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第一部
チョコレート
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「さぁ、長話になってしまったわね。息子が来ないうちに紅茶でも飲みましょう」
夫人は庭を一望できる三階のガーデンルームでのお茶会が多いのだが、目の前の階段を見向きもせず、階段の奥へと進んで行った。
ーー庭にでも出るのかしら?
「今日はどちらににご招待してくださるのですか?」
「あぁ、今日は私の書斎よ。貴女一人ならゆったりと過ごしていただけると思って」
夫人が足を止めると、執事が扉を開ける。
そこに広がったのは、書斎と呼ぶには相応しくない広々とした空間だった。
「さぁ、こちらに腰掛けてちょうだい。わたしのお気に入りのソファなのよ」
「柔らかなソファですわね」
大きなテーブルを超えて、いくつかの本棚を横切りながら部屋の奥にある小さなテーブルと二つのソファの置かれた窓辺で、私はソファの背もたれに触れた。
婦人よりも先にソファに腰掛けると、座面は少し沈み込み、私の身体はいつもの背筋を伸ばした座り方をするのに苦労する事になる。
「力を抜いてソファに身を任せなさい。それがここのマナーです」
私は戸惑いながらゆっくりと背もたれに身を預け、肘掛けに腕を置いた。
「いつもいつも背筋を伸ばしていると疲れてしまうでしょう。たまには肩の力を抜いて話したいわ」
社交界の重鎮の言葉とは思えなかった。
ーーいつでもどこでも気を抜いてはいけません。
それが淑女教育の基本だからだ。
「こんな格好を許されたのは初めてです」
「ここはもうあなたの家のようなものだから気を使わなくてもいいのよ。婚約どころか、まだ家長の了承も得ていないけどね」
「私はもう、この縁談を受けようと思っています」
夫人を敵に回したら、それこそ私に縁談は来なくなるだろう。
今でもイシュトハン家は孤高の辺境伯と呼ばれるほど社交には明るくない。
父はまだ陛下の同級生という伝手と筆頭魔術師であった母の境遇から味方がいるというだけだ。
周りが敵だらけになったとしても、魔力の強い私たち姉妹が生きている限りはイシュトハンが衰えることはないだろうが、油断していれば一網打尽に叩き潰されることもある。
クロエが継ぐ意思がある状態の今なら、この縁談を受ける価値はある。
公爵家という王族とも繋がる血筋は、社交界での立場は確立される。
フロージアに振られた私が公爵夫人の地位にいることは、周りへの牽制にもなるし、未来の王太子妃にもプレッシャーを与えることが出来るだろう。
もちろん比較される立場になるのは望ましくはないが、下手な妃を迎えられるよりかはメリットはある。
「ここまでして嫁に来ないのなら、もう少し手を広げようと思っていたのよ。いい返事が聞けて嬉しいわ。あれを持ってきてちょうだい」
恐ろしいことを口にしながら、夫人はソファに背を埋めて執事に指示を出した。
「このチョコレート、貴女のお気に入りでしょう」
彼女に招かれたお茶会で、一度だけ口にしたことがある刻まれたフルーツが入ったチョコレイトと焼き菓子が、テーブルの真ん中に置かれた。
「よく覚えていらっしゃいましたね」
「もちろんよ。私にとってステラ嬢は最も敬意を表すに相応しい未来の王妃だと思っていたのだもの。好みを把握するのは当たり前のことだわ」
フロージアと結婚が出来ていれば、と考えると責められている気もしてくる。
心を捕まえられなかった魅力のない女性と言われているも同然だ。
「もちろん悪い意味ではないわよ。王家よりも歴史の長いイシュトハンを手にするには今の王族では力不足だったということだわ。ほら貴女、このカップケーキも今人気のものらしいわよ。召し上がって?」
「いただきますわ」
前公爵夫人に向かって、無礼者などと言う言葉は湧いては来ない。彼女は従兄弟同士で結婚した由緒正しき王族の血筋だ。
「そういえば、ステラ嬢の好みの男はどんな男なの?」
「好みと言われましても…一般的に好まれる男性の範疇を超えませんわ。他で子孫を残したりしない浮気者でない方、私をきちんと尊重してくれる方、イシュトハンにメリットのある家柄ならば文句のつけようもないですけれど…」
「欲のない子ね。顔には興味がないの?」
「公爵のことを聞かれているのですか?」
整った顔をしているのは、とてもメリットの大きいことだ。
第一印象が良ければ上手くいく交渉も多い。
「うちの息子の良いところは見目の良さが1番に上がるでしょう?」
「たしかに公爵の整った顔はとても魅力的ではありますね」
「そうでしょう。魔力も決して弱くはないし、人当たりも悪くない。それに妻を放っておくほど愚かではないと思うのよね、私の息子だし。あなた達きっと上手くやっていけると思うのだけど?」
「相手のいることは私一人ではどうにもならないこともありますから」
私はチョコレートを口に含みながら、濃いめに入れ直してもらった紅茶で驚くほどお茶を楽しんだ。
夫人との談笑は長く続くかと思われたが、早々に夫人は退室することになる。
「母上!ステラが……失礼。本当にいるとは思わず」
「あらまぁ、ノックを忘れるほど急いで来たのかしら?折角楽しくお茶をいただいていたのに。ごめんなさいね」
髪を少しばかり乱れさせて突然入ってきたディヴィッドは、私がソファの背もたれ越しに音のしたドアの方を見るとすぐに頭を下げた。
「ふふふふ。ステラ嬢、うちのバカ息子と結婚式の日取りの相談でもしてきたらどう?」
夫人は、挨拶するために立ち上がった私の背中を少しだけ押しながら私を部屋から追い出した。
夫人は庭を一望できる三階のガーデンルームでのお茶会が多いのだが、目の前の階段を見向きもせず、階段の奥へと進んで行った。
ーー庭にでも出るのかしら?
