偽りの桜

化野りんね

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一九四五年一月

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 私が不時着したのはどうやらルソン島だったらしい。私が密林を彷徨い、同じ日本軍の兵士たちと出会った頃には、既に私が飛び立った母艦が、そして日本海軍がほぼ消滅したことを知った。
 なけなしの空母を、戦艦を投入して行われたレイテ沖での海戦は我々の敗北に終わっていた。瑞鳳も沈んだ。
 それを知った時、私は彼らとある話をした。
「加賀、翔鶴、瑞鳳…… この船の共通点は分かるか」
 金村は答えた。
「全部空母だな」
 その言葉に付け加える形で、吉井は言った。
「全部沈んでますね」
 二人は、このルソン島の密林の中で初めて出会った日本軍人だった。そして彼らは同時に一つの罪を犯していて、私もその点については同様で、いわば我々は共犯者の集まりであった。
 私は言った。
「全部、私が乗ってた船だよ」
 それを聞いた二人は、焼いた蜘蛛を食べた時のような苦い表情をその顔に浮かべた。
「げえ。縁起でもねえなあ…… この島も沈むのか?」
 金村のその言葉を笑いながら、吉井は言った。
「島が沈むわけないでしょうに」
「陥落したら沈んだのと同じじゃねえか」
「違いない」
 私はそう言って笑った。今度は、二人は笑わなかった。
 彼ら二人は逃亡兵だった。二人とも米軍との戦闘中に突撃を命じられ、その場から逃げてきたのだ。死ぬのが分かってて突っ込んでいく様子は悲惨を通り越して、ある種の喜劇のようにすら思えたと二人は語った。それ以降、二人はずっと日本兵からも、米兵からも逃げ回ってきた。
 私は、ルソン島にある飛行場の様子を彼らから聞かされた。
「とうとう俺達の軍は超えちゃいけない一線を超えたようだ」
「それはどういうことだ」
「爆弾くっつけた航空機をそのまま突っ込ませる作戦を実行したらしい。その第一号がフィリピンの航空隊だったそうでな」
「おいおい。搭乗員はどうするんだよ」
「そのまま突っ込むんだよ」
「なんだよそれは」
 馬鹿馬鹿しいと思った。ただでさえ航空機も搭乗員も居ないのに何故そんな作戦をやらなきゃならないんだ。
 その感情を素直に伝えると、金村もまた同じように言った。
「だから俺も逃げてきたんだよ。陸じゃあそういうのがもう日常茶飯事だ。俺達の命を消耗品としか思っちゃいない」
 それを耳にした吉井は怒った。
「馬鹿。消耗品なわけないだろ」
「いいや。あいつらからすりゃそんなもんさ」
 金村は尚もそう言い続ける。
「俺は、俺はな。日本の将来のために生きてきたんだ」
 吉井のその返答を聞いて、金村はシニカルな微笑を浮かべた。
「役に立ってんじゃんよ。さっさと米軍の陣地にでも突っ込んでくりゃ満点だろうさ」
 吉井は冷静に、そのうちに怒りを込めながら、言葉を返していく。
「突撃したその先に何がある。死があって、陣地が手に入ればまだいいが、将官どもは何と言う?武人の誉れだとしか言わない。馬鹿ばっかりだ。お前も私も、徴兵されてきただけのただの日本人だ。俺は、俺はなあ。こんなとこで死ぬために生きてきたんじゃないんだよ」
 その後も、延々と二人は言い合っていた。お互い、ロクな死に方は出来ないだろうという諦めが根底にある。けれど吉井はそれでもここに居る自分の価値を信じていて、金村はそれを持っていないのだ。それが彼らの間に齟齬を生み出しているのだと私は考えた。
「そろそろやめにしないか。腹が減るだけじゃないか」
 そう言うと、二人の矛先は私の方に向いてきた。
「じゃあよ。お前はどうなんだよ。兵士ってのはあいつらにとってどんなものかって」
 金村の言葉に私は答えた。
「お前から聞くには、つい最近搭乗員も消耗品になったらしい」
「そんなわけない」
 吉井はあくまでそう言い張った。
「じゃあ吉井は、内地で一体何をしたかったんだよ」
 思えば私は吉井や金村が今まで一体何をしてきて、何を思ってこのルソン島まで辿り着いたのかを知らなかった。
 吉井はその問いに対し、簡潔に言葉を返した。
「米を作ってたのさ」
「じゃ、つまり農家ってことか」
「違うよ。大学で、米の品種改良をやってたんだ。病気に強くて、農地に負担のかからない、より美味い米を生み出すために研究してたのさ」
「大学で研究やるようなインテリゲンチャがなんでこんな場所に居るんだ」
 私が言うと、吉井の表情は曇った。
「学徒出陣で、農学部は徴兵さ。兵器に関係している学部以外は皆徴兵されたよ。文学も芸術も哲学も経済学も、戦争には必要ないんだよ」
 それを聞いた金村は、多少ひねた言い方でもって問うた。
「それでなんで、自分が酷い取り扱いをされてないって言い切れるんだよ。俺もお前も、お上からすりゃ使い捨てなんだぜ」
 うわ言のように繰り返されるそのフレーズに、吉井は飽きもせず淡々と言葉を返していく。
「酷いさ。酷い取り扱いだよ…… でも、酷いからこそ信じていたいんだ。彼らだって人の気持ちぐらい理解できるって」
「そんなわけないだろ?」
「いいや、そうに違いないさ。でないと、この三人が味わうような気持ちを、あいつらは感じてないってことになる。俺達はこんなに苦しいのに、あいつらは苦しくないなんて、その事実こそが余程理不尽だとは思わないか。消耗品っていうのは、つまりそういうことになるじゃないか」
 金村はその言葉を聞いて尚、反駁し続けた。
「お前はそうかもしれない。同じだと思い込めるかもしれない。日本人だからな。きっと何処にも混じり気のない純粋な日本人だからな」
 私は金村の言葉に引っかかりを覚えた。
「おかしいな。お前は日本人じゃないのか」
 金村は淡々と、答えを返していく。
「まあ、日本人っていやあそうなんだが、違うんだよな。俺は朝鮮民族だからな」
 あっけらかんと、その事実は吐き出された。
「本当はさ。金貯めて何か店でもやろうと思ってたんだ。俺は他のと違って、わりと日本のことを嫌いじゃなくてさ。生まれ故郷だものな。でも、そんな将来の皮算用もこのルソン島でみんなパアさ。あいつらは俺をゴミかなんかとしか思っちゃいねえ。なら徴兵しなきゃいいのに、ああやって無闇矢鱈に突っ込ませて、馬鹿みてえじゃねえか」
 ハッと息を吐いて、金村はそう語った。吉井も何も答えない。彼らの間には一つの理解が生まれた。それは即ち、二人とも何かしらになるという未来の絵図があり、それぞれのうちにあったその一枚の絵を散々に踏みにじられたのだという実感だった。
 もはや前提は崩れている。どう足掻いたってその絵図は、元通りには決してならないのだった。

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