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第9話:姑獲鳥
第34章:報恩謝徳(ほうおんしゃとく)
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♡ーーーーー♡
【報恩謝徳】受けた恵みや恩に対して報いようと、感謝の気持を持つこと。
自分が受けた恩、身の丈にあった方法で返したいな、みたいな。
♡ーーーーー♡
『あの女、ずっとあそこに居るな・・・。』
交差点に佇む女性に芝三郎が目を向ける。彼は家で過ごすのに飽きてしまい、近所の公園に遊びに行くところであった。昨日もだいたい同じくらいの時間にここを通りかかったのだが、同じ女が同じ姿で同じ場所に立ち尽くしているのを見ていた。
年の頃は40代後半だろうか。いや、やけに憔悴した表情をしているところを差し引くと、本当はもっと若いという可能性もある。季節外れの薄手のペイルブルーのワンピースを着て、髪の毛はあまり手入れされていないと見え、ボサボサだった。
四つ辻の角、横断歩道の近くに位置しぼんやりと交差点を眺めている。表情に精気はなく、また、青ざめていた。
その足元に花束がおかれているのを見つけたところで、芝三郎は察した。
『ああ、あの者は生者ではないのだな』
今の世でも『辻』にはああいった者が溜まるのだな、と思いながら、芝三郎は足早に公園を目指した。死者は大抵の場合無害である。しばらく未練の残る地にいても、そのうち魂が擦り切れ、現し世に溶けて消えていく。
『まあ、随分悲しそうな顔をしているが・・・』
よそ見をしたのが悪かったのか、芝三郎はボンと人にぶつかってしまった。慌てて「申し訳ない」と詫びの言葉を口にする。
「あら?あなた、視えるの?」
彼がぶつかったのは、幼い女の子だった。年の頃は清香よりも上、彼が化けている少年の姿よりは下、と言ったところだろうと感じた。綾音たちが言っていた『しょうがっこう』というのを思い出し、その初等の年齢に当たるくらいかと、見当をつけた。
視えるの?ということは、この者にもあの女が視えているのだろう。
「ああ、視えてる」
それなら構うまい、と芝三郎は自分が視えている事実を告げた。
「そうなんだ・・・じゃあさ、お兄ちゃん、私に協力してくれない?」
その女の子は、にこりと笑って、芝三郎の手を取った。
「お・・・おう」
芝三郎は、その女児の可愛らしさに、やや顔を赤らめ、目を泳がせた。
これが、芝三郎と女児『環』との出会いだった。
☆☆☆
最近、芝三郎の様子がおかしい。
前は、よくリビングでゴロゴロしたり、テレビでアニメを見たりしていたが、最近、やたらと外に行く。
まあ、子ども(?)は風の子というくらいだから、外に出て遊んでくるのは誠に結構なことだし、あれでも一応あやかしなので、さらわれたり事故にあったりという心配もない。
ただ、朝食が終わり、しばらくそわそわし、時計を気にして10時くらいになるとそそくさと出ていく様子は、なんとも怪しい。
何か・・・隠している?
そして、今日も彼は出ていった。
一応、どこに行くの?と聞いてみたが、『いや、大した用事ではござらん!公園に行ってくるでござる~』と言って走っていった。
誠に怪しい。
「ねえ、清香ちゃん。芝三郎、何やってるか知っている?」
リビングの机でグリグリとクレヨンでお絵かきをしている清香ちゃんに尋ねてみた。絵は、多分お家と・・・私と自分かな?大きい大人の女の人と、小さい女の子が手を繋いでいた。
ごめんね、邪魔しちゃって・・・。清香ちゃんが手を止めて、私を見上げる。
「うーんと・・・えーっと・・・なんか、プレゼント作るって・・・言ってたよ」
プレゼント・・・?言われてみれば、もうすぐクリスマスだ。そのプレゼントを、作っている?狸にもクリスマスの概念があるのだろうか?
何を作っているのか、いささか謎だが・・・まあ、そういうことならほっといていいのかな?
「おい、綾音よ!・・・これは何だ?」
テレビを見ているダリが呼んでいる。何か、興味深いものがあったのだろうか?
「はいはい・・・なに?」
こういうちょっとした瞬間に、なんか、家族って感じがする・・・。
なんか、あったかいな、と、ちょっと思ってしまう。
平凡な家族の休日の様子って、こんなかな?
