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第13話:家につくネコ
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~Why do cats stay at home?~
「この度はお忙しいところ、お時間を頂戴し、ありがとうございました」
名刺交換をしたあと、俺は深々と頭を下げる。相手は中条財閥現当主である中条京介だ。俺が今いるのは中条本家の応接室。一方の壁には立派な絵画が数枚飾られており、対面の壁にはお高そうな壺やら工芸品が数点飾られている。
中央に低めのテーブルがある。奥の窓際には大きなソファが据えられており、そこに中条京介が鎮座している。俺はといえば、その対面の客用のソファにかなり小さくなって座っている状態だ。
この応接室だけで、俺のアパートの部屋全部入っちまうな。
「いやいや・・・このようなお話をいただけるなぞ光栄ですな。」
さすが、余裕の貫禄だ。鷹揚に構えている。年は俺と同じくらいか、少し上といったところか。美容に金かけているのか、肌艶はとても良い。
「この度、当局において一般市民向けに『観光産業と環境問題』をテーマに公開講座を開こうとしていたのですが、いざ、その講師としてお願いしていた大学の教授が海外の学会発表の予定を入れてしまい、困っていたところだったのです。それで、藁にもすがる思いで、そういった事業を展開されているとお聞きして、お声がけをさせていただいたわけです」
そう、俺は役職を利用して、中条家に市民公開講座の話を持ちかけるという名目で声をかけたのだ。中条の家は政治にも興味があるということだ。市民講座等には食いついてくるかもと思ったが、案の定だ。まさか当主に会えるとは思わなかったが・・・。
「そういった問題でしたら、うちの京子が詳しいかも知れませんな。せっかくのお話ですので、なにかご協力させていただければと思います。ああ、そうだ、スポンサーとしてでも良ければ、私の方からも少しご寄付をさせていただければ」
「それは大変ありがたいお話です。上と諮ってみます。ところで、娘さんもその分野に造詣が深くてらっしゃるのですね?息子さん、娘さんとも優秀で羨ましいですな」
「はっはっは。なーに、商売の真似事をしてるだけですがね。娘のほうが観光コンサルタントをしておりますし、中条グループの環境問題部門の顧問のひとりでもある。適任だと思いますな」
「娘さんとおっしゃると・・・確か、静香さん」
わざと、静香の名前を出してみる。
「いやいや、静香ではなく、京子の方ですわ。そう言えば、今日は京子が珍しく家にいたな。おーい、四宮!京子を呼んでこい」
俺の背後にいた黒スーツの男が音もなく動く。あいつ、この前すれ違ったやつじゃねえか?
しばらくすると、お高そうなビジネススーツに身を包んだ明るい茶髪の女性が入ってきた。なかなかの美人だが、目つきがきついので、性格も知れるというものだ。
「おお、京子、こちら市ノ瀬さんだ。市民講座の講師をしてくれということでな。」
「中条京子です。よろしくお願いします。」
京子は俺を見るとすっと目を細めた。初対面、だが、こっちを知っているような目だ。
「いやあ、お美しいですな。この若さで手広く事業を展開しているとなると、尊敬します。妹さん、弟さんもさぞかし優秀なのでしょうね。」
見え見えのお世辞だったが、「あら」と京子は口元に手を当て笑う。笑った顔が一瞬音子に似ているかもと思ったが、気のせいのようだ。どちらかと言うと、見下すようないやらしい笑みだ。似ても似つかない。
「そうですわ!お父様、せっかくですから、静香も呼びましょうか。あの子はこういう場に慣れていないから、ちょうどいいかも知れません」
「ん?そうか?」
京介は明らかに戸惑っていたが、この流れで断るのもおかしいと判断したのだろう、静香を呼ぶことを認めた。
先程の四宮という男が、今度は上品な紺のワンピースを着た女性を連れてくる。
俺は目を見張った。
うちでは見たことのないほどばっちりと化粧をし、髪もきれいに結い上げているが、間違いなく、音子だ。
音子も、俺の顔を見て、わずかに動揺した素振りを見せる。
「はじめまして、静香です」
