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一九四五年五月
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私達四人はこのフィリピンの島から遠く日本へと還る方法を模索し始めた。
既に自軍は頼りにならない。行きの輸送船すら大半は敵の船に沈められたのに、帰りの船があるとは考えられなかった。なので、私達はその手で移動手段を作り出すか、敵軍から奪い取るかのどちらかを選択しなければならなかった。
そのうち前者については早々に否定されることとなる。仮に私達が筏を作ったとしても、海流や天気といった不安要素があまりにも多過ぎるし、一度海上に出れば食料の確保もままならなくなる。ただでさえ困窮している私達が海に出れば、数日のうちに餓死するであろうことは想像に容易い。
そこで皆は考え始めた。そもそも私は戦闘機の搭乗員だった。細かな違いはあろうが、何とかして敵の飛行場から航空機を奪い取って、台湾辺りの日本領に不時着さえすれば、日本へと戻れるのではないか。
恐らく敵は既にフィリピンのクラークにある飛行場を占領しているだろうと思われた。私達は今まで来た道を逆方向に、つまり南側へと歩を進め、クラークの飛行場のどれかを見つけ出し、襲撃して敵の航空機を奪い取るという方向で結論を出した。
方角については吉井が太陽の位置から想定し、作戦の要となる私には優先的に食べ物が渡された。
そうした目標を持ち始めてからある程度の日数が経過すると、三人にはそれぞれ変化が出始めた。
まず吉井は、今まで見たことがないほど元気になった。目標の決定や方角の予測、道中の食べられる植物に至るまで、私達が進むための汎ゆる知識は彼によって齎された。吉井は、自身が今まで培ってきた知識は無駄じゃなかったと言い、日々痩せ細っていきながらも、一筋の光明を見つけることが出来たようだ。
逆に、金村は苛立ちが前面に出てくるようになった。何かで躓いたりするたびにその口から小さく罵声が出、自身に何か悪いことが起きると顔を真赤にするようになった。その矛先が仲間に向かわないことについて私は随分と感心したが、彼がいつ破裂するのかも分からなかった。
最後に、景浦。彼はその病魔に侵され、ある時高熱を出した。彼の病はマラリアであった。薬さえあれば治しようのあるこの病気も今の私達にはどうすることも出来ず、ただただ彼は隣のある死をじっと見つめ続けていた。彼曰く、マラリアにかかった者は三度高熱を出すという。そして、三度目の発熱時に羅患者は死に至る。自分はそうやって死んだ奴を何人も見た。何度も何度も、そう言った。
我々三人は、破綻寸前のところを歩き続けていた。三人の身体は既に亡者とそう変わらない状態になっていて、ただ日本への郷愁の念だけが、折れかかった大黒柱のように、かろうじて心の底を支えている。
「まったく、この密林はいつまで続くんだ」
その日も金村は、いつも通りにぶつぶつと文句を言っていた。
「このルソン島にも村落はあるはずなんですけれどね」
吉井は冷静だった。疲労の極地にありながら、その頭脳の冴えは衰えを見せない。
「じゃあよお。村にでも匿ってもらえばいいんじゃねえかなあ」
「それは駄目だろう。ゲリラの拠点だったらどうするんだ。それに今更、私達を匿ったところで彼らに利益はないだろう。その場で私刑を受けるか、敵の捕虜になるか。そのどちらかだ」
私が言うと、金村はとうとう黙り込んだ。
その瞬間だった。
銃声が響き、空間を貫いた。それと同時に、金村の足の先から膝、胴体が弛緩し、崩れ落ちた。
私はその情景をその目に収めた。銃声が鳴り、金村は倒れた。それらの事実から連想されることから、私は目をそらそうとした。その目で見ていながら、心だけはそれを見つめないようにしていた。
吉井と影浦は即座にその場に伏せた。私もそれに倣う。
「私達はまだ、戦争の中に居たんです」
吉井は言った。彼の背中にある銃は、剣のついた筒でしかない。我々は刃物だけを持って、銃を持つ敵と戦わされているのだ。
景浦は、胡乱な目で、銃声の鳴った方向を見つめていた。彼は既に銃を手に取っていた。
「お前たちだけで行け」
「景浦。お前だけでどうするって言うんだよ」
「俺はもう二度発熱した。もう死んでいるのと同じだ。この銃にまだ弾が残っているのも、きっとそういうさだめだったんだ」
私は戸惑った。しかし、吉井は違った。
「匍匐前進で逃げます。出来る限り、この場から離れるべきです」
彼は既に、全ての事象を受け入れていた。何も言わずとも彼はそうして逃げ延びるだろうと思われた。
