます。それこそ『よそいき』の長言葉より、ずっと分かりやすくて良いです」
チルがそう返すと、ヤン・リクはまたひとしきり笑い、そして申し訳なさそうに言った。
「すまんな。家人からもよく言われるんだ。『言葉が足りない』と」
「ええっと……」
「気をつけてはいるのだが、なかなか上手くいかない。『伝えたかったのはそんなことではない』と思うのは、日常茶飯事だ」
「そう、なのですか」
チルは意外に思った。確かに彼の意図はわかりにくいこともあったが、そこまでだろうか?『意思の疎通』を思えば、家人とのやり取りを見るに、割と達者だったと思うのだが。
「特に、その、相手が男であればなんとなく、力技で伝わることも、女人が相手だと、ただ怖がらせてしまうことも少なくない。それこそ見合いが上手くいかないのは、そういうところが原因だと、人から言われる始末だ」
「……」
なるほど。確かに『女性相手の感情の機微』には、向いていないかもしれない。チルは、黙って納得した。
「だから、チル殿も気にしなくていい。ヤン家では、はっきり言い返したところで、それを不快に思う者は少ない。内容や相手によっては、喧嘩にはなるかもしれないがな。だが意見を言いあうことで、結果として家が上手く回るのであれば、悪くない」
くつくつと笑いながら、ヤン・リクはチルの髪に手を伸ばした。そして無造作にその一束をつかみ上げると、その滑らかさを確かめるように、節くれだった指でなぞったのだ。
その突然の暴挙に、チルはギョッとして身を強張らせた。
普段のチルは、髪を後頭部でまとめ上げているのだが、今は招かれた身として少々の体裁として、結い上げるだけでなく、いく束かの髪を長く垂れさせていた。まさか、このようなことになるとは。戦場で強者と対峙したとしても、これほど対応に困ることはそうそうない。
なんとも表現しがたい居たたまれなさに、チルは固まってしまった。
そんなチルの心情を知ってか知らずか、ヤン・リクは楽しそうに毛先を弄び、その感触を愉しんでいる。
「……あの、ヤン・リク殿、酔ってらっしゃいます?」
ヤン・リクは首をかしげ、ゆっくりと小さな杯を傾けた。
先ほどからどことなく、妙に感じていたのだ。「ヤン・リクは酒を好むらしい」ということは、宴会を見ていて知れた。ひっきりなしにやって来る家人からの酌を断っている様子はなかったし、酒の味も楽しんでいるようだった。
ただ、浴びるように杯をあおるわけではなく、どちらかというとちびちびと、小さな杯で静かに呑んでいた印象だ。
が、その手が止まっていた覚えがない。少しずつでも『ずっと呑み続けていた』のであれば、相当な酒量になるのではないか。酔っ払いが相手なら、こういうことも仕方がない。はずだ。
しかしヤン・リクは、チルの希望的想定を、あっさり否定する。
「いや? 酒にはめっぽう強いらしくてな。結構な量を呑んでも、なかなか酔わん。すぐ酒に酔える奴が、羨ましいくらいだ」
「ええっと、ですが……」
チルは同じく固まっているヤン・リクの側近に視線を向けたが、彼は「自分に聞かないでください」とでも言いたげに首をふっている。
「ふむ。チル殿の髪は、手に心地良いな。ずっと触っていられる」
「ひぇっ……ヤン・リク殿! 絶対! 絶対、酔ってますよね!」
「ん? リクでいい」
「は?」
「俺も『チル殿』と呼んでいるんだ。『ヤン・リク』ではなくて、『リク』と呼んでくれ」
「えっと、あの、それは、さすがに……」
チルの動揺をよそに、ヤン・リクはなにやらしみじみと、一人ほくそ笑んでいる。
「そうか? ふふ。確かに、こういうのも、悪くないな」
「あの、からかってます?」
「さあな。どう思う? チル殿」
そう囁いたヤン・リクは、チルの髪にそっと口づけた。
チルは目を白黒させて、完全に動きをとめてしまい、一部始終を見てしまった家人たちは、阿鼻叫喚の嵐にみまわれたのだった。
ヤン・リクが本当に酒に酔っていたのかどうか、それは誰にもわからなかった。
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