すっと頭を下げ、父親の隣、姉の向かいに座る。ちょうど俺の正面に京介、右手に京子、左手に静香(音子)という配置だ。
心臓が高鳴る。今すぐにでもその手を取って家に連れて帰りたい衝動に駆られるが、かろうじて踏みとどまった。
「市ノ瀬さんとおっしゃったかしら?市民講座の件は、産学共同研究をしている大学の先生などがよろしいかしら?それとも、実際にビジネスに携わっている者のほうが?」
「そうですね・・・もちろん大学の先生でもよいですが、一般市民向けですし、変な話ですが、宣伝効果もありますので、直接ビジネスに携わってる方でも大歓迎です。大体いつも数百人規模で会場は埋まりますので」
「まあ、素晴らしいですね。うちの会社の宣伝などしてもよろしいなら、私が話してもいいわ、よろしいかしら?お父様。」
「おお、適任だと思うぞ。若いうちは色々なところに顔を出しておくのもよいからな」
「ところで、静香さんもなにかビジネスをされてるんですか?」
一応声をかけないと不自然だろうと、気を使った風を装って声をかける。
「あら、この子は何もしてないのですよ。ビジネスにはある程度向き不向きがあって、この子はあまりそちらには向いてないようでしてね。・・・まあ、そんな子ですが、この度やっと使い道ができましたの」
コロコロと笑うというのはこういうことをいうのだろうか。京子は手の甲を口に当てて軽やかに笑った。この上なく嫌な笑い方だ。
しかも・・・。
「使い道?」
しまった、怒りのあまり低い声が出てしまった。
「こら!京子」
京介がたしなめる。さすが父親の方がこなれている。
「すいませんね、無作法な娘で。まあ怒らんでやってください。いま、こいつが言ったのは、我が家の家訓でしてな。『家のためにできることをせよ』と。私も父からそう教わってきました。私もこいつらにはそう教えています。」
家のためにね・・・。どこまでも時代錯誤な一族だ。
「名家の教えというわけですね」
一応調子を合わせておく。音子は心なしか青い顔をして無表情にうつむいている。音子にとってはこの場はきついか・・・。すまん。
「ええ、どうやら市民講座の方はお引き受けいただけるようで、とても安心しました。スポンサーの件も含めて後日うちの朝霞というものから連絡を入れさせます。どなたを窓口にすればよろしいでしょうか?」
「おお、それなら、そこの四宮にお願いします。うちの執事というか、そういう役のものです」
執事ね・・・。いちいちブルジョワだこと。
それではおいとま、と立ち上がりかけた時、京子が声を上げた。
「あら?静香とはもうお話なさらなくていいのかしら?
この子、来月には結婚するんですのよ。そうなると、もうなかなかお話する機会がないと思いますわ。」
こいつ・・・。
浮かせかけた腰を下ろす。
「静香さんがご結婚ですか。それはおめでとうございます」
ここで、俺がこう言わないわけにはいかないだろう。それを見越して言ってるな。性悪。
父親はもしかしたら俺のことを知らないかもしれないが、この女は俺が音子といた事を知っている。知っててわざと煽っている。
音子がうつむくように頭を下げる。
それを見て、京子は唇を歪ませて笑う。嫌な性格が顔に出すぎだ。そっちがその気なら・・・。
「おや?」
俺はわざとらしくあたりを見回してみせた。
「どうかなさいましたか?」
京介が声をかけてきた。
「いえ、何やらネコの泣く声が聞こえたような気がしまして」
こころなしか、音子の肩がビクッと反応したように見えた。
「はて、我が家にはネコはおりませんがね」
「はは・・・じゃあ、気のせいですかね。昔、私もネコと暮らしていたもので、つい」
「おや、ネコをお飼いになっていた?」
「そういえば、お父様、うちにもいましたよね。エジプシャン・マウのビビ。血統証付きでしたのよ」
いちいち嫌味ったらしいな。スネ夫かお前は。
「さすが中条のお家ですね。浅学につき、エジプシャン・マウという種類は存じ上げないですがね。我が家にいたネコは元々私が拾ってきたものだったので、どこで生まれて、どこで育ったのかも分かりません。でも、そんなのは気にならないほど、とても可愛かったです。」
音子がじっと唇を噛む。
「それは大事なペットだったんですな」
「ペット、ではなく、うちでは『家族』と言っていました。こちらでは違うのでしょうがね。庶民の発想かもしれません。」
