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恐怖に打ち勝て!

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「これから本当の恐怖を教えてあげるわ~」

 そう言うと邪は唇に小さく弧を描かせる。
 妖艶な笑み、先ほどまでの口を切り裂いたかの様な笑みとは全くもって違った。
 周りをも思わず魅了させる笑みにMは少しボーっとする。
 だがすぐに戦闘のことが頭に過ぎり、邪に警戒をした。

「何をするつもりですの?」

「それは貴方が今からわかることよ~」

 邪は今度は無邪気な笑みで答える。
 Mはその笑みに苛立ちを覚え、小さく舌打ちしてから刀を構え様とした。
 だが体が動かなかった。

「怖い……」

 Mはそう呟く。
 すると邪は「きゃははは!」と大きな声で笑った。
 殺はMの言葉に疑問を持つ。
 先ほどまで闘志に燃えていたMが何故、急に怖いと言いだしたのか?
 するとMは体を震えさせ叫ぶ。

「怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!!!」

 Mは明らかに邪に恐怖をしていた。
 それを見て、殺は邪に殺気を込めて問いかける。

「貴方……何をしたのです?」

「私の能力、人を恐怖に貶める能力を使っただけよ~」

 恐怖に貶める。
 その能力を聞いて殺はMの状況に納得した。
 この状況ではMは戦えない。
 だがしかし、殺たちも結界を守らなければならないので戦えない。
 如何すれば……。
 だが殺は思い出す。

 この戦いはMに信じて任せたことだと……。

 ならば最後までMに戦わさねば。
 そう思っていた矢先にMの目が虚ろになる。
 そうして己が刃を自分の心臓に突き立て様としたのだ。
 Mは恐怖に負けて自害をしようとしていた。
 怖い、その気持ちはMの心を壊すには充分だった。
 Mは自分で死のうとする。
 それに周りが焦る。
 そんな中で唯一、声をあげた者が居た。

 それは殺だった。

「M、貴方は馬鹿ですか!?貴方が本当にすべきことは死ぬことではないでしょう?!」

「この女に言ってるの~?無駄よ」

 邪は殺に無駄だと言い、笑う。
 だが殺は邪のことは眼中にないかの様に、Mに向かって叫んでいく。

「貴方が恐怖すべきことは何だと思いますか?!それは眼前の敵か?いいや、違う……。この目の前で起きた惨状でしょう!?」

 そう言いながら殺は死んだ我が子を抱きしめ泣き叫ぶ母親を指差す。
 Mはその光景を見て、虚ろを塗り替える。

「貴方も本当はわかっているでしょう?!貴方が戦わねば如何する?!母親の痛み、子の思いを一身に託されたその身で戦わねば如何する?!」

 Mの目に光が灯されてくる。
 Mは己が使命を思い出してきていた。
 それを殺は見て、最後の言葉を送る。

「わかったなら立て!そして勝て!己の恐怖に!眼前の敵に!」

 殺は大きな声で言いたいことを叫び切ると、肩を大袈裟な動きで動かし、呼吸をした。
 そんな殺の必死だった様子、母と子を見てMは震えた手で刀を構える。
 泣きそうな目で刀を構える。

「貴方は……私が葬りますわ!」

 勝った。
 Mは恐怖に勝ったのだ。
 それに邪は「何故なの!?」といった風に訳がわからないでいる。
 それもそうだ、自分の能力が効力を果たさなかったのだから。

「さあ!勝負の続きですわ!」

「キィィ!!」

 Mは一瞬で邪の懐に入る。
 邪はそれに気づくのに一歩どころか二歩も遅れた。
 それほどMの動きは先ほどまでとは比べ物にならないほど速かったのだ。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 邪に深い斬撃が入る。
 真っ赤な血が邪の薄い桃色の服を濃い赤色に変えた。
 邪は体勢を崩す。
 邪にはスローモーションの様に思えたかもしれないが、Mには一瞬だった。
 その時間にMは邪を殴り飛ばす。

「絶対に許しませんわよ!」

「グハァ!!」

 邪は遠くに飛ばされる。
 だが……。

「ここまでだ」

 何者かが邪を乱雑に受け止める。
 それが皆には誰かわからなかったが、殺は震えた。

「その声は……美咲さんの一族に取り憑いていた悪鬼!?」

「悪鬼とは失礼な物言いだな。……紅髮の餓鬼、お前らを少し見くびっていた様だ。今回は邪先輩が戦闘不能だからお開きだ」

「待ちなさい……ぐっ……罪……、私は、まだ殺れる!」

 罪と呼ばれた男は呆れたかの様な顔を邪に送る。
 そうして邪に刻まれた深い傷を抉った。

「ギィっ!?」

「ほら、戦えないだろ?じゃあな、五人の英雄」

「あ!待て!」

 邪と罪は深い闇の中へ消えていく。
 闇が二人を包み込んで消えた頃には、全てが終わっていた。

「勝ったのか……?」

 勝ち、その言葉を皮切りに皆が助かったのだと歓声をあげる。
 だが勝負に勝ったMは浮かない顔をしていた。

「殺様……」

「……何です?」

 殺はさっきとは違い、冷静に返す。

「私……子供を守れなかった。全てを守りたいと思っていたのに……」

「私なんか攻撃に気づいていても止められませんでした。私の方が罪人です」

 殺は悲しそうに、辛そうに話す。
 そんな中、Mも語りだす。

「殺様は私に勇気をくれました。恐怖に打ち勝つ勇気を……だから戦えた、勝てた。だから……そんな風に言わないでくださりませ……うぅ……ひっく」

 Mは泣いていた。
 それを殺は抱きしめ慰める。
 その光景は皆の心をどこか抉った。


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「罪くん……私は……」

「何で俺たちに頼らなかったんですか?」

 頼られなかった、その事実に罪は自分たちが信用されてないのではないかと不安になる。
 だが、邪は珍しくしおらしい声で語り始めた。

「皆を幸せにしたかったから……」

「は?」

 罪は間抜けな返事を返す。

「私一人で戦ったら皆が喜ぶ気がして……」

「……そんな訳ないでしょう。貴方が一人傷ついたら皆が悲しむ。だから……」

 罪は言葉を少し途切らす。
 それは邪の傷を再び見て辛くなったからだ。
 罪は次の言葉を出す。

「頼っていいんですよ」

 そう罪は邪に言った。
 その言葉を聞いた瞬間に、邪は下を向き泣き始める。
 これまで一人で背負ってきた分、頼っていいと言われ重荷が無くなった気がして嬉しかったのだ。

 罪は泣いている邪を見て、何故気づけなかったんだと自分を責めた。
 もうこれ以上、家族が傷つくのを見たくない。
 そう思いながら邪を優しく、丁寧に抱え、帰路に着いた。

 互いに違いあう正義の物語は悲劇しか呼ばなかった。


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