まあ、実際のところ、今日は平日で、私は陰陽師としての仕事がないから家にいるのだし、この家にいる『人間』は実は私だけなのだが・・・。
☆☆☆
たったったったった
拙者はいつもの場所に向けて走っていた。『くみんせんたー』というところだ。そこには『じどうぷらざ』という場所があり、子どもがゲームをしたり、工作をしたりできる部屋があるのだ。
その入口で環が拙者を待っていた。
「あ!おーい!芝三郎!!」
ぴょんぴょんと環が飛び跳ねながら手を振る。相変わらずの元気さだ。彼女はいつもどおりの樺茶色の短い着物・・・『すかーと』と清香は言っていたな・・・、に白色の何やら外来の文字が書かれている上着・・・今風に言うと『ぱーかー』というのだろうか・・・を着ている。いつもの装束だった。
拙者は綾音に選んでもらった海松茶の厚手の『ずぼん』に赤い『ながそでてぃーしゃつ』、その上に黒の『じゃんぱー』という出で立ちだった。
「今日もよろしく!芝三郎!!」
環が拙者の手を取る。綾音や瀬良以外の者と手を繋いだことなどないので、何やらどぎまぎするが、動じている様子を見せるわけにはいかないので、顔に出さぬようぐっと堪える。
連れ立って、『じどうどあ』を抜け、階段を登り、二階に。工作室は階段を登って左手にあった。
持ってきたカバンの中から昨日まで作ったものがしまわれている箱を取り出した。缶の箱にたくさん入っていたのは、折り紙で作った様々な動物や人、家などだった。
どうやら、環は手先があまり器用ではないらしく、この折り紙を拙者に折って欲しがるのだ。
拙者も折り紙などはあまりやったことがないのだが、環は自分は折れないくせに教え方はやたら上手で、『こうやって、こうして折るの』など、細々と言ってくる。彼女の言う通りに折っていると、真四角の紙が、たちまちに猫や犬、家や木、ヤッコや鶴の姿になる。
それが不思議で、そして面白かった。
今日は、これまで作ってきた折り紙たちを紙に貼り付け、絵を描いて『ぷれぜんと』とやらを完成させる算段になっていた。
「貼り付けるくらい、主がやったらどうだ?」
「いいのよ!私は。芝三郎がやったほうが上手だもん」
「貼るだけではなく、絵も描くのだろう?」
「それもお願い♪芝三郎♡」
キュッと手を握られると、無理な願いも聞いてやりたくなってしまう。
もし、綾音の子である清香にも思うことだが、拙者に妹がいたらこんな気持になるのだろうか、と少し思う。
工作室にいる『しどういん』さんとやらに、大きめの白い紙をもらう。なんでもロハでもらえるというのは、なかなかに素晴らしい施設である。
「まずは、地面を茶色で描いて・・・。そして、お家をここに貼るっと。それから、塀を描いて猫ちゃんをここに立たせて・・・それから、樹は・・・」
環が言う通りに作ってやる。
この『ぷれぜんと』は環が言うには、あの交差点に立っている女にやるのだという。
「あの女は主のなんなのだ?」
ペタペタと糊でもって折り紙を紙に貼りながら問うてみた。そう言えば、関係を聞いていなかった。あの辻に立つ怪異と、この者の関係は一体何なのだろうか?
「あの人、私のママなんだ・・・」
「主の母君か・・・でも、あの者は・・・」
「分かってる・・・。本当は、クリスマスにプレゼント渡すはずだったんだけど、あんな事があって・・・。だから、諦めていたんだ・・・。だけど、芝三郎が来てくれたから、もしかしたらクリスマスに間に合うかもしれない。」
「あんなこと・・・?」
「うん・・・事故にあっちゃって・・・。私のせい・・・なんだけどね」
元気な環がしゅんと下を向いてしまったので、拙者は慌てて話題をそらす。
「く・・・くりすます・・・とはなんじゃ?」
「え?芝三郎、クリスマス知らないの?」
環が言うにはこの町で『くりすます』という祭が近くあるそうだ。その祭事にあっては家族や親しいものが互いに『ぷれぜんと』という贈答を行う風習があるという。その『ぷれぜんと』として、この折り紙を貼り付けた絵を母君に渡したい、という事だった。
「主の母はなぜ、あそこずっといるのだ?」
何か、心残りがあるのだろうか。
「私のせいなんだよ。私が悪いのに・・・。私のことをずっと、気にしている。だから、もういいよ、気にしなくていいよって・・・伝えてあげたいんだけど・・・」
そこまで話し終わったところで、大体の構図が出来上がった。まだ白いところがあるので、そこに色鉛筆やクレヨンで色を塗れば大方完成だろう。
へへ・・・と環が破顔した。
「ありがとう、芝三郎・・・。これでクリスマスまでにはお母さんに渡せるよ・・・」
それじゃあ残りの作業に、と思ったところで、施設内に鐘が鳴った。この鐘は部屋が閉まる合図である。
「あ、終わっちゃった・・・」
環が心残りだというように絵を眺める。
「なに、明日には完成じゃ。また、明日、ここで会おうぞ」
一応、絵は環が持って帰るかと尋ねたが、首を振ったので、折れてしまわぬよう慎重に手に持ち、拙者は『綿貫亭』を目指した。
環は、『くみんせんたー』の前でいつまでも、いつまでも拙者のことを見送ってくれていた。
☆☆☆
「芝三郎・・・それなに?」
外出から戻ってきた芝三郎がリビングにある棚にごそごそ何かを隠そうとしているように見えたので、つい聞いてしまう。
びく!とわかりやすく肩を震わせてから、彼はそーっとこっちを振り返った。
「どしたの?」
「な・・・なんでもござらん!」
なんか・・・怪しいなぁ。
まあ、芝三郎が悪いことしているとは思えないけど。
「芝三郎、その紙・・・」
ソファでテレビを見ていたダリがひょいと後ろから声を掛ける。
「何でござる・・・だ・・・ダリ殿?」
紙?ああ、確かに今、隠そうとしているのは、どうやら画用紙のようだ。何か絵が描いてあるのが一瞬見えた。
「あやかしの気配がする」
ダリが言う。あやかし?