そして、心を込めて言う。
伝われ、音子に。
「いつも、私の近くにいてくれました。嫌なことがあったときも楽しいときも、ただ、いてくれました。なにか、役に立つとか、そうではなくて、そばにいるだけで愛おしいと思わせてくれる、そんな存在でした。」
「まあ、随分溺愛なさっていたのね」
「ええ、愛していました。この上なく・・・。世界で一番です。」
俺は音子の方を見て言った。
視線の先の彼女は顔を伏せ、肩を震わせていた。
「そうそう、ネコは家につくといいますが、ちゃんとご飯を一緒に食べてあげたり、撫でてあげたり、たくさん面倒を見てあげないと、家にすらつかないんじゃないかなと思います。きっと、ここのお家では、とても大切にされていたのでしょうね、ビビちゃんも」
「ええ、それは大事にね」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる京子。そんな顔しているようじゃ、今、俺が言ったこと、お前にゃ一生わからんだろう。
今度こそ帰ろう。
「では、お暇します。」
立ち上がり、部屋の扉に向かう。四宮が扉を開こうとする。
「あの!」
音子が声を上げた。立ち止まり、ゆっくり振り返る。
音子がこっちを見ている。目がうるんでる。バレる、やめろ。
「お元気で」
一言だけ、言って、頭を下げた。
俺も、ゆっくり頭を下げた。
「お体を大事に」
今度こそ、俺はその部屋を立ち去った。
☆☆☆
「課長、お疲れ様です」
中条家の入り口からほど近い喫茶店で、待っていた朝霞くんと合流した。本当は中条の家には二人で行くつもりだったが、土壇場で自分一人で行くことにさせてもらった。朝霞くんには悪いことをした。
「課長、どうしました?顔色、悪いですよ?」
まあ、そうだろう。とてつもないストレスだった。普段、喧嘩なんかし慣れない俺があんな妙な駆け引きをしたんだ。中条家を出た瞬間から脚がガクガク震えてまともに歩けなかった。
「課長・・・なんかひとりで抱え込んでません?」
朝霞くんは優しいな。大丈夫だよ。心配ない。
「ああ、なんとか講師は確保したよ。中条京子だ。後で連絡を頼む。」
「さすがですね。ご苦労さま」
今日は帰って早く寝よう。疲れた。
「ああ」
俺はそっと中条の家の方を見た。もう、届かない。
一目会いたいという望みは叶ったが、連れ戻すことは出来なかった。
音子・・・
「課長?」
伝票を持って朝霞くんが立ち上がったまま不審な顔でこっちを見ている。
「あ、や、なんでもない。行こうか」
俺たちが出ると、軽やかな音をてて、喫茶店の扉が閉まる。
その音とともに、俺のありったけの勇気を振り絞ったささやかな冒険は、そっと幕を下ろした。
☆☆☆
市ノ瀬が帰った応接室。静香も四宮に促されて自室に戻った。応接室に残ったのは京介と京子の二人だけだった。
「京子、なぜ静香を連れてきた!」
苛立ちをにじませて京介は言う。当の京子は涼しい顔をして受け流していた。
京介も途中から市ノ瀬が例の静香と一緒に暮らしていた男だということに気づいたのだ。
「あら?囚われのお姫様を探しにナイトが来たのよ?会わせて差し上げなきゃと思っただけよ。会わせて、もう二度と会えないと思い知らせないと。」
京介は頭を押さえて、首をふる。
「お前は、頭は悪くないが、その感情的なところをなんとかしろ。足元をすくわれるぞ。わざわざ見せてやる必要なんてなかっただろうに。そうすれば留学してるとでもなんでも言えたじゃないか。それに、もし、静香が家のことをあいつに喋ってたらどうするんだ」
コロコロと京子は笑う。
「お父様は随分心配性ですね。あんな公務員風情に何ができるというの?」
「だからお前は脇が甘いんだ。隙を作るな!」
「まあ、随分な言いようね!もともと、お父様が静香を家から追い出すからこうなったんでしょうに。私が偶然見つけたから今回の縁談もまとまったようなものでしょ?」
む・・・と、京介は押し黙る。今回ばかりは京子の言うとおりだと言わんばかりだ。
京子は窓辺に寄り、庭を眺める。夏の庭は青々としていて、部屋の中から見る分には清涼だ。
「良かったじゃないですか?先方は静香の体質もご存知で引き受けてくださるんでしょう?これでやっと厄介払いができますね。」
「こら、滅多なこと言うもんじゃない。・・・まあ、いい、市ノ瀬のことはこっちで処理しておくから、お前は余計なことをするな。」
