白花の君

キイ子

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追憶2

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 「……マスタ」

 少女の声で意識が浮上する。
私の手をぎゅっと握り不安げな表情を見せる幼子。短く切りそろえられた赤髪、意志の強そうな赤い瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。
懐かしい、ものを見た。
そっと、小さな手のひらを握り返しながら、足を進める。痛む身体を無理やり動かして。
ごった返す人とぶつかりながら、時に我先にと伸ばされる背後からの手を避けながら。
これだけ人に溢れるこの場で、それでも誰一人として物音も声も、上げはしない。

 ここはカルセナ街。
この光の大陸唯一の港町である。
星の輝きも月の明るさも無い暗い夜、人々は眠りについているような深夜。
ここにいる大勢の人々が吸い込まれるように入っていくのは少女の背後で揺れる、小さな船だった。
この大陸から逃げ出し別の大陸へ秘密裏に向かうための船。密航船だ。
見るからに容量以上の人間をすし詰めにして押し込んでいる小さな船では、明らかに正規の手続きを踏んでいないであろう出で立ちの船員たちや一般人らしき人々が忙しなく動いている。
誰もが怯えていた。それはそうだろう、危ない橋を渡っている。
見つかれば命は無いだろう。この場にいる人間は。
誰一人として、例外なく。

 遠くから、馬の蹄の音が聞こえていた。
おそらく、傍らにしがみつく少女も、気づいて、いる。
私の選ぶ道も理解しているのだ。この子は。

 間に合うだろう。見ないふりをすれば。
私たちは船に乗れる。故郷へ、帰れる。

 ……否、嘘だ。帰れない。私は。
私は、帰れない。
もう、弟子の待つ家へは、故郷へは、あの大陸にすら、私はもたない。
私は―。

 「マスタ」

 震える小さな手が立ち止まった私の手を引く。引かれる私の手も、震えていた。

 「マスタ、帰ろうよ……マスタ、ダイアン兄さんと、ライル兄さんが、待ってるんでしょ……?」

 一度、大きく深呼吸をして嗤う。
霞む視界に大きな塔が入り込んだ。
忌々しい、魔封じの塔が。名の通りに魔法を使うことを出来なくさせるあの塔さえなければ私は逃げ切れたかもしれない。
今、ここにあることを認識しなければ、私は感情の赴くままに、船に乗って闇の大陸へ向かっただろう。
辿り着けないことは、わかっていても。

 私は生きている。
まだ生きている。
ならまだ、やるべきことが残っているだろう。
やれる事が、ある。

 震える体を、痛む体を抱えながら、その場に膝を付いてルカの肩に手を置く。
目を合わせ、微笑んだ。
痛ましそうに、立ち止まって会話を交わす私たちを一瞥していきながら、沢山の人が視線を逸らして船へ消えていく。
別の大陸へ渡るためには、かなりの大金が必要だから、家族全員で行けないことは多い。
多くの親は、子供だけでも安全なところへと向かわせようとする。

 要するに、こんなのは、ここでありふれた光景なのだ。

 「ルカ」

 名を呼ぶだけで、それだけで少女はすべてを理解していた。
涙を流して、私にしがみつき、必死に首を横に振る。わかっている。この子は分かっている。
このまま私がここに留まることを選ぶのだと。私が何をしようとしているのかもすべて理解した上で私を止めようとしている。
私の体がもう、故郷のある闇の大陸までの航海に耐えられないことも。そのうえでそれでも、私がこの大陸で死にたくないと、心の底から叫んでいることも。
その叫びを押し殺してでも、この大陸に残って成し遂げねば、ならないことが、あることも。
優しい子だ。本当に。私にはもったいないくらいに。
この子と出会えてよかった。この子を助けられてよかった。この子と共に、帰りたかった。ダイアンと、ライルに、会いたかった。私の、最愛の、弟子に。
けれど、これは譲れないものだ。誰にも渡さないと決めたものだから。
たとえ相手が神が作り上げた運命であったとしても、それに抗うのだと、決めたから。
彼女を抱き締め、その小さな手に用意していた手紙を握らせる。

 「よく、聞きなさい。これからお前を、闇の大陸に渡るあの船に飛ばします。その大陸に渡ったら、カインドという男にこれを渡しなさい。……マスター・オブ・ウィザードからの、遺書だと言えば必ず誰かがカインドの元へ導いてくれる」

 遺書、のところで、思わず声が震えてしまった。
そんな私の様を見て、ルカは絶望に染まった顔を見せる。
ああ、本当に、申し訳ない。こんな、こんな有様では、きっとこの子の心に大きな傷をつけることになる。そんなこと、わかり切っていたのに。分かり切っていたから、ここまでずっと、この子の前では笑顔を絶やさないようにしていたというのに。
結局最後の最後でこうなってしまうのか。今までの、努力も、全部……。
情けない師だ。ああ、まったくもって情けない。
視界がぼやける。泣くな、泣くなッ!
懸命に笑顔を作ってみせるがうまくいっているだろうか?うまくいってるはずが無い。

 「いや……いやっ……帰りたい……マスタ、マスター……ルカ、ルカは、ますたーと、マスターと帰りたい」

 背後に迫る濃厚な死の香りに、気配に。改めて郷愁の念が湧き上がってくるのを感じた。
二度と会うことの出来ないだろう大切な人達の顔が、故郷の景色が、まざまざと脳裏に浮かんでは消えていく。
これで、本当に終わりなのだ。
もう会えないのだと改めて自覚した途端襲ってきた喪失感に眩暈がする。
死ぬ覚悟をしてこの場に来たはずだったのに、いざ、その際に立ってみれば無様なほどに後悔ばかり、浮かんでくる。
一瞬、このままルカと共に船に乗ってしまおうかと、意気地なしの自分が語り掛けてきた。
と、同時にどこか冷静な思考が自分に言う。
それが出来たなら、選べる人間なら、私は始めからここには居ない。
こんなにボロボロになる前に、せめて故郷に帰れるくらいの体力は残せた。
その選択肢を、選ぶことはできた。いくらでも、チャンスはあった。
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