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第12話:夢幻のネコ
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~The cat in the dream~
朝起きたら、音子が消えていた。
トイレにも、風呂場にもいない。玄関に靴がない。鍵はかかっている。部屋着は畳んで置いてあり、一番最初に音子が着てきた服だけが見当たらなかった。
どこに行った?思えば昨晩、彼女の様子はちょっとおかしかった。
なにか言いたそうにしていた。
そのうち帰ってくるだろう、などとは絶対思えなかった。こんなことは初めてだったし、音子に行くあてがあるとは思えない。
もともと彼女のいたところを除いては、だ。
そして、急にいなくなったところをみると、なにか事情があるに違いない。
昨日ことが思い出される。あの場違いな黒尽くめの男性。あいつが関わっているのだろうか。
とにかく探さないと。
俺はスマホを手にして、会社に今日一日休暇を取るべく電話をしようとする。が、寸手で思いとどまった。
探してどうする?誘拐されたわけでもなければ、犯罪の証拠があるわけでもない。
そもそも、音子の家族が訴えたら俺の方が負ける可能性すらある。
俺は音子にとって何者でもないのだ。
探す権利なんて、ありはしない。
スマホを握りしめて呆然とする。どうしたらいいのだろう?いや、どうもできない。
元の生活に戻っただけだ。
第一、あいつがいた事自体、本当に現実だったのだろうか?
孤独のあまり俺が見た夢だったんじゃないだろうか?
ガランとした部屋。たしかに音子用に買い足したカラーボックスに女物の衣類が数点入っている。玄関にはこれも音子のために買った青色のビニール傘がある。
でも、それだって、俺が妄想の中で勝手に買い揃えたものではないと誰が言える?
一緒に飯を食ったことも、
同じところで眠ったことも、
雨の日に同じ傘に入って歩いたことも、
七夕のお参りをしたことも、
海を歩いたことも、
実在しない、「音子」という人間を俺が妄想したのではないと、本当に言えるのだろうか?
何分ぐらいそうしていたのだろうか。結局、俺は電話をかけることも、朝食を準備することもできなかった。仕事だけは行かねばと思い、重い体を引きずるようにして準備をした。
☆☆☆
腑抜けのようになった俺だったが、数日間、なんとか会社には行き続けた。朝霞くんからの報告受けているときにもぼんやりしていたせいか、何度か「課長!聞いてますか?」と叱咤される始末だったが、なんとか、やり過ごした。
「課長、どうしたんですか?この所おかしいですよ」
朝霞くんが心配半分、怒り半分といったふうに尋ねてくる。たしかに俺がこの調子だと彼女に負担がかかる。すまん。
「そんなんじゃ、ネコちゃんに笑われますよ」
音子・・・
「いなくなったんだ」
ぼんやりとしてて、つい、ボソリと言ってしまった。
「え?!」
朝霞くんだけではなく、その後ろにいた庄司くんまで驚きの声を上げる。
「ネコちゃん家出したんですか!?」
「大変じゃないですか!ネコ探偵とか依頼したほうが・・・」
「まずは心当たりを探さないと」
口々に騒ぎ立てる。いつの間にか関係ない山内や木下までも「俺、ネコ専門の探偵調べてみます」などと言い出している。収拾がつかない・・・。
「おい、待て、大丈夫だ・・・。その・・・もともと、野良だったし」
俺が言うと、一旦はピタリと皆話すのをやめるが、すぐにまた騒ぎ出す。
「ダメですよ!だって、課長こんなにしょげてるじゃないですか!」
「一旦飼ったら責任取らなきゃダメですよ」
「事故にでもあってたらどうするんですか!」
「ネコちゃんもきっと課長のことを探してますぅ」
「ネコは家につくっていうから、家に罠を」
「そもそも、課長仕事してる場合じゃないのでは?」
「そうです、薄情ですよ」
「さほど仕事してないんだから帰っても大丈夫っす」
なんか最後の方、酷いこと言われた気がするが、この日は騒ぎを収拾するためにも、時間で休暇を取って帰ることにした。
帰ってもなあ・・・。
足取りが重い。まだ昼下がり明るい内に歩く街はなおさら人がいない。
8月の空は抜けるように青いが、俺の心の中はどんよりしている。どうしたら晴れるのかもわからない。
ああ、音子と海に行った日も、こんな天気だったな。
海・・・海か・・・、
そう言えば・・・。そう言えば!