はいはい、と京子は肩をすくめて応接室をあとにした。
「この度はお忙しいところ、お時間を頂戴し、ありがとうございました」
名刺交換をしたあと、俺は深々と頭を下げる。相手は中条財閥現当主である中条京介だ。俺が今いるのは中条本家の応接室。一方の壁には立派な絵画が数枚飾られており、対面の壁にはお高そうな壺やら工芸品が数点飾られている。
中央に低めのテーブルがある。奥の窓際には大きなソファが据えられており、そこに中条京介が鎮座している。俺はといえば、その対面の客用のソファにかなり小さくなって座っている状態だ。
この応接室だけで、俺のアパートの部屋全部入っちまうな。
「いやいや・・・このようなお話をいただけるなぞ光栄ですな。」
さすが、余裕の貫禄だ。鷹揚に構えている。年は俺と同じくらいか、少し上といったところか。美容に金かけているのか、肌艶はとても良い。
「この度、当局において一般市民向けに『観光産業と環境問題』をテーマに公開講座を開こうとしていたのですが、いざ、その講師としてお願いしていた大学の教授が海外の学会発表の予定を入れてしまい、困っていたところだったのです。それで、藁にもすがる思いで、そういった事業を展開されているとお聞きして、お声がけをさせていただいたわけです」
そう、俺は役職を利用して、中条家に市民公開講座の話を持ちかけるという名目で声をかけたのだ。中条の家は政治にも興味があるということだ。市民講座等には食いついてくるかもと思ったが、案の定だ。まさか当主に会えるとは思わなかったが・・・。
「そういった問題でしたら、うちの京子が詳しいかも知れませんな。せっかくのお話ですので、なにかご協力させていただければと思います。ああ、そうだ、スポンサーとしてでも良ければ、私の方からも少しご寄付をさせていただければ」
「それは大変ありがたいお話です。上と諮ってみます。ところで、娘さんもその分野に造詣が深くてらっしゃるのですね?息子さん、娘さんとも優秀で羨ましいですな」
「はっはっは。なーに、商売の真似事をしてるだけですがね。娘のほうが観光コンサルタントをしておりますし、中条グループの環境問題部門の顧問のひとりでもある。適任だと思いますな」
「娘さんとおっしゃると・・・確か、静香さん」
わざと、静香の名前を出してみる。
「いやいや、静香ではなく、京子の方ですわ。そう言えば、今日は京子が珍しく家にいたな。おーい、四宮!京子を呼んでこい」
俺の背後にいた黒スーツの男が音もなく動く。あいつ、この前すれ違ったやつじゃねえか?
しばらくすると、お高そうなビジネススーツに身を包んだ明るい茶髪の女性が入ってきた。なかなかの美人だが、目つきがきついので、性格も知れるというものだ。
「おお、京子、こちら市ノ瀬さんだ。市民講座の講師をしてくれということでな。」
「中条京子です。よろしくお願いします。」
京子は俺を見るとすっと目を細めた。初対面、だが、こっちを知っているような目だ。
「いやあ、お美しいですな。この若さで手広く事業を展開しているとなると、尊敬します。妹さん、弟さんもさぞかし優秀なのでしょうね。」
見え見えのお世辞だったが、「あら」と京子は口元に手を当て笑う。笑った顔が一瞬音子に似ているかもと思ったが、気のせいのようだ。どちらかと言うと、見下すようないやらしい笑みだ。似ても似つかない。
「そうですわ!お父様、せっかくですから、静香も呼びましょうか。あの子はこういう場に慣れていないから、ちょうどいいかも知れません」
「ん?そうか?」
京介は明らかに戸惑っていたが、この流れで断るのもおかしいと判断したのだろう、静香を呼ぶことを認めた。
先程の四宮という男が、今度は上品な紺のワンピースを着た女性を連れてくる。
俺は目を見張った。
うちでは見たことのないほどばっちりと化粧をし、髪もきれいに結い上げているが、間違いなく、音子だ。
音子も、俺の顔を見て、わずかに動揺した素振りを見せる。
「はじめまして、静香です」
すっと頭を下げ、父親の隣、姉の向かいに座る。ちょうど俺の正面に京介、右手に京子、左手に静香(音子)という配置だ。
心臓が高鳴る。今すぐにでもその手を取って家に連れて帰りたい衝動に駆られるが、かろうじて踏みとどまった。