「拙者もあやかしであるがゆえ!」
画用紙を二つ折りにし、後ろ手に持ったまま後ずさる。別に取りゃしないけど・・・。
「まあ、いいのであるがな」
関心をなくしたのかダリが再びテレビ視聴に視線を戻した。
「いいけど・・・手、洗いなさいね。そろそろご飯よ」
「お・・・おう!」
言った芝三郎の目は、やっぱりなんとなく、泳いでいたのであった。
☆☆☆
次の日。やっぱりいそいそと芝三郎が家を出ていく。昨日と同じ時間だ。
やっぱり怪しいわね。
「何してるのかしら?」
塀の影から、とててててと走っていく芝三郎の様子をそっとうかがう。
彼の手には昨日隠そうとしていた紙がしっかり握られている。よほど大事なのか、折れてしまわないように慎重に持っている感じだ。結局、昨日、あの紙を見ることはしなかった。それはなんだか芝三郎のプライバシーを冒しているような気がするからだ。でも、やっぱり気になる・・・。ということで、折衷案としてこうして尾行している、というわけだ。
「綾音よ・・・我もついていく必要があるのか?」
ちょっとかがんだ私の頭の上からダリも同様に様子をうかがいながら、不満げに言う。
だって、『あやかしの気配』なんて、あなたが言うから!
「ね・・・念の為よ」
「あの紙には確かにあやかしというか、妙な気配があるが・・・特に強いものでも悪いものでもないぞ・・・」
まあ、言葉を切ったところを見ると、そんなに害のあるものではないんだろうな・・・と思いつつも、この間の清香ちゃんの例もある。芝三郎が変なあやかしに目をつけられて・・・ということも考えられるわけだ。
そのとき、ダリがいないと、困る。
「お願い・・・万が一のために、ついてきて・・・」
このなんの気なしの言葉に、ダリがふっと笑みをこぼしたことに、この時の私は気づいていなかった。
そんなこんなで、スパイよろしく芝三郎のあとをつけてきたわけであるが、彼が向かっていたのはどうやら区民センターの下にある、いわゆる児童館のようである。ここでは児童プラザと呼んでいるようだ。
なんだ・・・ただ、遊びに来たいだけだったのか・・・。
そう思いかけた時、私は目を見開いてしまった。
!?
芝三郎がちっちゃかわいい女の子に手を振りながら駆け寄っていってるではないか!
女の子は小学校1年生くらいだろうか、ミルクチョコみたいな色のスカートにオフホワイトのパーカーを着て、愛らしい顔立ちをしている。遠目にも仲が良さそうな雰囲気が伝わってくる。
そして・・・
なんと!
二人仲良く手を繋いで児童プラザの自動ドアをくぐっていってるのである。
・・・芝三郎も隅に置けない。
いつの間に、あんなに可愛らしい彼女を見つけ・・・
そう思いかけたときに、ダリが口を開いた。
「あの者・・・」
その言葉を聞いて、私は蒼然となってしまった。
☆☆☆
「最後に、ここに、『ありがとう』って書いて!」
「それも拙者が書くのか?」
「そりゃそうよ!芝三郎のほうが字が上手そうだもの」
「ふむ・・・そうかな・・・」
そう言われると照れてしまう。自分も手習いはほとんど受けたことがないが、ひらがなならかろうじて書くことができた。
何度か別の紙に色鉛筆で『ありがとう』と書いて見せると、「やっぱり芝三郎のほうが上手!」と環は手を叩いて喜んでくれた。
完成してみると、なかなかの大作である。
随所に環が折り方を教えてくれた折り紙の動物やら家やらが貼り付けてあり、色鉛筆で描かれた絵だけでは到底出せないような賑々しさが見られる。これなら、環の母上も喜んで・・・浮かばれることだろう。
だが・・・。
問題は、この絵をどのようにしてあの者に渡すか、だな。
ダリ殿なら常世に何らかの力を及ぼすことができるやもしれない。それか、綾音の知り合いの『おんみょうじ』達ならば、死者にも何らか送り届けることができるやもしれない。
しかし、拙者の妖力では・・・。
それとも、あの者の足元にあった花のように供えれば良いのだろうか?
うううむ・・・。
それに、環は人のくせになぜ故、死者の魂を視ることができるのじゃ?・・・まあ、綾音も視ていたので、そういう人間がいくばくかでもいる、というのはわかるのだが。
「環よ・・・この『ぷれぜんと』の渡し方、なんじゃがな・・・」
「芝三郎にお願いしたい」
・・・え?
拙者が言い終わるより前に、環が言葉を遮るように言ってきた。戸惑っていると、更に言葉を継いできた。
「私じゃ、視えないから」
視えない・・・。なんと!?