俺はスマホを取り出した。フォトギャラリーを開く。
一番最近の写真が目に飛び込んできた。
夕日が差す七里ヶ浜。
白いつば広帽を押さえている。風がワンピースをひらりとなびかせていた。
輝くような笑顔。
音子・・・!
視界が曇る。鼻の奥がツンとした。
馬鹿だな・・・俺。
いるじゃないか・・・。確かに、いたじゃないか。
間違いない。あの笑顔も、あの温かさも、全部全部、夢じゃなかった。確かに、音子はいたんだ。
スマホの画面を胸に押し付け、天を見上げる。
俺は、お前にとって何者でもないけど、探す権利はないけれども。
せめて、もう一度、会いたい。
だって、俺は・・・まだお前に何も伝えられてないじゃないか。
☆☆☆
「あんまり期待するなよ?」
繁華街の居酒屋、谷山が音子の写真を手に言う。そう言うな、お前しか頼れない。
谷山翔一は俺の高校時代から付き合いのある数少ない友人だ。小さいながらも出版社勤務で、いわゆるマスメディアに携わっている人間だ。
俺のコネで誰かの個人情報を調べようとすれば、思いつくのはこいつに頼るくらいだ。
「で?どういう関係なわけ?」
まあ、聞くわな、当然。
「拾った」
「は?」
「家の前に落ちてたんだ」
「ラピュタかよ!」
「いや、地面に直接だ」
別に天から落ちてきたわけではない。同じ年の人間にしか通じないような軽口が言えるのも、こいつのいいところだ。
「はあー。こんな可愛い子がね。しばらく同居を?それで、いなくなったと」
「身元、事情、なんでもいい、手がかりが欲しい。警察には言わないでほしいと言っていたからなにか訳ありかも知れない」
「面倒な女かもしれないな」
「犯罪絡みではないと信じたいが・・・」
その辺は定かではない。でも、音子と暮らしてからこっち、あいつからいわゆる「反社」の匂いは全くしなかった。どちらかと言うと満員電車にも乗ったことない、スマホの扱いにも慣れてないなど、「お嬢様」という方が近いような気がする。
「ふーん。まあいいや、両面から聞いてみるか。ただ、最初に言ったように、あまり当てにするなよ。あと、ここ、奢りな」
ああ、わかったよ。頼むよ、谷山。もう一度言うが、お前だけが頼りだ。
それからあっという間に1週間ほどが過ぎた。職場のおせっかいな部下たちには「ネコ探偵に依頼中」と適当なことを言っておいた。それでも朝霞くんはホッとしたような顔をしていた。いい子だ。
「課長、次の市民講演会なのですが、手配していた講師がその日都合が悪いと言ってきたんですけど・・・。」
「なに?この土壇場でか?」
「はい、まだ公募は打ってないので、切り替えは効くといえば効くのですが、探す時間が殆ど無いですね」
困ったな。
プライベートでも余裕がなく、仕事でも余裕がないか。気忙しくて苦しくなる。
しょうがない、とりあえず部下に関係各所に当たってもらい、急遽講演会を引き受けてくれる講師を探すこととした。
その時、ブルッとスマホが震える。メールの着信、谷山からだ。
『手がかりが掴めたぞ。例の店で』
それだけだった。それでも、か細い糸でも、今の俺にはありがたかった。
☆☆☆
「おーい、こっちこっち!」
居酒屋の席ですでに陣取っている谷山がこっちに向かって手を振る。だいぶ卓の上がにぎやかだ。いつからいる、お前。
座って、俺もビールを注文。飲み物が届いたところで、谷山と杯を合わせる。
「手がかりって?」
開口一番聞いたのがいけなかったのか、ニヤリと谷山が笑う。
「お前、相当お熱だねぇ」
セリフが昭和だ。まあ、お互い様か。
「結論から言うと、この子の名前は『中条静香』。財閥系の名家、中条家の次女。最近まで海外留学していた、ってことになっている。」