「市ノ瀬さんとおっしゃったかしら?市民講座の件は、産学共同研究をしている大学の先生などがよろしいかしら?それとも、実際にビジネスに携わっている者のほうが?」
「そうですね・・・もちろん大学の先生でもよいですが、一般市民向けですし、変な話ですが、宣伝効果もありますので、直接ビジネスに携わってる方でも大歓迎です。大体いつも数百人規模で会場は埋まりますので」
「まあ、素晴らしいですね。うちの会社の宣伝などしてもよろしいなら、私が話してもいいわ、よろしいかしら?お父様。」
「おお、適任だと思うぞ。若いうちは色々なところに顔を出しておくのもよいからな」
「ところで、静香さんもなにかビジネスをされてるんですか?」
一応声をかけないと不自然だろうと、気を使った風を装って声をかける。
「あら、この子は何もしてないのですよ。ビジネスにはある程度向き不向きがあって、この子はあまりそちらには向いてないようでしてね。・・・まあ、そんな子ですが、この度やっと使い道ができましたの」
コロコロと笑うというのはこういうことをいうのだろうか。京子は手の甲を口に当てて軽やかに笑った。この上なく嫌な笑い方だ。
しかも・・・。
「使い道?」
しまった、怒りのあまり低い声が出てしまった。
「こら!京子」
京介がたしなめる。さすが父親の方がこなれている。
「すいませんね、無作法な娘で。まあ怒らんでやってください。いま、こいつが言ったのは、我が家の家訓でしてな。『家のためにできることをせよ』と。私も父からそう教わってきました。私もこいつらにはそう教えています。」
家のためにね・・・。どこまでも時代錯誤な一族だ。
「名家の教えというわけですね」
一応調子を合わせておく。音子は心なしか青い顔をして無表情にうつむいている。音子にとってはこの場はきついか・・・。すまん。
「ええ、どうやら市民講座の方はお引き受けいただけるようで、とても安心しました。スポンサーの件も含めて後日うちの朝霞というものから連絡を入れさせます。どなたを窓口にすればよろしいでしょうか?」
「おお、それなら、そこの四宮にお願いします。うちの執事というか、そういう役のものです」
執事ね・・・。いちいちブルジョワだこと。
それではおいとま、と立ち上がりかけた時、京子が声を上げた。
「あら?静香とはもうお話なさらなくていいのかしら?
この子、来月には結婚するんですのよ。そうなると、もうなかなかお話する機会がないと思いますわ。」
こいつ・・・。
浮かせかけた腰を下ろす。
「静香さんがご結婚ですか。それはおめでとうございます」
ここで、俺がこう言わないわけにはいかないだろう。それを見越して言ってるな。性悪。
父親はもしかしたら俺のことを知らないかもしれないが、この女は俺が音子といた事を知っている。知っててわざと煽っている。
音子がうつむくように頭を下げる。
それを見て、京子は唇を歪ませて笑う。嫌な性格が顔に出すぎだ。そっちがその気なら・・・。
「おや?」
俺はわざとらしくあたりを見回してみせた。
「どうかなさいましたか?」
京介が声をかけてきた。
「いえ、何やらネコの泣く声が聞こえたような気がしまして」
こころなしか、音子の肩がビクッと反応したように見えた。
「はて、我が家にはネコはおりませんがね」
「はは・・・じゃあ、気のせいですかね。昔、私もネコと暮らしていたもので、つい」
「おや、ネコをお飼いになっていた?」
「そういえば、お父様、うちにもいましたよね。エジプシャン・マウのビビ。血統証付きでしたのよ」
いちいち嫌味ったらしいな。スネ夫かお前は。
「さすが中条のお家ですね。浅学につき、エジプシャン・マウという種類は存じ上げないですがね。我が家にいたネコは元々私が拾ってきたものだったので、どこで生まれて、どこで育ったのかも分かりません。でも、そんなのは気にならないほど、とても可愛かったです。」
音子がじっと唇を噛む。
「それは大事なペットだったんですな」
「ペット、ではなく、うちでは『家族』と言っていました。こちらでは違うのでしょうがね。庶民の発想かもしれません。」
そして、心を込めて言う。
伝われ、音子に。
「いつも、私の近くにいてくれました。嫌なことがあったときも楽しいときも、ただ、いてくれました。なにか、役に立つとか、そうではなくて、そばにいるだけで愛おしいと思わせてくれる、そんな存在でした。」