この者は、視えてはいなかったのか。てっきり視えていて、拙者が視えているのを分かっていて、それで言っていたのだとばっかり思っていた。
「拙者が渡して、受け取ってくれる、とは限らぬぞ?」
相手にとって、拙者は見ず知らずの他人。しかも、なんら特別な術も使えぬし、こちらからは視えていても、彼女からこちらが視えているとは限らない。置いてくるだけならできるやもしれぬが・・・。
「ううん・・・大丈夫だよ。きっと・・・それに、ママは私のこと、怒っているのかもしれないし・・・。私から渡すより、芝三郎からの方がいいよ」
ぬぬぬ・・・。しかし、贈り物とは、贈りたい者がわたすべきではないのだろうか?しかし、説得しようとしても、環の心根は変わらないようで、『私、芝三郎のこと、見てるから、ちゃんと渡してね』とさらに念を押され、結局引き受けることとなった。
まだ日は高い。あの女はいつも通りなら、あの辻に立ったままだろう。
「分かった。では、共に参ろう」
例の辻まで歩きながら、環に色々と尋ねてみた。
「なぜ、母君は主のことを怒っていると?」
「だって、事故にあったのって私のせいだもん。私が信号見ないで飛び出しちゃったから」
そうか、環の母君は、環を助けようとして自らが事故にあった・・・。それを環は悔いているのか。
「・・・怒ってなど、おらぬのではないか?母君も主のことが心配であそこにずっと立ち尽くしておられるのだろう?」
「うん・・・そうなんだけど・・・。最期に、ママ・・・泣いてたから・・・もしかしたら、嫌われちゃったかもって・・・」
子を嫌う母がどこにいるのだ。想ってるからこそ、辻に立ち尽くしているのだろう。離れられぬのだろう。
前に聞いた。
現し世に残る死霊は魂が削られ、摩耗していくという。そして、最期には冤鬼という魂の抜け殻のような状態になり、あやかしとなって現し世に溶け出してしまう。だから、死霊は一刻も早くそのあるべき場所である常世に向かうべきなのだ。
もし、この環の『ぷれぜんと』がきっかけになるのなら、そうしてやろう。
「環・・・もし、伝えられたらじゃが・・・、母君に伝えたい言葉はあるか?」
うーん・・・と、彼女は空を見上げて考える。
「その絵に描いてあることかな・・・。『ありがとう』・・・あとは・・・笑っていてくれれば・・・いいんだけど」
「うむ・・・分かった。伝えるよう努める」
拙者がそう言うと、環は嬉しそうにした。
いつもの場所に、いつもの格好で、あの女、環の母は立ち尽くしていた。目はどんよりと濁り、辻の中央、車が行き交うあたりを見ているのだろうとまではわかるが、まさしくはどこを見ているかよくわからない。
「環は近くまでも来ぬのか?」
「うん・・・ここで見ている」
『おうだんほどう』の渡り方については綾音から聞いて知っていた。向かいの灯火が『みどり』に灯れば渡って良い、という合図だ。
『みどり』になったのを見計らい、キョロキョロと見渡す。車は走ってこないようだ。ホッとして渡った。まあ、拙者はあやかしであるから、車にぶつけられても死ぬことはないだろうが、痛いものは痛い。あのような鉄の塊が矢のようなスピードで走っているのだ、人ならばあっという間に轢き潰されてしまう。
さて・・・近くまでは来た。
この絵をとりあえず渡してみようか・・・。声を・・・かけたら振り向いてくれるだろうか。
名を・・・と思った時、環から母の名を聞いていなかったことを思い出した。しかし、ここで踵を返すわけにもいかないと思い直し、思い切って声をかけた。
「環殿の・・・母君とお見受けする」
ごくり、と喉が鳴る。
環の母がふらりと、こっちを見た。その目はやはりどんより濁っている。
「なに?あなた・・・。環の友達だった・・・かしら?」
意外とあっさりと話ができたので若干拍子抜けした。これならば・・・。
「いや、環殿に頼まれて・・・母君にこれを『くりすます・ぷれぜんと』として渡してほしいと・・・」
持ってきた紙を開いて見せた。
「これ・・・環・・・」
環の母の目が震える。その震えはたちまち全身に伝わり、わなわなと体全体が震えだした。
「これ・・・いつ・・・?」
「今朝方仕上がったところじゃ。環と拙者とで作ったのじゃ」
正確には、環の指示の元、拙者が作った・・・のだが、まあいいだろう。
「今朝方・・・」
そう言うと、「ははっ」と息を吐くように環の母が笑い出した。最初は小さく、次第にその笑いは大きく、大きくなっていって・・・最後にはボロボロと涙を流し始めた。
「嘘・・・嘘を・・・嘘をつくなああ!!!」
環の母が拙者に掴みかかってくる。あまりにも唐突なことに身体を翻す暇もなかった。その隙をつかれ、喉笛を両手で握りつぶさんばかりに掴まれる。
「環・・・環は・・・」
万力のような力でぐいぐいと締め上げてくる。
何を・・・するんだ!
術を発動しようともしたが、息ができず、朦朧としてそれも叶わない。このままでは本当に絞め殺されてしまう・・・。
目を血走らせ、涙を流し、歯を食いしばった環の母の姿は、まるで鬼女さながらだった。そんな女の腕をほどこうと、環が後ろから引っ張っている。
環・・・いつの間にこちらに渡ってきたのだ?
『止めて!止めて!ママ!止めて!!』
しかし、環の力が弱いのか、一向に女の手が緩むことはない。それに、女は環に全く気づいていない様子ですらある。頭に血が回らなくなったせいか、周囲の景色が霞んでいった。
環の姿も・・・霞んで・・・ああ・・・そうか・・・そうだったのか・・・。
拙者は、間違えていたのか・・・。
一旦、目がかすみ、再び焦点が合った、環の姿は、頭が半分轢き潰され、眼球がはみ出し、腕もちぎれかけていた。白だと思っていた衣装は大半が血に染まり、足はあらぬ方向に曲がっている。それは、無惨な姿だった。
そうか・・・お前が・・・お前のほうが・・・
「たまき・・・たまきはああ!!死んだんだあああ!」
死者だったのか・・・。
ぐいっと喉を締め付ける手に力が込められる。爪が首の肉にめり込む。息ができず、急速に四肢から力が抜ける。
『誰か!!誰か・・・!芝三郎を!助けて!』
環よ・・・主は優しいの・・・。
拙者は失敗したのだぞ。絵も渡せぬ、言葉も伝えられぬ。
お主の母君を怒らせてしまった。なのに・・・なのに、主のことだけ考えれば良いものの・・・
『いやー!!!誰かーっ!!』
大きく叫ぶ環の声の向こう、薄れゆく意識の中、遠くで拙者の名を呼ぶ声が聴こえた気がした。あれは・・・綾音・・・か?