音子というのが偽名だというのはうすうす感じていた。美鈴音子だなんて、マンガのようだ。そして、やっぱりお嬢様か。
「でも、彼女は家がないと言っていたぞ。」
「ああ、それなんだがな。中条家は現在、静香の父親である中条京介が当主だ。こいつは交通インフラ、通信、観光業など手広く会社を経営している。最近は環境問題にも取り組んでるってことだ。マスコミへの露出も多いね。」
「そして、妻の玲子。派手なセレブって感じで、社交界で広い人脈を誇っている。夫の事業を陰で支えているって噂だし、政界にも顔が利くって話だ。」
「長女の中条京子は20代後半という若さですでに観光事業のコンサル会社の経営者って肩書を持っている。この会社も大分羽振りがいいようだ。」
「そして、静香には弟もいて、康介と言うが、東大の経済学部を卒業し、それこそアメリカ留学中だ。将来は父親の跡を継ぐってもっぱらの噂だ。大学生にしてすでに起業しており、経済誌なんかにインタビュー記事を寄稿している。」
ま、華々しい家族だよ。谷山は長い説明をそう締めくくった。
「静香は?」
「そうそう、静香だな。こんな華々しい一家だが、静香については全く露出がない。そもそも、中条家は世間的には二人姉弟ってことになってるくらいだ。いないとは言ってないが、『いる』とも言ってない、というのが一番正確な言い方だな」
谷山はねぎまをかじると、ぐいっとジョッキに残ったビールを飲み干す。すかさず、サワーを注文。こいつ、奢らせる気だな。
どういうことだ?財閥系お嬢様で何不自由なく暮らしているってわけじゃないというのはわかった。それに、音子は「家では誰も私の名前を呼ばなかった」と言っていたし、「ずっとひとりだった」と言っていたこともあった。
「静香は、中条家から抹消されていた、みたいな?」
そんな状況が浮かんでくる。確かに家族だが、どういうわけかひとりだけ『いないもの』として扱われている。
「ああ、そうだな。お前から調べるように言われるまで、そんなふうに思わなかったが、調べれば調べるほど、不自然に静香の情報は少ない。まるで、一族総出で彼女の存在を消そうとしているようだ」
もつ煮を自分のところに取り分けながら考える。だとしたら、納得がいく。「ネコは捨てられたネコで、帰る家がない」というのも、分かる気がする。
「最近、なにか変わったことが中条家であったか?」
「さあ、そこまではわからないな。ただ、昨年の終わり頃、子どものうちの誰かが結婚するって噂はあったみたいだ。いつの間にか流れちまったけどな」
「結婚!?」
「まあ、それが京子なのか、静香なのか、はたまた康介なのかまでは分からないが。いや、康介はないか。どうやら政略結婚に近いもののようだったから。政界で幅を利かせている代議士一家との噂だったからな。女性だと考えるのが筋だろう。」
この令和の世の中にまだそんな話があるのかよ。驚きのあまり、だし巻き卵の味もわからなくなる。
「わかったのはここまでだ。しかし、もし中条の家にこの可愛い子ちゃんがいるとして、会いに行くのは至難の業だと思うぞ。こんちわ!って行って、入れてくれるところでもないだろうし」
薄焼きピザを口に詰め込みながら喋るので、やや聞き取りにくい。
「ああ、それについては考えがある。」
負けじと俺もピザを頬張る。
音子の居所はわかった。あとは、俺が勇気を出すかどうか、だ。
朝起きたら、音子が消えていた。
トイレにも、風呂場にもいない。玄関に靴がない。鍵はかかっている。部屋着は畳んで置いてあり、一番最初に音子が着てきた服だけが見当たらなかった。
どこに行った?思えば昨晩、彼女の様子はちょっとおかしかった。
なにか言いたそうにしていた。
そのうち帰ってくるだろう、などとは絶対思えなかった。こんなことは初めてだったし、音子に行くあてがあるとは思えない。