「まあ、随分溺愛なさっていたのね」
「ええ、愛していました。この上なく・・・。世界で一番です。」
俺は音子の方を見て言った。
視線の先の彼女は顔を伏せ、肩を震わせていた。
「そうそう、ネコは家につくといいますが、ちゃんとご飯を一緒に食べてあげたり、撫でてあげたり、たくさん面倒を見てあげないと、家にすらつかないんじゃないかなと思います。きっと、ここのお家では、とても大切にされていたのでしょうね、ビビちゃんも」
「ええ、それは大事にね」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる京子。そんな顔しているようじゃ、今、俺が言ったこと、お前にゃ一生わからんだろう。
今度こそ帰ろう。
「では、お暇します。」
立ち上がり、部屋の扉に向かう。四宮が扉を開こうとする。
「あの!」
音子が声を上げた。立ち止まり、ゆっくり振り返る。
音子がこっちを見ている。目がうるんでる。バレる、やめろ。
「お元気で」
一言だけ、言って、頭を下げた。
俺も、ゆっくり頭を下げた。
「お体を大事に」
今度こそ、俺はその部屋を立ち去った。
☆☆☆
「課長、お疲れ様です」
中条家の入り口からほど近い喫茶店で、待っていた朝霞くんと合流した。本当は中条の家には二人で行くつもりだったが、土壇場で自分一人で行くことにさせてもらった。朝霞くんには悪いことをした。
「課長、どうしました?顔色、悪いですよ?」
まあ、そうだろう。とてつもないストレスだった。普段、喧嘩なんかし慣れない俺があんな妙な駆け引きをしたんだ。中条家を出た瞬間から脚がガクガク震えてまともに歩けなかった。
「課長・・・なんかひとりで抱え込んでません?」
朝霞くんは優しいな。大丈夫だよ。心配ない。
「ああ、なんとか講師は確保したよ。中条京子だ。後で連絡を頼む。」
「さすがですね。ご苦労さま」
今日は帰って早く寝よう。疲れた。
「ああ」
俺はそっと中条の家の方を見た。もう、届かない。
一目会いたいという望みは叶ったが、連れ戻すことは出来なかった。
音子・・・
「課長?」
伝票を持って朝霞くんが立ち上がったまま不審な顔でこっちを見ている。
「あ、や、なんでもない。行こうか」
俺たちが出ると、軽やかな音をてて、喫茶店の扉が閉まる。
その音とともに、俺のありったけの勇気を振り絞ったささやかな冒険は、そっと幕を下ろした。
☆☆☆
市ノ瀬が帰った応接室。静香も四宮に促されて自室に戻った。応接室に残ったのは京介と京子の二人だけだった。
「京子、なぜ静香を連れてきた!」
苛立ちをにじませて京介は言う。当の京子は涼しい顔をして受け流していた。
京介も途中から市ノ瀬が例の静香と一緒に暮らしていた男だということに気づいたのだ。
「あら?囚われのお姫様を探しにナイトが来たのよ?会わせて差し上げなきゃと思っただけよ。会わせて、もう二度と会えないと思い知らせないと。」
京介は頭を押さえて、首をふる。
「お前は、頭は悪くないが、その感情的なところをなんとかしろ。足元をすくわれるぞ。わざわざ見せてやる必要なんてなかっただろうに。そうすれば留学してるとでもなんでも言えたじゃないか。それに、もし、静香が家のことをあいつに喋ってたらどうするんだ」
コロコロと京子は笑う。
「お父様は随分心配性ですね。あんな公務員風情に何ができるというの?」
「だからお前は脇が甘いんだ。隙を作るな!」
「まあ、随分な言いようね!もともと、お父様が静香を家から追い出すからこうなったんでしょうに。私が偶然見つけたから今回の縁談もまとまったようなものでしょ?」
む・・・と、京介は押し黙る。今回ばかりは京子の言うとおりだと言わんばかりだ。
京子は窓辺に寄り、庭を眺める。夏の庭は青々としていて、部屋の中から見る分には清涼だ。
「良かったじゃないですか?先方は静香の体質もご存知で引き受けてくださるんでしょう?これでやっと厄介払いができますね。」
「こら、滅多なこと言うもんじゃない。・・・まあ、いい、市ノ瀬のことはこっちで処理しておくから、お前は余計なことをするな。」
はいはい、と京子は肩をすくめて応接室をあとにした。
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