その想いを最後に、拙者の魂は闇に呑まれていった。
【報恩謝徳】受けた恵みや恩に対して報いようと、感謝の気持を持つこと。
自分が受けた恩、身の丈にあった方法で返したいな、みたいな。
♡ーーーーー♡
『あの女、ずっとあそこに居るな・・・。』
交差点に佇む女性に芝三郎が目を向ける。彼は家で過ごすのに飽きてしまい、近所の公園に遊びに行くところであった。昨日もだいたい同じくらいの時間にここを通りかかったのだが、同じ女が同じ姿で同じ場所に立ち尽くしているのを見ていた。
年の頃は40代後半だろうか。いや、やけに憔悴した表情をしているところを差し引くと、本当はもっと若いという可能性もある。季節外れの薄手のペイルブルーのワンピースを着て、髪の毛はあまり手入れされていないと見え、ボサボサだった。
四つ辻の角、横断歩道の近くに位置しぼんやりと交差点を眺めている。表情に精気はなく、また、青ざめていた。
その足元に花束がおかれているのを見つけたところで、芝三郎は察した。
『ああ、あの者は生者ではないのだな』
今の世でも『辻』にはああいった者が溜まるのだな、と思いながら、芝三郎は足早に公園を目指した。死者は大抵の場合無害である。しばらく未練の残る地にいても、そのうち魂が擦り切れ、現し世に溶けて消えていく。
『まあ、随分悲しそうな顔をしているが・・・』
よそ見をしたのが悪かったのか、芝三郎はボンと人にぶつかってしまった。慌てて「申し訳ない」と詫びの言葉を口にする。
「あら?あなた、視えるの?」
彼がぶつかったのは、幼い女の子だった。年の頃は清香よりも上、彼が化けている少年の姿よりは下、と言ったところだろうと感じた。綾音たちが言っていた『しょうがっこう』というのを思い出し、その初等の年齢に当たるくらいかと、見当をつけた。
視えるの?ということは、この者にもあの女が視えているのだろう。
「ああ、視えてる」
それなら構うまい、と芝三郎は自分が視えている事実を告げた。
「そうなんだ・・・じゃあさ、お兄ちゃん、私に協力してくれない?」
その女の子は、にこりと笑って、芝三郎の手を取った。
「お・・・おう」
芝三郎は、その女児の可愛らしさに、やや顔を赤らめ、目を泳がせた。
これが、芝三郎と女児『環』との出会いだった。
☆☆☆
最近、芝三郎の様子がおかしい。
前は、よくリビングでゴロゴロしたり、テレビでアニメを見たりしていたが、最近、やたらと外に行く。
まあ、子ども(?)は風の子というくらいだから、外に出て遊んでくるのは誠に結構なことだし、あれでも一応あやかしなので、さらわれたり事故にあったりという心配もない。
ただ、朝食が終わり、しばらくそわそわし、時計を気にして10時くらいになるとそそくさと出ていく様子は、なんとも怪しい。
何か・・・隠している?
そして、今日も彼は出ていった。
一応、どこに行くの?と聞いてみたが、『いや、大した用事ではござらん!公園に行ってくるでござる~』と言って走っていった。
誠に怪しい。
「ねえ、清香ちゃん。芝三郎、何やってるか知っている?」
リビングの机でグリグリとクレヨンでお絵かきをしている清香ちゃんに尋ねてみた。絵は、多分お家と・・・私と自分かな?大きい大人の女の人と、小さい女の子が手を繋いでいた。
ごめんね、邪魔しちゃって・・・。清香ちゃんが手を止めて、私を見上げる。
「うーんと・・・えーっと・・・なんか、プレゼント作るって・・・言ってたよ」
プレゼント・・・?言われてみれば、もうすぐクリスマスだ。そのプレゼントを、作っている?狸にもクリスマスの概念があるのだろうか?
何を作っているのか、いささか謎だが・・・まあ、そういうことならほっといていいのかな?
「おい、綾音よ!・・・これは何だ?」
テレビを見ているダリが呼んでいる。何か、興味深いものがあったのだろうか?
「はいはい・・・なに?」
こういうちょっとした瞬間に、なんか、家族って感じがする・・・。
なんか、あったかいな、と、ちょっと思ってしまう。
平凡な家族の休日の様子って、こんなかな?