もともと彼女のいたところを除いては、だ。
そして、急にいなくなったところをみると、なにか事情があるに違いない。
昨日ことが思い出される。あの場違いな黒尽くめの男性。あいつが関わっているのだろうか。
とにかく探さないと。
俺はスマホを手にして、会社に今日一日休暇を取るべく電話をしようとする。が、寸手で思いとどまった。
探してどうする?誘拐されたわけでもなければ、犯罪の証拠があるわけでもない。
そもそも、音子の家族が訴えたら俺の方が負ける可能性すらある。
俺は音子にとって何者でもないのだ。
探す権利なんて、ありはしない。
スマホを握りしめて呆然とする。どうしたらいいのだろう?いや、どうもできない。
元の生活に戻っただけだ。
第一、あいつがいた事自体、本当に現実だったのだろうか?
孤独のあまり俺が見た夢だったんじゃないだろうか?
ガランとした部屋。たしかに音子用に買い足したカラーボックスに女物の衣類が数点入っている。玄関にはこれも音子のために買った青色のビニール傘がある。
でも、それだって、俺が妄想の中で勝手に買い揃えたものではないと誰が言える?
一緒に飯を食ったことも、
同じところで眠ったことも、
雨の日に同じ傘に入って歩いたことも、
七夕のお参りをしたことも、
海を歩いたことも、
実在しない、「音子」という人間を俺が妄想したのではないと、本当に言えるのだろうか?
何分ぐらいそうしていたのだろうか。結局、俺は電話をかけることも、朝食を準備することもできなかった。仕事だけは行かねばと思い、重い体を引きずるようにして準備をした。
☆☆☆
腑抜けのようになった俺だったが、数日間、なんとか会社には行き続けた。朝霞くんからの報告受けているときにもぼんやりしていたせいか、何度か「課長!聞いてますか?」と叱咤される始末だったが、なんとか、やり過ごした。
「課長、どうしたんですか?この所おかしいですよ」
朝霞くんが心配半分、怒り半分といったふうに尋ねてくる。たしかに俺がこの調子だと彼女に負担がかかる。すまん。
「そんなんじゃ、ネコちゃんに笑われますよ」
音子・・・
「いなくなったんだ」
ぼんやりとしてて、つい、ボソリと言ってしまった。
「え?!」
朝霞くんだけではなく、その後ろにいた庄司くんまで驚きの声を上げる。
「ネコちゃん家出したんですか!?」
「大変じゃないですか!ネコ探偵とか依頼したほうが・・・」
「まずは心当たりを探さないと」
口々に騒ぎ立てる。いつの間にか関係ない山内や木下までも「俺、ネコ専門の探偵調べてみます」などと言い出している。収拾がつかない・・・。
「おい、待て、大丈夫だ・・・。その・・・もともと、野良だったし」
俺が言うと、一旦はピタリと皆話すのをやめるが、すぐにまた騒ぎ出す。
「ダメですよ!だって、課長こんなにしょげてるじゃないですか!」
「一旦飼ったら責任取らなきゃダメですよ」
「事故にでもあってたらどうするんですか!」
「ネコちゃんもきっと課長のことを探してますぅ」
「ネコは家につくっていうから、家に罠を」
「そもそも、課長仕事してる場合じゃないのでは?」
「そうです、薄情ですよ」
「さほど仕事してないんだから帰っても大丈夫っす」
なんか最後の方、酷いこと言われた気がするが、この日は騒ぎを収拾するためにも、時間で休暇を取って帰ることにした。
帰ってもなあ・・・。
足取りが重い。まだ昼下がり明るい内に歩く街はなおさら人がいない。
8月の空は抜けるように青いが、俺の心の中はどんよりしている。どうしたら晴れるのかもわからない。
ああ、音子と海に行った日も、こんな天気だったな。
海・・・海か・・・、
そう言えば・・・。そう言えば!