「今日はどちらににご招待してくださるのですか?」
「あぁ、今日は私の書斎よ。貴女一人ならゆったりと過ごしていただけると思って」
夫人が足を止めると、執事が扉を開ける。
そこに広がったのは、書斎と呼ぶには相応しくない広々とした空間だった。
「さぁ、こちらに腰掛けてちょうだい。わたしのお気に入りのソファなのよ」
「柔らかなソファですわね」
大きなテーブルを超えて、いくつかの本棚を横切りながら部屋の奥にある小さなテーブルと二つのソファの置かれた窓辺で、私はソファの背もたれに触れた。
婦人よりも先にソファに腰掛けると、座面は少し沈み込み、私の身体はいつもの背筋を伸ばした座り方をするのに苦労する事になる。
「力を抜いてソファに身を任せなさい。それがここのマナーです」
私は戸惑いながらゆっくりと背もたれに身を預け、肘掛けに腕を置いた。
「いつもいつも背筋を伸ばしていると疲れてしまうでしょう。たまには肩の力を抜いて話したいわ」
社交界の重鎮の言葉とは思えなかった。
ーーいつでもどこでも気を抜いてはいけません。
それが淑女教育の基本だからだ。
「こんな格好を許されたのは初めてです」
「ここはもうあなたの家のようなものだから気を使わなくてもいいのよ。婚約どころか、まだ家長の了承も得ていないけどね」
「私はもう、この縁談を受けようと思っています」
夫人を敵に回したら、それこそ私に縁談は来なくなるだろう。
今でもイシュトハン家は孤高の辺境伯と呼ばれるほど社交には明るくない。
父はまだ陛下の同級生という伝手と筆頭魔術師であった母の境遇から味方がいるというだけだ。
周りが敵だらけになったとしても、魔力の強い私たち姉妹が生きている限りはイシュトハンが衰えることはないだろうが、油断していれば一網打尽に叩き潰されることもある。
クロエが継ぐ意思がある状態の今なら、この縁談を受ける価値はある。
公爵家という王族とも繋がる血筋は、社交界での立場は確立される。
フロージアに振られた私が公爵夫人の地位にいることは、周りへの牽制にもなるし、未来の王太子妃にもプレッシャーを与えることが出来るだろう。
もちろん比較される立場になるのは望ましくはないが、下手な妃を迎えられるよりかはメリットはある。
「ここまでして嫁に来ないのなら、もう少し手を広げようと思っていたのよ。いい返事が聞けて嬉しいわ。あれを持ってきてちょうだい」
恐ろしいことを口にしながら、夫人はソファに背を埋めて執事に指示を出した。
「このチョコレート、貴女のお気に入りでしょう」
彼女に招かれたお茶会で、一度だけ口にしたことがある刻まれたフルーツが入ったチョコレイトと焼き菓子が、テーブルの真ん中に置かれた。
「よく覚えていらっしゃいましたね」
「もちろんよ。私にとってステラ嬢は最も敬意を表すに相応しい未来の王妃だと思っていたのだもの。好みを把握するのは当たり前のことだわ」
フロージアと結婚が出来ていれば、と考えると責められている気もしてくる。
心を捕まえられなかった魅力のない女性と言われているも同然だ。
「もちろん悪い意味ではないわよ。王家よりも歴史の長いイシュトハンを手にするには今の王族では力不足だったということだわ。ほら貴女、このカップケーキも今人気のものらしいわよ。召し上がって?」
「いただきますわ」
前公爵夫人に向かって、無礼者などと言う言葉は湧いては来ない。彼女は従兄弟同士で結婚した由緒正しき王族の血筋だ。
「そういえば、ステラ嬢の好みの男はどんな男なの?」
「好みと言われましても…一般的に好まれる男性の範疇を超えませんわ。他で子孫を残したりしない浮気者でない方、私をきちんと尊重してくれる方、イシュトハンにメリットのある家柄ならば文句のつけようもないですけれど…」
「欲のない子ね。顔には興味がないの?」
「公爵のことを聞かれているのですか?」
整った顔をしているのは、とてもメリットの大きいことだ。
第一印象が良ければ上手くいく交渉も多い。
「うちの息子の良いところは見目の良さが1番に上がるでしょう?」
「たしかに公爵の整った顔はとても魅力的ではありますね」
「そうでしょう。魔力も決して弱くはないし、人当たりも悪くない。それに妻を放っておくほど愚かではないと思うのよね、私の息子だし。あなた達きっと上手くやっていけると思うのだけど?」
「相手のいることは私一人ではどうにもならないこともありますから」
私はチョコレートを口に含みながら、濃いめに入れ直してもらった紅茶で驚くほどお茶を楽しんだ。
夫人との談笑は長く続くかと思われたが、早々に夫人は退室することになる。
「母上!ステラが……失礼。本当にいるとは思わず」
「あらまぁ、ノックを忘れるほど急いで来たのかしら?折角楽しくお茶をいただいていたのに。ごめんなさいね」
髪を少しばかり乱れさせて突然入ってきたディヴィッドは、私がソファの背もたれ越しに音のしたドアの方を見るとすぐに頭を下げた。
「ふふふふ。ステラ嬢、うちのバカ息子と結婚式の日取りの相談でもしてきたらどう?」
夫人は、挨拶するために立ち上がった私の背中を少しだけ押しながら私を部屋から追い出した。
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