まあ、実際のところ、今日は平日で、私は陰陽師としての仕事がないから家にいるのだし、この家にいる『人間』は実は私だけなのだが・・・。
☆☆☆
たったったったった
拙者はいつもの場所に向けて走っていた。『くみんせんたー』というところだ。そこには『じどうぷらざ』という場所があり、子どもがゲームをしたり、工作をしたりできる部屋があるのだ。
その入口で環が拙者を待っていた。
「あ!おーい!芝三郎!!」
ぴょんぴょんと環が飛び跳ねながら手を振る。相変わらずの元気さだ。彼女はいつもどおりの樺茶色の短い着物・・・『すかーと』と清香は言っていたな・・・、に白色の何やら外来の文字が書かれている上着・・・今風に言うと『ぱーかー』というのだろうか・・・を着ている。いつもの装束だった。
拙者は綾音に選んでもらった海松茶の厚手の『ずぼん』に赤い『ながそでてぃーしゃつ』、その上に黒の『じゃんぱー』という出で立ちだった。
「今日もよろしく!芝三郎!!」
環が拙者の手を取る。綾音や瀬良以外の者と手を繋いだことなどないので、何やらどぎまぎするが、動じている様子を見せるわけにはいかないので、顔に出さぬようぐっと堪える。
連れ立って、『じどうどあ』を抜け、階段を登り、二階に。工作室は階段を登って左手にあった。
持ってきたカバンの中から昨日まで作ったものがしまわれている箱を取り出した。缶の箱にたくさん入っていたのは、折り紙で作った様々な動物や人、家などだった。
どうやら、環は手先があまり器用ではないらしく、この折り紙を拙者に折って欲しがるのだ。
拙者も折り紙などはあまりやったことがないのだが、環は自分は折れないくせに教え方はやたら上手で、『こうやって、こうして折るの』など、細々と言ってくる。彼女の言う通りに折っていると、真四角の紙が、たちまちに猫や犬、家や木、ヤッコや鶴の姿になる。
それが不思議で、そして面白かった。
今日は、これまで作ってきた折り紙たちを紙に貼り付け、絵を描いて『ぷれぜんと』とやらを完成させる算段になっていた。
「貼り付けるくらい、主がやったらどうだ?」
「いいのよ!私は。芝三郎がやったほうが上手だもん」
「貼るだけではなく、絵も描くのだろう?」
「それもお願い♪芝三郎♡」
キュッと手を握られると、無理な願いも聞いてやりたくなってしまう。
もし、綾音の子である清香にも思うことだが、拙者に妹がいたらこんな気持になるのだろうか、と少し思う。
工作室にいる『しどういん』さんとやらに、大きめの白い紙をもらう。なんでもロハでもらえるというのは、なかなかに素晴らしい施設である。
「まずは、地面を茶色で描いて・・・。そして、お家をここに貼るっと。それから、塀を描いて猫ちゃんをここに立たせて・・・それから、樹は・・・」
環が言う通りに作ってやる。
この『ぷれぜんと』は環が言うには、あの交差点に立っている女にやるのだという。
「あの女は主のなんなのだ?」
ペタペタと糊でもって折り紙を紙に貼りながら問うてみた。そう言えば、関係を聞いていなかった。あの辻に立つ怪異と、この者の関係は一体何なのだろうか?
「あの人、私のママなんだ・・・」
「主の母君か・・・でも、あの者は・・・」
「分かってる・・・。本当は、クリスマスにプレゼント渡すはずだったんだけど、あんな事があって・・・。だから、諦めていたんだ・・・。だけど、芝三郎が来てくれたから、もしかしたらクリスマスに間に合うかもしれない。」
「あんなこと・・・?」
「うん・・・事故にあっちゃって・・・。私のせい・・・なんだけどね」
元気な環がしゅんと下を向いてしまったので、拙者は慌てて話題をそらす。
「く・・・くりすます・・・とはなんじゃ?」
「え?芝三郎、クリスマス知らないの?」
環が言うにはこの町で『くりすます』という祭が近くあるそうだ。その祭事にあっては家族や親しいものが互いに『ぷれぜんと』という贈答を行う風習があるという。その『ぷれぜんと』として、この折り紙を貼り付けた絵を母君に渡したい、という事だった。
「主の母はなぜ、あそこずっといるのだ?」
何か、心残りがあるのだろうか。
「私のせいなんだよ。私が悪いのに・・・。私のことをずっと、気にしている。だから、もういいよ、気にしなくていいよって・・・伝えてあげたいんだけど・・・」
そこまで話し終わったところで、大体の構図が出来上がった。まだ白いところがあるので、そこに色鉛筆やクレヨンで色を塗れば大方完成だろう。
へへ・・・と環が破顔した。
「ありがとう、芝三郎・・・。これでクリスマスまでにはお母さんに渡せるよ・・・」
それじゃあ残りの作業に、と思ったところで、施設内に鐘が鳴った。この鐘は部屋が閉まる合図である。
「あ、終わっちゃった・・・」
環が心残りだというように絵を眺める。
「なに、明日には完成じゃ。また、明日、ここで会おうぞ」
一応、絵は環が持って帰るかと尋ねたが、首を振ったので、折れてしまわぬよう慎重に手に持ち、拙者は『綿貫亭』を目指した。
環は、『くみんせんたー』の前でいつまでも、いつまでも拙者のことを見送ってくれていた。
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「芝三郎・・・それなに?」
外出から戻ってきた芝三郎がリビングにある棚にごそごそ何かを隠そうとしているように見えたので、つい聞いてしまう。
びく!とわかりやすく肩を震わせてから、彼はそーっとこっちを振り返った。
「どしたの?」
「な・・・なんでもござらん!」
なんか・・・怪しいなぁ。
まあ、芝三郎が悪いことしているとは思えないけど。
「芝三郎、その紙・・・」
ソファでテレビを見ていたダリがひょいと後ろから声を掛ける。
「何でござる・・・だ・・・ダリ殿?」
紙?ああ、確かに今、隠そうとしているのは、どうやら画用紙のようだ。何か絵が描いてあるのが一瞬見えた。
「あやかしの気配がする」
ダリが言う。あやかし?