私と吉井は、景浦と金村の二人を置いて逃げ出した。二人が草むらと接しながら前進する間中、銃声はずっと鳴り響き続けていた。
既に自軍は頼りにならない。行きの輸送船すら大半は敵の船に沈められたのに、帰りの船があるとは考えられなかった。なので、私達はその手で移動手段を作り出すか、敵軍から奪い取るかのどちらかを選択しなければならなかった。
そのうち前者については早々に否定されることとなる。仮に私達が筏を作ったとしても、海流や天気といった不安要素があまりにも多過ぎるし、一度海上に出れば食料の確保もままならなくなる。ただでさえ困窮している私達が海に出れば、数日のうちに餓死するであろうことは想像に容易い。
そこで皆は考え始めた。そもそも私は戦闘機の搭乗員だった。細かな違いはあろうが、何とかして敵の飛行場から航空機を奪い取って、台湾辺りの日本領に不時着さえすれば、日本へと戻れるのではないか。
恐らく敵は既にフィリピンのクラークにある飛行場を占領しているだろうと思われた。私達は今まで来た道を逆方向に、つまり南側へと歩を進め、クラークの飛行場のどれかを見つけ出し、襲撃して敵の航空機を奪い取るという方向で結論を出した。
方角については吉井が太陽の位置から想定し、作戦の要となる私には優先的に食べ物が渡された。
そうした目標を持ち始めてからある程度の日数が経過すると、三人にはそれぞれ変化が出始めた。
まず吉井は、今まで見たことがないほど元気になった。目標の決定や方角の予測、道中の食べられる植物に至るまで、私達が進むための汎ゆる知識は彼によって齎された。吉井は、自身が今まで培ってきた知識は無駄じゃなかったと言い、日々痩せ細っていきながらも、一筋の光明を見つけることが出来たようだ。
逆に、金村は苛立ちが前面に出てくるようになった。何かで躓いたりするたびにその口から小さく罵声が出、自身に何か悪いことが起きると顔を真赤にするようになった。その矛先が仲間に向かわないことについて私は随分と感心したが、彼がいつ破裂するのかも分からなかった。
最後に、景浦。彼はその病魔に侵され、ある時高熱を出した。彼の病はマラリアであった。薬さえあれば治しようのあるこの病気も今の私達にはどうすることも出来ず、ただただ彼は隣のある死をじっと見つめ続けていた。彼曰く、マラリアにかかった者は三度高熱を出すという。そして、三度目の発熱時に羅患者は死に至る。自分はそうやって死んだ奴を何人も見た。何度も何度も、そう言った。
我々三人は、破綻寸前のところを歩き続けていた。三人の身体は既に亡者とそう変わらない状態になっていて、ただ日本への郷愁の念だけが、折れかかった大黒柱のように、かろうじて心の底を支えている。
「まったく、この密林はいつまで続くんだ」
その日も金村は、いつも通りにぶつぶつと文句を言っていた。
「このルソン島にも村落はあるはずなんですけれどね」
吉井は冷静だった。疲労の極地にありながら、その頭脳の冴えは衰えを見せない。
「じゃあよお。村にでも匿ってもらえばいいんじゃねえかなあ」
「それは駄目だろう。ゲリラの拠点だったらどうするんだ。それに今更、私達を匿ったところで彼らに利益はないだろう。その場で私刑を受けるか、敵の捕虜になるか。そのどちらかだ」
私が言うと、金村はとうとう黙り込んだ。
その瞬間だった。
銃声が響き、空間を貫いた。それと同時に、金村の足の先から膝、胴体が弛緩し、崩れ落ちた。
私はその情景をその目に収めた。銃声が鳴り、金村は倒れた。それらの事実から連想されることから、私は目をそらそうとした。その目で見ていながら、心だけはそれを見つめないようにしていた。
吉井と影浦は即座にその場に伏せた。私もそれに倣う。
「私達はまだ、戦争の中に居たんです」
吉井は言った。彼の背中にある銃は、剣のついた筒でしかない。我々は刃物だけを持って、銃を持つ敵と戦わされているのだ。
景浦は、胡乱な目で、銃声の鳴った方向を見つめていた。彼は既に銃を手に取っていた。
「お前たちだけで行け」
「景浦。お前だけでどうするって言うんだよ」
「俺はもう二度発熱した。もう死んでいるのと同じだ。この銃にまだ弾が残っているのも、きっとそういうさだめだったんだ」
私は戸惑った。しかし、吉井は違った。
「匍匐前進で逃げます。出来る限り、この場から離れるべきです」
彼は既に、全ての事象を受け入れていた。何も言わずとも彼はそうして逃げ延びるだろうと思われた。
私と吉井は、景浦と金村の二人を置いて逃げ出した。二人が草むらと接しながら前進する間中、銃声はずっと鳴り響き続けていた。
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