俺はスマホを取り出した。フォトギャラリーを開く。
一番最近の写真が目に飛び込んできた。
夕日が差す七里ヶ浜。
白いつば広帽を押さえている。風がワンピースをひらりとなびかせていた。
輝くような笑顔。
音子・・・!
視界が曇る。鼻の奥がツンとした。
馬鹿だな・・・俺。
いるじゃないか・・・。確かに、いたじゃないか。
間違いない。あの笑顔も、あの温かさも、全部全部、夢じゃなかった。確かに、音子はいたんだ。
スマホの画面を胸に押し付け、天を見上げる。
俺は、お前にとって何者でもないけど、探す権利はないけれども。
せめて、もう一度、会いたい。
だって、俺は・・・まだお前に何も伝えられてないじゃないか。
☆☆☆
「あんまり期待するなよ?」
繁華街の居酒屋、谷山が音子の写真を手に言う。そう言うな、お前しか頼れない。
谷山翔一は俺の高校時代から付き合いのある数少ない友人だ。小さいながらも出版社勤務で、いわゆるマスメディアに携わっている人間だ。
俺のコネで誰かの個人情報を調べようとすれば、思いつくのはこいつに頼るくらいだ。
「で?どういう関係なわけ?」
まあ、聞くわな、当然。
「拾った」
「は?」
「家の前に落ちてたんだ」
「ラピュタかよ!」
「いや、地面に直接だ」
別に天から落ちてきたわけではない。同じ年の人間にしか通じないような軽口が言えるのも、こいつのいいところだ。
「はあー。こんな可愛い子がね。しばらく同居を?それで、いなくなったと」
「身元、事情、なんでもいい、手がかりが欲しい。警察には言わないでほしいと言っていたからなにか訳ありかも知れない」
「面倒な女かもしれないな」
「犯罪絡みではないと信じたいが・・・」
その辺は定かではない。でも、音子と暮らしてからこっち、あいつからいわゆる「反社」の匂いは全くしなかった。どちらかと言うと満員電車にも乗ったことない、スマホの扱いにも慣れてないなど、「お嬢様」という方が近いような気がする。
「ふーん。まあいいや、両面から聞いてみるか。ただ、最初に言ったように、あまり当てにするなよ。あと、ここ、奢りな」
ああ、わかったよ。頼むよ、谷山。もう一度言うが、お前だけが頼りだ。
それからあっという間に1週間ほどが過ぎた。職場のおせっかいな部下たちには「ネコ探偵に依頼中」と適当なことを言っておいた。それでも朝霞くんはホッとしたような顔をしていた。いい子だ。
「課長、次の市民講演会なのですが、手配していた講師がその日都合が悪いと言ってきたんですけど・・・。」
「なに?この土壇場でか?」
「はい、まだ公募は打ってないので、切り替えは効くといえば効くのですが、探す時間が殆ど無いですね」
困ったな。
プライベートでも余裕がなく、仕事でも余裕がないか。気忙しくて苦しくなる。
しょうがない、とりあえず部下に関係各所に当たってもらい、急遽講演会を引き受けてくれる講師を探すこととした。
その時、ブルッとスマホが震える。メールの着信、谷山からだ。
『手がかりが掴めたぞ。例の店で』
それだけだった。それでも、か細い糸でも、今の俺にはありがたかった。
☆☆☆
「おーい、こっちこっち!」
居酒屋の席ですでに陣取っている谷山がこっちに向かって手を振る。だいぶ卓の上がにぎやかだ。いつからいる、お前。
座って、俺もビールを注文。飲み物が届いたところで、谷山と杯を合わせる。
「手がかりって?」
開口一番聞いたのがいけなかったのか、ニヤリと谷山が笑う。
「お前、相当お熱だねぇ」
セリフが昭和だ。まあ、お互い様か。