「拙者もあやかしであるがゆえ!」
画用紙を二つ折りにし、後ろ手に持ったまま後ずさる。別に取りゃしないけど・・・。
「まあ、いいのであるがな」
関心をなくしたのかダリが再びテレビ視聴に視線を戻した。
「いいけど・・・手、洗いなさいね。そろそろご飯よ」
「お・・・おう!」
言った芝三郎の目は、やっぱりなんとなく、泳いでいたのであった。
☆☆☆
次の日。やっぱりいそいそと芝三郎が家を出ていく。昨日と同じ時間だ。
やっぱり怪しいわね。
「何してるのかしら?」
塀の影から、とててててと走っていく芝三郎の様子をそっとうかがう。
彼の手には昨日隠そうとしていた紙がしっかり握られている。よほど大事なのか、折れてしまわないように慎重に持っている感じだ。結局、昨日、あの紙を見ることはしなかった。それはなんだか芝三郎のプライバシーを冒しているような気がするからだ。でも、やっぱり気になる・・・。ということで、折衷案としてこうして尾行している、というわけだ。
「綾音よ・・・我もついていく必要があるのか?」
ちょっとかがんだ私の頭の上からダリも同様に様子をうかがいながら、不満げに言う。
だって、『あやかしの気配』なんて、あなたが言うから!
「ね・・・念の為よ」
「あの紙には確かにあやかしというか、妙な気配があるが・・・特に強いものでも悪いものでもないぞ・・・」
まあ、言葉を切ったところを見ると、そんなに害のあるものではないんだろうな・・・と思いつつも、この間の清香ちゃんの例もある。芝三郎が変なあやかしに目をつけられて・・・ということも考えられるわけだ。
そのとき、ダリがいないと、困る。
「お願い・・・万が一のために、ついてきて・・・」
このなんの気なしの言葉に、ダリがふっと笑みをこぼしたことに、この時の私は気づいていなかった。
そんなこんなで、スパイよろしく芝三郎のあとをつけてきたわけであるが、彼が向かっていたのはどうやら区民センターの下にある、いわゆる児童館のようである。ここでは児童プラザと呼んでいるようだ。
なんだ・・・ただ、遊びに来たいだけだったのか・・・。
そう思いかけた時、私は目を見開いてしまった。
!?
芝三郎がちっちゃかわいい女の子に手を振りながら駆け寄っていってるではないか!
女の子は小学校1年生くらいだろうか、ミルクチョコみたいな色のスカートにオフホワイトのパーカーを着て、愛らしい顔立ちをしている。遠目にも仲が良さそうな雰囲気が伝わってくる。
そして・・・
なんと!
二人仲良く手を繋いで児童プラザの自動ドアをくぐっていってるのである。
・・・芝三郎も隅に置けない。
いつの間に、あんなに可愛らしい彼女を見つけ・・・
そう思いかけたときに、ダリが口を開いた。
「あの者・・・」
その言葉を聞いて、私は蒼然となってしまった。
☆☆☆
「最後に、ここに、『ありがとう』って書いて!」
「それも拙者が書くのか?」
「そりゃそうよ!芝三郎のほうが字が上手そうだもの」
「ふむ・・・そうかな・・・」
そう言われると照れてしまう。自分も手習いはほとんど受けたことがないが、ひらがなならかろうじて書くことができた。
何度か別の紙に色鉛筆で『ありがとう』と書いて見せると、「やっぱり芝三郎のほうが上手!」と環は手を叩いて喜んでくれた。
完成してみると、なかなかの大作である。
随所に環が折り方を教えてくれた折り紙の動物やら家やらが貼り付けてあり、色鉛筆で描かれた絵だけでは到底出せないような賑々しさが見られる。これなら、環の母上も喜んで・・・浮かばれることだろう。
だが・・・。
問題は、この絵をどのようにしてあの者に渡すか、だな。
ダリ殿なら常世に何らかの力を及ぼすことができるやもしれない。それか、綾音の知り合いの『おんみょうじ』達ならば、死者にも何らか送り届けることができるやもしれない。
しかし、拙者の妖力では・・・。
それとも、あの者の足元にあった花のように供えれば良いのだろうか?
うううむ・・・。
それに、環は人のくせになぜ故、死者の魂を視ることができるのじゃ?・・・まあ、綾音も視ていたので、そういう人間がいくばくかでもいる、というのはわかるのだが。
「環よ・・・この『ぷれぜんと』の渡し方、なんじゃがな・・・」
「芝三郎にお願いしたい」
・・・え?
拙者が言い終わるより前に、環が言葉を遮るように言ってきた。戸惑っていると、更に言葉を継いできた。
「私じゃ、視えないから」
視えない・・・。なんと!?
この者は、視えてはいなかったのか。てっきり視えていて、拙者が視えているのを分かっていて、それで言っていたのだとばっかり思っていた。
「拙者が渡して、受け取ってくれる、とは限らぬぞ?」
相手にとって、拙者は見ず知らずの他人。しかも、なんら特別な術も使えぬし、こちらからは視えていても、彼女からこちらが視えているとは限らない。置いてくるだけならできるやもしれぬが・・・。
「ううん・・・大丈夫だよ。きっと・・・それに、ママは私のこと、怒っているのかもしれないし・・・。私から渡すより、芝三郎からの方がいいよ」
ぬぬぬ・・・。しかし、贈り物とは、贈りたい者がわたすべきではないのだろうか?しかし、説得しようとしても、環の心根は変わらないようで、『私、芝三郎のこと、見てるから、ちゃんと渡してね』とさらに念を押され、結局引き受けることとなった。
まだ日は高い。あの女はいつも通りなら、あの辻に立ったままだろう。
「分かった。では、共に参ろう」
例の辻まで歩きながら、環に色々と尋ねてみた。
「なぜ、母君は主のことを怒っていると?」
「だって、事故にあったのって私のせいだもん。私が信号見ないで飛び出しちゃったから」
そうか、環の母君は、環を助けようとして自らが事故にあった・・・。それを環は悔いているのか。
「・・・怒ってなど、おらぬのではないか?母君も主のことが心配であそこにずっと立ち尽くしておられるのだろう?」
「うん・・・そうなんだけど・・・。最期に、ママ・・・泣いてたから・・・もしかしたら、嫌われちゃったかもって・・・」
子を嫌う母がどこにいるのだ。想ってるからこそ、辻に立ち尽くしているのだろう。離れられぬのだろう。
前に聞いた。
現し世に残る死霊は魂が削られ、摩耗していくという。そして、最期には冤鬼という魂の抜け殻のような状態になり、あやかしとなって現し世に溶け出してしまう。だから、死霊は一刻も早くそのあるべき場所である常世に向かうべきなのだ。
もし、この環の『ぷれぜんと』がきっかけになるのなら、そうしてやろう。
「環・・・もし、伝えられたらじゃが・・・、母君に伝えたい言葉はあるか?」
うーん・・・と、彼女は空を見上げて考える。
「その絵に描いてあることかな・・・。『ありがとう』・・・あとは・・・笑っていてくれれば・・・いいんだけど」
「うむ・・・分かった。伝えるよう努める」
拙者がそう言うと、環は嬉しそうにした。
いつもの場所に、いつもの格好で、あの女、環の母は立ち尽くしていた。目はどんよりと濁り、辻の中央、車が行き交うあたりを見ているのだろうとまではわかるが、まさしくはどこを見ているかよくわからない。
「環は近くまでも来ぬのか?」
「うん・・・ここで見ている」
『おうだんほどう』の渡り方については綾音から聞いて知っていた。向かいの灯火が『みどり』に灯れば渡って良い、という合図だ。
『みどり』になったのを見計らい、キョロキョロと見渡す。車は走ってこないようだ。ホッとして渡った。まあ、拙者はあやかしであるから、車にぶつけられても死ぬことはないだろうが、痛いものは痛い。あのような鉄の塊が矢のようなスピードで走っているのだ、人ならばあっという間に轢き潰されてしまう。
さて・・・近くまでは来た。
この絵をとりあえず渡してみようか・・・。声を・・・かけたら振り向いてくれるだろうか。
名を・・・と思った時、環から母の名を聞いていなかったことを思い出した。しかし、ここで踵を返すわけにもいかないと思い直し、思い切って声をかけた。
「環殿の・・・母君とお見受けする」
ごくり、と喉が鳴る。
環の母がふらりと、こっちを見た。その目はやはりどんより濁っている。
「なに?あなた・・・。環の友達だった・・・かしら?」
意外とあっさりと話ができたので若干拍子抜けした。これならば・・・。
「いや、環殿に頼まれて・・・母君にこれを『くりすます・ぷれぜんと』として渡してほしいと・・・」
持ってきた紙を開いて見せた。
「これ・・・環・・・」
環の母の目が震える。その震えはたちまち全身に伝わり、わなわなと体全体が震えだした。
「これ・・・いつ・・・?」
「今朝方仕上がったところじゃ。環と拙者とで作ったのじゃ」
正確には、環の指示の元、拙者が作った・・・のだが、まあいいだろう。
「今朝方・・・」
そう言うと、「ははっ」と息を吐くように環の母が笑い出した。最初は小さく、次第にその笑いは大きく、大きくなっていって・・・最後にはボロボロと涙を流し始めた。
「嘘・・・嘘を・・・嘘をつくなああ!!!」
環の母が拙者に掴みかかってくる。あまりにも唐突なことに身体を翻す暇もなかった。その隙をつかれ、喉笛を両手で握りつぶさんばかりに掴まれる。
「環・・・環は・・・」
万力のような力でぐいぐいと締め上げてくる。
何を・・・するんだ!
術を発動しようともしたが、息ができず、朦朧としてそれも叶わない。このままでは本当に絞め殺されてしまう・・・。
目を血走らせ、涙を流し、歯を食いしばった環の母の姿は、まるで鬼女さながらだった。そんな女の腕をほどこうと、環が後ろから引っ張っている。
環・・・いつの間にこちらに渡ってきたのだ?
『止めて!止めて!ママ!止めて!!』
しかし、環の力が弱いのか、一向に女の手が緩むことはない。それに、女は環に全く気づいていない様子ですらある。頭に血が回らなくなったせいか、周囲の景色が霞んでいった。
環の姿も・・・霞んで・・・ああ・・・そうか・・・そうだったのか・・・。
拙者は、間違えていたのか・・・。
一旦、目がかすみ、再び焦点が合った、環の姿は、頭が半分轢き潰され、眼球がはみ出し、腕もちぎれかけていた。白だと思っていた衣装は大半が血に染まり、足はあらぬ方向に曲がっている。それは、無惨な姿だった。
そうか・・・お前が・・・お前のほうが・・・
「たまき・・・たまきはああ!!死んだんだあああ!」
死者だったのか・・・。
ぐいっと喉を締め付ける手に力が込められる。爪が首の肉にめり込む。息ができず、急速に四肢から力が抜ける。
『誰か!!誰か・・・!芝三郎を!助けて!』
環よ・・・主は優しいの・・・。
拙者は失敗したのだぞ。絵も渡せぬ、言葉も伝えられぬ。
お主の母君を怒らせてしまった。なのに・・・なのに、主のことだけ考えれば良いものの・・・
『いやー!!!誰かーっ!!』
大きく叫ぶ環の声の向こう、薄れゆく意識の中、遠くで拙者の名を呼ぶ声が聴こえた気がした。あれは・・・綾音・・・か?
その想いを最後に、拙者の魂は闇に呑まれていった。
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