「結論から言うと、この子の名前は『中条静香』。財閥系の名家、中条家の次女。最近まで海外留学していた、ってことになっている。」
音子というのが偽名だというのはうすうす感じていた。美鈴音子だなんて、マンガのようだ。そして、やっぱりお嬢様か。
「でも、彼女は家がないと言っていたぞ。」
「ああ、それなんだがな。中条家は現在、静香の父親である中条京介が当主だ。こいつは交通インフラ、通信、観光業など手広く会社を経営している。最近は環境問題にも取り組んでるってことだ。マスコミへの露出も多いね。」
「そして、妻の玲子。派手なセレブって感じで、社交界で広い人脈を誇っている。夫の事業を陰で支えているって噂だし、政界にも顔が利くって話だ。」
「長女の中条京子は20代後半という若さですでに観光事業のコンサル会社の経営者って肩書を持っている。この会社も大分羽振りがいいようだ。」
「そして、静香には弟もいて、康介と言うが、東大の経済学部を卒業し、それこそアメリカ留学中だ。将来は父親の跡を継ぐってもっぱらの噂だ。大学生にしてすでに起業しており、経済誌なんかにインタビュー記事を寄稿している。」
ま、華々しい家族だよ。谷山は長い説明をそう締めくくった。
「静香は?」
「そうそう、静香だな。こんな華々しい一家だが、静香については全く露出がない。そもそも、中条家は世間的には二人姉弟ってことになってるくらいだ。いないとは言ってないが、『いる』とも言ってない、というのが一番正確な言い方だな」
谷山はねぎまをかじると、ぐいっとジョッキに残ったビールを飲み干す。すかさず、サワーを注文。こいつ、奢らせる気だな。
どういうことだ?財閥系お嬢様で何不自由なく暮らしているってわけじゃないというのはわかった。それに、音子は「家では誰も私の名前を呼ばなかった」と言っていたし、「ずっとひとりだった」と言っていたこともあった。
「静香は、中条家から抹消されていた、みたいな?」
そんな状況が浮かんでくる。確かに家族だが、どういうわけかひとりだけ『いないもの』として扱われている。
「ああ、そうだな。お前から調べるように言われるまで、そんなふうに思わなかったが、調べれば調べるほど、不自然に静香の情報は少ない。まるで、一族総出で彼女の存在を消そうとしているようだ」
もつ煮を自分のところに取り分けながら考える。だとしたら、納得がいく。「ネコは捨てられたネコで、帰る家がない」というのも、分かる気がする。
「最近、なにか変わったことが中条家であったか?」
「さあ、そこまではわからないな。ただ、昨年の終わり頃、子どものうちの誰かが結婚するって噂はあったみたいだ。いつの間にか流れちまったけどな」
「結婚!?」
「まあ、それが京子なのか、静香なのか、はたまた康介なのかまでは分からないが。いや、康介はないか。どうやら政略結婚に近いもののようだったから。政界で幅を利かせている代議士一家との噂だったからな。女性だと考えるのが筋だろう。」
この令和の世の中にまだそんな話があるのかよ。驚きのあまり、だし巻き卵の味もわからなくなる。
「わかったのはここまでだ。しかし、もし中条の家にこの可愛い子ちゃんがいるとして、会いに行くのは至難の業だと思うぞ。こんちわ!って行って、入れてくれるところでもないだろうし」
薄焼きピザを口に詰め込みながら喋るので、やや聞き取りにくい。
「ああ、それについては考えがある。」
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